世界の底流  
中米エルサルバドルに中道左派政権誕生
2009年4月14日


1.エルサルバドルで中道左派政権が誕生

 さる3月15日、中米のエルサルバドルで大統領選挙が行われ、元マルキスト・ゲリラ組織のファラブンド・マルティ民族解放戦線(FMNL)が推したテレビ記者マウリシオ・フネス(49歳)が勝利した。
 フネスは、選挙事務所のシェラトン・ホテルのバルコニーから、「Si Se Pudo !(Yes We Could)」と叫び、国旗を振り、車のホーンを鳴らした支持者たちに応えた。明らかにこれは米国のオバマ大統領選挙を真似たものであった。これでは誰もフネスを「反米」とは言えない。
 エルサルバドルのFMNL政権の誕生は、ニカラグア(2006年)、グアテマラ(2007年)、ホンデュラス(2008年9月)に続く左派、中道左派政権の誕生に続くもので、南米の反米・左派政権誕生の波が中米にも及んできたことを示している。とくに中米は「米国の裏庭」と呼ばれてきたので、この地域が米国離れをはじめたことは、米国にとって大きな打撃である。その中米諸国の中でも、唯一、公然の親米国エルサルバドルを失ったのである。
 今回のFMLNの勝利は、この国を130年間に渡って支配してきた軍とオリガーキー(寡頭制)の支配を終わらせることになった。
 フネスは、49歳、86年にテレビ局の記者としてジャーナリスト活動を始めた。政治討論番組やインタービュー番組での厳しい政府批判を行い、人気が高かった。91年から16年間、米CNNのスペイン語放送のリポーターであった。
 大統領の任期は5年で連続再選は禁じられている。フネス大統領自身はゲリラとしての経験はなく、中道左派政策を施行すると言っている。
 フネス新大統領の対立候補は右派与党の「民族主義共和同盟(ARENA)」が推した元警察長官ロドリゴ・アビラ候補であった。フネスの得票が51.4%であったのに対して、アビラは48.6%に留まった。
 ARENAの選挙戦術は、人気の高いフネスに対する個人批判は避け、もっぱら彼がゲリラのFMNLに近いことを非難した。さらに、ベネズエラのチャベス大統領が唱える社会主義の実情として「街頭デモ」や「兵隊の行進」のシーンを、「チャベスの顔」と同時にARENAが支配しているすべてのテレビ・コマーシャルの間にサブリミナルの形で流した。
 エルサルバドルでは「社会主義になると戦争が始まる」と信じられていた。これは「フネスを大統領に選べば、FMLNがエルサルバドルを社会主義に売り渡すぞ」という警告であった。これは功を奏した。選挙戦の当初、フネス候補はアビラ候補に2桁台の差をつけていたが、占拠の結果では僅差の勝利に終わった。
 3月15日の投票日には、ARENAは近隣の国から偽の投票用紙を持った人を連れてきて投票させた、とフネス派は非難している。
 しかし、エルサルバドルの大統領選を監視したJose Antonio de Gabriel・EU選挙監視団副団長は、「大規模な選挙違反はなかった。ただし、与党のARENAが、財政支出をできる立場にあり、また多くのメディアを支配していることから、ネガティブ・キャンペーンが可能であった」ことを認めている。

2.エルサルバドルの現代史
 中米では、1979年にニカラグアでサンディニスタによるマルキスト革命が勃発した。
 米国にとって、これは全く許しがたいことで、隣国ホンデュラスを使って、「コントラ」と呼ばれた反革命戦争を行った。この時代に同じ中米でマルキストのFMLNゲリラが台頭したことは、米国にとって、さらに許しがたいことであった。
 親米・右派のARENAと左派ゲリラのFMNLは、1981年、相互に対立する勢力として誕生した。以後、内戦が12年続いた。この間、レーガン政権下の米国は対ゲリラ戦用の武器援助を行った。米国は、当時人口700万人の小国エルサルバドルを東西冷戦の縮図と見なしていた。
 1992年、内戦は終わった。ゲリラは武装解除し、FMLNは一政党となり、国会や地方議会に議席をえた。とくに首都サンサルバドルでは、今年3月に敗北するまで12年間にわたって市長と市議会をFMLNが支配してきた。国会では FMLNは最大政党であった。 
 しかし、大統領選挙ではゲリラ風の選挙スタイルがネックになって、長い間野党の座に留まった。「コマンダンテ(ゲリラ司令官)」を思わせない、選挙民に受け入れやすい候補が必要であった。それには、今回のフネス氏は理想的な候補であった。
 一方右派のARENAは、1989年以来、20年間、政権の座にあった。ARENAの創設者Roberto D’Aubissonは、米国の悪名高い「School of the America」卒業で、内戦中、悪名高い「死の部隊」を組織した男である。そして、ARENAは財界と軍隊の援助を受けたのと同時に、社会保障にも力を入れた。その結果、一部ではあったが貧困層の支持をうけたのであった。今回の大統領選でもARENAのアビラ候補は自宅を売却したり、デイケアセンターを開設したり、職業紹介所では失業者と並んで写真を撮ったりした。
 にもかかわらず、ARENA政権の下では、親米、親オリガーキーの政策の結果、1990年代以来、経済成長率は4%以下に停滞した。人口の半分が貧困下にある。
 2001年には、ARENA政権は、エルサルバドル通貨を「米ドル」にした。その結果、失業は増加し、生産性は低下し、そして、治安が悪化した。首都サンサルバドル市内北東のスラム地区La Chacraはトタン屋根、そしてギャングの暴力と麻薬が充満している。それだけでない、ARENAは少数の大企業を富ませ、競争を許さない「クロニー(仲間)資本主義」であった。
 2004年の大統領選挙では、FMLNの伝説的ゲリラ司令官で元共産党党首のSchafik HandalとARENAのAntonio Sacaが闘った。2人ともパレスチナ出身であることは興味深い。ブッシュ政権が、最大のARENA援助を行ったため、Handalが敗北した。

3.FMLN政権の政策
 フネス大統領は、ブラジルのルラ政権をモデルにすると言っている。つまり、穏健な中道左派路線で、外国資本の投資を歓迎している。
 フネスは選挙後に行われた「The Nation」と「New America Media」のインタービューで以下のように答えている。
 フネスは、憲法が実行され、法の秩序が守られるように国家機能を民主化する。これは、とりもなおさず、外国への移住の抑制につながる。これは米国にとっても恩恵となるはずだ。なぜなら人びとが外国に移住するのは、国家から見放され、職もなく、尊厳のある生活を続けることが出来ないからだ、と言う。エルサルバドルの人口の4分の1は米国に移住している。
 また、先に米国との間で締結された「中米自由貿易地域(CAFTA)」からの脱退、通貨のドル化、ベネズエラなどの南米協定などへの加盟などについては、米国と投資家を刺激することになるので、当分、考えていない、とも語った。
確かに、フネス氏は、選挙の数ヵ月前、ワシントンを訪れ、当時米国務省のラテンアメリカ担当官であったTom Shabbonと会合している。その結果、エルサルバドルの大統領戦では、オバマ大統領は「中立」を保った。
 国内政策としては、フネス大統領は、これまでの金持ち優先の政策から、貧困層優先の政策に変えていくことを誓った。それは内戦中に右翼に暗殺されたロメロ大司教の教えでもある。