世界の底流  
イタリアの米軍事基地追放運動
2009年8月2日


 米国の独立記念日に当たる7月4日、イタリアのビセンザでは、巨大な米軍基地建設の計画に反対し、イタリアから米国の軍事基地を追放するために非暴力行動の日となった。ビセンザは現在ある米軍基地のために、米軍の兵士で溢れかえっている。新しい基地建設計画などはもってのほかである。長い間、ベセンザの住民は米軍基地の拡張に抵抗してきた。
 ビセンザの住民投票では、住民の95%が基地に反対している。反対運動のリーダーが、市長に選出され、賛成派の市長は職を失った。地域の活動家と地方議員が基地に反対するために、ワシントンを訪問して、4月23日、米下院の軍建設と退役軍人小委員会で証言した。ヨーロッパのメディアは、この問題を取り上げざるをえなくなった。
 5月には、住民が基地のフェンスを破って建設予定地にイタリア国旗と看板を立てた。6月の終わりには、ビセンザの町をジョギング中の米兵たちに対して、「米兵帰れ」の旗を掲げた。
 ビセンザの住民は決してはじめから反米ではなかった。80年代の後半には米兵は、友達として迎えられていた。しかし、基地が急速に巨大な存在となるにつれて米軍基地に対する住民感情も悪化したのであった。
 米軍はナチからイタリアの解放したのではなかった。そして、現在、中東での侵略戦争に軍隊を送り、そして、イタリアに帰ってくると、精神不安、自殺、飲酒などのトラブルを起こすようになった。
 4月には、Loretta Sanchez国会議員がベニスを訪問(ビセンザはベニスに近い)した折、「新しい米軍基地は必要だ。なぜなら米国がアフリカを攻撃するのに必要だからだ」と語った。
 7月2日、新しい基地建設の場所であるDal Molinの名をとって「ノー・ダルモリン」キャンペーンが始まった。これは、オバマ米大統領に対して、彼が2008年11月4日、シカゴでの勝利演説で述べた、「人民の、人民による、人民のための政府」や「私は反対の相手の言い分を聞く」などを引用した手紙を書く運動である。そして、オバマ大統領がG8サミットでイタリアを訪問したとき、1955年以来米軍基地を受け入れてきたビセンザを訪問するよう招待した。これは実現しなかった。
 その時の招待状には「ビセンザの住民は、女性も男性も、老人の若者も、金持ちも貧乏人も町と、将来世代を守るために、ともに闘っている。貴方と同じく、チェンジのためにコミュニティからはじめている。そこで、以下のような質問をしたい。

1) 米国は、ユネスコの世界遺産から1マイルと離れていない土地で軍事基地の建設が可能なのでしょうか?これはビセンザで起こっていることである。

2)
米国は、このようなことを住民に諮らずに、そして、地元住民の意志とは反対におこなうのだろうか?ビセンザでは95%の住民が反対している。

3)
米国は、住民にとって死活問題であり、同時にヨーロッパで最も貴重な水資源地に基地を建設するのか?基地は水資源を汚染し、また現行の条例にも違反している。

4) ビセンザは、これまで平和を志向してきた。ここにヨーロッパで最も重要な基地が建設されることになった。ここに、Africomの司令部が置かれ、ブッシュ政権が推進してきたテロ予防戦争の一部になっている。テロ予防戦争は、とっくに破産しているのに、我々に押し付けようとしている。

5) 米国の独立宣言にある、民主主義、尊敬、合法性、透明性などの言葉がビセンザでは否定されようとしている。」と書いてあった。
 7月8〜10日のラクイラでのG8サミットに向けて、「ノー・ダルモリン」キャンペーンはイタリア中から参加者を募り、ビセンザで、7月4日を、「米軍基地からの独立宣言」とすることを呼びかけた。
 「7月4日は米国人にとって、独立宣言を祝う日である。同時にビセンザの住民とともに、平和と公共財を守る人々すべてが、軍事基地から解放の日である」