世界の底流  
ハマスについて
2009年1月19日


 パレスチナ・ガザ地区でのハマスに関する報道には多くの誤りがある。
「ハマスはガザでの権力を穏健派ファタから武力によって奪い取り、パレスチナを分断している」「ハマスはアルカイダと同じくイスラム原理主義のテロ組織である」などなど。
 これは、イスラエルのガザ攻撃を停止するように要求している国際世論の中にも見られる考えかたである。

  2006年1月、パレスチナ全土(西岸とガザ)で行なわれた総選挙で、ハマスは132議席中76議席を獲得し、多数派を制した。これは国際的な監視の下で公正に行なわれた民主的な選挙であった。それ以前に権力を握っていたファタは43議席しか獲得できなかった。さらに地方選挙でも、ハマスはガザ、カルキラ、ナブルスなどで勝利している。
 ハマスが勝利した理由は、ファタの自治政府が余りにも腐敗しており、統治能力に欠けていたためであった。人びとはファタにうんざりしていた。パレスチナ人をイスラエルの占領から守ってくれるのは、武装抵抗運動ハマスであると確信したからであった。
 当然、ハマスとファタとの指導権争いは熾烈化した。

  2007年6月、ガザではハマスとファタの間で武力衝突が起こった。これを契機に西岸で、ハマスはパレスチナ自治政府のさまざまなポストから追いだされた。これについては、多くのパレスチナ人が、民主的な選挙で選出されたハマスを追放したのは不当行為だと非難している。したがって、ハマスによってパレスチナが西岸とガザが分裂しているというのは間違いである。

  ファタ派のアバス自治政府議長は、ハマスの民兵と指導部を非合法化する法令を出した。
 国際社会では、イスラエル、米国、日本、EU、カナダがハマスを「テロ組織」と認定している。またヨルダンでは非合法化されている。英国とオーストラリアはハマスの軍事部門「Izz ad-Din al-Qassam 部隊」をテロ組織と認定している。
 ハマスはパレスチナ最大の社会組織であり、大きな影響力を持っている。イスラエルの存在を認めないというだけで、ハマスをイスラム原理主義者だとして、オサマ・ビンラディンやアルカイダと同一視するのは間違っている。
 ハマスは最初社会奉仕活動からはじまった。貧しいパレスチナ人家族に医療や教育のサービスを行い、イスラム金融にもとづいて小規模な商売に資金を融資した。自治政府を握っていたファタの幹部たちが、自らの蓄財に忙しいのと反対にハマスの社会奉仕の姿はパレスチナ人の人気を集めたのは、当然のことであった。
 ハマスはイスラエルとの闘争を政治的なものとして、宗教や人種の違いにもとづくものではないとしている。

  パレスチナでハマスが生まれたのは、1967年の第3次中東戦争によって、西岸とガザがイスラエルの占領下に置かれた時代であった。当初、ハマスは、エジプトのモスリム同胞団のガザ支部であった。それは、ハマスの精神的指導者Sheikh Ahmed Yassinがモスリム同胞団の政治活動を開始したからであった。1973年には、Yassinはガザでイスラムセンター(al-Mujamma al-isulami)を設立した。これは慈善事業であった。その後、1987年12月、Yassinは政治組織としてガザと西岸にハマスを設立した。これは、イスラエル占領地でのパレスチナ人の第1次インティファーダの時代であった。インティファーダは、石ころとストという「攻撃的だが非暴力の抵抗闘争」であった。したがって、ハマスもモスリム同胞団の伝統を受け継いで、非暴力を掲げていた。
 しかし、ハマスがイスラエルに対して最初に自爆テロを行なったのは、1993年4月であった。その5ヵ月後、ノルウエイ政府の仲介で、PLOのアラファトとイスラエルのラビン首相による「オスロ和平合意」が締結された。
 現在、ハマスはパレスチナ抵抗運動として、ガザ、西岸、イスラエル国内において、自爆テロとロケット攻撃を行っている。

 ハマスの全身であるモスリム同胞団は、エジプトのカイロで生まれた。その歴史は古く、1928年に遡る。当時エジプトは英国に軍事占領されており、モスリム同胞団の活動は、貧しい人びとに対する社会奉仕活動と、反英独立闘争の2つを兼ねていた。
 第2次大戦中、モスリム同胞団は、「敵の敵は友」という考えの下で、ナチスドイツに接近していた。後にエジプトの大統領となったアンワル・サダトは、第2次世界大戦中、エジプト軍の将校であったがモスリム同胞団に近く、ナチスドイツと手を結んで反英闘争に参加したという経歴を持つ。
 サダトはナセル大統領が死ぬと、大統領に選ばれるが、前任者がモスリム同胞団を弾圧したので比べて、投獄されていた同胞団を釈放し、同胞団を合法化した。
 しかし、1977年、サダト大統領がイスラエルを訪問し、和平を結んだ。その結果、サダトは、1981年10月、モスリム同胞団によって暗殺されたことは皮肉なことだった。
 現在エジプトにおいても、モスリム同胞団は、最大の社会組織であり、学生、インテリ層の中で強い影響力を持っている。議会でも、モスリム同胞団は非合法であるので、「独立派」と称しているが、88議席、20%を占めており、最大野党である。