世界の底流  
実りのない国連のドーハ開発金融会議
2008年12月17日

 
1.モンテレイ合意とは


 08年11月29日〜12月3日(2日までのところ1日のびた)、カタールの首都ドーハで、国連開発金融会議が開催された。これは2002年3月、メキシコのモンテレイで開かれた第1回国連開発金融サミット(UN Summit for Financing Development)から6年目にあたり、「モンテレイ合意」の進行状況を評価する会議であった。
 そもそも、国連開発金融会議は、2000年9月のミレニアム・サミットで採択された「ミレニアム開発ゴール(MDG)」を達成するために、行動計画を作成するための会議であった。したがって、モンテレイにはブッシュ、シラクをはじめ首脳クラスが出席した。
 だが日本はODAを削減しており、新しいコミットメントが出来ないので、外務政務次官を送っただけであった。
 モンテレイ会議は、9.11の直後に、しかもメキシコとは言ってもブッシュ大統領の出身地テキサスにより近いモンテレイで開催された。そのため、会議では「MDG」よりも「反テロ」の風潮のほうが圧倒した。
 第2回のドーハ会議も、湾岸産油国のカタールという市民社会が弱い国で開かれた上に、グローバルな未曾有の金融危機下に開催されることになった。先進国は途上国援助に後ろ向きとなり、開発問題は脇に押しやられた感があった。
 先進国は、モンテレイでは「反テロ」であったが、ドーハでは「金融危機」を合意を妨害する口実に使った。
 開発金融会議の真の目的は、@ 途上国は援助が効果をもたらすようにガバナンスを強める、A 先進国は途上国の債務帳消しを行ない、さらにODAをGDPの0.7%以上にする、これが不可能な場合モンテレイ後5年間でODAを倍増する、さらにこれとほぼ同額の「新たな革新的な方法」での追加の援助を行なうこと、などについて合意することにあった。
 「モンテレイ合意」では、途上国のガバナンスについてはほとんど北の言い分が通ったのだが、南に対する援助となると、北はほとんど踏み込んだ、大胆な約束をしなかった。
 たとえば、債務帳消しについては、重債務貧困国については、1999年の「ケルンG7合意」以上進まなかった。ODAについては、EUの中で当時高度成長期にあったポルトガルやアイルランドがGDP0.7%を公約したという点では進展があったが、経済大国の米国、日本、ドイツ、英国、フランス、イタリアなどは、0.7%を拒否し、ODAの倍増を約束したにとどまった。しかも米、日などは期限もつけなかった。ただし、EUは、大体2015年までに各国が0.7%を達成することを約束した。
 ODAと同額になる「MDG達成のための新たな援助」については、米、日の反対したため、為替取引税(トービン税)の導入についての合意を得ることが出来なかった。国連が従来から使っていた「新しい革新的なメカニズム」という表現にとどまった。
 「モンテレイ合意」の積極面は、単に北から南に援助金を流せばよいと言うのではなく、債務帳消し、貿易、外国直接投資などが、すべて途上国の貧困根絶という目標に向けた調整的なものにする、と決めた点である。また、開発を援助し、貧困を根絶するために国際金融機構(IMF、世銀など)を改革する必要を認めたことにある。米国の代表は「国連が国際金融機構(Architecture)に言及したのは、これまでのタブーの1つが取り外されたことだ」と語った。

2.ドーハへの道(2003〜2008年)

 9.11、と続くブッシュのアフガン、イラク戦争によって、国際政治の優先順位は「反テロ」が第1位を占めた。しかし、イラク戦争の失敗が明らかになると、国内外でブッシュ批判が起こった。ネオコンの後退が始まった。

(1)05年1月、スイスのダボスで開かれた「世界経済フォーラム」で、機を見るに敏な英国のブレア首相は、グレンイーグルスのG8サミットの議長権限をフルに使い、「05年をアフリカの貧困根絶の年にしよう」と呼びかけた。同年6月、グレンイーグルスで、G7首脳は、アフリカにODAを倍増させること、重債務貧困国のIMF/世銀の多国間債務を100%帳消しにすること、などに合意した。
(2)05年3月には、フランスのシラク大統領が「援助の有効性」についてパリで国際会議を開き、「パリ宣言」を採択した。これは「モンテレイ合意」に盛られた途上国政府のガバナンスの部分の実施にあたる。その2回目は08年9月ガーナのアクラで開催された。これは収賄側の途上国政府だけを問題にしているが、本来は多国籍企業や世銀など贈賄側の責任も問われるべきである。しかし、この点が欠けている。
(3)シラク大統領は、05年1月、「国際連帯税」の導入を提唱した。これは航空券に課税するというものであった。税収は、国連のHIV/エイズ・マラリア・結核基金に充てられる。年間の納税額は2億ユーロである。
シラクの国際連帯税が為替取引税でない、それに額が少ない、などについては、評価が分かれるところである。国際連帯税の中に為替取引税も入るということで、NGO側では納得した。国際連帯税の導入についてはフランスに続いてブラジルなど60カ国が賛成している。
(4)ノルウエイ政府は、2006年12月、8,000万ドルの「Illegitimate Debt」を帳消しにした。またエクアドルは、「公的債務総合監査委員会(CIAC)を設立し、不法な債務の監査を開始した。
 
3.ドーハ会議において

 モンテレイと異なって、国家首脳の参加は非常に少なかった。閣僚クラスの参加も45〜50人にとどまった。
 ドーハ会議は、「モンテレイ合意」の確認にとどまり、何らの進展もなかった。
ドーハ会議は、グローバルな金融危機にとどまらず、気候、食糧、エネルギー危機が進行する中で開かれた唯一の国連の会議であった。これまで国連は無力だと批判され続けてきた。しかし、ドーハは全加盟国が一致して国連の傘の下に、この歴史的な困難に立ち向かうには最も相応しい国際政治の場であったはずであった。
 しかし、ドーハ会議は、それ以前にニューヨーク本部で開かれた準備会議で何週間も議論されてきたにもかかわらず、半分以上の草案がブランクのままはじめなければならなかった。これは国連の草案では異例のことである。しかも、ドーハ直前に、米国がすでに合意した部分にまで異を唱え、「脱退」をほのめかしさえしたため、ブランクに戻された箇所もあった。
 ドーハでは、先進国政府に圧力をかけるのに有効な「援助のMulti-annual Timetable」という文言をめぐって、最後まで米国と日本が反対した。その結果「Rolling Indicative timetable」という弱い文言になった。
 ドーハで最も失望した部分は、「債務」問題であろう。モンテレイ以後、NGOがアドボカシーに取り組んできた「債務のIllegitimacy」については、まったく取り上げられなかった。さらに、NGOが強くキャンペーンしてきた債務帳消しに当たっての「経済政策条件」、すなわち「構造調整プログラム」などの撤廃も取り上げられなかった。
 債務の解決に当たって「債務者と債権者との共同の責任」、「解決には透明性が必要」などという文言が入った。しかし、これはNGOが主張したものにはほど遠い。
 そして、最も残念な点は、モンテレイ合意にあった「債務の国際作業メカニズムの設置の必要性」が完全に消えてしまったことである。「国際作業」が「国際リスケ」に代わったところにある。しかも債務問題の解決にIMFや世銀などのブレトンウッズ機関に大きな役割を与えたことであった。
 ドーハ会議の積極的な成果は、国連が、2009年以内に、金融危機の途上国に及ぼす影響に対処する会議の開催を決めたことであろう。(パラ79)またパラ78で「グローバル経済と金融の秩序の改革」を議論する国連会議の開催に同意を得たことであった。
 これは途上国側の重要な要求であったが、これまで、米国をはじめ先進国が反対してきた。しかし、不可解なのは、これは、すでに11月15日、ワシントンで開かれたG20の会議で合意した事項である。
 ドーハでは、NGOがG192(加盟国全員)会議を開き、G1(米国)を孤立させる投票を行なうよう申し入れた。「国連の下で」という草案の文言は、途上国にとっては引けないところであった。EUはそれまでのあいまいな態度を捨て、米国ではなく、途上国側に立った。ドイツとオランダの開発相が南アフリカのTrevor Manuel蔵相とともに米国の説得にあたった。ついに孤立した米国が折れた。合意に達したのは何と最終日の12月2日、深夜に近かった。これは、会議の最終日の起こったドーハ会議最大のドラマであった。
 米国は、短い政治声明だけでよいといって、ドーハ会議が「決議文書」を出すことにさえ反対した。EU諸国と一部の新興市場国の代表、それにNGOが米国を孤立させることに成功したので、最終的な「ドーハ合意文書」が発表されることになった。
 途上国にとっては、米国の脱退によって、開発金融というプロセス自体が無になることを恐れた。またEUの大臣たちは、手ぶらで帰国できない。その結果、モンテレイ合意にはるか及ばない後退した文書になってしまった。
 「考えていたより、悪くない文書」だというのが大部分の意見である。この文書は、これから数年間の開発政策の基礎とはなりえない。モンテレイ合意のコピイであるにしても、現在のグローバルな危機に対応したものではない。
 驚いたことに、有力な先進国が、今日の危機の脅威を技術的に対応することしか考えていないことである。彼らは、近視眼的に財政の困難さを強調して、退嬰的になっている。彼らは世界が多極化の時代に入っており、従来の金持ち国がヘゲモニーを持っていないことを認識するのを拒否している。米国、EU、日本などは、狭い自己利益にとらわれ、長期的に、またグローバルに途上国の経済成長を実現させることが、自らの利益でもあることすら理解できない。
 また途上国の債務帳消しが、近い将来、先進国でのヘッジファンドなどのよる債務の解決につながることを理解出来ない。現在、正しい規制と倫理が経済に必要である。これこそ、先進国が途上国に要求してきた「ガバナンス」ではないか。
 国連は現在、唯一、経済と金融のメカニズムを改革できる民主的な国際政治の場である。今、必要とされているのは、加盟国政府の「政治的意思」と「長期のビジョン」である。
 モンテレイに比較して、進歩があったとされるのは「税制」問題であった。
勿論、最終合意文書は、NGOや一部の途上国政府が要求したものより後退したものであった。「不法な流れ(Illicit Flows)」の規定の問題であった。NGOは、途上国で活動している多国籍企業によるIllicit Flows の3分の1は、犯罪につながる腐敗行為であり、残りの3分の2は脱税であると計算していた。
しかし、「ドーハ合意」のパラグラフ20では、「Illicit金融の流れ」とは、マネー洗浄、盗まれた資産、資本逃避などの犯罪行為に限られ、企業の脱税などをその規定に入れていない。
 「脱税と効率よく闘う」(パラ16)必要については異論がない。しかし、ここでは脱税を「Illicit Flows ]に加えていない。また、同じパラで、税制度は「Pro-Poor(貧困根絶)であるべきだ」と書いている。12月1日、つまりドーハ会議の終わる日の前日までは、Pro-Poorの前に「Progressive(累進的)」という文言が入っていた。米国が反対したため、「金持ちほど税金が高くなる税制度」という文言は削除されてしまった。
 NGOは、国連の枠組みの中に税制度について国際協力を可能にする機構を設けるというアドボカシーを続けてきた。その理由は、現在、先進国クラブのOECD内だけこの問題は議論されているからである。税制度について途上国を技術援助するには国連が最もふさわしい場である。
 ドーハでは「国連税委員会」を「強化」する必要性を認め、経済社会理事会にUN Committee of Experts on International Cooperation in Tax Matters の設立を検討するように要請することになった。(パラ16)ここでは、NGOが要求した税委員会の「格上げ」という文言は、「強化させる」に格下げされた。
 もう1つ、ドーハでは積極的な、革新的な合意があった。それは「直接投資(FDI)」と「税制度」をリンクさせたことである。(パラ25)しかし、ここでも議論の最終段階で米国の反対により、「害になる税行為を避けるため」という文言が単に「ふさわしくない」に弱められた。
 「税の天国(Tax Heaven)」は、「ドーハ合意」には見あたらない。NGOはEUに働きかけ、「税の天国」問題についてキャンペーンした。そしてEUのなかではNGOと同調して闘う国もあったが、残念なことにEU内の英国、アイルランド、ルクセンブルグが強く反対したため、EUの一致はなかった。それが敗因の1つであった。
 ドーハ会議の唯一、最大の成果である「国連金融危機の影響についての会議」の開催に注目しよう。これは、2009年以内に開くことになっており、2009年3月に国連でその「Modality」についての会議を開くことになっている。