世界の底流  
中東の政治地図の変化−レバノンをめぐるドーハ協定
2008年8月25日


 ラテンアメリカがもはや米国の裏庭でなくなったのと同様に、中東の政治地図にも変化が起こっている。
 これまでの中東は、イスラエルの圧倒的に優勢な軍事力と、サウジアラビア、エジプト、ヨルダンなどの親米政権に支えられて、米国の一大同盟ゾーンとなってきた。しかし、このゾーンに新しい変化が見られる。
 それは、イラク、レバノン、パレスチナの人びとの闘いだけでない。まずエジプト、そしてより小規模だがヨルダンでも、労働者や市民がネオリベラルなIMF政策に対して立ち上がった。反政府行動が活発化し始めた。
 米国の中東での帝国主義的意図は、敗北しているとは言い切れないが、かなり弱体化していることは確実だ。
 このような変化をもたらしたのは、イラクの人びとの勇敢な闘いにあることは言うまでもない。イラク人は、イラクに侵略し、フセイン政権を打倒し、従属国に仕立てようとした米国の帝国主義的意図を打ち砕いた。だが、中東の政治地図を決定的に塗り替えたのは、2006年夏、イスラエルの侵略を敗退させたレバノンのヒズボラを中心とした自由愛国運動、AMAL、その他左翼組織などの民族主義連合である。
 イラクでの失敗後、米国は帝国主義侵略の矛先をレバノンに向けた。この場合、イスラエルを使って、レバノンのヒズボラを壊滅させ、シリアとイランの影響を払拭させようとした。 
 1昨年夏、1ヵ月の戦闘ののち、イスラエルは攻撃の口実であった3人のイスラエル兵士を奪還することもなく、またヒズボラを壊滅させることもかなわず、レバノンから撤退した。これは“イスラエルの無敵性”の神話の終わりでもあった。
 さる5月、ブッシュ大統領の中東訪問直後、それを待っていたかのようにヒズボラがベイルートを制覇した。そして、カタールの仲介で、5月21日、ドーハでレバノンのすべての政治勢力(レバノンの反動的親米勢力とヒズボラなど民族主義者)が会合を持った。この会合では、すべての政治勢力が危機を避けることに合意した。
 これは、ヒズボラを壊滅させ、ベイルートに親米政権を確立させようとした米国と、イスラエル、サウジアラビア、ヨルダンなどアラブ反動派の帝国主義的意図を打ち砕いたのであった。中東の新しい政治地図が生まれようとしている。
これまで長い年月、眠っていたアラブ民族主義がここに再び目覚めたのであった。
 「ドーハ協定」は米国の帝国主義的意図に打ち砕いただけでなく、米国の忠実な同盟国であるサウジアラビアにも打撃を与えた。
 ヒズボラがベイルートを制圧したときに開かれた緊急アラブ連盟会議では、一方では「ヒズボラにすべての責任を押し付け、その武装解除を要求し、武装闘争を非難する決議の採択」を主張するサウジアラビアと、他方ではそれに反対するカタール、イエメン、アルジェリアなどとの間にきしみが生まれた。
 サウジアラビアは、レバノンの親米シニョーラ大統領を支援するために、アラブ連盟軍を派兵するべきだと主張していた。このサウジアラビアの主張は、ヒズボラがベイルートを制圧したことでで、もはや通じないことが明らかになった。
 親米、親サウジ勢力であるレバノンのハリリ一族もその正体を暴露した。ハリリ一派は内戦終了後のベイルートの復興計画での汚職事件が明らかとなり、大衆の支持を失った。そればかりでなく、ハリリ一派はイスラム主義者やアルカイダその他のグループの勢力を力づけ、国連平和維持軍(UNIFL)を攻撃の的とすることによって、レバノンを不安定化しようとしてさえいる。
 首都ドーハでレバノン和平の会議を開催し、帝国主義的介入を阻止しようというカタールの提案はアラブ連盟の支持を受けた。ここでははじめてカタールが和平の仲介者となった。「ドーハ協定」は、「カタール首長の采配の下で、アラブ連盟事務局長、ならびにヨルダン、アラブ首長国連邦、バーレーン、アルジェリア、オマーン、モロッコ、イエメンの外務大臣は、、、」という言葉で始まっている。ここで注意すべきは、中東のサウジアラビアとエジプトという親米2大国の名が抜けている点である。そしてヨルダンはドーハ会議には出席していなかった。
 レバノンにおけるサウジアラビアの覇権は、1990年、タイフ協定以来のことであった。この協定は、レバノン15年内戦を終わらせるものであった。以後、レバノンはサウジアラビアの属国の1国となってきた。その後、サウジアラビアはレバノンをイランに敵対する人質として扱ってきた。しかし、今回、ヒズボラの攻撃によって、サウジアラビアが支持したレバノンのハリリ1族は、自ら解体してしまった。これは、サウジアラビアにとって政治的敗北であった。
 ドーハ会議が終了後、レバノンの参加者の中で、ただ一派だけベイルートに帰らなかったグループがあった。彼らはリヤドに向かった。それは、レバノンの「未来運動」のSaad Hariri一派であった。彼らはサウジ政府からカネをもらい、サウジアラビアの利益のために動いていたことをこれで暴露した。
 レバノンに対する影響力を失ったのはサウジアラビアだけではない。それはアラブ圏内に留まらない。ドーハでのレバノン和平会議を妨害するために、米、英、仏の3国は、国連安保理事会に「ヒズボラとその武装闘争」を非難する決議案を提出した。ロシア、中国、南アフリカ、リビアが反対した。さらに、「レバノンからのシリア軍の撤退、ヒスボラとパレスチナの武装解除」に関する安保理決議1559号、「2006年夏のイスラエルとヒズボラの戦争に対するイスラエルとヒズボラとの間の休戦」についての安保理1701決議を修正しようとする米、英、仏の試みは失敗した。
 今回、安保理は、「ドーハ協定に満足の意を評し、これまでの安保理決議を再確認し、レバノンと外国の民兵を武装解除する」という安保理議長による「拘束力のない宣言」をした。この場合「レバノンと外国の民兵」とは国連用語では難民キャンプのパレスチナ民兵を指す。

ドーハ合意の内容

1) 政治権力の構図
 マロン派キリスト教徒が大統領と軍最高指令官となる。スンニー・イスラム教徒は首相となる。シーア派イスラム教徒が国会議長となる。この権力分布図は独立以来同じである。
 これは、米国とフランスを満足させた。
 現在、レバノン500万の人口の中で、シーア派は40%を占めているので、人口比率から言うと「銅は協定」はシーア派に不利だ。しかし、重要なことは、この権力分布図によって、最近出来た親西欧派連合が解体したことだ。
 ドーハ協定によって、ベイルートの選挙区が改正された。それは、ある意味では、サウジ寄りのスンニー派、つまりSaad Haririとその未来運動に有利になる。多分彼は、次期首相になるだろう。
 キリスト教徒は、政府を支持する「3月14日連合」と民族主義派を支持する「3月8日連合」に分裂している。選挙区の改正はハリリのキリスト教徒連合に不利になった。Samir Geageaが率いる「Lebanese Forces Group」には、とくに不利になる。次の総選挙では、2〜3議席しか取れないだろう。親西欧派が後退していることは明らかである。
 明確なことは民族主義派が有利だということだ。その政府閣僚のポストは減った。しかし、少数派の賛成がなければ重要議案は採決されないだろう。
 ドーハ協定には、ヒズボラの武器をめぐる議論はない。国連安保理決議にもとづいて、西側諸国は武装解除の項目を入れようとしたが失敗した。
 これは、5月25日、Michel Suleiman新大統領が、新任のメッセージで「イスラエルの攻撃に備えて、強い防衛戦略を必要としている」と語った。この「防衛戦略」にはヒズボラの「抵抗勢力」が入っている。
 この「5月25日」とは、2000年、イスラエル軍が南レバノンから撤退した記念日である。現在、レバノン領内には、Shabaa FarmとKafar Shuba丘陵だけにイスラエル軍が残っている。
 イスラエルは「ドーハ協定」を敗北と見ている。ヒズボラを攻撃したイスラエルが払った代償はあまりにも大きい。