世界の底流  
インド・マオイストのゲリラ活動
2008年9月7日

 
 ネパールでの毛派(マオイスト)共産党の勝利が明らかになるにつれて、今年6月、<MAOIST REVOLUTION>という国際メーリング・リストが立ち上がった。このMLに報道される毛派共産党のニュースは、ネパールを除けば、フィリピン、インドなどの毛派共産党ゲリラの活動が連日載っている。このほかたまにブータン、バングラデシュなどの戦闘状況の報告もある。ラテンアメリカではペルー、ボリビア、コロンビアなどのマオイストの声明が載る。
 第三世界のマオイストの活動を支持する米国、カナダ、イタリア、ギリシアなどの先進国の左翼グループも投稿している。なかでもギリシアの毛派共産党(KOE)は、今年7月11〜13日、アテネで「Resistance 2008」と題する国際青年フェスティバルを開いた。これに18カ国から23のマオイスト組織が参加し、入場者数は3日間で延べ8,000人にのぼった、というニュースも報じられている。
 ここでは、ほとんどマスメディアに報道されることのないインドのマオイスト(共産党ML派)の活動を紹介しよう。

1.ムンバイ・レジスタンスの開催

 私は、04年1月、インドのムンバイで開かれた第4回世界社会フォーラム(WSF)に参加した。インドの実行委員会が非暴力を掲げたことに反発して、そこから分裂した武装闘争派がWSF会場前の大通りを越えたところに、「ムンバイ・レジスタンス」というもう1つの世界社会フォーラムを開いた。
 私が入ったときは、沢山あった中の1つのテントで、インドで最も戦闘的で、かつポピュラーな歌手であるガダール(Gaddar)がパーフォーマンスをやっていた。彼は、インド共産党(ML)派の活動家でもあり、20年間にわたって武装闘争を続けてきた。彼の身体には「少なくとも9発の弾丸がまだ残っている」といわれる伝説的な人物であった。
 彼のパーフォーマンスは、基本的には政治アジ演説なのだが、間に歌や踊りを入れる。内容は、貧しい農民がどのように地主や警察に痛めつけられているか、そして、農民はやがて立ち上がり、闘いの隊列に入るというものであった。彼は国際会議であることを意識して、ヒンズー語に続いて自分で英語の翻訳を加えた。
 ムンバイ・レジスタンスは、インド共産党(ML)が呼びかけた。これにネパール、バングラデシュ、スリランカ、フィリピン、そして、コロンビア、バスクなど武装闘争派が集まった。さらに、アジアの漁民と農民のネットワークが参加した。
 しかし、「ムンバイ・レジスタンス」の主な参加者はインド各地から集まった人びとで、2万人を超えていた。インド共産党(ML)が非合法の地下組織であることを考えると何とも大胆な行動であった。
 恐らく、これが、毛派共産党の最初の国際会議であったと言えるだろう。

2.インド毛派共産党の概況

 ムンバイ・レジスタンス当時は、彼らはまだ「インド共産党(ML)人民戦争派」を名乗っていた。これが同じ年、04年9月21日、これにマオイスト共産党センターなどが加わり、インド共産党(ML)、通称「マオイスト」が誕生した。党首はML人民戦争派のJanshatiである。
 共産党(ML)は、1967年、西ベンガル州のコルカタ市(旧名カルカッタ)北部のナクサルバリで武装蜂起をしたインド共産党(ナクサライト派)の流れを汲む。
 現在、マオイスト、すなわちインド共産党(ML派)がゲリラ活動を展開している地域はインド全土の約6分の1に上ると言われる。それは、ネパールの南に隣接するビハール州からはじまって、インド東部を南に下り、ジャルカンド州、西ベンガル州、インド最大の先住民居住地域であるチャティスガル州、マッディヤ・プラデシュ州、オリッサ州からハイデラバッドのあるアンドラ・プラデシュ州に及んでいる。
 06年8月2日、解放区入りをした英紙『ガーディアン』の記者は、マオイスト・ゲリラは「ネパールから南のアンドラ・プラデシュに至る“赤い廊下地域”92,000平方キロの土地を支配している」と報じている。
 06年4月13日付けの『ニューヨークタイムズ』紙によれば、マオイスト・ゲリラの活動地域はインド全土28州のうち13州に及んでいる、という。またインド政府情報部はインド全土にある600郡部の4分の1の地域でゲリラ活動を展開していると見ている。
 ゲリラの人数は、インド政府の情報部の発表では、9,000〜10,000人と言うが、同『ニューヨークタイムズ』紙は20,000人と言っている。いずれにせよ、これらの数字は認証しがたいが、マオイスト・ゲリラが侮れない勢力であることは確かである。
 マオイスト・ゲリラは、これらの州を貫いており、密林に覆われた山岳地帯の山岳・先住民族地域を根拠地にしている。そこには、州政府の行政も届かず、マオイスト・ゲリラの革命政府、裁判所、軍隊が支配する解放区を形成している。
一方、平野部では、警察署、軍隊の武器庫、銀行などを対象にした「ヒットエンドラン」方式のゲリラ戦を展開してきた。
 インドはゲリラの活躍にもっともふさわしい土地である。第1に行政が行き届かない深い密林に覆われた少数民族地域がある。第2に、若者の人口増加が激しいのに職がない。第3に年率8%という高い経済成長を遂げているにもかかわらず、貧困層の数は減らない。第4に、インドには対ゲリラ戦を効果的に遂行できる警察、軍隊組織がない。そして貧弱な武器しか持っていない。第5に、インドは連邦制をとっており、州政府間の調整がうまく行っていない。
 マオイストの資金源は、主としてビジネスに対する「革命税金」である。その課税対象は、森で竹細工を生産する小作業所から大規模な道路建設業者などあらゆる業種に及んでいる。

3.マオイスト・ゲリラの闘争

 2005年に入ると、マオイスト・ゲリラの攻撃は、ますます大胆になってきた。その主なニュースを拾って見よう。
 2005年6月、ビハール州で、同時に9ヵ所を攻撃した。狙われた対象の中には銀行や警察署が含まれていた。明らかに資金や武器を手に入れるためだ。
 同年11月には、同じくビハール州で、数百人のゲリラが刑務所を襲撃し、300人の囚人を解放した。
 2006年2月、チャッティスガル州で、国営の鉱山会社所有の倉庫を襲撃し、9人の治安要員を殺害し、19トンのダイナマイトを手に入れた。同じ月、同じ州内で、積荷を積んだトラックの一行を地雷攻撃した。
 2008年2月28日、オリッサ州で、マオイスト・ゲリラがNayagarn 警察署を襲撃した。この襲撃でゲリラはAK47、Isasライフル、SLR、LMGなどを含む多量の武器を手に入れた。「襲撃に参加したゲリラの数は175人、1人が2〜3個の武器を運んだので、全体の武器は500個を超えた。ゲリラの根拠地が遠いので、これ以上の武器を運ぶことが出来なかった。そのため不要な武器は現地で焼却したが、これを政府は奪い返したとニセの宣伝している」とチャッティスガル州共産党(ML)軍事部長Basavarajは、「Maoist Information Bulletin」で語った。この戦闘で、2人のゲリラが戦死した。
 ゲリラはこの襲撃を「Ropeway作戦」と呼んだ。これは、縄を伝ってコマンドのように敵陣を奇襲するという作戦であった。政府軍はヘリを動員して、マオイスト・ゲリラが収奪した武器の搬送を阻止しようとしたが、失敗した。
同時に別のマオイスト・ゲリラ52人が警察訓練学校を襲撃した。
 この襲撃後、オリッサ州政府のNaveen Patnaik首相は、「マオイストが武器を捨てるならば、話し合う用意がある」と声明を出した。共産党(ML)はこれを「単なるPRに過ぎず、ばかばかしい」と一蹴した。
 2008年6月、チャッティスガル州の共産党(ML)は、「Jan Pitiri Saptan(革命ウィーク)」を宣言、ゲリラ闘争を激化させた。
 まず、6月8日、チャッティスガル州のBastar郡KirandulにあるESSAR製鉄所がマオイスト・ゲリラの攻撃によって大火災に見舞われた。これは、工場内に置いた20台のトラックが爆破されたためである。火災の規模が大きいために、警察の援軍も到着することが出来なかった。
 ESSARは、ニューヨークに本社を置く多国籍企業である。インドESSARは、鉄鋼、エネルギー、通信、造船などインド有数のコングロマリットである。マオイスト・ゲリラの攻撃は、インド産業界に心理的な打撃を与えたことは言うまでもない。
 その直後、6月10日、マオイスト・ゲリラはBastar、Abhujmar両郡の送電線を爆破した。そのため2週間にわたってこの郡では停電が続いた。
6月22日、2ヵ所の警察署を襲撃し、多量の武器を手に入れた。
 インド共産党(ML派)は、2007年1月に開いた第9回党大会で、それまでの「ゲリラ戦術」から「モバイル(遊撃)戦術」と「都市ゲリラ戦術」に変えることを決定した。
 そして、チャッティスガル州でのマオイスト・ゲリラの攻撃は、彼らが、明らかに都市部に攻撃の対象を移していることを示している。マオイストは、これまで毛沢東の戦略に従って、農村根拠地論に依拠していた。しかし、チャッティスガル州共産党(ML)の中央委員のSonu氏の声明によると「都市に運動を広げることが出来ないならば、革命は夢に終わるだろう」と言い始めている。
 またチャッティスガル州の共産党(ML)は、Bastar郡の山岳民族の“赤い幹部”たちに、ヒンズー語を教えはじめた。というのは、インド共産党(ML)の中央幹部はアンドラ・プラデシュ州出身者が多いため、Bastar郡の幹部とのコミュニケーションが難しいからである。
 2008年6月25日から7月2日までを、オリッサ州では、共産党(ML派)は「反弾圧ウィーク」と宣言していた。
 そして6月29日、オリッサ州のMalkangiri郡のBalimela貯水ダムで、パトロール中の警備船がマオイスト・ゲリラに攻撃された。BBC放送によれば、この船に乗っていた50人の対ゲリラのエリート部隊(Greyhounds)が行方不明になった、と言う。消防隊やヘリまで動員して、捜索が行なわれた。しかし、貯水ダムの深さは40メートルもあり、ほぼ生存は不可能であろう。
 攻撃はダムの周辺の丘の上からロケット砲でもって行なわれた。
今回のマオイスト・ゲリラによるBalimelaダム攻撃は、オリッサ州の隣のアンドラ・プラデシュ州の悪名高い対ゲリラ部隊である「Greyhounds部隊」に向けたものであった。
 アンドラ・プラデシュ州のGreyhounds部隊は、反ゲリラ戦のモデルとしてもてはやされていた。なぜなら、共産党(ML派)の中央幹部たちは、アンドラ・プラデシュ州のTelangana郡とPalnad郡にまたがるNalamala密林を根拠地としていたのだが、これをGreyhoundsが攻撃して、彼らを密林から追い出した。その結果、彼らは、アンドラ・プラデシュ州に隣接するオリッサ州のMalkangiri郡に野営せざるをえなくなった。
 この「Greyhoundsモデル」は、他の州でもコピイされ、対ゲリラ戦のモデルになっていた。したがって、マオイスト・ゲリラにとっては、Greyhoundsの士気を削ぎ、インド政府に対して「軍事力による解決はない」という明確なメッセージを送る必要があった。
 マオイストの攻撃は、成功した。これは「Chitrakonda作戦」と名づけられた。
今年7月9日、チャッティスガル州のDantewada郡の鉱山から鉄鉱石をアンドラ・プラデシュ州のVisakhapatnam港まで運ぶ鉄道が、マオイスト・ゲリラの攻撃に会った。その結果、11両が脱線して、鉄道は完全に不通になった。この地域には国営鉱山開発公社所有の鉱山が3ヵ所あり、年産2,000万トンの鉄鉱石を産出している。これが全面的にストップした。この鉄鉱石は、主として日本に輸出されている。
 今年7月11日、ビハール州のJamui郡とMunger郡でマオイスト・ゲリラが2ヵ所の鉄道線路を爆破し、同時にLakshmipur警察署を攻撃した。
 これに先だって、7月6日、共産党(ML)は、地区のゲリラのリーダーの逮捕に抗議して、Jamui、 Munger、 Bhagalpor、 Lakhisarai、 Bankaの5郡でゼネストを呼びかけた。店は閉まり、労働者は仕事に行かなかった。
 マオイスト・ゲリラの攻撃は毎日のように続いている。インド中央政府のグプタ内相は、新たにマオイストの反乱を鎮圧するために、ジャングル戦と対ゲリラ戦用の警察学校を2校設立することを発表した。
 そして、ゲリラ・ゾーンになっている州を1とまとめにして、共同して対策を調整することを決めた。それはマオイストが活躍する原因は、貧困層の不満にあるので、それに対する社会・経済的な対策が必要だという。

4.共産党(ML)の革命政府の樹立

 マオイスト・ゲリラの活動地域の中ではチャッティスガル州が最も活発である。2008年5月30日、この州のAbujhar、Bastar、Dandakaranyaの3つの郡にまたがる山岳民族地域で、共産党(ML)の革命政府が設立されたというニュースが、『Asian Age』紙のロンドン版に載った。
 革命政府は、農業、財務、司法、保健、教育文化、森林などの省があり、それぞれ大臣が任命されている。マオイスト・ゲリラの根拠地には、チャッティスガル州政府の行政権力はほとんど及んでいない。
 この地域に住む山岳民族は、「Gonds」と呼ばれる。これは「牛を食べる人びと」という蔑称である。また彼らは、「Abujhmar(Idiots)」とも呼ばれる。
 チャッティスガルの共産党(ML)の中央委員Sonu氏は、「革命政府が経営する学校では、これまでの帝国主義の歴史教育を廃して、山岳民族の英雄の物語を教えている」と『Asian Age』紙の記者に語った。すでに革命政府は100ヵ所以上に幼稚園から5級までの小学校を建てた。彼らが教える山岳民族の英雄とは、1857年、英国の植民地支配と戦ったBabu Rao Sarmekのことである。
 革命政府の農業省は山岳民族の唯一の生計手段である森林の生産をコントロールしている。共産党(ML)がタバコの葉(Tendu Patta)の値段にいたるまで決めている。共産党(ML)によれば、革命政府が買い上げるタバコの葉の値段は、政府のよりも高い、と言う。
 革命政府の司法省は、各地に人民裁判所村を設けている。そして村で起こる盗み、詐欺、暴力沙汰、土地をめぐる紛争などを、人びとの意見を入れながら、判事が裁いている。
 今後、同じような革命政府をジャルカンド、オリッサ両州で設立する気配がある。
 ネパールで毛派共産党が勝利し、政権の座についたことが契機となって、初めてインドの毛沢東派が団結して西ベンガルのコルカタの大学研究所ホールで集会を開いた。集会はネパールの毛派共産党の勝利を祝うものであった。
 集会ではネパール革命を祝う「共同声明」が採択され、これに14団体が署名した。
 インド政府は、このようなマオイスト・ゲリラの活動を「死のウイルス」と呼んで、インド最大の脅威であると宣言した。そして各州政府に対して、持てる資源のすべてをプールして、“過激派の反乱”を鎮圧すべきだと、命令をだした。しかし、州警察は、貧弱な武装と貧弱な訓練しか受けていない。その上に、反乱を鎮圧するということに政治的意義を見出せない。したがって満足な結果を生み出していない。
 反対に共産党(ML派)の周到に準備された戦略により、マオイスト・ゲリラの勢力は、これまでのようにインド中央部の密林の中に潜んでいるだけではなく、最近ではウッタル・プラデシュ州やムンバイの南に位置するゴア州にまで広がっている。とくにウッタル・プラデシュ州は、インドで最大の人口を擁し、首都ニューデリーに隣接している戦略的に重要な州である。

5.工業団地の土地取り上げに対する闘争

 今年8月に入って、マオイスト・ゲリラの攻撃は、インドの産業用地のための土地取り上げに対する闘争へと発展した。これは、インドの工業化にとって重大な脅威となっている。
 1991年以降、インドは新自由主義政策に転換した。その結果、外資に対する規制を緩和したため、多くの多国籍企業がインドに進出した。
 インドは人口が多いだけではなく、鉄鉱石、ボーキサイトなど地下資源に恵まれている。したがって、外国からの直接投資は、これら鉱物資源の開発と第1次加工工場の建設に集中した。
 その中でも韓国のPOSCO(ポスコ)は、旧名浦項製鉄所で新日鉄が投資したものだが、
 現在では、新日鉄を抜いてアジア最大の多国籍鉄鋼会社になっている。2005年5月、ポスコは、インド最大の財閥タタと合弁で、インドのオリッサ州政府と、120億ドルの投資の「MOU(覚書)」を交わした。
 POSCOは、オリッサ州のKalinganagarに5,000ヘクタールの工業用地を確保し、2010年の操業を目指して、年産600万トンの鉄鋼を生産する。18,000人の雇用を見込んでいる。これはインド第3の規模の製鉄所となる。
 これは、インド最大の外国資本による直接投資である。しかし、工場用地として接収される土地が、先住民の土地であり、製鉄所が稼動したら彼らを雇用するという保証はない。
 したがって、この土地取り上げに対する、先住民の抵抗はすさまじい。そして、2008年9月8日、インド最高裁は「ポスコの投資を認める」判決を下した。それには環境と住民移住に対する賠償金などの厳しい条件が付いている。しかし、先住民たちは、取り上げに断固として反対していくと宣言している。
 いずれにせよ、ポスコの投資についての最高裁の判決は、「先住民の土地の権利」をめぐる論争として、世界中から注目された。
 2006年12月、西ベンガル州の州都コルカタ(旧名カルカッタ)の南フーグリー川口のHardia市郊外のNandigram郡の14,000エーカーの土地を接収することを決定した。ここでは、インドネシアのSalem財閥グループの化学工場やインドのRuiaグループの造船所建設計画を進める。
 土地の接収計画が住民に通達されたのは翌2007年1月であった。たちまち、Nandigram住民の抵抗運動が始まった。
 西ベンガル州は、インド共産党(M)政府の下にある。冷戦中、インド共産党はソ連派と中国派に分裂していたが、西ベンガルの共産党(マルキスト)は中国派であった。ここからナクサライト派が分裂して、武装闘争を開始すると、共産党(M)は右傾化した。現在、西ベンガル、ケララ、トリプラの3州で政権を握っている。
 150年前、西ベンガルは反英独立闘争の激戦地であった。1942年の「Quit India」運動では独自のインド人政府が設立され、17ヵ月間、英国の攻撃に耐えぬいた。その流れを汲むインド共産党(M)は、現在右派路線に転換し、91年の市場経済化以来、積極的に外資導入、農村を犠牲にした工業化政策を推し進めている。
 Nandigram住民の闘争は、非武装の部分と武装した部分がある。西ベンガル政府は、これをマオイスト・ゲリラと呼び、住民に対する血なまぐさい弾圧を行なった。
 2007年3月14日、州警察、民兵などが住民に対する「虐殺」を行なった。この事件をきっかけとして、インド全土から、支援が集まった。大学では、「村へ行こう」キャンペーンがはじまり、ニューデリーのジャワハルラル・ネルー大学をはじめとした学生が支援に駆けつけた。
 2007年7月20日、Nandigram住民は、決起大会を開いた。そして、Matangini Mahila Samiti(MMS)という抵抗組織が誕生した。Matangiriは、1942年の「Quit India」運動のリーダーで、戦死した戦士の名前からとった。
MMSは事実上革命政府である。人民の法廷が設けられ、飲酒や女性に対する強姦が罰せられる。持続可能な農業が実施された。女性には、養魚池、裏庭菜園、養鶏などの生計手段が与えられた。
 すでに10,000人が土地取り上げによって、ホームレスになっている。

6.タタの超低価格乗用車生産計画の頓挫

 2008年9月4日付けの『インターナショナル・ヘラルドトリビューン』紙は、「タタの新工場建設が白紙に―新しいインドへの打撃」というショキングなニュースが報じられた。
 すでに、インドのタタ財閥にタタ自動車は2,250ドルの「超低価格乗用車Nano」を生産するという計画を発表して、世界の自動車業界にセンセーションを巻き起こしていた。Nanoは1台あたり20万円台になる。勿論、エアコンもオートマティックもなく、ワイパーも1本である。しかし、これはこれまでどこの自動車会社も試みたことのない価格破壊である。
 これまで、インド政府は、インド人口の3分の2に及ぶ7億4,000万人の貧困層は66万村に広がっている。この貧困を「平和的に解決するため」に工業化計画を唱えてきた。農民を工場労働者に変える。その手段として、農地を工業用地に転換することが肝要であった。
 しかし、現実には、農村人口は絶えず都市に流れ込んでいる。米国の証券会社ゴールドマン・サックスはインドでは今後42年間にわたって、毎年31カ村が都市に移住していく、と計算している。
 タタ財閥のRatan Tataはタタ自動車の生産が白紙になった後でも、インタービューに「これからの農民の子どもたちは、農地に残るかどうかを決めなければならないようになるだろう」と答えた。
 タタ自動車は、西ベンガル州の州都コルタカ近郊のSingurに工場用地を確保した。しかし、土地を売った農民たちが、土地を帰せという運動を始めた。
 こにお運動が激化しはじめたので、タタ自動車は西ベンガルでの「Nano車の生産を白紙に戻す」と発表した。タタはこれから工場湯地をほかに探さねばならないだろう。
 これは、インド政府と財界が唱えてきた「新しいインド」政策に対する最大の打撃である。
 タタ自動車は、これを西ベンガル州の共産党(M)政府とマオイスト・ゲリラとの戦いの犠牲になったのだと言っている。
 Nano自動車事件は、インドのマオイスト・ゲリラが、もはや山岳や農村ゲリラにとどまらず、インドの成長政策の工業化に対して、大きく立ちはだかっていることを示している。