世界の底流  
ネパールで毛派(Maoist)共産党が政権に就く
2008年9月5日


 今年8月15日、ネパールで、プラチャンダ(本名はブスバ・カマル・ダハル)毛派共産党議長が首相に就任した。続いて8月30日には、毛派共産党と、統一共産党、マデシ人権フォーラムなどとの連立内閣が成立した。そして国名が「ネパール連邦民主共和国」に改名された。
 左翼ゲリラが政権の座についたということは、1979年のニカラグアのサンディニスタ以来のことである。まして、毛派共産党ゲリラが政権の座につくということは、1949年毛沢東の中国革命以来のことである。

1.毛派共産党ゲリラによる武装闘争

 ネパールでは、1996年2月以来、共産党から分裂した毛派共産党ゲリラによる武装闘争が続き、実質的には内戦下にあった。しかし、国際政治の場では、ネパールの内戦に注意を払うものはなかった。
 すでに2000年には、毛派共産党ゲリラは活動範囲を全土に伸ばし、西部5県では、革命政府、裁判所などをもつ解放区をつくりあげていた。
 そして、2001年、それまで立憲君主制をとっていた開明的なビレンドラ国王とその一家が暗殺されるという事件が起こった。これは一種の宮廷クーデタであった。これによって弟のギャネンドラ国王が王座に就き、絶対王政を敷いてきた。
 2006年、毛派共産党と、ネパール会議派など主要な議会政党との間に、停戦協定が結ばれた。これによって、毛派共産党は、12年に及ぶ農村での武装闘争に勝利を収めたのであった。やっとネパールに平和が訪れたのであった。

2.制憲議会選挙で毛派共産党が第1党に

 今年4月10に制憲議会選挙が施行された。ここで毛派共産党は3分の1以上の議席を獲得して、第一党になった。毛派共産党の連立内閣に参加したのは統一共産党とマデシ人権フォーラムその他10内外の少数政党であった。
統一共産党は、これまで一貫して毛派共産党の武装闘争に反対してきた合法政党である。またマデシ人権フォーラムは、インドとの国境沿いのテライ高原を地盤にした親インド派の新しい政党である。
 これまで政権の座にあったネパール会議派と統一共産党は、2党併せた議席が毛派共産党1党より少なかった。両党にとってこれは衝撃的な惨敗であった。
プラチャンダ首相の組閣にあたって、国防相と内務相のポストをめぐって各党の間で揉めた。会議派は国防相のポストを要求したが、これをプラチャンダ首相に拒否されると、連立内閣に入ることを拒否した。毛派共産党は国防相、大蔵相、司法相、情報通信相のポストを得た。結局内務相のポストは統一共産党の手に渡った。
 毛派共産党が提唱している「共通ミニマム綱領」については、各政党間で合意が出来ていない。この綱領は、新政権の統一の基礎をなるもので、連邦制度の確立、2年以内に新憲法の草案作成、紛争地域と貧困層への即時救援などを含んでいる。
 7月23日、制憲議会の議員たちの間の投票によって大統領選が行なわれた。そして、ネパール会議派でテライ高原出身のラムバラン・ヤーダブが大統領に選出された。しかしインドと同様、ネパールでは大統領は象徴的な地位に留まり、実権は首相にある。
 これまで毛派共産党は「王政打倒」をスローガンの第1に掲げてきた。これは今年5月28日ギャネンドラ国王が退位したことによって、達成された。

3.毛派ゲリラの去就

 19,000人にのぼる毛派ゲリラ(人民解放軍)の去就は、今後に残された課題である。会議派は、毛派ゲリラの即時武装解除を要求しているが、毛派共産党は、ゲリラの政府軍への統合を主張している。5月19日、CNNテレビは、「プラチャンダ毛派共産党議長が、ゲリラの中で軍隊に適応できる身体と技術を持っている者は政府軍に入り、その他は警察か民間の警備会社に参加する」と述べたと報じている。
 しかし政府軍のカトワル参謀総長は、「ゲリラはネパール政府軍に入る資格はない。なぜなら、ゲリラは国家に対する叛徒であるから」と語っている。
すでにプラチャンダ首相をはじめ毛派共産党の閣僚、制憲議会の議員たち全員は、人民解放軍のリーダーの席を辞任している。しかし、実質的には、ゲリラたちによって身辺を警護されているし、どこにでも行ける。これは、他の党の議員にはない特権であると、非難されている。
 現在、毛派ゲリラはカトマンズ郊外のキャンプに集められているが、給料も食糧も支給されなかったために、飢えと疫病に苦しめられていた。ブラチャンダ内閣の発足とともに、過去13ヵ月に遡って給料が支払われ、戦死したゲリラの遺族たちにも見舞金が支払われた。
 この資金を出したのは、世界銀行であった。世銀はまた、毛派ゲリラの復員と社会復帰のための雇用確保のプログラムを担当している。
 現在は国連ネパール支援団(UNMIN)が駐留して、政府軍と毛派ゲリラとの停戦を監視している。
 毛派共産党には、もう1つの軍事組織がある。それは共産党青年同盟であり、武装している。プラチャンダが首相に就任した時、この民兵組織を解散させると声明した。同時に、これまで、毛派共産党ゲリラが接収した建物、工場、その他財産を元の所有者に返還すると、約束した。また、毛派共産党が設立した解放区の革命政府、裁判所などを解体すると、宣言した。
 これらは、今後、プラチャンダ政権が抱える問題である。なかでも最大の課題は、農地改革である。これは、毛派共産党の目標の中核をなすものである。これには、内戦中に毛派ゲリラによって農地改革が行なわれた部分と、まだ施行されていない地域がある。
 そして農地改革が行なわれた地域でも、土地を手に入れた農民が食べて行けないという状況にあるという問題がある。ネパール人口の3分の2を占める農民は、極端に貧しい。
 プラチャンダ政権は米国、EU、日本、インドなどの大国から「祝電」を受けた。プラチャンダ首相が、就任後に訪問した国は、いつものようにインドではなく、中国であった。
 内閣の滑り出しは良好である。