世界の底流  
オバマ大統領就任前夜にこれだけあるイラク問題
2008年12月9日


 さる11月16日、イラク政府は、「米・イラク安全保障協定(正式名は米・イラク戦略枠組協定)」草案を閣議承認した。翌17日、これをRyan Crocker米駐イラク大使とHoshyar Zebariイラク外相との間で署名した。
 これは、07年11月26日の「原則宣言」にもとづいて、米・イラク政府間でひそかに交渉を続けてきたものであった。
 米軍のイラク駐留は、国連安保理決議1790号(07年11月18日)によって、08年12月31日まで、駐留のマンデート(権限)が切れる。そこで、これに代わるものとして、どうしても米・イラク間の安保協定の締結が必要になってくる。
 米・イラクアンポ協定の全文は、11月16日に始めて公表された。その後、米・イラク双方の議会の承認が必要になる。

1. 米軍の撤退は3年かかる?

 新大統領オバマの選挙公約の中で目玉となったのは「イラクから16ヵ月以内に戦闘部隊を撤退させる」ことであった。
 しかし、オバマが、11月16日、CBSテレビで語ったように、大統領に就任したらすぐにホワイトハウスの執務室に呼びつけて、撤退計画を協議することになっているMike Mullen統合参謀本部議長は、「現在米軍はイラクに、15万人の米軍、106ヵ所の軍事基地(内5ヵ所は巨大基地)、それに付随する多くの設備を持っている。それに治安の問題がある。撤退を安全に行うためには、少なくとも2〜3年を要するだろう」と語った。
 これは、オバマの心臓にミサイルをぶち込むような発言である。Mullenだけでない。他の将軍たちも同じような発言を『ウォールストリートジャーナル』紙や『タイム』誌などでぞくぞく展開している。
 これらペンタゴンの発言は、「米軍はイラクからすぐに撤退するには、あまりにも多くの兵士と軍備を持ちすぎている。戦時でも平時でも、米国の軍隊は米国社会と同様に膨大な浪費のなかに生きている。米軍はまるで「戦うウォールマート」のようだ。どこに行くにも、モノがついて回る。攻め込む時より、撤退する時のほうが費用と時間がかかる。
 2009年1月20日に、イラクに駐留している米軍は14旅団である。将軍たちの計算では、一旅団の軍隊と設備を撤退するには75日間を要する。ということは、14旅団の撤退には36ヵ月かかる。これに、イラクにあるすべての米軍施設を撤退するには、より以上の年月を要する。ちなみに、オバマは1ヵ月に2旅団の割合で撤退させると言っている。

 9.11以後、ブッシュ大統領が米国民に「ショッピングしたり、飛行機に乗ってディズニーランドで遊べるような“ノーマルな生活”」を約束したことは有名な話である。そのために、ブッシュ政権とペンタゴンは戦争を始めた。米軍と軍の請負会社がこの世とは思えないほどの浪費を続けたため、戦費は異常なほどに膨れ上がっている。
 ペンタゴンにとって、イラク戦争は「カネの成る木」であり、浪費のパラダイスである。これまで他国を占領した軍隊では見られないほどの物資を運び込んだ。
 占領直後から、米軍は巨大な軍事基地の建設に取り組んだ。堅固に防御した15〜20マイル四方の中に、完全な「アメリカ村」が出現した。あらゆるものを売っているPXの店、フィットネスクラブ、ファーストフッドのブランド店、信号、そして電気、ガス、上下水道などの公共設備が整っている。一方、これら公共設備は、占領以後何年もたつのにイラクの一般市民には行き渡っていない。
 米国は、バグダッド市内の“グリーンゾーン”に、7億5,000万ドルを費やして要塞のような米大使館を建設した。ここには、1,000人の“外交官”がいる。大使館の中には、プール、テニスコート、リクリエーションセンター、郵便局、銀行、コミュニティセンター、ショピング街、レストラン、そして公共設備が整っている。
 米軍の車両だけでも膨大である。米空軍の兵站部の専門家Lenny Richouxが、イラクから米軍車両を撤退させることについて、「もし全車両を縦に並べたら、デンバーからニューヨーク間の道路一杯になるだろう」と語った。米軍の車両には、10,000台のトラック、1,000台の戦車、20,000台の軍用ヘリなどが含まれる。
 さらにイラクから撤退すべき米軍の設備には、全基地に配備されているボタンを押すと違った種類のアイスクリームが出てくる機械など、300,000台のハイテク機械がある。
 07年7月、AP通信のCharles Hanley記者が報じたところでは、イラクの米軍基地には、戦闘部隊とともに数千の戦車、装甲車、大砲、軍用ヘリが配備されている。さらに飛行場が敷設され、そこにはエアコン、発電機と水道設備、PX、ジム、プレハブのトイレに数多くのポータブル・トイレ、Burger KingsやSubwayサンドイッチ店などが配備されている。

 07年半ば、米軍の撤退問題が出始めたころ、ゲイツ国防長官は、「(撤退の)対象は単に米軍兵士だけにとどまらない。米政府に属する何百万トンもの付属設備がある。したがって、大量の兵站部の撤退になるだろう。そこで、民間業者と彼らの所有する設備はどうするのかという問題が出てくる。当然、それも撤退させなければならない。そこで、クエートの貧弱な港がボトルネックになるだろう。つまり、“アメリカ版ダンケルク”が何年にも亘って続くということだ」と語った。
 かつて、米軍はベトナムから敗退したことがあった。撤退は空母から発進したヘリで混乱の中で行われた。軍紙幣はドラム缶で焼かれた。何百トンもの軍設備や基地は敵地に残された。後にこれらは、工業団地に転換した。1975年、サイゴンの米国大使館は高価な電子機器や紙幣を含めて目に入るものすべて大使館屋上の焼却炉で焼かれた。
 このべトナムの経験は忘れられていない。ペンタゴンは、すべての機器を本国に持ち帰ることになっている。そして、かつてベトナムから帰国した軍用貨物船でペスト菌を持ったねずみを発見して以来、すべて戦地から帰国する船は、貨物の水洗、殺虫財と殺鼠剤による洗浄などの証明書を義務付けている。また、長い船旅で塩風によって傷つかないようにヘリなどを包装するという厄介な作業もある。
 かつてイラク戦争を始めたとき、コリンズ国務長官がブッシュ大統領に「(イラクに)侵入したら、それを所有しなければならなくなる」と警告したことがあった。今では、多分「持ち込んだものは、持ち帰らねばならない」ということになるだろう。
 今、将軍たちは、「オバマの撤退のスケジュールは、所有権法の侵害にあたる」と言いはじめた。将軍たちには、撤退に真正面から反対する論理はない。したがって、設備の撤退問題を論議の中心に持ってきたのだ。
 オバマは、11月16日、CBSの「60分トーク」番組に出演して、彼の撤退スケジュールを詳しく説明した。オバマの言う戦闘部隊の撤退とは、多分55,000人の米兵を軍事顧問、あるいは、残余部隊として残すことになろう。さらにイラク側が米軍の撤退を望んでいる。
 撤退に反対する議論はほとんど消えてなくなった。そこで、撤退反対派にとっては「設備」問題は最後の砦になっている。そして、彼らは設備を本国に持ち帰らねばならないという、にわか節約派になったのだ。
 国防総省は、09年度の予算として、5,810億ドルを要求している。この額は前年比で670億ドル増となる。これまでと同じく、この中には、アフガニスタンとイラク戦争の戦費は入っていない。(イラク戦争の軍事費は連邦予算には計上されていない。すべて軍事国債の発行によって賄われてきた)
 米国の経済情勢から見て、このような予算が承認されるはずはない。これからはイラクのような戦争を起こすことは出来ないだろう。

2. イラクでの民間業者への発注は1,000億ドル

 08年8月13日付けの『インターナショナルヘラルドトリビューン』紙のJames Risen記者は、米議会予算局の報告書を紹介し、「イラクに侵入して以来、ペンタゴンが民間業者に支払った総額は1,000億ドルに上る。これはイラクの戦費の5ドルあたり1ドルに相当する。そして民間業者が雇用している数は米軍戦闘員を上回る」と報じた。
 公式に民間業者に対する委託の全貌が明らかにされたのははじめてのことであった。そしてこれは、ブッシュ政権がイラク戦争で、いかに民間業者に依存しているかを物語る。イラク戦争の民営化の度合いを物語るものである。
 報告書によると、2003〜2007年までの間、米政府は、年間150〜200億ドルの割合で民間業者に委託してきたという。そして、2008年度の年度が終わる9月には、総額1,000億ドルに達するという。
 民間業者に雇われた人数は、少なくとも18万人に上る。この私兵は正規軍を上回る。そして、死傷者の数は全く発表されない。この民間軍隊は、ボディガード、通訳、運転手、建設労働者、コックなどの名目で雇われている。
 このような戦争のアウトソーシングは、これまでの紛争にないことであった。さらに、民間業者による過剰支払い、詐欺、まやかし、安全でない仕事などが米軍を危険に晒し、あるいは死傷させた。
 21世紀型の戦闘における民間軍の役割は、法的、あるいは政治問題を引き起こしている。
 これら民間業者に対する過度の依存は、多額の金が絡んでいるということもあり、身内びいき主義という新しい政治問題を浮き上がらせた。たとえば、イラク戦争開始と同時に、ハリバートン社の子会社のKBR社がペンタゴンの最大の契約社となった。ハリバートン社はヒューストンにあり、チェイニー副大統領の会社であった。このことについて批判が起こったため、KBR社は売りに出されたが、依然として、イラクの戦闘地帯に40,000人の従業員を配置しており、ペンタゴン最大の顧客である。
 米議会が独立の調査委員会を設立したときにメンバーとなったCharles Tieferバルチモア大の法学部教授は、「米国の戦争でこれだけの民間業者に委託されたのははじめてのことだ。これは、戦争の規模の拡大を隠すための行為であり、民間業者によるロスと不法行為については、大きな危険がある。
 議会が出した1,000億ドルという数字にも疑問が出ている。なぜなら、民間業者による行為はこれまで、一度もチェックされず、監督もされてこなかったからである。
 ワシントンのブルキングズ研究所のPeter Singer研究所員は、軍事契約の専門家であるが、「イラク戦争のコストについては、全容を知ることは出来ない。とくに最初の1年間、莫大な額が使われたが、どこに使われたかを知る人はいない。問題は、何が正規軍の任務で、正規軍を危険に陥らせることがなく安全に民間業者に委託すかという役割分担のメニューがないということである。今やっているのは、困難な仕事を勝手に民間に委託している状態である」と述べている。
 ノースダコタ州選出の民主党のByron Dorgan上院議員は、最近、イラク戦争の民営化について、疑問が多いので、上院に「特別戦争契約委員会」の設置を提案した。これは、第2次世界大戦中、上院議員であったトルーマンが作ったパネルに似たものである。
 「トルーマン委員会は、無駄遣い、詐欺、不法行為などについての60回の公聴会を開催した。イラク戦争についても超党派の調査委員会を開くべきだ」とDorgan議員は述べた。

3. 米・イラク安全保障協定の内容

 ブッシュ大統領の任期切れを前にして、課題となっているのは、@イラク石油法の成立と、A米・イラク“戦略枠組協定”の署名である。

@のイラク石油法とは、国際石油会社が埋蔵量2,000〜3、500億バレルといわれるイラク石油の利権を確保するものである。これは、2006年末にイラク議会で採択されるとしてあった。しかし、そのデッドラインはとっくに過ぎたにもかかわらず、未だに成立していない。
 ブッシュ政権は、イラク石油の代金500億ドルを、以前の国連制裁決議を口実にして、ニューヨーク連邦準備銀行に預金している。これをAの米・イラク協定の締結の圧力に使おうとした。
Aの米・イラク戦略枠組協定は、米国のイラク占領と米軍事基地のあり方を決めるものである。ブッシュ政権とマリク首相との間に、07年11月26日、「原則宣言」に署名し、08年7月31日までに米・イラク戦略枠組協定を締結することを決めた。
 問題は、米・イラク戦略枠組協定の草案が発表されていないことである。唯一の公式文書は、「原則宣言」だけである。
 これまで、「08年3月7日草案」 英『ガーディアン』がリークした草案はアラビア語で書かれた議事録である。また08年8月6日にアラビア語の新聞「中東」にリークされた草案がある。これらに共通する問題点は9項に絞られる。

(1) イラクからの米軍と軍事基地の完全撤退の期限がないこと
 草案の26条には、2009年6月30日までに米軍がイラクの市内の道路から姿を消すことしか書いていない。また草案には、戦闘部隊が期限をつけないで撤退することになっているが、それはマリキ首相がしばしばテレビで語っているところによると、2011年と推測される。

(2) イラクの空路の支配
草案9条4項には、米軍が無期限にイラクの空路をコントロールできるとなっている。
9条2項と9条5項ではイラク政府が米軍の空軍機と民間機の活動に一切関与できないことになる。

(3)
イラクでの米軍の軍事作戦
8月草案の第4条では、米軍と民間軍がイラクの国内、国外の脅威に対して軍事作戦を行うことが出来るとしている。
 4条1項にはイラク政府が米軍にすべての軍事作戦に参加を要請できる。4条5項では米軍が作戦中にイラク市民を殺害しても、自衛のためということで許される。

(4) 米軍人と民間人の法的裁判権
12条1項には、米軍と米国民は定められた地域での法的裁判権を持つ。
12条6項では、イラク当局によって逮捕された米軍人と民間人は直ちに米軍当局に引き渡される。民間人については、草案の英文では、Civilian Membersとあるが、アラビア語ではOrdinary Civiliansになっている。
12条についてはイラク側が賛成していないようだ。

(5)
米軍に殺された市民の賠償請求
21条1項では、米・イラク双方ともに正規の勤務中に発生した市民の財産の損失、破壊、また市民のケガや死亡について賠償請求の権利を放棄する。

(6)
 米軍のイラク市民逮捕
これについては第22条に書かれている。米軍はイラク市民を逮捕し、尋問することが出来る。しかし、22条2項には、米軍に逮捕されたイラク市民は24時間以内にイラク当局に引き渡されるべく「Prepared to」と書いてある。なぜ「引き渡される」だけでないのか。つまり、何年間も「Prepared to」された状態に置かれるのではないか。これまでの5年間、米軍の取調べに応じなかったイラク人逮捕者は、米軍に長期にわたって留め置かれたケースが少なくない。

(7)
すべての米軍人と民間人はイラク政府のコントロールを免除される
 14条には、米軍人と民間人はイラク入国と出国法を適用されない。つまり、国境で米国のIDカードを見せるだけで、自由に出入国できる。これは、アフガニスタンに駐留する米軍が自由に麻薬を密輸できることになる。
 また15条と16条には、米軍人と契約業者はイラクに外国製品を、イラクから製品を自由に持ち出せるし、関税を払わない。米国に出入国の際も同様である。
(8) 米軍契約業者の法的裁判権
8月草案の12条3項には、イラク当局はイラクの法律を犯した米軍契約業者についての裁判権を持つ、と書いてある。これは、3月草案と比較するとイラク政府側が勝ち取った項目のようだ。

(9)
国連検証7上と国連安保理決議第1790号と661号(1990年8月採択)にもとづくイラクの地位についてこれについては、3月草案に記載されているが、8月草案にはドロップしている。
 安保理決議661号は、湾岸戦争時にフセイン政権に当てて採択された。これはフセイン政権が91年2月26日に、Safwanで降伏宣言に署名したときに効力を失った。しかしその後もフセイン政権が国際平和と安全に対する脅威であり続けたとしても、米英軍がバグダッドを占領したときにフセイン政権は崩壊した。
 また、07年11月の「原則宣言」によれば、「イラク政府は国連憲章第7条に基づいてイラクの多国籍軍のマンデートの延長を要請する。マンデートの期限延長についてのイラク政府の要請でもって、イラクが国際平和と安全に対する脅威というイラク政府の地位は消滅する」と書いてある。
 つまり、イラク政府がすでに07年12月に多国籍軍のマンデートの延長を要請しているので、安保理決議661号と1790号、ならびに国連憲章第7条のイラク政府の地位(つまり国際平和と安全に対する脅威)は2008年12月31日をもって消滅する。したがって、この件に関して米・イラク間でいかなる協定を結ぶ必要はない。
 ちなみに、国連安保理は多国籍軍のマンデートを延期することはない、と見られる。常任理事国の中国とロシアが反対であるが、その他南アフリカ、リビア、インドネシア、それにベトナムが、米軍の占領を合法化するようなことには反対するだろう。

4. 米・イラク協定に対するイラク政党と運動の態度

 07年8月に政権に参加した「中道派戦線」は、クルドのKPDとPUK、イラク最高イスラム評議会(SIIC)とDawa党の2つのシーア派政党、Accord FrontとIslamic Partyという2つのスンニー派政党という3つの宗派から成る。この中道派戦線は、いうまでもなく協定に賛成している。勿論、07年8月の「原則宣言」の推進派でもある。ただしスンニー派の中には反対している議員もいるが少数派で脅威にはならない。さらにPaul Bremer前軍政官に任命された元バース党員のDr. Ayad Allawiが率いるIraki national Accordの議員たちがいる。彼らは協定賛成派である。
 イラクで唯一力のある勢力の「サドル派運動」は、協定に対して真正面から反対している。またFalida党も同様に反対している。
 このほかに、協定に反対しているのは、「イラク・イスラム学者協会(AMSI)」がある。これは影響力のあるスンニー派であるが、政治勢力ではないので、役割は限られる。
 第3のグループは、米軍が新しく組織したスンニー派の民兵「Al-Sahwa(Awakening)」がある。これは12万人の民兵で、武器も給料も米軍に依存している。これは、2006年以来、米軍とイラクのスンニー派の元アルカイダ支持者やバース党員でイラク市民に対して殺戮を働いていたものとの間で、秘密裏に政治交渉を続けてきたのだが、現在では、イラク政治に完全に組み込まれている。これらスンニー派の中には、イラク西部、中部で米軍の占領に対して抵抗していたものもいる。
 Awakeningの設立は昨年、米占領軍の最大の成功であった。Awakeningの幹部は、アラビア語の新聞やテレビに出て、協定支持を訴えた。