世界の底流  
グルジア紛争―冷戦はいつまで続く
2008年8月28日

1.グルジア紛争の勃発

 中国の国家の威信をかけた北京オリンピック開幕式の最中、コーカサスの国グルジアで
 戦争が勃発した。これは米国とロシアの新しい冷戦のはじまりを思わせるところにまで発展した。
 8月7日、グルジアが南オセチア自治州に軍隊を進軍させ、同自治州の首都ツヒンバリを占領した。ここに駐留していたロシア平和維持部隊の発表によると、市民1,600人が犠牲になったという。しかし、今までのところ遺体が確認されたのは133人にとどまっている。
 8月8日、このグルジア軍の侵攻に対してロシアが反撃に出た。ロシア空軍がグルジア各地の軍事基地を空爆し、地上では、南オセチア自治州のロシア平和維持部隊が、自治州内のグルジア軍を破り、撤退させた。
 さらにロシア軍は南オセチア自治州の境界線を越えて、グルジア領内に攻め入った。圧倒的に軍事力では優勢なロシア軍はグルジアの首都トビリシの北方100キロの時点まで迫った。また、8月9日、別のロシア軍が、アブハジア自治共和国の東部沿いにグルジアに攻め入り、黒海に面したグルジアの軍港ポチを占領した。たった1日の出来事であった。
 ロシア軍はグルジアの主要な都市を占領し、交通網を分断し、経済をマヒさせた。ここでグルジア側は停戦を求めたが、ロシア軍はこれを全く無視した。

2.和平への「6原則」

 国際社会の反応は鈍かった。ロシア軍がグルジア領内に進駐して、居座る気配が明らかになった8月12日、EU議長国のフランスのサルコジ大統領が和平交渉のためにモスクワを訪問し、メドベージェフ大統領と会談した。
 交渉の末、両大統領は「和平6原則」に合意した。これにメドベージェフ大統領が署名したのは8月16日である。
 「和平6原則」は、@ 軍事力の行使をやめる、A 軍事作戦を中止する、B 人道的援助活動に自由なアクセスを提供する、C グルジア軍はそれぞれの軍事基地に戻る、D ロシア軍は戦争前の地点に戻る、E 南オセチアとアブハジアの将来についての国際的な議論を開始する、となっている。
 メドベージェフの抵抗で、当初サルコジの原案に入っていた「グルジアの領土の保全」の項目は削除された。つまり、南オセチアとアブハジアの帰趨については、触れていない。これはグルジアのサーカシビリ大統領にとって、敗北である。そして、これはグルジアを支持する米、EU、そしてNATOにとって不利である。
「和平6原則」はグルジアのサーカシビリ大統領によっても署名された。しかし、ロシアのラブロフ外相は、「ロシア・フランス間で合意した文書とは内容が違っていた」と言う。イントロの部分が欠けていたという説もある。これは、ミステリーだ。

3.紛争の背景

歴史的背景
 1783年以来、グルジアはロシア帝国の保護下にあり、1801年、正式に併合された。ソ連時代も、アゼルバイジャン、アルメニアとともにグルジアは、ザカフカーズ・ソビエト共和国としてソ連邦の一員であった。ちなみにスターリンはグルジア出身であった。
 スターリン時代にオセチア人、アブハジア人ともに弾圧された。
 冷戦終了後、1991年4月、グルジアは独立国になった。1992年2月、ソ連時代の外務大臣であったシュワルナゼが大統領に就任した。
 2003年11月、シュワルナゼ政権の親ロシア政策と腐敗政治に怒った野党や市民が議会占拠を行なった。これは「バラ革命」と呼ばれた。そこで誕生したのが現在の親米・親ヨーロッパ派のサーカシビリ政権である。
 1990年、ロシアからのグルジアの独立に際して、グルジア領内にあった南オセチアとアブハジアで、グルジアからの独立運動が高まった。結局、南オセチアは自治州、アブハジアは自治共和国として、グルジア領内に留まったが、独立を支持するロシアが「平和維持部隊」の名で、両自治領に進駐した。ここでは、住民はロシアのパスポートを持ち、ロシア通貨のルーブルが通用している。事実上、ロシア領になっていた。
 グルジアの隣にロシア領内のチェチェン共和国がある。ここでは、ロシアに対する血なまぐさい独立闘争が続いている。

言語学的背景
 グルジアは「コーカサス地方」と呼ばれる。コーカサスは「火薬庫」とも呼ばれる紛争の地である。言語学者の中には、今回の紛争の原因を言語の異常な密度にあるとする学者もいる。
 グルジアの人口は440万人だが、何とここに約40種の言語が存在する。その密度は世界一である。言語学者は、多分、この密度はパプアニューギニアやアマゾン川の奥地の先住民たちの言語の多さに匹敵すると見ている。密林の奥深く住む先住民たちは、深い森に阻まれて、他の氏族との交流はほとんどない。そこで小さなコミュニティにだけ通じる言語が生き続けたのであろう。
グルジアの場合は、それは険しい山が同じような役割を果たしたのだろう。伝説によれば、神がバベルの塔を壊したので、異なった言語がコーカサス中に散らばったという。
 コーカサスの言語の多くは、他のどこの言語体系にも属していない。たとえば、グルジア人の話す言葉はどこにも属さない言葉だが、強いて言えばバスク語系に属するという説がある。バスク人はどこからきたのか誰にもわからない。とにかく、グルジア語は難しい言葉である。オセチア人はオセット語を話すが、これはイラン語系に属する。
 オセチア人もグルジア人もともに、ツヒンバリの谷に到着したのが自分だと互いに主張している。両者とも相手を客人だと見なしている。
 コーカサスの人びとは、言語が民族やその文化の存在を規定すると信じている。「言葉が消えれば、民族や文化も滅びる」というわけだ。たとえばオセチア人はグルジア語を決して話さない。たとえ聞き取れたとしても、グルジア語では返事しない。ソ連崩壊後、この傾向はますます強まった。
 
石油をめぐる背景
 グルジアは天然資源に恵まれず、農業に依存している。しかし、南隣の中央アジアの国アゼルバイジャンは産油国である。カスピ海に面した首都バクーには20世紀初頭から豊富な油田がある。
 90年代、ソ連崩壊と同時に、米国は、このカスピ海の石油をグルジアのトビリシ経由でトルコを通って、地中海のジェイハン港まで運ぶBTCパイプラインを建設する計画を立てた。これは、2005年に完成した。BTCパイプラインは、1,800キロにわたり、日産85万バレル、世界の供給量の1%を西側諸国に運んでいる。
 05年、私がトルコを訪れた時、アナトリアの草原の中を太いパイプラインが通っているのを見た。トルコ人は、このパイプラインから石油を盗み取っていると言って笑っていたのを記憶している。
 また、別のパイプラインがバクーの油田からグルジアのトビリシを経て、黒海のスプサ港まで延びている。同じく、バクーからトビリシ―ポチ軍港まで鉄道で石油が運ばれる。
 これら、とくにBTCパイプラインは、ロシアをバイパスして、カスピ海の石油を米国とヨーロッパに運べるという利点があった。またこれは、中央アジアを西側の勢力圏にとどめ置くという利点もある。さらに、西側諸国の中東へのエネルギー依存を減らすという利点もあった。
 ということは、米国とヨーロッパは、グルジアのお陰でロシアに対する優位性を確保したことになった。これは、19世紀、英帝国とツアーロシアとの偉大な覇権争いを思い起こさせた。
 また、もう一つの中央アジアの国カザフスタンでは、カスピ海に面したカシャガンで100億バレルにのぼる豊富な油田の埋蔵が見つかった。エクソンモービル、コノコフィリップなどの石油コンソーチアムが投資をしており、カスピ海の海底を通って、BTCパイプラインに繋げる計画がある。建設費は40億ドルの計算である。これは、多分ロシアの反対に会うだろう。
 今回、ロシア軍が文字通りグルジアを占領したとき、アゼルバイジャンで石油開発を主導するBPは、8月12日、バクーとスプサ間のパイプラインを停止した。ロシア軍はポチ軍港を爆撃して破壊したため、鉄道輸送も停止した。TBCパイプラインも停止したままだ。
 グルジア経由の石油輸出ルートを絶たれたアゼルバイジャンは、これまで運送量を減らしてきたロシア南部のノボロシスク港からの輸出に全面的に頼らざるを得なくなった。
 ロシア軍は、「和平6原則」にもとづいてグルジアからの撤退を表明しているにもかかわらず、一部グルジア領内に留まっている。ロシア軍は、南オセチアとアブハジアに近いグルジア領内に2つの「緩衝地帯」をつくると表明している。ここには18ヵ所の検問所を設け、それぞれ452人、2,442人の「平和維持部隊」を常駐させるという計画である。検問所の場所は未定だが、黒海沿岸に集中することは確かだ。そうすれば、カスピ海からの石油の積み出しに支障を来たすことになるだろう。

グルジアの事前の挑発行為
 8月14日付けの『インターナショナル・ヘラルド・トリビューン』紙は、「米国は、1年も前からグルジアの指導者たちに相反するシグナルを送ってきた」と書いた。
 戦争の1ヵ月前、ライス米国務長官はグルジアの首都トリビシを訪問し、2つの相反するメッセージを送った。7月9日、サーカシビリ大統領の晩餐会で、ライスは「グルジアは絶対にロシアと軍事衝突してはならない。なぜならグルジアが負けるから」と述べた。
 一方、トビリシに到着したときの記者会見では、ライスは「ロシアの圧力に対して、断固としてグルジアを支持する」と強いトーンで語った。これは、グルジアがロシアと軍事衝突した際には、「米国が軍事的に支援してくれる」と思い込ませた。
 グルジアとロシア間の戦争開始の6日目、ブッシュ政権の高官(Daniel Fried国務次官補)は、「米国がグルジアにモスクワを挑発してはならない、と警告していたにもかかわらず、驚いたことに、グルジアがこれを聞き入れなかった」と語った。
 米国は、グルジアに多くの軍事援助を行なったこと、米軍の軍事アドバイザーを送ったこと、08年7月の軍事演習に1,000人の米軍を送ったこと、グルジアのNATO加盟を後押ししたこと、グルジアの“民主主義”を賞賛したこと、グルジアの領土保全を承認したことなど、グルジアを勇気付けてきたことは確かだ。
 一方では、米国はホワイトハウス、国務省、国防総省すべて、一様にグルジアはロシアと軍事紛争を起こすべきではないと言ってきた。
 最近になって、米国はロシアをいらだたせるような一連の行動を起こした。それは、コソボの独立を承認すること、ならびにチェコやポーランドにミサイル防衛基地を建設することなどであった。
 グルジアは、これらの行為を見て、ロシアと軍事的にことを構えた場合、米国が味方をしてくれると信じたにちがいない。サーカシビリ大統領はブッシュ大統領に事前に攻撃を通知しなかったことが明らかになった。もし、通知すれば反対されるだろう。先にことを起こしてしまえば、米国はグルジアを助けるだろうと判断した。

GUAMサミット
 ここにグルジアに関連した戦争ゲームの資料がある。
米国とNATOが援助してきたGUAMという地域同盟がある。1997年、グルジア、ウクライナ、アゼルバイジャン、モルドバが「民主主義経済開発機構(GUAM)」を結成した。最初ウズベキスタンが入っていたが2006年に脱退した。
 これは民主主義や経済開発と全く縁のない軍事同盟である。事実上、NATOの付属物である。
 GUAMの主な任務は、米国やヨーロッパに石油を安全に運ぶ回廊となることである。その見返りにNATOから軍事援助と訓練を受ける。
 今年7月1〜2日、グルジアのバツミで、GUAMサミットが開かれた。ここには、グルジア、ウクライナ、アゼルバイジャンの大統領が出席した。ポーランドとリトアニアの大統領も参加したが、モルドバは欠席した。サミットの議題は、ロシアの影響力を削ぎ、カスピ海からの石油輸出回廊をまもることにあった。
 7月5〜12日、ロシア国防省が「コーカサス国境2008」のコード名で、北コーカサス地域で大規模な軍事演習を行なった。
 7月15〜31日、米国とグルジアは「即時回答作戦」というコード名で大規模な軍事演習を行なった。先に述べたように、これには、1,000人の米軍が参加した。
 グルジア軍が南オセチアを攻撃したのは、この1週間後のことであった。

4.NATO加入問題
 8月27日、メドベージェフ大統領は、ロシア上下院の要請を受けて、南オセチアとアブハジアの独立を承認した。すでに、南オセチアは93年、アブハジアは94年に独自の憲法を制定し、主権を宣言してきた。しかし、グルジア政府や国際社会はこの独立を承認しておらず、未承認国家となっていた。
 ロシアは、コソボでセルビアが「民族浄化」の弾圧を行なったことを理由に米国やヨーロッパがコソボの独立を承認したのだから、南オセチアやアブハジアも同様に独立を承認すべきだ、と言う。
 米国はライス国務長官の発言によると、拒否権を使って、両国の独立に反対していくと言っている。
 8月23日、フランスのサルコジ大統領は、ロシアのメドベージェフ大統領と電話で会談し、「ヨーロッパ安保協力機構(OSCE)」の軍事幹事団が、南オセチアでのロシアの平和維持部隊に代わって監視活動を行なう」ことを提案した。
これに対して、ロシアは「停戦合意にもとづいて、OSCEと協力する用意がある」と答えたに留まった。サルコジは、9月1日にグルジア問題についてEUサミットを開く予定である。
 グルジアと同じく、親西欧派のウクライナも同じような問題を抱えている。すでに、ウクライナはロシアからの天然ガスの供給を絶たれたという苦い経験を持っている。さらに、「クリミア問題」を抱えている。クリミア半島はセバストポリという軍港とヤルタ会談の地があるウクライナの自治共和国である。ソ連時代、ウクライナ出身のフルシチョフ首相が、クリミア半島をウクライナに褒美としてくれたといういきさつもある。
 ロシアは、セバストポリという黒海に面した軍港を欲しいので、クリミアの独立を後押しする可能性がある。
 グルジアとウクライナはNATOに加盟したくてたまらない。NATO加盟については、9月2日からチェイニー米副大統領がグルジア、ウクライナ、アゼルバイジャンなどを訪問し、それぞれの大統領たちと話し合うことになっている。
しかし、NATOの中では、グルジア、ウクライナの加盟に熱心な米・英とロシアに石油を依存している仏・独との間に齟齬がある。