世界の底流  
もう一つの経済
第1回アジア連帯経済フォーラムin マニらに参加して
2008年1月


 〇七年一〇月一六日から四日間、フィリピンのマニラで、〈第一回アジア連帯経済フォーラム〉が開催された。フィリピン全土から六〇〇人、海外からは二六カ国、一〇〇人が参加した。日本から西川潤早稲田大学名誉教授をはじめ、生活クラブ生協の創設者の一人である横田克己さん、第三世界のNGO支援をめざすリサイクルショップWE21の郡司真弓代表、アジア太平洋資料センターの井上礼子代表、日本オルタ・トレード社の幕田恵美子さんなど一一人が参加した。

連帯経済とは何か

 「連帯経済」という言葉は、日本を含めてアジアではまだ馴染みがない。しかし、メキシコ以南のラテンアメリカや、フランス、スペイン、イタリアなどラテン語系のヨーロッパでは、すでに「もう一つの市民による経済活動」として社会的に認められ、広範に実践されている。いくつかの国では法的に整備もされている。
たとえば、フランスでは産業経済省のほかに〈社会経済省〉という政府機関が設けられ、さらに民間レベルでも〈全国連帯経済ネットワーク〉が組織されている。スペインのバスク地方にあるモンドラゴン協同組合企業グループは、連帯経済運動の“メッカ”と言われている。
 一方、ラテンアメリカでは、ブラジルのルラ大統領が〇四年に〈連帯経済局〉を新設し、有名な経済学者ポール・シンガー教授を局長に任命した。またアルゼンチンのように国の経済が破綻したところでは、人びとはコミュニティで連帯経済を実践し、生き延びてきた。
 一九八〇年代以来、新自由主義政策が導入され、市場経済のグローバリゼーションが進行した。日本では二〇年遅れて小泉首相によって「改革」の名の下に新自由主義政策が実施された。これによって社会の格差が拡大し、大勢の貧困層が生まれた。
 〈連帯経済〉とは、まさにこのような大企業によるグローバリゼーションによって貧困化された人びとが自らの手で営んでいる「もう一つの経済活動」である。
 新自由主義による経済のグローバリゼーションが、最大限利潤の追求を目的にしているのに対して、連帯経済は、利潤ではなく、人びとの連帯に依拠するすべての経済活動をいう。その主な内容は次のようなものである。
 第一に、すでに一九世紀にはじまった「協同組合」が挙げられる。これは、生産者や消費者の協同組合が多いが、そのほか協同組合方式の企業や学校、博物館など多岐にわたる。
 日本では、二三〇〇万人が加盟している消費者の生協や五〇五万人の農協などが該当するが、連帯経済の原則である組合員の自主的、参加型運営ではない。
 第二に、農村女性の農産物加工業、障害者作業所、託児所、高齢者のグループホーム、商店街、住宅協同組合、エコ村、その他あらゆる非営利、あるいはそれに近い企業活動が挙げられる。
 第三に、フランスなどで〈ミュウチュアル(Mutualle)〉と呼ばれる相互扶助の金融組織がある。これは、日本でいう共済組合に似ているが、労働組合、職能組合、地域共同体などで自主的に組織されており、しかも法的に認証されている。
 第四に、地域通貨の創設、国内や南北間のフェア・トレード、マイクロ・クレジット、共同食堂、そして失業者や土地なき農民の相互扶助組織、農民や漁民の協同組合など、主として途上国で取り組まれている草の根の経済活動がある。
 第五に、主として女性の無償労働が挙げられる。これまでの概念では、家事、育児など伝統的な女性の仕事ととらえられていたが、九五年、北京の国連女性会議以来、家族のための食糧生産、環境保全、コミュニティ活動、社会運動など女性が担っているすべての社会活動も含まれるようになった。

連帯経済運動の歴史

 九八年、ブラジルのポルトアレグレで〈ラテンアメリカ連帯経済集会」が開かれた。これが連帯経済運動の最初の旗揚げとなった。
 これには、ブラジル、メキシコ、アルゼンチン、ペルー、ニカラグア、ボリビア、コロンビア、それにオブザーバーとしてフランス、スペインが参加した。
ここで〈ラテンアメリカ連帯経済ネットワーク〉が結成され、連帯経済を「もう一つの生活様式」であると宣言した。それ以来、連帯経済はグローバルな運動になった。
 〇一年一月、ポルトアレグレで開かれた第一回世界社会フォーラムでは、パリに本拠を置く〈責任のある、多元的な、連帯する世界のための同盟(同盟21)〉のイニシアティブによって、連帯社会経済のグローバルなネットワークが誕生した。
 〇四年一月、インドのムンバイで開かれた第四回世界社会フォーラムの時点では、連帯経済のグローバルネットワークに、五大陸四七カ国、数千の草の根のグループが参加した。
 そして、〇六年のベネズエラでの世界社会フォーラムでは、連帯経済がらみのテーマが全体の三分の一を占めるまでになった。
 このほかに〈連帯経済を推進するインターコンチネンタルネットワーク(RIPESS)〉という国際的なネットワークがある。これは、カナダのケベックにある連帯経済グループが中心となって組織してきたもので、すでに九七年にはペルーのリマで第一回、〇一年ケベックで第二回、〇五年セネガルのダカールで第3回総会を開催している。現在、RIPESSには、六〇の連帯経済のグループとネットワークが参加しており、〇九年四月、ルクセンブルクで第四回総会を開催する予定である。

連帯経済の理論

  市場経済は、最大限利潤追求と競争の原理でもって大量生産、大量消費、大量廃棄という化け物のような構造を生み出した。そして、人が生きている何ものにも代え難い地球そのものがこれに耐えられず、すでにきしみ始めている。
これに対して、連帯経済は、経済のパラダイムを変える。
 連帯経済の概念は幅広い。それには経済という狭い概念ではなく、多元的、社会的,文化的、エコロジイ的要素も含まれる。個人、コミュニティ、NPO、NGO、アソシエーション(団体)、社会運動などが、さまざまな手段で、さまざまな動機と願望で取り組んでいる活動のすべてを指す。
 実際、労働者が働いていた工場が閉鎖されたり、コミュニティが災害に見舞われたり、年金や福祉が削減されたりした場合、人びとはどうしているのだろうか?
 市場経済や国家は助けてくれない。人びとは、コミュニティや社会の中での相互扶助、協力、連帯によって生き延びている。

ユニークな準備プロセス

 今回、マニラでのアジア連帯経済フォーラムの開催は、アジアではじめての試みであった。そこで、主催者の「アジア中小企業協会」のベン・キノネス会長が、まずアジア地域のマイクロ・クレジットのネットワーク、中小企業連合、フェア・トレード協会、社会的に責任のある企業(SRE)連合などと協議した。
 ついで、これは実にユニークな国際会議の準備プロセスなのだが、キノネス氏がフィリピン国内で〈バヤニハン・バンキング・ウィンドウ(BBW)〉という組織を立ち上げた。
 「バヤニハン」とはタガログ語で「連帯」「協同」を意味する。BBWは、フィリピンの市中銀行の出資金や先進国の国際開発NGOの援助金の受け皿となり、BBWを通じてフィリピン国内のNPOや中小企業の育成のために、融資する。
 フィリピンには、巨大な外国資本と一握りのフィリピン資本しかない。しかもフィリピン資本といっても真の意味での民族資本ではない。たとえば国内最大のアヤラ財閥のオーナーはフィリピンと米国の二重国籍を持っているいわゆる買弁資本である。経済の基礎となる中小企業はほとんど育っていない。
 したがってBBWのような融資の中間機関が必要となる。アジア・フォーラムの開催日に合わせて、BBWのお披露目と出資者による契約の署名式が執り行われた。
 キノネス氏は、まず国内の連帯経済の組織を集めて実行委員会を作り、これが開催団体となるという通常のやり方を取らなかった。まず国内でBBWを立ち上げていくというプロセスそのものがアジア・フォーラムをフィリピンで開催することにつながっていった。
彼は、これを「ラーニング・ジャーニー(学習の旅)」と呼んだ。

アジア・フォーラムで議論されたこと

 会議では、社会的に責任のある投資、金融、企業、ガバナンスなどというテーマで議論された。このようなテーマの選び方は、一見、国連の会議に似ている。こういうテーマを選んだのには、キノネス会長がBBWの立ち上げのためにフィリピンの銀行家や実業家を招待したという理由があった。
 「社会的に責任のある投資」のセッションでは、すでにBBWに投資することを約束しているフィリピンのプランターズ銀行のマネージャーの話が非常に興味深かった。また「社会経済の投資者国際協会(INAISE)」の代表から、米国やヨーロッパの例について報告があった。
 続いて、「社会的に責任のある金融」のセッションだが、これは主としてアジアで広く普及しているマイクロ・クレジットをめぐって議論された。
 ここには、中国でのマイクロ・クレジットのNGOの報告もあった。このプロジェクトの仕掛け人は国連開発計画(UNDP)などだが、資金は米国のシティ銀行やVISAカード社が融資している。活動の場は雲南省の少数民族や西部の新疆地区などで、貧しい農村女性個人に年四%の利子で平均四〇〇ドルを貸し付けている。通常、銀行は担保がなければ貸さないし、年率一二〜二〇%の利子をとられる。
 彼女たちはマイクロ・クレジットで家畜の飼育や野菜栽培をして、現金収入を得る。しかし、中国では、融資という概念がなく、タダで貰ったものだと思い、返済しない人がいるという。これは、市民社会が未成熟な中国での連帯経済の大きな問題点であると感じた。
 続いて、「社会的に責任のある企業」という名のセッションでは、主としてフェア・トレードについて討論された。買う側の先進国側の報告と、フィリピン、インドなど生産者の側の報告があった。

第2回フォーラムは〇九年日本で開催

 今年三月、マニラ・フォーラムに向けて日本国内で、アジア太平洋資料センター(PARC)の呼びかけで「連帯経済研究会」が組織された。今回マニラに参加したのは、この研究会のメンバーであった。研究会を重ねるうちに、これまで、日本には生協、農協、共済組合、労働組合などといった巨大組織が連帯経済であると考えられていたが、実際には、農村でも、都市部でも女性が中心となった連帯経済が豊かに存在することが明らかになった。今後、フィリピンでのユニークな準備プロセスを参考にしながら、日本でも「もう一つの経済」を育てて行きたいと考え、第二回アジア・フォーラムを日本で開催することを提案し、全参加者の賛同を得た。