世界の底流  
南アフリカのANCは支持基盤を喪失
2007年1月10日


 南アフリカの「アフリカ民族会議(ANC)」は、政権の座についてから12年経つが、最近、南アフリカ共産党と労組COSATUの支持を失っている。一方、ネオリバラルな政策の結果GNPはめざましく伸びたが、社会の中の格差が急激に拡大した。
 2005年、南アフリカの成長率は4%を記録した。これは1960年以来最大の伸びである。ムベキ政権は人口の30.9%を占める貧困の根絶と30%の失業の解消には、年率6%の成長率が不可欠であるといってきた。経済は成長したが、貧困と失業の根絶については明らかに失敗した。
 1999年、マンデラから政権を引き継いで以来、ムベキ大統領は、公約してきた社会正義の実現に失敗している。そしてこの格差を拡大させたのはANCの戦略そのものにあったというべきである。
 南アフリカの経済史学者Sample Tarreblanche博士によれば、「かつて南アフリカ社会は人種別に分裂していたが、今日では社会階級別に分裂している」という。
 この傾向は、1996年、ANCが左翼経済政策からドラマチックにネオリベラルな経済政策に推移させて以来のことである。これには、南アフリカ最大の鉱山コングロマリットであるアングロ・アメリカン社などの圧力があった。ANCのネオリベラルな経済政策は「成長、雇用、再配分プログラム(Gear)」、すなわち成長を主流とした、国営企業の民営化を含む経済戦略の導入とともにはじまった。南アフリカは、IMF・世銀の構造調整プログラムを唯一自主的に導入したアフリカの国である。通常アフリカでは、構造調整プログラムは、融資の条件として、IMF・世銀が強制的に導入している。

 本来、ANCの政策はケインズ主義であった。経済成長によって生み出される格差の解消を優先する。それには、当然、反アパルトヘイト運動と南アフリカ共産党の影響があった。ANCは政権についた当初は、銀行や鉱山の国営化に着手した。マンデラは、1990年、牢獄から釈放された直後のスピーチで国有化について語っている。
 実は、ANCに対する共産党の影響力は、すでに1980年代に弱まっていた。代わりに、南アフリカの財界がひそかにANCに取り入っていた。当時の与党国民党(白人)は国際的な非難に晒されていた。もはや国民党は、反アパルトヘイトの黒人運動に対する弾圧を強化しても、政治的、経済的な安定を維持することはできなくなっていた。
 ANCは政治的な勝利を収めたが、一方、経済は白人の財界に委ねることになった。非合法時代に白人財界と交わした秘密会談では、ネオリベラルな経済政策をとるという約束も含まれていた。Gearを導入したのは、マンデラ政権時代、副大統領のムベキだった。
 マンデラ大統領が、人種間の和解にエネルギーを注いでいた間、首相格であったムベキ副大統領が国内政治を取り仕切っていた。経済学を専攻してきたムベキは、1990年代、ヨーロッパの社会民主主義の動向を興味深く見ていた。とくにブレア首相の「第3の道」は彼のモデルとなった。ムベキは、他のアフリカ諸国が独立当時、社会主義を唱えて失敗した前例を繰り返すまいと思った。ムベキの周囲は多国籍企業が送り込んだ経済顧問に取り囲まれていた。
 ANCを支持していた共産党や強大な全国労組COSATUは、この政策転換に怒った。事前の相談もなかった。ムベキは、権威主義、官僚主義、中央集権主義的な態度で党と国政を運営した。さらに、批判に対して謙虚に聞かない。彼が亡命していた30年間、取り巻きの中にPahad兄弟、Aziz、Essopなどがいた。現在、Aziz は外務副大臣、Essopは大統領府の閣僚の地位にある。このようなムベキのえこひいき主義は批判のまとになっている。
 2004年11月、国際的に尊敬されているノーベル平和賞受賞者のデズモンド・ツツ大司教の批判ですら、ムベキは受け付けなかった。

 Gear政策が導入されるにつれて、社会的な緊張が高まり、不平等が拡大した。一方、ムベキは、“アフリカ人民族主義”の目玉として、「社会改革政策」を打ち出した。
 本来これはマンデラがANCの創立50周年記念行事として、1997年に打ち出したものであった。南アフリカは長い搾取と差別の歴史をもっており、根本的な社会改革が必要である。これには社会のすべての構成要員が参加しなければならない、とマンデラは述べた。
 しかし、ムベキはこの進歩的であるべき「改革政策」を、黒人の貧困者や女性ではなく、黒人ブルジョワジーを優先する政策に変えたのであった。ムベキの改革政策は、1999年4月に発令された「エンパーワーメント均等法」と、2003年の「黒人経済エンパーワーメント法(BEE)」である。前者は女性と障害者を対象とするものであった。しかし、現在では、全黒人を対象にしている。そして、南アフリカ憲法に記された非人種差別主義の精神に違反して、逆アパルトヘイトが起こっている。
 BEEについては、ムベキのえこひいき主義の道具に使われている。大きな会社が政府に近い黒人たちの手に経営が移ることを助長している。このような例はサハラ以南のアフリカで多く起こっていることだが、国家権力の手で行なわれると、健全な民間部門の育成を妨げることになる。
  このようなムベキの政策の結果、ANCの支持基盤が揺らいでいる。2000年以来、南アフリカでの抗議運動は高まっている。「反民営化フォーラム」、「SOWETO危機委員会」など、社会問題を取り上げる運動が生まれている。また「アフリカーン文化協会連合」など、文化的アイデンティティを求める運動も起こっている。2005年には、政府の腐敗、社会サービスの不備に抗議するデモが数多く起こった。2004年には、農村部で社会サービスの不備に抗議するデモが起こった。昨年3月には、東北省のカールトンビル市近郊のKhutsong 居住区では3万人の住民がANCの候補に対する選挙をボイコットした。

 ANC離れは党の青年部や女性部にも及んでいる。ANC青年部は、若き日のマンデラが創設した由緒ある組織である。
 ムベキは、共産党とCOSATUを引き止めるために、いくらかの民営化を先送りしている。しかし、このような姑息な政策では、彼らを満足させることは出来ない。