世界の底流  
イラク安定化会議の滑稽
2007年5月


1.シャルムエルシェイクの茶番

 ブッシュ政権は、突如5月3〜4日の2日間、エジプトの保養地シャルムエルシェイクで、イラクのマリキ首相をはじめ、イラクの周辺国シリア、イランなどと英、独、日本など先進国の外相が参加した「イラク安定化会議」を開催した。
 この会議は、昨年11月の中間選挙で惨敗したブッシュ政権が出してきた新しいイラク戦略に沿ったものである。新しい戦略とは「対決」と「交渉」という2面戦略である。「対決」のほうは増派によるバグダッドの治安の“回復”であった。一方「交渉」のほうは、かつてブッシュが悪の枢軸と呼んだシリアとイランとの対話であり、シャルムエルシェイクの会議であった。
 この戦略の転換は、英のブレア首相とドイツのメルケル首相、さらにロシア、親米アラブ諸国など、そして米議会のベーカー・ハミルトン報告書の勧告などによると考えられる。
 シャルムエルシェイクでは、数百億ドルに上るとされる「イラク復興協定(イラク・コンパクト)」をはじめ、エネルギー供給、治安や国境管理、難民を支援する「作業部会」の設置、などの合意を見た、と報道された。
 ここでマスメディアの注目を集めたのは、ライス米国務長官とイランのモッタキ外相との動向であった。もう1つのイラクの隣国シリアとは、先ごろライス長官がダマスカスを訪問して、関係正常化がはかられたが、米・イラン間は79年のイスラム革命とその後の米大使館人質事件以来、国交が断絶されたままになっている。今回シャムエイルシェイクでは、ついに2人はすれ違っただけで、会合は成立しなかった。
 これに表されるように、イラク安定化会議は、滑稽な会議であった。
 まず第1に、マリキ政権自体が、崩壊に瀕している。シャルムエルシェイクでは会議の初頭、マリキ首相は「これから新たなプロセスがはじまる。イラクの融和と、国民のためになる開発を進めたい」と挨拶した。
 しかし、その直後、バグダッドではスンニー派のハシミ副大統領が、「スンニー派差別が改善されないので、政権を離脱する」と声明を出した。すでに4月16日には、シーア派の反米サドル師派の6人の閣僚が「米軍撤退の期限を示さない」ことを不満として辞任している。マリキ首相が、就任以来、サドル師のマハディ民兵によって支えられてきた事実を考えると、これは単なる6人の閣僚の辞任劇に留まらない。
 第2に、シャルムエルシェイクでのイラク支援策のからくりである。出席した各国は、さまざまな額を表明したが、数百億ドルという数字ははっきりしない。はっきりしていることは、フセイン時代の巨額な債務帳消し額を言っている。イラクを占領した米国は、石油収入が直ちに債務の返済に回されてしまうので、石油をもって復興資金に充てようとしていた目論見が外れてしまった。それで、ブッシュ大統領は、フセイン時代の債務は「不法な債務」であるとして、債権国に帳消しを求めたのであった。
 フセイン時代の債務とは、世界第2の石油輸出代金を目当てに、イラン・イラク戦争時代から米ソ両陣営が競ってイラクに武器を売り込んだ分である。これら武器は、今度の戦争で破壊されるか、ゲリラの手に渡っている。日本も産業インフラや病院建設などに巨額の円借款を供与したが、戦争ですべて破壊された。
債務帳消し分以外の新しい財政支援の額もはっきりしない。日本の場合、先に約束した50億ドルの復興支援すらも、満足に支出されていない。これは、治安の悪化でイラク側に受け入れ体制がないからである。
 イラク政府の汚職はすさまじい。イラク政府の汚職調査委員会は、フセイン政権崩壊後、少なくとも公金80億ドルが横領で消えたといっている。アルジャジーラ・テレビによると、マリキ首相自身、48件の汚職捜査を差し止めたという。
 したがって、シャルムエルシェイクに出席した外相たちは、マリキ政権が崩壊に瀕しているのを知りながら、「安定化計画」を議論するという茶番劇を演じたのであった。

2.反米武装勢力の華々しい攻撃

 4月12日、イラク国民議会内のカフェテリアで爆発が起こり、2人の議員を含む8人が死亡し、20人が怪我をした。
 世界のマスメディアは、これは「イラクの民主主義に対する挑戦である」と報じた。ということは、米占領軍が準備した総選挙で選ばれた議会が攻撃されたのであって、米国流の民主主義に対する挑戦ということになる。
 もう1つマスメディアが強調したのは、グリーン・ゾーンと呼ばれる最も安全とされるグリーン・ゾーンにある議会を攻撃したことは、「いつでも、どこでも攻撃することが出来るというメッセージを武装勢力が示した」と報じた。
 同じ日、武装勢力は、バグダッド市内のチグリス川にかかっているサラフィヤ橋を爆破して、通行不能にした。バグダッド市内には、12の橋が架かっているがすでに治安の悪い地区にある2つの橋が閉鎖されており、今回の爆破で、さらに交通渋滞が激しくなることが予想される。
 グリーン・ゾーンは、蛇行しているチグリス川の内側にあり、米大使館をはじめ各国の大使館、政府官庁、放送局などが集中している。正式には「インターナショウナル・ゾーン」と呼ばれるが、米軍とイラク治安部隊が厳重に守っている地域で、絶対に安全と見なされていた。
 グリーン・ゾーンでは、今年2月下旬には、公共事業省内で爆発事件が起こり、シーア派のアブドルマフディ副大統領が負傷した。3月23日には、スンニー派のザウバイ副首相が自宅で車爆弾攻撃を受け、負傷している。
 イラク議会攻撃事件直後に、同じバグダッド市内で、シーア派住民が集まるマーケットで、大規模な爆発事件が起こり、200人近い人が犠牲となった。これは、爆弾事件としては最大規模の犠牲者の数である。

3.米軍増派と米議会

 武装勢力による攻撃がエスカレートしてきたのが、米軍増派以後だということは、皮肉である。
 今年に入って、ブッシュ大統領は、2万1000人のイラクへの増派を発表した。しかし、実際にイラクに送られたのは、3万人であった。それに4月12日、来る6月に任期を終えることになっているイラク駐留米軍に対して、3ヶ月の延長が発表された。これは実質的には増派になる。しかし、帰国を待ちわびている米兵ははたしてまともな戦力になるだろうか。
 問題は、イラクへのこれほどの増派を行なったブッシュ大統領に、イラク安定化への何らの戦略もないということだ。これはまさにベトナムの悪夢の再来である。
 米軍は、アルカイダと並んで、イランに支援されているということで、シーア派のサドル師のマフディ民兵の掃討作戦を行った。BBCテレビによれば、今年に入って、マフディ軍に対して52年の掃討作戦を行い、600人以上を拘束した、と報じている。マフディ軍は実質的には武装解除され、サドル師の地下にもぐっている。これが、マリキ首相の弱体化に繋がった。
 サドル師派は、4月9日、シーア派の聖地ナジャフで大規模なデモを行なった。これは、イラク国旗を掲げた脱宗教的なデモあったことが注目された。デモの参加者は数十万人にのぼり、「米軍撤退」を要求した。
 サドル師派の6閣僚の辞任は、このデモに続いて、マリキ首相が米軍撤退の期限を決めないということに抗議するものであった。

4.ブッシュのジレンマ

 米国の同盟国の中から、イラク戦争に対する批判の声が上がり始めた。3月29日、リヤドで開かれたアラブ連盟のサミット会議の開会式で、サウジアラビアのアブダラ国王は、「米国のイラク占領は不法であり、アラブ諸国がいがみ合っているかぎり、米国のような外国勢力がアラブ地域の政治を支配することになる」と言い切った。これはサウジアラビアと米国の関係悪化を物語るものだが、一方でサウジアラビアが独自の「パレスチナ和平案」などをもって、中東におけるイニシアティブを握ろうとしていることを示している。
 5月1日、米議会は「米軍の撤退期限などを盛り込んだイラク戦費の補正予算案」をホワイトハウスに送った。予算案には、米軍は遅くとも10月1日までに撤退を開始し、その後180日以内に完了することを求めている。
 ブッシュ大統領はこれに対してただちに拒否権を発動した。したがって、この予算案は廃案になる。民主党には拒否権を覆すのに必要な3分の2の賛成票は集められない。つまり、イラク駐留の補正予算自体がなくなってしまい、イラク戦争を続けられなくなる。しかもこの補正予算案には、アフガニスタンの米軍駐留費も含まれており、総額1,000億ドル(約12兆円)にのぼる。
 補正予算に撤退のスケジュールを付帯することに賛成した議員の中に、共和党議員がいることに注目すべきである。これは、イラク戦争反対派のロビイ活動の成果である。
 今日の米国の反戦運動は、ベトナム戦争の頃と大きく異なっている。勿論、1月28日のような数十万人の大規模なデモでワシントンを埋め尽くすが、一方では、今年1月はじめ、「イラクのエスカレーションに反対するアメリカ人」、「Move.on(インターネットの反戦組織)」、労組の連合体、キリスト教会などイラク反戦のすべての組織が集まって、2週間で150万ドルの資金を集めた。そして、イラクからの帰還兵を上下両院の有力議員の選挙区に派遣して、反戦の世論を高めるためのメディア活動や議員に働きかける「ロビイ活動」を展開した。その後、インターネットを通じた資金集めは900万ドルに達したという。