世界の底流  
ゲイツ新国防長官の正体
2006年12月17日


 ネオコンのラムズフェルド国防長官の解任にともない、新しく国防長官に任命されたロバート・ゲイツは、「イラク戦争に対する新しい政策を打ち出す」ことを約束したということで、民主党が多数派の議会では満場一致で信任された。
 しかし、ゲイツは本当に良い男なのだろうか?
 ゲイツは、民主党が祝っている勝利の酒に、ひそかにブッシュが入れた毒ではないかという説もある。
 実際、これまでのゲイツの経歴は、まさにスパイ人生である。
 現在では、テキサスA&M大学の学長を務めるが、実は1966年にCIAのアナリストに就職して以来、1974年に国家安全保障会議、1980年再びCIAもどり、その翌年、レーガン大統領によって、ナンバー2のポストであるCIA長官代理に任命された。1989年には、ゲイツは国家安全保障会議の議長代理に任命された。
 1991年10月、ブッシュの父が大統領になったとき、ゲイツはCIA長官に任命された。そのときの議会の公聴会は長い時間がかかった。その理由は、ゲイツの「イラン・コントラ事件」への関与の疑いであった。
この公聴会では、イラン問題のCIAアナリストであったThomas Barkdaleが書いた1986年12月2日付の10ページにおよぶ「秘密メモ」が暴露された。
 「イラン・コントラ事件」とは、イランで米国人が人質になっていたのだが、CIAのオリバー・ノース大佐が、人質の釈放と引き換えにイランに売却すると秘密裏に約束していた武器を、ニカラグアの社会主義サンディニスタ政権に対して、隣国のホンデュラスを根拠地にして戦っていた反政府ゲリラ(通称コントラ)に横流しをした、というスキャンダルであった。公聴会では、当時レーガン政権下でCIA長官代理であったゲイツがこれにかかわっていたと非難された。また当時国家情報会議のHarold P. Ford 副議長は、同公聴会で「ゲイツは自身の分析に自信をもち、人の意見をまったく聞かない」と証言した。
 同じく、CIAのアナリストたちは、ゲイツが情報を都合のよいように変える。たとえば、ソ連の脅威をことさら大きく描き出し、イランでのソ連の影響力も過大評価した。つまり、ソ連の影響力が強いイランに武器を売ると米国にとって不利である、というのである。
 公聴会では、ゲイツはイランに人質の釈放と引き換えに武器を売るという密約を知っていたと認めたが、ノース大佐のニカラグアのコントラへの横流しについては知らなかったと述べた。
 当時、米国はイラン・イラク戦争では、サダム・フセイン政権を支持していた。ゲイツの行動はイラクを支援することになる。そして今、ゲイツはフセインなきイラクの将来を決定する国防長官となった。
 ゲイツは、イラン・コントラ事件への関与をはじめ、数々のスキャンダルに関与している。それは、同じくニカラグアのコントラ支援にかかわることだ。
たとえば、1998年、CIAの検察官が書いた報告書にある「コントラ麻薬取引事件」がある。その中に、「Watch Tower 作戦」があり、それを指揮したCIA要員Rd Cutolo大佐が書いた証言の中に、ゲイツの名が出くる。
 ゲイツは、今回、議会の公聴会で、イランは、「西にパキスタン、北にロシア、西にイスラエル、そして東にベルシャ湾の米国と、四方を核保有国に囲まれている」と述べた。
 これは、新国防長官がイスラエルの核保有を公に認めたとマスコミには報道されたが、一方では、ゲイツがイランに対するゲームプランを更新したと、考えられる。
 ゲイツが言わなかったことは、イランの近くにもう1カ国の書く保有国インドの存在である。また米国製の戦術核兵器がトルコ、それにオランダ、ベルギー、イタリア、ドイツという“非核保有国”に配備される、という事実である。
 マスメディアは、「現実主義者が、中東外交政策と軍事計画を牛耳っている」と報道しているが、実際には、ゲイツ国防長官は、イランに対して、「前面的に核保有国となったイスラエルを配置させる」という戦略であるようだ。