世界の底流  
ベネズエラの軍人左翼主義
2006年3月28日


1.カラカスは新しい左翼のメッカ

 2006年3月22日付けの『ニューヨークタイムズ』紙は「カラカスは左翼の新しいメッカになっている」という見出しで、ベネズエラが世界の左翼勢力の注目を集めていることを報じている。最近、ベネズエラを訪れたのは米国の俳優ダニイ・グロバー、歌手のハリイ・ベラフォンテ、反戦活動家シンディ・シーハン、黒人作家コーネル・ウエスト、ボリビアのエボ・モラレス大統領などが挙げられる。
 しかし、ベネズエラにやってくる人びとの大部分は若者である。たとえば、オーストラリアの大学生メロン・ダーンスフォード(24歳)は新しく設立されたカラカスの国立大学に留学した。彼は、チャベス大統領の個人崇拝熱を「毛沢東に似ている」と評しているが、それでもベネズエラ革命の意義を強調している。なぜなら、「チャベスは過去20年間、ラテンアメリカを席巻してきたネオリベラリズムの政策に対抗しようとしているのであり、ここに世界中の人びとがこの国を訪れる理由がある」と語った。
 チャベスはブッシュに「テロリスト」と呼ばれ敵視されている。このことと、チャベスが巨額の石油マネーを社会部門に投資していることがあいまって、カラカスが左翼のメッカになっているのだ。
 かつて、20年前のキューバ、1979年のマナグア(ニカラグアの首都)がそうであったように現在カラカスが学生、有名人、学者、活動家、グランドマザー、70年代ヒッピーたち(これらは“新しい時代のサンディニスタ”とも呼ばれている)を引き付けている。その多くは米国人だが、一部は長期滞在しているが、多くはベネズエラ政府や民間団体が組織する新しいブランド名の「革命的ツーリズム」による観光である。
 ベネズエラはすべてを受け入れているが、とくにベラフォンテのような大物に対しては、赤じゅうたんで迎えているようだ。今年1月、ベラフォンテはグローバー、ウエスト、それに農民運動の指導者ドロレス・フエルタなどを率いてベズエラを訪問し、チャベスが推進している石油代金を貧困根絶に向けたプログラムを実施している地域を見学した。ベラフォンテはテレビに出演し、ベネズエラ革命に連帯していることを述べ、チャベスに対する尊敬の意を表明した。続いてベラフォンテはブッシュを「世界最大のテロリスト」と評した。
 最近の観光客は有名なリゾート地であるマルガリータ島のビーチに向かわなくなった。たとえばサンフランシスコにあるNGO「Global Exchange」などは、1,300ドルでベネズエラのチャベス・プログラム地域の2週間のツアーを呼びかけている。このツアーには、識字教育、協同組合、政府の支援をうけたメディアの現場、閣僚との懇談会、「革命は放映されない」というタイトルのチャベス自慢のドキュメンタリーフィルムの観劇、いかに石油代金が社会部門に充当されているかを説明する国営石油会社の役員との会合、などが含まれている。また、ブッシュがいかにチャベスの反対派を支援しているかを調査しているニューヨークの弁護士エバ・ゴリンガーが、事実をレクチャーしてくれる。彼女は『チャベス・コード』という本の中で、2002年4月、米国がいかに反チャベスのクーデターに資金と技術を提供したかについて暴露した。彼女の話を聞いた人びとは、本来、ブッシュ支持派ではなかったが、いかに米国政府が長期にわたって外国政府を不安定化するために多額の金を使っているかを知って、驚いて声もない様子だ。
 一方、チャベスの反対派は、チャベスがいかに報道の自由を抑圧しているか、またベネズエラ革命を推進している勢力が軍隊であることを強調している。

2.なぜベネズエラ軍が革命を?

  この点について、1月末、カラカスで開かれた世界社会フォーラムに参加したFocus on the Global Southのウォルデン・ベロはZNetに「ベネズエラの軍事ラディカリズムは途上国にどのような意味をもつのか」という論文を書いている。
社会フォーラムの反戦運動のセッションで、会場が空軍基地内であることを皮肉った外国からの参加者に対して、ベネズエラの参加者が「見たとおり、ベネズエラの軍隊は正規軍ではなく人民の軍隊だ」と答えたことにベロは興味を持ったという。
 ベネズエラは革命とまで言えないにしても、ラディカルな変革を遂げており、間違いなく、軍隊がその中心にいる。ラテンアメリカではこれまで軍隊は現状維持派の道具であったことを考えると、どうしてそのようなことが可能なのだろうか。ベネズエラは例外なのだろうか。あるいはこれは将来の傾向なのだろうか。
 これには多くの解釈がある。たとえば、ベネズエラの有名な政治学者Edgardo Landerは、他のラテンアメリカの軍隊に比べて、ベネズエラ軍の将校には、下層階級出身者が多いことを挙げている。「上流階級は軍人を軽蔑している」と述べている。
 米国左翼のオピニオンリーダーの1人であるRichard Gott(『Hugo Chaves and the Bolivarian Revolution』の著者)は、「将校と民間人が共学というベネズエラの教育制度にある」と説明している。70年代初め、政府のAndres Belloプログラムによって、軍の将校の多くが大学に送られ、経済や政治を学び、学生と交わった。この市民生活への「浸透作戦」は決定的な結果を生んだ。第1に、将校たちは当時キャンパスに充満していた左翼思想に晒された。第2に他のラテンアメリカに比較して、将校たちが市民社会により深く溶け込んだのであった。
 さらに、ベネズエラはジョージア州フォートベニングにある米軍が経営する米州学校に将校を派遣することが西半球の軍隊に比べて少なかったこともその理由の1つであろう。この学校は反乱鎮圧のゲリラ戦のノウハウを教えるところである。
 これらのことがあいまって、ベネズエラの軍隊は他のラテンアメリカの軍隊のように反動的でないのであろう。しかし、さらに軍隊がこのような最もラディカルな社会的変革の先頭にたっているのかを説明することにはならない。
 Gott、Landerを含めてすべての学者が異口同音にいうのは、チャベス大統領の役割である。

3.チャベスの経歴

 チャベスは多くの顔を持っている。カリスマ的風貌、偉大なスピーカー、巧みに国家、地域、グローバルなレベルの政治をそれぞれ操ることができる、など。
 チャベスは軍人である。ベネズエラと多くのラテンアメリカをスペインの支配から解放したシモン・ボリバールと同じく、ベネズエラの社会変革に決定的な役割を演じるべく、軍隊を改革した。
 チャベス自ら語ったところによると、バスケットボールのプロの選手になりたくて彼は軍隊に入った。その動機はともあれ、チャベスが入隊した70年代当時の軍隊は変動期にあった。ベネズエラでは軍は対ゲリラ作戦に追われ、一方大学では多くの将校が反政府地下組織に関係していた。チャベスはバスケットのプロのスターになりそこねたが、代わりに軍のウオー・カレッジの歴史の講師になるとともに、軍の階級を登っていった。チャベスは仕事の合間に、若くて、同じ理想をもった仲間の将校を集めて、「Bolivarian Revolutionary Movement(MRB)」を組織した。若き将校たちは、当時政権の座を分け合っていた既成政党Accion Democratica やCopei などの腐敗に幻滅して、単なる勉強会であったものを国家再建をめざすクーデターの陰謀組織に変えていったのであった。
 1989年、チャベスの組織は当時IMFの圧力(ガソリンに対する政府の補助金を削減したためバス代が値上がりした)で運賃の大幅な値上げに端を発した社会的大騒動「Caracazo」に遭遇した。このとき、3日間続けてカラカス市を取り巻く丘のスラムから何千もの貧民が、市の中心部や金持ち地区を襲い、略奪と暴動を起こした。これはいわゆる階級戦争と呼ばれた。このCaracazo事件は若い将校の心をゆさぶり、多くの人びとが自由民主主義に幻滅したばかりでなく、自分たちが、体制を守るために、貧しい人びとを撃たねばならない立場にあるということのつらさを味わったのであった。
 3年後、チャベスはパラシュート部隊の司令官に任命された。そのとき、彼とその仲間はクーデターの時期が来たと判断した。しかしクーデターは失敗した。これでチャベスの名は世間に知られるようになったが、同時にエリートたちに警戒された。彼はテレビで、決起部隊に武器を置くように訴えたが、同時に人びとはチャベスが彼らの潜在的な救世主であるという印象を与えた、とGottは書いている。
 チャベスは投獄された。そして、釈放と同時に、大統領選に出馬を表明した。つまり、クーデターで得られなかったものを、憲法上の手段で得ようと決意したのだ。チャベスは軍隊を追放されていたが、将校たちと連絡を密にしており、彼らの間では非常に人気があった。
 ついに1998年の大統領選挙で、圧倒的多数で大統領に選出された。そこで、彼は仲間の将校たちを政府の要職にリクルートした。さらに、彼は、軍隊を社会変革の主要な組織に仕立て上げたのであった。1999年、大雨による自然災害に際して、彼は軍隊を派遣し、炊き出し、仮住まい小屋を軍隊の敷地内に造成した。軍の病院も避難民を診療した。
 彼は軍隊に新しい任務を与えたのであった。この軍と民間の協力は、のち各地の「持続可能な農業―工業セトルメント・プログラム」に発展した。

4.軍隊の変革―その問題とチャレンジ

 しかし、軍隊を社会変革に参加させることには、軍のすべてが必ずしも賛成しているわけではない。とくに将軍の多くは、ポピュリスト的元大佐が土地改革に手をつけ、石油産業を直接支配するようになると、新聞社主や中産階級と手を組み彼の追放を図った。
 チャベス派と反対派との間で、何回かの街頭での衝突の後、陸軍総司令官、陸軍の司令官、参謀法部総長などを含む将軍たちが、ついに、2002年4月11日チャベスの追放に成功した。山から降りてきたスラムの貧民たちがチャベスの釈放を要求した。さらにチャベス派の将校が対抗クーデターを成功させた。将軍たちは投獄され、チャベスは政権の座に復帰した。
 このクーデターは少なくともチャベスに軍隊を完全に改革するチャンスを与えた。100人のトップランキングの将軍や将校が国家反逆罪で裁かれ、その穴をチャベスとボルバール革命に忠実な人材で埋めた。またこの追放劇は米国がベネズエラにもっていた足がかりを奪うことになった。
 チャベス・プロジェクトは“社会主義”運動と呼ばれているが、いずれにせよ、都市と農村の貧民の支持を受けている。しかし、チャベスが信頼する組織は軍隊だけであることも事実だ。マスメディアは反チャベスである。キリスト教会のトップもそうだ。官僚は仕事をしないし、腐敗している。政党は信頼を失っているし、チャベス自身政党攻撃をしている。彼の組織MRBも緩やかな大衆組織にとどめおくつもりのようだ。
 チャベスは軍隊を社会変革の中心に据え、同時に都市部に正規軍を支援する民兵、あるいは予備隊を創設した。最初、これは、「Bolivarian Circles」と呼ばれたが、これが100万人に達すると、やがてこれはスラムでの社会プログラム遂行の機構となった。同時にこれは国家警備隊として、土地改革のための私有地の接収にも参加している。

5.いくらかの懸念

 軍隊がどれだけやれるだろうかという疑問がある。
 Landerによれば、チャベスは、軍隊は腐敗していないし、なによりも効率が良いから、信頼できるという。
 Landerは、軍隊が腐敗しないという保証はない、という。軍隊の効率性については、それは反面のみ真実である、という。たとえば軍隊は、校舎やキューバの医師つきクリニックを建てるときには効率的かも知れないが、長期の解決には不向きである。これを解決するメカニズムが必要である。これがベネズエラの革命の弱点だ。
 疑いなく、チャベスと彼の仲間の将校たちは改革の熱意をもっており、これは当分続くだろう。これは、計り知れないフラストレーションからきている。チャベスはGottのインタービュに対して、「長い間、軍隊は去勢されていた。災害が起こっても、腐敗を見ても、黙っていなければならなかった。上級将校は盗みをし、兵隊は何も食べられず、そして厳しい規律だけがあった。そのような規律とは何だ。災害の共犯になっていた」と語っている。