世界の底流  
ロンドン7.7爆弾テロの主犯は英情報機関と関係か?
2006年1月12日


 2005年7月、ロンドンの地下鉄で起こった同時爆弾テロ事件の主犯とされた英国籍のHaroon Rashid Aswatは英国の情報機関MI-6のメンバーであった。
 これは、ネオコン派の米テレビ『フォックス・ニュース』の記者Mike Jerrickが、2005年7月29日、米国の情報機関専門家で、元司法省の検事であったJohn Loftus にインタービューしたときに明らかになった。
 その中で、Loftus は「AswatはMI-6とコネクションがあった。なぜなら、英国のすべての警察が彼を捜査している時、MI-6だけが彼を庇っていた」と驚くべき発言をした。
 Aswatは、すでに逮捕された3人と同じウエストヨークシャー州デューベリー市の出身であったが、この時点では、ザンビアのルサカに住んでいた。そして3人の実行犯の4人目の容疑者として逮捕状が出ていた。
『New Republic』紙によれば、彼は、事件の2週間前にひそかに3人を訪問していた、という。
 『フォックス・ニュース』は、インタービューの前日の7月28日、「事件前の3週間に、Aswatと3人の間に20回ほどの携帯電話のやり取りがあった」と報じ、彼が、事件の主犯であると報じた。しかし、29日のインタービューでは、AswatがMI-6のエイジェントであったと報じた。
 インタービューでは、Loftus はつぎのように述べている。

 4人はともにロンドンの本拠がある「Al−Muhajiroun(移民たち)」のメンバーであった。これはアルカイダによってリクルートされた部隊であった。対象となったのは、親が英国に移住してきた二世で英国のパスポートを持っている若者であった。
 4人の中では1組の夫婦がいたが、ソマリアの出身であった。他の2人はパキスタン系であった。Muhajirounの長はロンドンのフィンスベリー・モスクで“Captain Hook”のあだ名を持つイマム(導師)であった。Aswatがその代理である。
 Aswatは実行犯3人をリクルートした。そして、7月7日と21日の爆弾テロ事件の計画者である。ロンドン中の警察が、Aswatを追跡している中で、MI−6だけが彼を庇っている。このことは米国のCIA、司法省、そして英国政府にとって頭の痛いところである。
 Aswatは、MI-6のメンバーではなかった。彼は、2重スパイであった。これは、Loftus
が2001年にあるイスラムのイマムにインタービューをしたときに聞いたことであった。
 つまり、AswatはMI-6のために働きながら、一方で、アルカイダの作戦を遂行していたわけだ。CIAもイスラエルもアルカイダがロンドンに公然と住んでいることを何度も抗議していた。しかし、MI−6は、「ほっといてくれ」と言うばかりだった。
 Aswatは1999年に米国を旅行した。司法省は、オレゴン州にテロリストの訓練所を作ろうとしていたという容疑でシアトルにいた彼とその手下を起訴しようとした。しかし、彼だけが起訴されなかった。司法省の本部がシアトルの検事に「Aswatに触れるな」と命令したからだ。
 その理由は、Aswatが英国の情報機関のために働いているからだ。Aswatの上司であるCaptain Hookは国外追放された。そしてAswatの手下は起訴された。なぜ彼は起訴されなかったのだろうか。その時の司法省の説明は、「Aswatは死んだ、だから起訴は取り下げられたのだ」といった。
 しかし、彼は南アフリカに逃げていた。2001年の6月、南アフリカの秘密警察がAswatを発見した。CIAは逮捕を要請したが、彼の本国である英国政府は、「ノー」といった。そしてAswatはロンドンに逃げた。しかし、彼は、入国時も、その後の出国の時も、フリーパスであった。その時点では、彼にはロンドン警察から逮捕状が出ていた。その理由は、AswatがMI-6のエイジェントであるからだ。
第1の爆弾事件の時はAswatはパキスタンにいた。パキスタン政府は彼を逮捕した。しかし24時間以内に釈放され、その後、ジンバブエを通って、ザンビアのルサカに行った。

 『フォックス・ニュース』のインタービューはここで終わっている。ここでは米国、イスラエル、英国の情報機関の間にAswatをどう扱ったらよいのか軋みがあるようだ。さらに、MI-6がCIAを騙したという疑いもある。
 さらにインタービューで明らかになったことは、米国、英国の情報機関が複数のイスラム組織に関係している、ということである。