世界の底流  
チリで南米史上はじめて女性の大統領が誕生
2006年2月3日


 1月15日、チリでミチェレ・バチェレが大統領に選出された。バチェレは前政権の国防相で、南米では初の女性大統領である。またラテンアメリカでも、任期中に死亡した夫の後継者としてではなく、民主的に選出された初の女性大統領である。
 南米では、このところ、いくつかの“初の”を経験している。2003年にはブラジルで労働者出身のルラ大統領が誕生した。昨年12月にはボリビアで初の先住民大統領が誕生している。
 彼女の得票率は53%であった。彼女は社会党員だが、推したのは民主主義同盟党(Concertacion)という左翼連合である。対立候補はSebatian Pineraで中道右派の大金持ちである。彼女の反対陣営では、バチェレが夫と別れた3人の子持ちのシングル・マザーであるという中傷キャンペーンを行った。チリでは法的に離婚は認められていない。また彼女は、カトリックの国であるチリで公然と無神論を唱えている。
 彼女の父は将軍で、1973年9月11日のピノチェトの軍事クーデタに反対し、獄死した。彼女も母とともにピノチェトに投獄され、拷問を受け、その後国外追放された、という経歴をもつ。
 しかし、バチェレ新大統領が前のRicardo Lagos政権(社会党員でConcertacionを基盤)と同様、今日、ラテンアメリカに吹き荒れている反米・左翼政権には同調しないことは確かである。ラゴス政権は、2000年に就任以来、ネオ・リベラルな政策を採って来た。ラゴス大統領は、対外的にはブッシュの外交政策に同調し、国内では国営企業の民営化と、とくに南部のマプチュ先住民の土地の国有化を推進した。さらにラゴスは、ピノチェトの人権侵害の犯罪の追及に及び腰であった。
 先の大統領選挙では第1回投票までは、純粋な社会党の政策を追求してきたチリの左翼諸政党は、「ともに我々がより良く出来る」(Juntos Podemos Mas JPM )という名の連合を作った。これには、チリ共産党、ヒューマニスト党、左翼革命運動(Movimiento de Izquirda Revolucionairaなどが加入していた。JPMは独自にTomas Hirshを候補に立てた。
 第2回投票の際、バチェレ候補支持をめぐってJPMは分裂した。共産党は、労働者の権利、先住民の権利、人権など6つの主要な要求項目を受け入れるようにバチェレと交渉した。そして、共産党は彼女がこの6項目を受け入れたということで、バチェレ支持を打ち出した。しかし、Hirshと彼の党であるヒューマニスト党はバチェレがラゴスと同様な政策を目指しているとして、支持を拒否した。

 バチェレ大統領はラゴスのコピイでろうか?
 彼女は、ピノチェトの軍事独裁政権時代、夫とともにチリ革命武装戦線という抵抗運動のメンバーであった。ピノチェトが呼ぶ“テロリスト”であったのだ。彼女の夫は暗殺された。彼女は逮捕され、ピノチェトの最も悪名高いVilla Grimaldi拷問収容所に投獄されたのであった。この点で、彼女はラゴスと同じではない筈だ。
 すでにばチェレ大統領は、ボリビアとペルーと友好的な関係を結ぶと断言している。チリはこれまで、これら2国の領土の1部を占領しており、敵対的な関係にあった。