世界の底流  
米CIA支援の軍閥がソマリアで敗北
2006年9月11日


1.イスラム法廷連合の勝利

 さる6月5日、ソマリアでは、「イスラム法廷連合(ICU)」を名乗るイスラム勢力が首都モガディシオを掌握し、勝利宣言を発した。これによって、15年におよぶ内戦の終結と秩序回復の期待が高まった。
 ソマリアは、人口800万人で、その60%は遊牧民か、または半遊牧民である。隣国エチオピアと並んで「アフリカの角」と呼ばれる地域にあり、冷戦の終わりまで、インド洋から紅海、スエズ運河にいたる出口として、ペルシャ湾岸から米国、ヨーロッパ向けの石油タンカー・ルートとして重要な位置を占めていた。したがって、このアフリカの角を巡って、米ソが激しい覇権争いを繰り広げていた。

2.米ソのアフリカの角を巡る争い

 ソマリアでは、69年に、クーデタでバーレ軍事政権が誕生し、ソ連寄りの政策をとった。一方、74年9月、隣国エチオピアで、それまでの親米だった皇帝がクーデタで倒され、ソ連寄りの社会主義政権が誕生した。そして、77年にソマリアとエチオピア間でオガデン地域の領有をめぐって争いが起こると、米国はソマリアに肩入れをし、その結果、以後バーレ政権は親米路線を採るようになった。このように、アフリカの角地域では、米ソの冷戦中は親米政権と親ソ政権がめまぐるしく入れ替わった。やがて、90年代に入り、冷戦が終わり、また、タンカーが巨大化し、南アフリカ沖を通過するようになったこともあって、その地政学的な重要性は著しく低下した。

3.軍閥の群雄割拠時代

  ソマリアのバーレ政権は、91年、同政権の情報機関のトップにいたアイディット将軍がクーデタを起こし、打倒された。以後、ソマリアは、武装勢力を持った部族の首長たち、すなわち軍閥による群雄割拠の時代がはじまった。ソマリアは全面的な内戦状態となった。
 93年、国連が平和執行部隊をソマリアに展開した。その主力部隊であった米軍2万人が、大勢のマスメディアを伴ってモガディシオに上陸したとき、アイディット将軍の軍隊の攻撃を受けて18人が戦死した。これによって、米国はソマリアから撤退したのであった。アイディット将軍は、96年に病死した。
 米軍撤退後の94年、軍閥たちから独立して、イスラム法による秩序回復を標榜するイスラム法廷連合が誕生した。これは、イスラム聖職者の組織である。無政府状態にあったソマリアでイスラム法にもとづいて地域社会の秩序を守り、同時に社会的なサービス活動を行なってきた。
 イスラム教徒が全人口の90%にのぼるソマリアでは、反米感情も強く、イスラム法廷連合に対する支持は厚かった。
 一方、軍事的手段によるソマリア介入をあきらめた米国は、いくつかの親米派の軍閥を統合した「平和の回復と対テロ同盟(ARPCT)」を設立した。06年6月7日付けの『ニューヨーク・タイムズ』紙によると、米国は、ケニアのCIA支局を通じて、ARPCTが闇市場を通じて武器を購入するために、大量のドルを支給してきた、という。これは、ソマリアに武器援助を禁止した91年の国連安保理決議に違反する行為である。ブルッセルに本部を置く「国際危機グループ(ICG)」によると、CIAは毎月10万〜15万ドルを支払っていた、という。
 一方、国連は、04年に隣国ケニアで、ソマリア暫定連邦政府の大統領選挙を実施した。その結果ユスフ大統領が選出された。ユスフ暫定連邦政権は、モガディシオに入ることができず、首都の北西240キロのバイドアに居を構えている。
 また、石油の埋蔵が噂されるソマリア東北部では、「プントランド」の名で、独立を宣言している。93年1月18日付けの『ロスアンゼルス・タイムズ』紙によれば、バーレ政権が、すでにシェブロン、アモコ、コノコ、フィリップの米石油会社に対して、ソマリアの3分の2の地域での石油とガスの埋蔵探査権を供与していたが、これには、米国の軍事介入による秩序の回復が前提であった、と報じた。また、CIAのウエッブ・サイトには、ソマリアには、「ウラニウム、鉄鉱石、錫、ボーキサイト、銅、塩、天然ガス、そして、確実に石油の埋蔵がある」と記されている。石油の埋蔵が確かな地域は、プントランドであることはいうまでもない。

4.イスラム法廷連合とは?

  ソマリアの群雄割拠時代に終わりを告げたのは、今年3月、ARPCTとイスラム法廷連合との間に激しい戦闘が起こり、ARPCTがモガディシオから追放されたことによる。
 同時に、これは米国の対テロ戦略の敗北でもあった。かつて、オサマ・ビンラディンのアルカイダがソマリアに滞在していたこともあり、また米国は、90年代に起こったケニア、タンザニア米大使館爆破の犯人3人がソマリアに隠れていると主張して、その引渡しを求めてきた。今日、ソマリアは外国の介入を拒否する政権が誕生した。
 また、今日、イスラム法廷連合の大統領にあたる首長に選出されたハッサン・ダヒール・アウェイス師は、かつて、テロ容疑者として、米国のブラックリストに載っていた。現在、アウェイス師は、記者会見で、テロリストとの関係を否定しており、西側が、イスラムの指導者を過激派と決めつけることに抗議している。
 アウェイス師(71歳)は、バーレ政権時代、陸軍大佐であった。彼はソマリアの習慣であるヘナで赤く染めたひげをはやしており、あまり表に出たことはなかった。一方、イスラム法廷連合の中で、穏健派とされてきたシャリフ・アハメド師は、首相にあたる評議会の議長に選ばれた。
 ユスフ暫定連邦政府は、いち早くイスラム法廷連合の権力掌握を歓迎した。そして、イスラム法廷連合に協力する証として、暫定政権内のARPCT派の4閣僚を罷免した。しかし、アウェイス首長とユスフ大統領は、かつて戦闘状態にあったこともあり、両政府の間で、スムーズに統合が進むとは思われない。ただし、アハメド師は暫定連邦政府に対して、また、非イスラム国家の樹立に対して寛容であるといわれている。