世界の底流  
チャドの「人道に対する罪」
2006年12月17日


 スーダンの西、リビアの南に位置するチャドは、アフリカ大陸でも最も貧しい国の1つであるばかりでなく、「人道に対する罪」でも、最も過酷な国の1つである。
 1982年、クーデターで大統領の座につき、1990年もう1つのクーデターで追放されるまでの8年間、Hissene Habreは、人道に対する罪を犯した。マスメディアはまったく報道していないが、唯一、1992年5月21日付けの英紙『ガーディアン』が、チャド司法省の文書を紹介して、アブレ政権が4万人を投獄または、処刑で殺されたことを報じたのが例外であった。同紙はこれを「人道に対する罪」と名づけた。
 現在、アブレの亡命先のセネガル政府は、元大統領を裁判に掛けろとするアフリカ連合(AU)の提訴を最終的に受け入れた。アブレの罪名は、4万人の政治犯を殺害したことに加えて、20万人を拷問したことである。人権NGO「Human Right Watch」の報告書では、アブレは何万人もの殺人、拷問、行方不明、不当拘留などの罪、さらに8万人の孤児、3万人の寡婦をつくりだした、と非難している。
 1990年以降、多くの人権団体がアブレを人道に対する罪で裁判に掛けようとしてきた。6年前、チリのピノチェト将軍に対する裁判に勇気付けられて、Human Right Watchはセネガルのアブレを告訴した。しかし、2001年3月21日、セネガルの高等裁判所は提訴を却下した。
 そこで、人権団体は、アブレに拷問された被害者が住んでいるベルギーのブルッセルに矛先を向けた。しかし、ベルギー政府は、2003年、米国がNATOの本部をブルッセルから移動するという脅迫に屈して、外国で人道に対する罪を犯した者をベルギー国内で裁くことが出来るとした1993年の歴史的な法律を廃止してしまった。その一方で、ベルギー議会は、2003年8月、新しい法律を採択して、アブレに対する裁判を可能にした。
 その結果、セネガルの介入により、アブレはついに、裁判に掛けられることになった。しかし、このことについてマスメディアはまったく報道していない。
 これには理由がある。なぜなら、1982年、実はアブレはCIAとフランス軍の支援によって、GoukouniWedeye政権をクーデターで倒した。これは、ウォーターゲート事件のBobWoodward 記者が「CIAの歴史」のなかで、William CaseyCIA長官が就任して最初の仕事であったと述べている。
そして、米英はチャドの軍事基地からリビアのカダフィ政権に対して、秘密の転覆作戦を展開していた。1996年、英国のM15に属するDavid Shaylerはカダフィ大佐暗殺未遂事件を起こした。これは単に個人的な事件と葬られたが、M15の組織ぐるみの作戦であった。
 当時のリビアは、ソ連寄り政権として、ホワイトハウスの「嫌われもの」であった。アムネスティ・インターナショナルの「チャド−アブレの遺産」と題する報告書には、米議会は、チャドに対する大量の軍事・経済援助を採択したが、チャドの人権侵害については、一言も言及していない、と述べている。
 米国の公式の文書によれば、チャドを前線基地にしたカダフィ政権転覆作戦には、サウディアラビア、エジプト、モロッコ、イスラエル、イラクなどが資金を出した、という。たとえば、サウディアラビアは、CIAとフランス情報局が支援する反カダフィ派の「リビア救国国民戦線」に700万ドルの資金を提供した。
 にもかかわらず、カダフィを暗殺し、政権を奪うという84年5月8日の作戦は失敗した。その翌年、米国はエジプト政府にリビアに軍事侵入するよう要請した。しかし、エジプトのムバラク大統領はこれを拒否した。1985年末、『ワシントン・ポスト』紙は、米議会の議員たちが、これに抗議する手紙をレーガン大統領に送ったと報道した。
 米政府は、カダフィ政権転覆作戦の度重なる失敗にイラついて、軍事作戦を開始した。86年4月14日早朝、11分にわたって、米海空軍がトリポリとベンガジを爆撃した。これは「El Dorado Canyon作戦」と呼ばれた。米英のメディアは、これを大々的に報道した。これは、カダフィを殺すことが目的だった。爆弾はカダフィの家に落ち、15ヵ月の養女が死に、妻を含めて家族がケガをしたが、カダフィは無事であった。
 それ以来、表立ったカダフィ攻撃は止んだ。しかし、CIAは、80年代、リビア・チャド戦争で捕虜になったリビア人を使って秘密作戦を展開した。これには化学兵器まで準備された。
 1990年、湾岸戦争が起こるとともに、フランス政府はアブレをクーデターで追放し、Idriss Debyを大統領の座につけた。フランス政府はアブレの人権侵害のすさまじさに飽き飽きしたというのが真相で、またブッシュ・パパも湾岸戦争にフランスの支援を必要としていたため、あえてフランスの機嫌を損ねないよう、このクーデターを黙認した。
 現在、米国は、チャドを含む多くの国に、アルカイダ狩りのために、軍隊を送っている。また北と西アフリカに大規模な石油の埋蔵が発見された。現在、米国は西アフリカから、全需要量の15%の石油を輸入している。これは2015年には、25%に上ると見込まれる。2002年に、全長650マイル、28億ポンドの建設費でチャドとカメルーン間の石油パイプラインの建設が完成した。これはアフリカ大陸では、最大規模のインフラ投資であった。
 世銀の調査では、チャド政府はヨーロッパの武器輸出コンソーシアムに1,000万ポンドを支払った、という。
 これらすべて、政権の維持に使われ、貧しい人びとにはまったく恩恵が及ばない。