世界の底流  
テヘラン石油取引所設立の噂をめぐって
2006年4月7日


 イラン政府が、テヘランに石油取引所を設立するという噂が広まっている。それが今年3月中ということと、この設立が、米国がイラン攻撃を開始するという予測に関連していることもあって、噂はさまざまな議論を呼んでいる。
 現在、世界の原油価格を決定しているのは「ニューヨーク石油取引所」である。
 計画されているという「テヘラン石油取引所」の設立が、Casus Belli(戦争を引き起こす原因)、つまりブッシュ政権がイランを抹殺する核戦争を開始する引き金になる、というシナリオである。
 なぜか?

  テヘランの製油取引所の設立は、石油をドルではなく、ユーロで米国以外の国やバイヤーと取引するということにつながり、さらには、多くの国やバイヤーたちが次々とドルではなく、ユーロで石油を取引するようになっていく。それは、将来、ユーロ建ての石油を買うために、為替市場でドルを売って、ユーロを買うという、つまり大量のドル売りが始まり、世界通貨としてのドル体制が崩壊する。これは、ドルを柱として“帝国”を築いてきた米国の1国支配の崩壊につながっていく。これを防ぐために米国はイランに対して核攻撃し、イランを抹殺する。
 以上が、テヘラン石油取引所の設立をめぐる議論のあらすじである。

 これに対して、カナダのフリーランスのジャーナリストF. William Engdahl(A Century of War;Anglo-American Oil Politics and the new World Orderの著者)がGlobal Research のWeb Siteで反論している。
 Engdahlは「石油取引諸説」は誤りであり、それはイラン攻撃の地政学的背景から目をそらす“Red Herring(燻製のにしん)”であるという。
 なぜなら、イランの政治家が「テヘラン石油取引所の構想」をまだ持っていなかった頃、またブッシュがイラク攻撃を開始する1年以上も前だった2002年のブッシュの議会での年頭演説で、ブッシュは、北朝鮮、イラクと並んで、イランを悪の枢軸トリオと極めつけたからである。
 さらに彼は、この石油取引説は、以下の理由によって誤りだとする。
 第1に、彼は、「Century of War」の中に書いたように、1974年の石油危機の際に打ち立てられた「石油ドルのリサイクル体制」になるものについての誤解から生じている、とする。
 これはキッシンジャー国務長官が回想録の中で言っている言葉である。湾岸の産油国に流れ込んだ石油ドルは新しい米国のグローバル・ヘゲモニーの樹立の幕開けだった。湾岸の石油ドルは、ニューヨークやロンドンの銀行に流れ込み、やがて、ブラジルやアルゼンチンなどの外貨に飢えた国に再融資され、やがて、82年債務危機につながっていった。
 1971年8月以来、すでに、ドルはブレトン・ウッズ体制の崩壊で、兌換不可能な通貨になっていた。ドルはフロートし、切り下げられたのだが、幸いにも1973〜4年の石油危機によって復活したのだ。金以外にはほとんどの国はドルを外貨として保持していた。OPECはドル建の石油取引を行っていた。
 フランス、ドイツ、日本などは、ドルの値下がりに対する損失を回避するために自国の通貨で石油を買おうとした。勿論、これに対して、キッシンジャーがいうような米国の脅しの外交が使われたであろうし、またOPECの中の実力者サウジアラビアが米国に協力したであろう。
 問題は、石油危機によって、ドルが“石油通貨”(Petro-dollar)になったということではない。400%も値上がりした石油を買うために、紙切れにしか過ぎないドルの地位が上がったということである。しかし、1979年、ホメイニが政権をとった1979年には石油は再度値上がりしたが、ドルは値上がりしなかった。
代わって、ドルを保有していた国ぐには、カーター政権の外交政策に抗議して、ドルを売り払った。ドルは急落した。これに対して、カーターはボルカーをFBRの議長に据え、金利を数週間に400%も上げ、20%にした。金利は世界的に上昇し、世界不況、大量失業が起こった。これが、ドルを唯一の外貨準備金にしたのだ。したがって、“Petro-dollar”のせいではない。各国がドルを外貨準備金にしているのは、米国の世界的軍事力のせいだ。

 ユーロはどうか。ユーロはドルに挑戦するのだろうか。ユーロもまた非民主的な存在だ。マーストリスト条約によって、ドルと同様、まるで明日という日がないかのように、ヨーロッパ中央銀行がどんどん増し刷りしている。しかし、ヨーロッパの債権市場は米国のようにまだ巨大ではない。
 米国は、財政赤字、貿易赤字を垂れ流して、ドルの借金を増大させている。しかし、これは問題ではない。膨大な借金そのものが“解決”であるのだ。紙のドルだから印刷機から無限に取り出すだけでよいのだ。米国の債権保持国は、ドルが値下がりしないように、どんどん買い足してくれる。1971年にドルは紙切れになって以来30年以上も経つが、ドル建ての外貨準備金は2,500%増を記録している。
 ドルに対する唯一の挑戦者はEUであり、ヨーロッパ中央銀行が発行するユーロであった。シラクは「世界は多極化の時代に入った」と宣言した。しかし、この多極化宣言も、ナチの金塊やスイス、フランス、ドイツの大戦中のスキャンダルが暴露されたため、新ユーロに金に兌換性をつけないことになったため、幻想に終わった。
 9.11以来、さらに米国のドル支配に挑戦するものはいなくなった。米国の軍事費は2007会計年度には6,630億ドルという天文学的な額に上る。EU合計では750億ドルであり、米国に対抗できるものではない。

 イランが石油取引所を設立して、新しい原油価格決定の場にするという考えは、ロンドン国際石油取引所の元所長であったChris Cookが2006年1月21日付けの『Asia Times』誌に書いたところでは、2001年にCookはイラン中央銀行のNourbakhsh総裁に宛てた手紙に以下のように提案した、という。
「現在、石油市場は、仲介人と投資銀行に左右されており、消費者もイランのような生産者もそれに左右されている。したがって、私は「中東エネルギー取引所」の設立と、「ペルシャ湾岸の石油価格基準」の創設が急務と考える」と提案したと述べた。

 インターネットに流れている“テヘラン石油取引所”プロジェクトは、石油価格をユーロで表示することによってドル建てを覆すためだと考える。
 しかし、OPECがこれまでドル以外の通貨で表示することを模索してきたのは周知のことである。この問題はドル以外の通貨で石油取引を行うということ以上に、ドルの世界支配に対する挑戦を含んでいるのだ。これはユーロ圏だけでなく、中国、インド、日本、ロシアも考えている。したがって、これら、ユーラシア圏が軍事的に米国に対抗できるときに、初めてドルに対しても対抗できる。

 オスロでも、昨年末、同様の議論が起こった。ノルウエーはロンドンの石油取引所に依存していることに嫌気をさして、オスロの株取引所のSven Arild Andersen所長が「オスロ石油取引所」の設立を考えていることが明らかになった。これでノルウエーは、EUにドルではなく、ユーロで石油を売りたいのだ。ちなみにノルウエーはEUの加盟国ではない。