世界の底流  
バスラ「2名の英軍兵士奪還事件」の真相
2005年10月5日


   『朝日新聞』は、9月22日付けの朝刊で、19日、イラク南部のバスラで英軍が地元警察の拘置所に突入し、拘束されていた英軍兵士2名を奪還したこと。さらにこの事件に抗議して、武器をもった警官や市民500人が、21日、バスラ市内をデモ行進した、ことが報じられた。同紙はさらに、衛星テレビ局アルジャジーラによると、デモ隊は「英軍の蛮行だ」と口々に非難。「占領反対」「英軍2名をイラクの法廷でテロリストとして裁け」などと叫んだ、という。
   同紙はさらに、バスラ州議会も緊急会議を招集。「英軍の謝罪」「英軍への協力停止」「死傷者への補償要求」などを決議した。AP通信によると、このデモでの市民の死者は5名であったという。
   『朝日新聞』は、これにその後英国本国で起こったイラク撤退論などを短く紹介して終わっている。しかもこの問題をとりあげたのはこれ一回切りであった。この記事を読んだ人はまったく何のことかわからず、今では、記憶している人さえいないだろう。しかし、この事件は、こんなに簡単なものではなかった。そして、現在イラクで毎日起こっている「自爆テロ事件」の真相をも垣間見せてくれる、重大事件なのである。
  アルジャジーラ・テレビがバスラ選出のFattah al-Shaykh 国会議員にインタービューしている。以下はその内容である。

   2005年9月19日、バスラにおいて、イラク警察が不審な乗用車を発見した。車には鬘をつけ、それをアラブ風スカーフで巻いた2人の英国人が乗っていた。その車は爆発物を積んだ仕掛けがあった。これは、バスラでのシーア派の宗教行事を間近かに控えていたのでとくに警戒を強めていた最中であった、とバスラ政府のMohammed al Abadi 氏は語った。
   すると、この2人は警官に突然発砲した。やっとのことで2人を逮捕すると、それは英軍の兵士であった。後に、英国政府は、この2人が英国の情報機関MI6に属していることを認めた。
   2人の英軍兵士は警察の拘置所に収監された。しかし、シーア派のサドル師の民兵が襲ってくるというので、イラク情報機関の隠れ家に2人を移動させた。
   同日、2人の逮捕を知った英軍はヘリに援護された6台の戦車と8台の装甲車をもって、警察署の壁をぶち破った。しかしそこで2人を見つけることが出来なかったので、隠れ家を襲い、2人を奪還した。これをチャンスと拘置所から10数人のイラク人囚人が脱走した。
   このことを聞きつけたバスラの住民は、英軍に抗議のデモを行ったのであった。
   明らかに、2人の“英軍兵士”はバスラの中心部にあるマーケットで爆弾テロを計画していた、とアルジャジーラTVは言う。 
   バグダッドの英国大使館のLisa Glover報道官はマスコミに対して、2人の奪還を認め、この作戦によって3人が怪我をしたと、発表をした。英国内では、国防相が事件を認めたが、しかし、2人の英兵の任務についての説明を拒否した。英国では、アイルランドにおいて、情報機関MI6が同様の爆弾事件を仕掛けているという報道はしばしばあった。
  また、イラクで毎日のように起こっている自爆テロも、その多くは仕掛けをつけた無人の車である。これは、『バグダッド・バーニング』という世界中で読まれているインターネットのブログの2005年5月号によるのだが、イラクで起こっている自爆テロのほとんどは、遠隔操作か時限爆弾によると書いてある。
   スンニー派とシーア派の内戦は、米英がでっち上げたものである。
  <http://riverbendblog.blogspit.com/2005_05_01_riverbendblog_archive.html>