世界の底流  
アリスティード大統領は拉致、幽閉された
2004年3月9日

 先号で、ハイチのアリスティード大統領が中央アフリカのバンギに亡命したことを伝えた。しかし、その後、ワシントンのANSWERから入った情報では、「米国とフランスが共謀してアリスティード大統領を拉致して、バンギに幽閉した」ことが明らかになった。
 以下は、ANSWER代表団のスリルに満ちた会見記である。


 ANSWER代表のラムゼイ・クラーク元司法長官は、アリスティード大統領が自分の意思で「亡命」したかどうかを調査するように議会に要求したが、一方では、ANSWERはクラーク氏の代理として、Haiti Progress and the Haiti Support networkの Kim Ives、ANSWERのJohnnie Stevensと Sara Floundersを代表団として、それにアリスティードの弁護人として Brian Concannon、アリスティードの友人の Katherine keanが加わって、中央アフリカの首都バンギを訪問した。
 3月7日、代表団はアリスティード一行がいるパレスを訪ねたが、パレスの護衛によって、会うこと拒否された。そこで、アリスティードが持っていた携帯電話に掛けると、通じた。アリスティードは、「自分はハイチの正統な大統領である」と述べた途端に、電話は切られた。
 ANSWERは直ちにインターネットを通じて全世界に「アリスティード大統領がバンギに幽閉された」ことを発表した。これにたいして、各地で「アリスティードを釈放しろ」というキャンペーンが始まった。
 これは、大きな効果をもたらし、情勢は一挙に変化した。
 翌8日、代表団はアリスティードと2度にわたって面会することが出来た。さらにアリスティードは外務省で記者会見をし、同時に英語でPacifica Radioの『Democracy Now』の30分番組の電話インタビューに答えた。
 アリスティードは、「私は、ハイチの正統な大統領であり、出来るだけ早く、明日にでもハイチに戻りたい」と述べた。そして彼は、ハイチでの最後の出来事を物語った。「まず、アリスティード大統領を警護していた19人のSteele財団から派遣されていた警護兵が、ペンタゴンの命令で職場を放棄するよう命令された。アリスティードは、全く無防備の状態に置かれた。
そして2月28日夕方、ハイチ駐在のJames Foley米大使が内外のメディアに対して記者会見をさせてやると偽って、アリスティードと彼の妻Mildredを連れ出し、空港に向かい、無理やり飛行機に乗せた。これはクーデタである。そして、フランスの旧植民地で、昨年3月にクーデタで軍事政権が誕生した中央アフリカのバンギに幽閉した。
 アリスティードは「ハイチは世界で最初の黒人独立国であり、200年を経ているが、今なお11000人に医者が1.5人という貧しい国である。アリスティードは大統領に就任してから大学を設立し、医学部を設置した。そこでは、247人の医学生が学んでいる。しかし、ハイチに上陸した米海兵隊は、医学部を占領して学生を追放してしまった。これが米国の言う平和なのだ。これは平和とはほど遠いものである。また米国は人権を尊重するというが、選挙で選出されたはじめての大統領を拉致し、幽閉するとは」と語った。