世界の底流  
トービン税について
2003年11月
近い将来、ヨーロッパでトービン税は導入される?

 ヨーロッパでは、ここ2〜3年の間に、一般には"トービン税"として知られる「通貨取引税(CTT)」が導入されるだろう。これは為替市場の取引に対する課税だが、これまで30年以上も政治的論争の的になってきた"新しい、革新的な税"(国連決議)である。
 実際には、ヨーロッパ連合(EU)+スイスでCTTを導入することになるのだが、この動きをリードしているのは、すでにCTT法の制定をしたフランスである。強い市民社会が後押ししている。これに連立政権内にCTT推進派の緑の党を抱えているドイツが続いている。そして、衰えたとはいえシティという金融の中心地イギリスが動きだしている。このようにEU内の大国である3カ国が決定すればCTT導入は可能である。

トービン税とは何か

 1970年代、ニクソン・ショックによって各国通貨がフロートし、つづいて起こった石油ショックによって、産油国に巨額の石油ドルが流入した。それが欧米の銀行に預けられ、国際的に通貨投機がはじまった。これが1980年代に途上国で起こった債務危機の原因となったことは、すでに知られているところである。
 この通貨投機を抑制するために、1978年、ノーベル経済学受賞者のジェームズ・トービン博士が提唱したのが「トービン税」であった。これは、投機的な為替取引に1%の国際税を課税するという提案であった。彼はこれを、国際為替取引市場の巨大な"轍の前に砂を撒いて、その進行を遅らせる"という表現を使った。このようにトービン博士の提案は、資本移動のの極端な投機性を制御することに重点があった。
 しかし、彼の提案は、先進国政府、国際的金融界の反対で、陽の目を見ることがなかった。日本の財務省(当時は大蔵省)は、「税金を課税するのも、それを分配するのも、政府の権限である」として、「トービン税のような国際税には反対だ」とNGOに返答した。(1994年、社会発展NGOフォーラムと政府各省との対話での財務省国際局の返答)
他のG7政府も同様の立場であった。

国連UNDPの提案

 国連UNDPは、1994年の『人間開発報告』で、貧困根絶の資金源として、投機的な国際為替取引に課税するという「トービン税」を提案した。
 さらに、1995年3月、コペンハーゲンで開かれた国連社会開発サミット(WSSD)に向けた決議草案には「トービン税の導入」が[  ]付きで記載されていた。しかし、この部分は、先進国の政府代表が反対し、本会議では否決された。
 その後、米国議会は、国連文書にトービン税について記載することに反対した。そして、すでに国連分担金を滞納しているにもかかわらず、「もし、国連がトービン税を議題にするなら分担金を支払わない」という脅迫まがいの決議を採択した。その結果、トービン税についての議論は、国際学会や国連貿易開発会議(UNCTAD)のどの場を除いては、国際的に下火になった。

アジア通貨危機以後の動き

 1997年7月、タイにはじまり、インドネシア、韓国というアジアの新興市場国、ロシア、トルコ、ブラジル、アルゼンチンなどを襲った一連の通貨危機を契機に、トービン税についての議論は再燃した。
 だがそれはトービン博士が提案した国際税ではなかった。まず、1国レベルでも課税が可能だということ、今日では為替市場の取引高が1日1兆3,000億ドルという天文学的な数字となり、その中でヘッジファンドなど冬季部分が98%をしめていることなどが1970年代とは異なっている。
 そこで、トービン税と区別するために「通貨取引税(CTT)」と呼んでいる。
トービン博士は2002年3月22日になくなったが、決して新版CTTに反対ではなかったと言われる。

市民社会のイニシアティブ

今回の動きの特徴は草の根の市民運動、キリスト教会、労働組合など市民社会のイニシアティブによって始まったことである。

カナダ
 カナダでは、1995年、カナダのハリファクスで開かれたG7サミットを契機に、グローバルな課題に取り組む「ハリファックス・イニシアティブ」というNGOが誕生した。この組織がアジア危機直後、「トービン税」の導入を唱えた。

米国
 同じ頃、米国でも、「トービン税イニシアティブ」が発足した。これには、全米法律家ギルド、地球の友、労組のAFL-CIO、全米キリスト教会協議会などの大組織が賛同している。
 1999年11月、トービン税イニシアティブによって、「地方都市キャンペーン」がはじまった。最初に名乗りをあげたのが、カルフォルニア州北部のアーカタ市で、市議会で「トービン税宣言」が採択された。これを全米の地方都市に広げ、連邦議員を動かそうという戦略であった。これは草の根からキャンペーンを始めていくという典型的な米国の運動である。 

フランス
 1998年6月、フランスに「金融取引に課税し、市民を援助しよう(ATTAC)」が誕生した。これは、1994年以来、フランス全土で百万人規模のデモを組織していた「失業者協会(AC!)」や学者、知識人が中心となり、月刊誌『ルモンド・ヂプロマティーク』などのマスメディアの後援を得た。ATTACの会員数は、今日5万人にのぼり、フランスで最も注目さらている社会運動である。
 すでにベルギー、オランダ、スエーデン、ポルトガル、カナダ(ケベック)、ブラジルなどに大きな支部があり、国際組織となっている。日本にもATTAC支部がある。

英国
 イギリスでは、1950年代から途上国の貧困根絶のために活動しているNGO「飢餓との闘い(War on Want)」が、2001年トービン税について取り組むことになった。同組織は「トービン税宣言」を起草、これにアクション・エイド、クリスチャン・エイド、OXFAM、セーブザチルドレン、世界開発運動などのNGO、グリーンピース、WWFなどの環境団体、英国運輸労組、TUCなどの労組、全国女性団体連合、国連協会、キリスト教会など50団体が賛同し、「トービン税ネットワーク」が結成された。

ドイツ
 2000年1月22日、フランクフルトで、ドイツの環境NGOのWEED、プロテスタントのKAIROS EUROPA、カトリックのPAX CHRISTIなどの呼びかけで、国際金融市場の民主的コントロール・ネットワーク」が結成された。これに参加したのはドイツ、スイス、オーストリアのNGO、社会運動、キリスト教会などの代表100人であった。「トービン税の導入」と「オフショア・センターの廃止」を要求している。

キリスト教会の動き
 すでに見たように、キリスト教会は、ヨーロッパ各国のトービン税のネットワークに積極的な役割を果たしている。1998年12月、ジンバブエのハラレで開かれた世界キリスト教会協議会(WCC)の第8回総会では、金融取引にトービン税を課税し、無制限な資本移動を制限し、さらに開発の新しい財源に役立てることを綱領に盛り込んだ。

労働組合
 同じく、労組も各国でトービン税のネットワークに参加している。1999年5月には、OECD加盟国の労組が、トービン税の導入を呼びかけた。日本の連合は、1998年9月、「為替取引に国際税の導入」を提唱している。

アントワープ・グループ
 1999年10月、ベルギーのアントワープで、欧米の学者とNGOがトービン税についての専門家会議を開いた。この会議の参加者は、のちに「アントワープ・グループ」と呼ばれる。そこでの議論は、次ぎのような内容であった。
(1) 1996年、IMFの委託研究で、トービン博士の提案を批判したドイツのポール
B・スパ―ン論文が議論された。彼は、代わりに、2段階の国際税を提案した。第1は、通貨の変動率をある範囲内に定め、その中で小額の税を課税する。第2は、この変動率を上回った場合、懲罰的な高率の税を課す。この2段階の税ともに、1日当たり1・5兆ドル(当時)の為替取引が縮小しないように調整する。課税額は、年間400〜500億ドルと予想した。
(2) ついで、カナダ大蔵省にいたロドニイ・シュミット論文が議論の対象となった。
彼は、為替市場での決済が最終的に中央銀行に集約されるため、そこで課税が可能であるとしたが、一方では、彼は、国際的な合意と協調が必要であるとした。そこで、2000年(実際には2002年9月になった)に設立されると予想されていた多通貨同時決済(CLS)銀行において、世界中の銀行の為替取引を即座に記録されるシステムが出来るので、その設立後に課税を始めるべきだ、と述べた。
 スパ―ン博士はドイツ政府、シュミット博士はカナダ政府に、それぞれアドバイザーとして重要な役割を果たし、現在では、CTTの指導的理論家である。

G7政府と議会の動き

カナダ議会決議と政府の対応
 1999年3月23日、カナダ議会は、先進国の中では最も早く為替取引税(CTT、新版トービン税)の導入を決議した。これはシュミット博士の助言とハリファックス・イニシアティブのロビイ活動の勝利であった。このCTTは、かってのトービン博士の国際税提案とは異なり、一国レベルで課税されるというものである。つまり、為替取引の決済が最終的に中央銀行に集約されるため、そこで課税が可能になる。
 だが、その実施は銀行側の抵抗と、それに同調した大蔵省がサボタージュして、今日にいたるまで、実施されていない。
 ところが、近く11月に行われる総選挙において、自由党の圧勝が予想され、ポール・マーチン前蔵相の首相就任が取り沙汰されている。マーチン氏はCTT法制定に前向きであり、もし、マーチン政権が実現すれば、トービン税の導入は可能になる、とハリファックス・イニシアティブは読んでいる。
 一方、カナダ議会の決議後、カナダ政府が、国連レベルでCTT導入決議草案のイニシアティブを取り始めた。2000年6月、カナダ政府代表は、ジュネーブで開かれた国連社会開発サミット(コペンハーゲン+5)においてCTTの導入を提案した。残念ながら米国の強い反対に合い、カナダ代表は譲歩して、決議案の中の「CTT」という言葉の記述を取り下げ、「新しい、革新的な資金源」という間接的な表現に代えてしまった。
 しかし、会議の閉会式において、カナダ政府は、この「新しい、革新的な資金源」とは、「CTT」のことである、と宣言した。これに、タイの代表が支持する演説を行った。

フランス議会
 1999年9月、ATTACのロビイ活動により、フランス議会にトービン税導入をめざす超党派の「ATTAC議員連盟」が結成された。その人数は、議員総数577人中180人にのぼった。
 そして、2001年8月28日夜のテレビ・インタービュで、当時のジョスパン首相は「フランスは、9月に予定されているEU蔵相会議に、CTTの導入について、イニシアティブを取る」と語った。その時、すでに、ベルギーの要請で、CTTは議題に挙がっていた。
 G7の首脳がCTT導入の公けに賛成したのは、これがはじめてであった。しかし、その1年後の大統領選挙では、ジョスパン社会党党首はシラク大統領に敗北した。
 2001年11月21日、フランス議会は、ついに「CTTの導入」法案を可決した。これには、「その実施には、EU加盟国全員の合意を持って」という条件が付いている。
 このような制限つきだが、CTTの法律が制定されたのは、初めてのことである。
 フランスに続いて、近い将来、ベルギー議会も「CTT法」の制定を決議する予定である。

英国政府と議会
 英労働政権には、ブレア首相と並ぶ権限を持っているゴードン・ブラウン蔵相がいる。彼は、2000年9月、国連ミレニアム・サミットにおいて、「ミレニアム開発ゴール(MDGs)」の採択に大きく貢献した。
 MDGsとは、2015年までに貧困を半減する、すべての子どもが6年間の教育を受ける、幼児の死亡率を大幅に下げる、という国際的な公約である。
 ブラウン蔵相は、それを達成するためには、途上国の債務の帳消し、ODAの増加、貿易条件の改善などが前提条件である。しかし、これらの措置がとられたとしても、なお新たな資金を必要としていると、主張している。
 ブラウン蔵相は、自身がイニシアティブをとったMDGsの実現を使命としており、
当然の帰結として、新しい資金源としてのトービン税の導入が必須であることを感じている。2002年はじめに発表されたイギリス大蔵省の報告書にも、彼の意向が反映されており、「途上国に対する現代版マーシャル計画」を説いたくだりで、「トービン税を貧困根絶の資金として、可能な新しい資金源である」と記述している。
 現在為替市場での投機マネーは1日当たり1兆3,000億ドルに上る。為替市場の年間業務日を250日とすると、年間の取引高は300兆ドルにのぼる。これに対して、0.01%のCTTを課税すると、年間300億ドルの税収が得られる。0.02%では、600億ドルになる。これはODA総額を上回る額である。
 一方、2002年2月、英国下院には、超党派6党150人の議員から構成された「トービン税推進議員連盟」が結成された。これには、数人の元閣僚、有力議員が参加している。この議員連盟は、労働党のハリー・バーネス議員によって「ブラウン蔵相がトービン税導入に向けて積極的な措置をとるように要請する」という動議を提出した。この議員連盟の結成をロビイしたのは、トービン税ネットワークである。

ドイツ政府
 2002年2月20日、ついにドイツ政府が「CTTは実現可能である」という研究報告書を発表した。これは、G7の中では、カナダ、フランスに次ぐビッグ・ニュースであった。
 この報告書は、ビークゾーレック開発協力相がポール・B・スパーン博士に依頼したという形を取ったものだが、開発協力相は、これを持って、翌3月、メキシコのモンテレイで開かれた国連開発金融サミットに出席し、ドイツ政府の報告書として発表した。
 スパ―ン報告書は、世界の為替取引において、G7は80〜90%を占めているので、G7でのCTTの導入が可能だと言っている。しかし、G7以外の先進国、新興市場国、市場経済移行国、開発途上国においても課税可能であり、追加の税収が政府に入ることになる、としている。実は、すでにベネズエラ、チリが自国の通貨取引に課税している。途上国では、CTTはすでに実施されているのだ。また、インドとブラジル政府がCTTの導入に賛成している。
 また、彼は、2段階の課税を主張しており、通常は0.01〜0.02%というごく薄い税率だが、自国の通貨が投機資本の攻撃に晒された時には、100%といったような高率の税率を課すことが出来る。これによって、アジア通貨危機の時のようなヘッジファンドの攻撃を起こることを、未然に防ぐことが出来る。そのため、常時多量の外貨を準備して置く必要もなくなる、と言う。
 スパ―ン報告書のハイライトは、「すべての国がCTTを導入する必要はない」と言っているところにある。たとえば、EU加盟国+スイスでも一方的に導入できるのである。 
 現実にEU+スイスでCTTを導入する可能性が高い。というのは、これまで見たようにフランス、ドイツ英国というEUの狩猟3カ国がすでにCTT導入に向けて動き出しているからである。
 EUは、MDGsを達成するためには「現代版マーシャル計画」が必要であるといっており、そのためには、現在のODAを倍増しなければならないと所長している。その財源としてCTTの導入が不可避であり、米国や日本を置き去りにしてもやむを得ないと考えているようだ。
 国連はMDGs達成最終年の10前に当たる2005年に評価検討を行うサミットを計画している。これに向けて、EUはすでに準備を進めている。そのための必要な資金はEU+スイスでのCTTで手当てしようとしている。