世界の底流  
厳戒体制下のエビアンで何が話し合われたのか
2003年7月
■ サミットとは何か

今年のサミットは、6月1日〜3日の3日間、「エビアン水」で名高いフランスの保養地で開催された。正式には、サミットとは主要先進国首脳会議と呼ばれる。  そもそもこれは、通貨や石油危機直後の1975年、フランスのジスカール・デスタン大統領が呼びかけ、非公式の世界経済サミットとしてはじまった。最初は日、米、仏、独、英の5カ国だったが、のちイタリアとカナダが参加してG7となった。  90年代、冷戦の崩壊とともに、ロシアがオブザーバーとして参加しはじめた。今年からロシアは正式メンバーとなり、G8サミットとなった。さらに今年は、中国、インド、ブラジル、メキシコなど“先進途上国”がオブザーバー参加した。  その結果、サミットは世界の経済力と人口の大部分を占めた“世界政府”の役割を演じているようだが、あくまでも“非公式なクラブ”に過ぎない。なぜなら、サミットで採択される宣言、声明には、拘束力がない。国連に対抗できるような憲章もないし、事務局もない。また、誰もこのような世界政府を選んだわけでもなく、またこの世界“政府”に対応する世界議会もない。  にもかかわらず、80年代以来、サミットは、IMF、世銀、WTOなどネオリベラルなグローバリゼーションを推進する国際機関の政策を決定してきた。これは、非常におかしなことである。

■ エビアンで話し合われなかったこと

G8サミットは、イラク戦争を巡る米英、仏独の対立という紛争を克服できないまま幕開けした。これはサミットの歴史上はじめてのことであった。しかし、今日の世界が解決しなければならない問題はイラク戦争やテロに対する闘いだけではない。それは、途上国の債務、地球温暖化などの環境であり、ミレニアム開発ゴールに明示された貧困、水、エイズその他の医療、教育など少なくない。しかし、これら緊急に解決を迫られている問題のほとんどは取り上げられなかったか、または、不充分にしか取り上げられなかった。 環境問題  サミットに先だって4月にパリで開かれた環境相の準備会合では、重油や危険な化学物質を積んだタンカーに対する規制について、日本の圧力で、2重底でないタンカーに対する規制を廃止した。日本は、海上運送に関するすべての規制、とくにタンカーの所有者に対する法的責任の強化に反対した。 保健問題  フランスが起草したG8の行動計画には、「途上国のすべての貧困層が医薬品にアクセスできるようにする」という項目が入っていた。これは、多くの途上国では、低価格の医薬品がない、という危機的な状況から来ている。具体的には、2001年11月、ドーハのWTO閣僚会議の決議にある「最貧国での医療や医薬品へのアクセスを改善するための総合的な枠組み」を指す。しかし、米国が製薬会社の意向を代弁して、この草案を拒否した。代わりに、米国は「民間部門の役割の重要性」についての項目を入れるように主張した。  フランスは、サミットが流れることを恐れて、米国の意見を受け入れた。その結果、「保健についての行動計画」では医薬品会社の貢献を評価し、ドーハ宣言の引用が削除された。 水問題  サミットでは水問題が最大の課題であった。ここでは水の民営化推進が決まった。しかも、サミットの水問題の議論には、「EU水基金」が参加した。これは、カムデュシュ前IMF専務理事が代表であり、フランスのスエズ・リオン水会社やビベンディなど世界最大の水会社が資金を出している。「基金」は3月に、水のコストの使用者負担を謳った「カムデュシュ報告」を作成した。これは途上国の水の民営化を推進し、そこから多国籍企業が利潤をあげることを目論んでいる。ちなみにカムデュシュはシラク大統領のアフリカ開発の個人的代表である。 投資問題  サミットでは途上国がWTOで最も反対してきた「新ラウンド」の投資問題が議論された。最初フランスは、むしろ投資を規制する「責任ある市場経済の原則憲章」草案を提出した。これに対して、米国と英国が反対し、代わりに、多国籍企業に有利な新投資協定をWTOで採択することを要求した。この新投資協定は、1997年、OECDで廃案になった悪名高い「多国間投資協定」と同じである。 債務問題  フランスでは、カトリック、労組、NGO、社会運動などが参加した「エビアン・プラットフォーム」が設立された。これは、シラク大統領に対して、これまで手をつけられなかったインドネシア、ブラジル、アルゼンチンなど中所得国の「汚い債務」の帳消しを要求した。フランス政府は、これが、イラクの経済再建の足枷になっているサダム・フセインの「汚い債務」の帳消しをロシア、フランス、ドイツ、日本などに要求していた米国に対する交渉の道具になると判断して、市民社会の要求に「ウイ」と言った。 しかし、5月のG8蔵相会議では、サミットで中所得国の債務の削減を公約するのではなく、今後の債権国会議であるパリ・クラブに委託してしまった。
 以上見たように、エビアン・サミットでは、何も決定されなかった。

■ 厳戒下のサミット  

エビアンはレマン湖に面しており、スイスとの国境に位置する。首脳たちは、ジュネーブ空港から、エビアンに向かった。エビアンは戒厳令下に置かれ、アリ一匹も外から入れない。住民でさえ市役所に行くのに許可証が要った。フランスとスイスの政府は治安協定を結んだ。スイス側は、1万人以上の警察、陸軍と空軍を動員し、これに3,000万ドルを費やした。  エビアンでのデモは禁止されたので、近隣のスイスのジュネーブ、ローザンヌとフランスのアネマースよりデモを開始し、スイスとフランス国境で合流した。「債務帳消し」グループが先頭に立ち、デモの主要なスローガンは、「もう1つの世界は可能だ」であった。