世界の底流  
相次ぐ韓国の労働運動指導者の抗議自殺
2003年11月
韓国民主労働組合総連盟(KCTU)の声明
2003年10月27日

1)10月17日、釜山にある韓進(ハンジン)重工業の労組委員長キムジュイク氏(39歳)が工場内のクレーンの先で首つり自殺をした。これは彼が、工場内で45メーターの高所で1人だけの座り込みの抗議デモをはじめてから129日目のことであった。彼のポケットに入っていた2通の遺書は、仲間の労働者に宛てたものと、家族に宛てたものであった。
1通目の遺書は、会社が労働者の賃金を凍結し、労働組合を弾圧する一方で、経営陣と株主には高額の支払いをするという事実を暴露したものであった。
 韓国の会社には、これまで長い間、労働争議で会社側が蒙った被害額を、個人の労働者に賠償させるために、告訴するという悪習がある。訴訟に負けた労働者は労組の資産はもとより、労働者の賃金や家屋敷まで取り上げる。金氏のケースがそれであった。彼は、財産を差し押さえられ、また労組指導者として、労働者の利益をまもることさえ出来ないというところまで追い込まれた。
今年1月には、同じような理由で、斗山(ドサン)重工業の「達鎬(ベダルホ)氏が抗議自殺をしている。

2)10月23日、セウォン・テク労組李海南(イへナム)委員長が焼身自殺を試み、一命をとりとめたが、現在病院で危篤状態にある。
彼は、セウォン・テクの本社で取締役会議が開かれている最中、その本社前で抗議の自殺を試みたのであった。その遺書には、「セウォングループの金文基(キムムンキ)会長を許すことは出来ない」と書いてあった。さらに、「多くの仲間は私の行為を非難するかもしれないが、私には最後の手段として死を選ぶ以外にない」、続けて、「鉉中(ヒョンジュン)の死をめぐる問題が解決するまで、私を葬らないで欲しい」とも書いてあった。李鉉中(イヒョンジュン)氏は同じ労組のメンバーであったが、2002年に会社が雇った暴力団にひどく殴られた。そのため、今年8月26日に死亡した。
セウォン・テク社は、月に80万ウオンという極端に安い賃金で労働者を働かしている。これには残業代も含まれている。労働条件もきわめて悪い。たまりかねた労働者たちは、2001年10月に労組を結成し、韓国金属労組連合に加盟した。これに対して、会社側は、150人の暴力団を雇い、労組員を職場から追い出した。2002年にはさらに悪どい労組つぶしを試みた。それは、ストライキを破り、労組を告訴し、労組員の給料を差し押さえるというシナリオであった。また、労組員に労組から脱退するよう圧力をかけたのであった。李海南氏は、このような会社の極端な労組弾圧に抗議の自殺をしたのであった。

3)それから数日後の10月26日、非正規職労働者の権利を要求する全国集会が開かれた時、韓国労働福祉公社非正規職労働者労組の光州支部長のイヨンソク(Lee Yong-Seok)氏が、「非正規職労働者に対する差別を止めろ」と叫んで、焼身自殺を試みた。彼は、現在、病院で生死の淵をさまよっている。
 非正規職労働者労組は、今年5月に公社に労使交渉を申し入れたが、公社側はこれを拒否した。そして、労働省が仲裁に乗り出してから、8月、やっと高尚に入ることに同意した。そかし、その後も、公社は「非正規職労働者を差別するのは当たり前」と公言してはばからなかった。イヨンソク氏は労働省の門前でのデモを指導してきた。

KCTU(民主労総)は、「これ以上、韓国の労働者を殺すな」と要求している。盧武鉉政権が誕生して以来、そのネオリベラルな政策が、韓国の労働者に対する資本側の弾圧の強化となって現れている。労働者は、これ以上、耐えられない状態に追い込まれている。