世界の底流  
ドーハのWTO閣僚会議で何が決まったのか
2002年1月
 WTO(世界貿易機構)は、11月9日から6日間、カタールのドーハで第4回閣僚会議を開いた。2年毎に開かれる閣僚会議は、全加盟国の貿易・経済相が出席する最高の意思決定機関である。そして、あまり知られていないことだが、ここで採択される宣言や協定は、加盟国の政府だけでなく、企業、地方自治体に対しても拘束力をもっている。そして、違反した場合は、パネルと呼ばれる仲裁機関によって、罰則を受ける。この点では、加盟国に拘束力をもっていない国連機関の決議や宣言と根本的に異なる。
 2年前のシアトル閣僚会議は、激しい反対デモと途上国の抵抗によって、流会に終わった。シアトルにおいては、アフリカとLDCs(低開発国)グループは、WTO設立の法的根拠であるウルグアイ・ラウンド協定の改正を要求していた。その典型的な例はTRIPs(貿易と知的所有権)協定、GATS(貿易とサービス)協定、最恵国待遇などであった。また、途上国は、先進国に対して、農業補助金の撤廃、繊維製品の市場開放など協定の「実施」を要求してきた。これに対して、EU、日本、米国などの先進国側は、新たに投資、競争、政府調達の透明性、労働や環境基準など新しい議題について「新ラウンド(多角間貿易交渉)」の開始を提案していた。つまり、途上国はウルグアイ・ラウンド協定の改正や「実施」問題を、一方先進国は「新ラウンド」を要求するという、南北間の対立がシアトルの失敗の原因であった。
 WTOは、反対派が入国できない湾岸の首長国カタールを開催地に選んだ。しかし、9月11日事件が起こり、にわかに米国の代表団の治安問題がクローズアップするという皮肉な事態になった。そこで、米国は「テロに屈しないために、貿易自由化を推進すべきであり、そのために新ラウンドを開始することだ」として、これに反対する途上国を脅迫した。にもかかわらず、ドーハ閣僚会議は、途上国の抵抗によって、まる1日延長になった。 
 ここでは、閣僚宣言、TRIPs宣言、実施決議の3文書が採択された。
 途上国側は、農業補助金の段階的撤廃、繊維製品の市場開放、エイズについてTRIPs協定の例外措置などについて、EU、米国などから譲歩を得た。11月14日付けのロイター電は、先進国の市場開放によって、途上国には年間約700億ドルの収入増が見込まれる、と報じた。一方、先進国側は、交渉開始は2年後という条件付きだが、ともかく「新ラウンド」を宣言に入れることに成功した。
 閣僚宣言の全文において、グローバル経済における貧しいLDCsの構造的な困難を認め、WTOがその解決に取り組むことを公約した。これは前進であった。
 一方、ドーハに向けて途上国が強く要求していた「2015年ミレニアムj開発目標(貧困を半分に減らす)は、宣言に盛り込まれなかった。これは、先進国クラブのOECDで提案され、すでに国連、世銀などで採択されている。

(1) 「実施」の諸問題


 途上国は102項目にのぼる「実施」問題を要求していた。これには、先進国が約束していながら、「実施」していない問題と、途上国の能力不足、あるいは開発を妨げるために「実施」できない問題がある。途上国側は、これらウルグアイ・ラウンド協定の「実施」が与える開発への否定的な影響を調査、評価し、協定の見直しを要求してきた。その多くは、ドーハでは解決されず、今後ジュネーブのWTO本部において、途上国が要求した「実施」項目を検討して、2002年7月までに報告書を作成し、2003年3月までに「実施」方法を策定することになった。緊急に解決すべき「実施」を先延ばしたと言える。

a 繊維と繊維製品協定

 「実施」問題中、ドーハで解決された数少ない項目であった。ウルグアイ・ラウンド協定では、2005年までに、先進国は数量制限を撤廃することになっていた。しかし、先進国はこれを出来る限りサボタージュしてきた。ドーハでは、最大の繊維輸出国インドと輸入国の米国が激しく対立したが、結局、米国が譲歩した。

b GATTS(貿易とサービス)協定


 ドーハでは比較的対立点がなかった項目であった。しかし、途上国は、すでに貿易とサービス(GATTS)協定に盛られている「サービス部門の自由化の影響についての評価」が、宣言に盛り込まれなかったことに不満を持っている。ウルグアイ・ラウンド協定のGATTS協定第19条にもとづいて、途上国は2002年6月30日までに自由化するサービス部門を特定し、2005年1月までに自由化交渉を終えるこおになっている。この場合、公約した部分については、後戻りは許されない。このような厳しいスケジュールで途上国がGATS協定の交渉をすることは不可能である。

c 工業製品に対する関税

 途上国が輸出する工業製品に対する先進国の関税と、途上国が産業保護のために先進国からの工業製品に対する高い関税という2つの問題がある。途上国側は、累進課税や関税外障壁などの削減をかち取ったと喜んでいるが、実は、先進国側が、「高い関税」という文言を挿入したのだが、これは途上国側の関税を指している。さらに、途上国の工業製品に対する関税の交渉は、アフリカ7カ国が共同提案した「そのインパクトについての完全な検証が完了した後にのみ始まる」という文言は、宣言に採り入れられなかった。

d 農業協定

 第1に、農産物を工業製品と同様に扱う、つまり農産物の完全自由化を要求するCairns(農産物輸出国グループ)とEU、日本、韓国などとの対立、第2にEUと米国が多額の農業補助金を出して安い農産物を途上国にダンピングしているという、2つの対立がある。 
 Cairnsには、米国やカナダ、オーストラリアなど先進国だけでなく、アルゼンチン、ブラジルなどの穀物輸出国をはじめタイやフィリピンなどの途上国も加わっている。単純な南北対立の構図ではない。
 草案に猛然と反対したのは、EU、とくにフランスであった。草案の「輸出補助金の段階的な削減は、究極的には撤廃につながる」として、草案から削除を求めた。しかし、EUは最後の瞬間に妥協した。その結果、ドーハ閣僚宣言では、すべての輸出補助金を段階的に削減する、さらにすべての国内支援を削減することに合意した。
 一方、途上国は、ドーハに向けて、WTOの農業協定に「開発ボックス」を挿入することを要求してきた。これは、途上国の食糧安保と農村開発という開発目標を盛り込むものである。しかし、これは、合意を得られなかった。代わりに、途上国に対する「特恵待遇」はWTO交渉の「不可分の要素である」ことが盛り込まれた。これは、ウルグアイ・ラウンド協定が、特恵待遇を「例外」措置にしていたことに比べて、大きな前進であった。

(2) TRIPs(貿易と知的所有権)協定

 これには、生物を特許権の対象にすることに反対して、TRIPs協定から外すという途上国の要求と、最近アフリカのエイズ対策をめぐって明らかになった製薬会社の特許権という、2つの問題がある。
 生物をTRIPs協定から除外する、アジェンダ21の「生物多様性条約」や「生物安全議定書」との整合性を確立する、さらに「生物盗賊(多国籍企業が伝統的なコミュニティの知識に特許権をかける)」を阻止するなどといった途上国の要求は盛り込まれなかった。
 一方では、TRIPs協定とエイズなど保健政策との関係については、「加盟国の保健政策を侵害するものではないし、また侵害してはならない」という文言が採択された。しかし、議論の過程を詳細に見ると、草案には、「Shall」という法律用語が使われていたが、製薬会社の利益を代表する米国やスイスなどによって「Should」に代えられた。これでは、法廷で争う場合、法的な強制力がない。 

(3) シンガポール項目

 EU、日本など先進国は、1996年、シンガポールで開催された第1回閣僚会議に、「投資、競争、政府調達、貿易簡素化」といった新しい4つの項目について新ラウンド(多角間貿易交渉)を開始することを提案した。これは「シンガポール項目」と呼ばれ、途上国の反対で採択されなかった。
 その後、先進国が、OECD内で秘密裏に審議していた「多国間投資協定(MAI)」草案が、市民社会の強い反対によって廃案になると、MAI草案を「ミレニアム・ラウンド」と名を変えて、シアトルに持ち込もうとしたが、失敗に終わった。
 ドーハにおいても、「新ラウンド」は、南北対立の最大の争点であった。新ラウンドに最も熱心であったのは、EUであり、それに日本、米国が同盟した。
 ドーハに出されたハービンソン議長草案には、2年後の「2003年11月の第5回閣僚会議をもって新ラウンドを開始する」となっていた。加盟国の3分の2を占める途上国の反対を無視した議長草案を閣僚会議に提出したのは、本来WTOのルール違反である。
 ジュネーブにおいて、途上国の中で新ラウンドに最も強く反対したのは、パキスタンとマレーシアであったが、ドーハの最終日になって猛然と反対したのはインドであった。そして、インドを先頭とする途上国12カ国の連合戦線は、新ラウンドの開始は、第5回閣僚会議までに、「明白な(Explicit)合意に達した場合」という前提条件を挿入することに成功した。シンガポール項目の作業部会の議長であったカタールのカマル蔵相は、ドーハ最後の全体会議において、閣僚宣言のシンガポール項目に関して、「交渉を開始する前に明白な合意が必要であると理解する」という特別声明を行った。これは、インドなどの不安を解消することを狙ったものだが、法的な根拠とならないという解釈がある。いずれにせよ、「新ラウンド」を閣僚宣言に盛り込んだことは、EUなど先進国側の勝利であった。
  
(4) ダンピング問題

 米国は、反ダンピングを武器にして、日本、韓国、ブラジルやインドなど新興市場国にの工業製品の輸出品に対して、最も頻繁に貿易制裁を課してきた。これは、貿易自由化を推進するWTOのルールに最も違反している。ドーハに臨んで、ゼーリック米国通商代表は「新ラウンド」について議会から一括委任状(Fast Track)を得るために、反ダンピングの制裁措置について一歩も譲歩できないというジレンマを抱えていた。そのため、あらゆる手段を通じて、草案の文言を弱めようとはかったが、失敗した。採択された宣言がどのような意味を持うものであるかを知るには、今後の動向に待たねばならない。

(5)環境


 EU、とくフランスは、環境問題を強引に草案に盛り込もうとした。これに対して、途上国側は、これが「エコ保護主義」につながるとして強く反対した。しかし、EUは巧みに、WTOのルールと京都議定書などアジェンダ21との関係を貿易交渉の議題の中に盛り込んだ。もう一つの争点であった、EUの「エコ・ラベル」については、同じくエコ保護主義と疑いを持つ途上国とCairnsグループが連合して、ジュネーブの「貿易と環境委員会」に差し戻した。

3.ドーハは南北痛み分けに終わる 

 以上、ドーハの文書を検討して明らかなことは、南北ともに痛み分けになっている。
 先進国側は、来年5月に大統領選を控えているフランスが閣僚中最も力のある農業相を送り込み、農業補助金の撤廃に猛烈に反対した。また米国は、反ダンピング問題で通商法を死守しようとした。しかし、フランスも米国も、全先進国のバックアップが得られず、孤立し、最後に譲歩を迫られた。一方、途上国側は、あらゆる議題について、先進国勢に対して、団結と攻勢を強めたことは、注目に値する。とくにアフリカとLDCsの働きは目覚しいものがあった。 
 南北いずれが勝利したのか明白になるのは、ジュネーブでの今後2年間の交渉にかかっている。しかし、これまでの例では、力のある途上国が、農業など自分に関心のある交渉にのみエネルギーを注ぎ、WTOの全体像や貧しい途上国の課題を見過ごしてきた。途上国は、協定を批准した後、その意味するところが判り、後悔するという、ウルグアイ・ラウンドで犯し誤りを繰り返す危険が大きい。