世界の底流  
ヨーロッパ市民社会の熱い波
2002年12月
しばしば日本では、日本と米国だけが世界だと考えている。とくに9月11日のような大事件が起きると、米国イコール世界であるという錯覚に陥る。ブッシュ大統領の支持率が90%近くまであがり、すべての米国人が愛国者となり、毎日星条旗を振っている映像を見ると、2年前、シアトルでグローバリゼーションに「ノー」と言ってデモをした人びとはどこへ行ったのだろうか、憂鬱になってしまう。

1.リールの世界市民会議


 そのような心理状態で、私は、昨年12月はじめ、2週間ばかりフランスを旅行した。
 私の印象では、ヨーロッパと米国と間には、9月11日事件の受け取り方について、かなり温度差があるようだ。
 フランスでは、リール市で開かれた「世界市民会議」に参加した。この会議は、スランすの裕福な財団とリール市が共催したのだが、市民社会の各階層の代表が125カ国から400人も集まり、社会経済、ガバナンス、環境、文化/宗教の4部門にわたり、100項目近い議題について、10日間議論をした。この成果は、近いうちに「人間の責任憲章」という形で、発表される。私は、社会経済部会のコーディネーターの1人に選ばれた。
 会議の議論は大変興味深かった。しかし、私にとっては、会議場外で起こっていたヨーロッパ大陸各地のニュースの方が、はるかに刺激的であった。今日、ヨーロッパの市民社会は熱い波の中にある。昨年7月、イタリアのジェノバでのG8サミットの時に起こった反グローバリゼーションの30万人の抗議デモは過去のものではなく、その後も連続し、広がりと深まりを見せている。私にとって、これは、驚きであり、喜びであった。

2.フランス憲兵隊のデモと中央銀行労組のスト

 ヨーロッパの社会運動をリードしているのは、フランスである。今年5月に大統領と国会選挙を控えていることもあって、フランスで、デモ、ストが頻発し、熱い政治の季節にある。会議中、リールに近いモンペリエ市で、憲兵が、防弾チョッキを要求して街頭デモをした。フランスでは憲兵隊は軍隊に属しており、デモやストは禁じられている。しかし、憲兵たちは顔を出し、公然とデモをした。交渉相手の国防相が、はじめてのこともあり、うまく対応できなかったこともあって、たちまちフランス全土で憲兵がデモをはじめた。彼らの要求項目も、賃上げ、待遇改善、増員など多岐にわたった。この憲兵のデモは、警官の待遇改善のデモやストに触発されたということであった。
 12月14日、フランス中央銀行労組18,000人が24時間ストに入った。共産党系のCGT、社会党系のCFDT、その他SNAなどすべての労組が参加した。この日、新ユーロ貨幣のサンプル・パッケージの配布にあわせて、市場経済主導のヨーロッパ統合が進行する中で、社会的対話がなおざりにされていることに対する抗議の意思を示した。

3.WTOのサービス協定による教育改革

 11月末には、ブルッセルで、EU諸国の教育相による教育サミットが開かれた。これは、教育制度に競争原理を導入することが主な狙いであった。これに対して、ヨーロッパ中の学生たちは、WTOのサービス協定(GATS)にもとづいた「教育の民営化の第一歩である」として、一斉に反対の声をあげた。11月29日、ベルギーのゲント大学では学生が大学を占拠したた。12月2日、マドリッドでは、10万人の学生が抗議デモをしたが、これはほんの一部の動きを紹介したにすぎない。

4.EUサミットに対するブルッセル・デモ

 12月14、15日の2日間、ブルッセル郊外のレーケン宮殿で、定例のEU首脳会議が開催された。ベルギー政府は、反グローバリゼーションのデモに備えて、6,000人の警官を動員し、ニューヨーク型のテロを想定して、F16型戦闘機とヘリを配置した。
また、市内の救急病院、消防署は24時間の警戒体制を敷いた。ブルッセル市内の道路から、車、ごみ箱、フラワー・ポットなど、すべて取り除かれた。
 前日の13日(木曜日)、ブルッセル市内は、8万人のデモで埋め尽くされた。デモを呼びかけたのは、ヨーロッパ25カ国、加盟者数6,000万人の「ヨーロッパ労働組合連合」であった。中でも、サベナ航空の破産など深刻な経済不況下にあるベルギーの労組がデモの中心部隊であった。これら労組はヨーロッパ統合(EU)に反対しているのではない。むしろ、今年1月、ユーロ共通通貨の発行に象徴されるように、市場経済の統合が先行して、社会政策がなおざりになっていることについて抗議をしたのであった。したがって「より社会的なヨーロッパを!」「社会政策の策定に労働者の参加を!」「失業をなくせ!」といったスローガンが多かった。EUの議長国であるベルギーの首相に対して「要求宣言」を手渡した後、デモは平和裡に終わった。
 12月14日、サミット初日には、反グローバリゼーション派25,000人がデモをした。このデモはこの日にむけて100団体が集まった「D14」実行委員会とヨーロッパ最大の市民運動「ATTAC(通貨取引に税をかけて市民のために使う協会)」が共同で呼びかけた。デモは、"小さな城"の渾名をもつ亡命者収用センターから始まり、"大きな城"と呼ぶEU首脳会議場のレーケン宮殿をめざした。デモは平和裡に始まったが、レーケン宮殿に近づくにつれて、黒服と黒いブーツのアナーキストが銀行や警察署に投石をはじめ、ジェノバに似た混乱状態が生まれた。マスコミはこの混乱のみを報道したが、これらアナーキストの数はせいぜい100人足らずにすぎない。
 14日の市民のデモは、前日の労組とは異なり「もう一つの世界のためのもう一つのヨーロッパを!」といったEUそのものに反対するスローガンが多かった。デモ隊は「EUの政策は、資本主義、自由貿易、アメリカの経済モデルを進めるもにだ」と、口々に叫んでいた。