世界の底流  
米・ASEAN自由貿易地域構想
2002年5月
1.米企業がブッシュ大統領にアジア政策を勧告

 最近、米国ASEAN経営者協会が、ブッシュ政権に対して、アジア政策について一連の勧告を行った。そのハイライトとなった項目は、「米国と東南アジア諸国連合(ASEAN)の自由貿易地域の創設」であった。
 米国ASEAN経営者協会には、アジアに進出している有力な米企業150社が加盟しており、ブッシュ政権に対して、大きな影響力をもっている。
 この勧告は、ブッシュ大統領が日本、韓国、中国を訪問した直後に出された。米ASEAN経営者協会は、「中国の東南アジア進出を阻止するために、出来るだけ早く、米国とASEANとの間に自由貿易地域を設立すべきである」と述べた。

2.米国・ASEAN自由貿易地域構想とは

 東南アジアに進出している米企業は、この地域での中国の経済的、政治的影響力が増大しはじめたことに危惧を抱いていた。中国の勢力圏拡大は、この地域に投資している米企業の利益に反するばかりでなく、やがて、中国とASEANが団結して、WTO(世界貿易機構)のルールに挑戦するという事態も予想される、と言う。
 さる2月22日、ワシントンで、米国ASEAN経営者協会のアーネスト・ボウアー会長が記者会見を開き、次のように述べた。
 「中国の東南アジア諸国との接近が、米国の政治的、経済的利益に反することがないよう、また、中国がWTOのルールを尊重するように導くためには、米国政府はどのような政策をとるべきなのか。それには、米国・ASEAN自由貿易地域構想は、最も有効な選択肢である。これを、少なくとも今後5年以内に実現すべきである」と主張した。
 また、ボウアー会長は、構想実現に向けてのの第一歩として学者、経営者、元政府官僚などによる賢人会議を設け、米国・ASEAN自由貿易地域の草案を作成する、ことを提案した。
 この「米国・ASEAN自由貿易地域」は、1994年、米国とカナダ、メキシコの3国間に創設された「北米自由貿易地域(NAFTA)」をモデルにしたものである。その後、米国は、このNAFTAを中南米・カリブ海諸国に拡大した「米州自由貿易地域(FTAA)」結成を提案し、毎年、西半球34カ国の首脳たちが集まり、2005年にFTAA創設に向けて協議している。
 「自由貿易地域」とは、加盟国間で、すべての貿易関税が廃止され、資本投資が自由化される。経済の発展レベルが同じような国ぐにの間での自由貿易地域の設立であれば、相互の貿易の拡大に繋がる。しかし、米国のような経済大国が加わった場合はしかし、加盟国は、米国企業の"植民地"になってしまうとして、市民社会が激しく反対している。

3.中国のASEANへの接近

 米企業が"脅威"と感じた中国のASEANへの接近は、早くから始まっていた。だが、明確な外交政策の形で、ASEAN側に示されたのは、2000年、「中国・ASEAN自由貿易地域構想」であった。この時、中国は、「10年以内に自由貿易地域を実現する」ことを提案した。
 さらに、昨年11月、ドーハで開催された第4回WTO閣僚会議において、中国の加盟が実現した。中国は、東南アジア諸国と同水準の工業製品を先進国に輸出している。WTOで主要な議題となっている「先進国の市場開放」という途上国の要求に、中国が加われば、これまでのように無視しつづけることが出来なくなる。これは、途上国の製品の最大輸入国である米国の企業にとっては、重大な脅威である。米企業にとって、中国とASEANが経済的に一体化することをどうしても阻止しなければならない。

4.日本の対ASEAN経済政策

 ボウアー会長は、ワシントンでの記者会見の中で、日本が、日、韓、中とASEAN(ASEANプラス3)構想を進めていることにも言及した。とはいえ、中国のASEAN自由貿易地域構想ほど重視していないようであった。
 さる1月、小泉首相は、東南アジアを駆け足で歴訪した。その時、日、韓、中とASEAN(ASEANプラス3)による「東アジア開発イニシアティブ(IDEA)」構想を発表した。これは、日本が農産物輸入の自由化問題などが足枷になっていて、「自由貿易地域」の創設に踏みきることが出来ないので、いわばその代案であった。しかし、その内容は漠然としていて、効果のほどは不明である。
 この「ASEANプラス3」の構想の起源は、1997年、アジア通貨・金融危機に始まる。危機に見舞われたタイ、インドネシア、韓国などに対して、国際通貨基金(IMF)が、ワシントン・コンセンサスといわれる米国流の構造調整プログラムを強制した。その結果、さらに、通貨危機が深まり、経済は混乱した。
 そこで、マレーシアのマハティール首相などから、日本政府に対して、IMFに代わる「アジア通貨基金(AMF)」の創設が提起された。しかし、日本政府は、米国とIMFの激しい反対に合うと、たちまちAMF構想を引っ込めてしまった。
 その後、1999年11月、日本は、AMFの代替として、ASEANプラス3による「通貨スワップ」計画を打ち出した。ASEANプラス3の代表がタイのチェンマイに集まり、合意したところから、「チェンマイ・イニシアティブ」と呼ばれる。これは、大量の外貨保有国である日、中、韓の3カ国がASEAN10カ国との間で、2国間ベースでそれぞれ一定の外貨の融通を約束しておき、危機に見舞われた際には、集団で緊急融資を行う、という取り決めである。
 これは、将来、AMFの創設の第1歩だと見なされる。しかし、AMF創設を掲げることは、米国の怒りに触れるため、「チェンマイ・イニシアティブ」ではタブーになっている。
 今回の小泉首相のIDEA構想も、中身があいまいであるのに加えて、AMFの例にように米国のご機嫌を窺ってばかりいると、アジア危機の痛手から十分に立ち直っていないASEANは、米国の経済植民地になってしまうだろう。日本政府の長年の対米従属とアジアに対する無策のつけが、数年のうちに、現実のものとなるだろう。