世界の底流  
アリエル・シャロンとは誰か?
2002年4月
米国の中東政策を決定しているのは誰か?

 米国は、人口630万のイスラエルに年間50億ドルの援助をしている。援助額としても最大だし、人口1人当たりにしても異常に大きい。米国が供与した戦車や軍用機が西岸のパレスチナ人の虐殺、町の破壊、そしてパレスチナ国家の象徴を消去する戦争に使われている。これは、米国の法律に違反する行為である。イスラエルはジュネーブ協定や他のさまざまな国際法に違反している。シャロンが任命した軍司令官の1人は、「民族浄化作戦」すら示唆している。
 ブッシュ大統領が支援しているのは、アリエル・シャロンと彼の野望である。シャロンは、1967年に占領したアラブの土地のすべてを併合し、いかなるパレスチナ国家建設の可能性も取り除く決意でいる。
 このような事態に対して、ブッシュ大統領と彼の閣僚たちは、なすすべもなく、またやる気も全くない。事実、ブッシュとシャロンは、極右という点、またアラファトをはじめ、すべてのアラブ人を嫌悪している点では、双生児である。
 ブッシュ政権誕生以来、ブッシュは、公然とシャロンがパレスチナ人を攻撃するのを奨励してきた。しかし、シャロンが西岸に侵攻するまでにいたった時、これは親米アラブ諸国にとって脅威であったため、ブッシュは、やっと、シャロンに自重するように伝えた。しかし、シャロンがこれを無視しても、あえて言うことを聞かせようとしない。なぜか?
 その1つの理由として、米議会を"支配"しているシャロンが率いる極右リクード党のロビイスト群の存在が挙げられる。米国の中東政策を決定しているのは、大統領でなく、議会でもなく、これらロビイストである。
 イスラエル・ロビイの圧力の結果、上院議員100中89人、そして下院では280人がシャロンに、パレスチナ人抹殺の信任状を与えている。イスラエル作家ウリ・アブネリは、「もしイスラエル・ロビイが命令したら、米議会は、モーゼの10戒さえ修正しかねない」と皮肉を言っている。

シャロンとは誰か?

 1948年5月14日、「パレスチナ戦争」(第1次中東戦争)の結果、イスラエルは誕生した。この時、イスラエルは、パレスチナ領であったものの57%以上を占領した。同時に、300万人のパレスチナ人が家、土地、国家を失った。
 1948年から7年間、ユダヤ人のテロ秘密組織であったシュテルン(Stern)とハガナ(Hagana)がテロ・キャンペーンを行い、その結果、パレスチナ人の418の町が破壊され、全パレスチナ領の78%がイスラエル領になった。パレスチナ人はガザ回廊とヨルダン川地域に押し込められた。エルサレム市内ではかって30地区あったパレスチナ人の町は4地区に減った。
 この7年間のテロ拡張作戦を指揮したのはシャロンであった。シャロンはHaganahの軍事リーダーの1人であり、第101戦闘部隊の司令官であった。シャロンは、1953年に起こったガザの南El-Bureig難民キャンプ殺戮の司令官であった。ここでは50人のパレスチナ人が殺された。その多くは女性と子どもであった。同じ年、シャロンの第101戦闘部隊は、ヨルダン川沿いの町Qibyaを攻撃し、69人のパレスチナ人を殺し、45軒の住宅を破壊した。死者の中の46人は、女性と子どもであった。
 1971年、シャロンは、再びパレスチナ人攻撃を指揮し、2000軒の住宅を破壊した。その時、シャロンはイスラエル軍に対して、「怪しいパレスチナ人を逮捕するな。即時殺せ」と命令した。
 1982年、当時国防相であったシャロンは、レバノンの極右民兵ファランヘ(Falange)のエスコートをもって、ベイルートのSabraとShatilla難民キャンプを海、空、陸から攻撃した。その時のパレスチナ人の死者は17,000人に上った。1,962人のパレスチナ人が首をはねられ、その他手足を切断されたものは数多くあった。死者の大部分は、女性と子どもであったことは言うまでもない。
 最近、ベルギーが、国内法にもとづいて、この1982年ベイルート難民キャンプ虐殺事件の責任者として、シャロンを告訴した。ハーグの国際司法裁判所で証人になるはずだった証人の2人がイスラエル秘密警察につい最近暗殺された。
 米国のレーガン政権時代、シャロンは米CIAのパートナーであるモサドに所属していた。1979年、米国がニカラグアのサンディニスタ政権を倒すためにコントラを支援した時、シャロンはコントラのOliver North大佐の武器と麻薬密輸作戦に関与した。その時、シカゴの東京銀行、ニューヨークのケミカル銀行、Bank One、オハイオのValley Bank、National Bankなどを通じて、マネー・ロンダリングを行った。
 シャロンは、南アフリカのアパルトヘイト政権の核兵器開発を支援した。イスラエルは科学者、核兵器材料などを供給した。その結果、1981年、南アフリカの白人政権は第1回水爆テストを行った。

シャロンは、今日、300個の核弾頭を保有している。
シャロンは、パレスチナ領の91%を占領している。
シャロンは、シリアに対して戦術核兵器を使用すると言っている。
シャロンは、米国がイラクを攻撃する時は、イスラエルは参戦し、核兵器を使用すべきだと言っている。
シャロンはイラクの石油を手に入れることが目当てであり、同時に、イラクのユーフラティス川の水を確保することを狙っている。

 一方、シャロンの戦争政策はイスラエルの国内で抵抗を受けている。2002年4月はじめの段階で、390人のイスラエル将校と司令官が軍役を拒否した。そのなかの多くは軍事法廷にかけられている。
 また、予備役の隊長と元モサド要員の800人が、「平和と安全保障の協議会(Council for Peace and Security)を結成した。この組織は、戦争を止めさせることを目的にしている。
 シャロンは、4月22日、ワシントンの授賞式に出席のため、訪米する。この賞はこれまで、米国の建国以来、ウーンデット・ニーの虐殺者Nelson A.Miles将軍や、アッチカ刑務所虐殺のNelson Rockefeller知事などが受賞した悪名高い賞である。
 都合のよいことに、4月20日から、ワシントンでは、IMF・世銀の春季会議がはじまり、これに対して、9月11日以来最大の抗議デモが組織された。シャロンの訪米反対のデモがこれに連動する形で組織されている。