国連  
ヨハネスブルグ・サミット(WSSD)の総括・その1
2002年8月
 

1.WSSDの概要

 2002年8月26―9月4日、南アフリカのヨハネスブルグで、104人の国家首脳を含む191カ国、21,340人という史上最大規模のヨハネスブルグ・サミット(WSSD)が開かれた。ブッシュ大統領が欠席したのは、WSSDの最大の汚点となった。
 9月24−25日、土日に、全加盟国の代表が参加した秘密会議が開かれた。
 9月26−30日、開会式に続いて、南アフリカのDumisai Kumalo国連大使を議長として、「ウイーン式」でもて、官僚(事務)レベルの非公式会合が開かれた。
 9月31日―10月2日、南アフリカのValli Moosa環境相が議長となって、従来の国連の審議方式である「ヨハネスブルグ式」でもって、閣僚レベルの会合が開かれた。10月2−4日、首脳レベルの5分間のスピーチが行われた。
 9月4日深夜、首脳たちは、53ページ、153パラグラフの「世界実施文書」(「ヨハネスブルグ実施計画」と改名)は採択された。これは、(1)序文、(2)貧困根絶、(3)消費と生産、(4)天然資源の基礎、(5)グローバル化した世界での持続可能な開発、(6)健康、(7)小島諸国、(8)アフリカ、(9)実施手段、(10)制度的枠組み、の10章から成る。ただし草案の段階では、(9)の実施手段は第5章になっていた。
 同時に、4ページの「政治宣言」も採択された。
 WSSDは、1992年、リオの地球サミットで採択された「アジェンダ21」の実施状況をレビューするための会議であった。しかし、アジェンダ21はほとんど実施されなかったばからか、地球環境ははるかに悪化しており、貧困は拡大している。その結果、「アジェンダ21」を再審議するのではなく、持続可能な開発をテーマとして、サミット・レベルでの新しいコミットメント(公約)を行うことになった。
 しかし、米国は、「アジェンダ21」の柱であった「リオ原則」の2つを拒否し、さらに、国連のWSSDを、加盟国に拘束力を持つWTO協定に従属させること、さらにWSSDに「モンテレイ合意」を追認せよなどと要求した。「モンテレイ合意」に関しては、開発資金に関しては、先進国側は、途上国のガバナンスの確立が先決だとして、新しい資金供与を拒否した。これに異議を唱える途上国に対して、先進国は、「モンテレイ合意はあくまで、合意であって、その実施については、ヨハネスブルグで議論される」と宥め、採決を強制したのであった。しかし、ヨハネスブルグがはじまると、米国を先頭とする先進国は、「モンテレイ合意を尊重し、これを再審議しない」と主張したのであった。「モンテレイ合意」に関しては、先進国は途上国を2度裏切った。
 WSSDの「実施計画」では、国連がWTOに従属するものでないことが確認された。少なくとも、WTOの国連乗っ取りを阻止することが出来た。
 また2000年、国連のミレニアム・サミットで採択された「ミレニアム開発ゴール」の中で欠けていた「貧しい人びとの衛生設備へのアクセス」についての数値と期限目標が新たに設定された。生物多様性、漁業資源などについても同様の数値と期限の設定が行われた。
 京都議定書の批准については、すべての国が批准するよう呼びかけられた。これは、議定書から脱退した米国にとって、敗北であった。
 このようないくらかの成果は、WSSDの犯した大失敗に比べると、採るに足りないものとなってしまう。
 例えば、「実施計画」では、持続可能な開発の前提条件である債務帳消しの公約はなかった。ODAのGNP比0.7%支出についても、期限を示すことがなかった。さらに新しい、追加の資金(為替取引き税)も公約されなかった。そればかりか、とくにサハラ以南のアフリカにとっては、国家の存亡そのものが脅かされているHIV/AIDS対策については、全く触れられなかった。
 再生可能なエネルギーの数値と期限のターゲット設定については、EUとブラジル、フィリピンなどが強く主張したにもかかわらず、米・日の反対で、ついに入らなかった。
 多国籍企業に対して法的拘束力を持つ行動規範(Code of Conduct)の制定についても、EUやNGOが強く主張していたにもかかわらず、ついに採択されなかった。また、途上国とNGOがロビイした先進国の農産物への補助金の廃止と、途上国の輸出品に対する市場アクセスの拡大については、ドーハのWTO閣僚宣言以上の公約はなかった。
 国連がサミット・レベルの巨大会議を開催するのは、ヨハネスブルグが最後であろうと言われる。これらWSSDで採択されなかった重要項目について、今後、審議される筈であった国連経済社会理事会の「持続可能な開発委員会(CSD)」の権限強化と理事会への格上げは決定されなかった。
 2015年までに貧困を半減するという「ミレニアム開発ゴール」の期限は目前にせまっている。

2.バリ準備会議での南北対立

 2002年5月、インドネシアのバリで開かれた第4回WSSD準備会議では、最終交渉の場となった閣僚レベルの会合で、ヨハネスブルグ・サミットで採択されることになっていた「世界実施文書」草案をめぐって、途上国側が、貿易問題については昨年11月のドーハWTO「閣僚宣言」、資金問題については今年4月の国連開発資金会議の「モンテレイ合意」などを再審議(reopen)し、より以上のコミットメントを先進国に要求した。 途上国グループ(国連用語では"G77+中国")は、持続可能な開発のために、先進国に対して以下のような要求をした。第1に、重債務貧困国の債務帳消し、ODAをGNPの0.7%供与、さらに革新的な資金源(為替取引き税など)の導入を公約し、第2に、農産物に対する輸出補助金を廃止し、同時に途上国の輸出品に対する貿易障壁を撤廃するべきだという内容であった。
 一方、米国は、地球サミットで採択された「アジェンダ21」の「リオ原則」の2つを拒否した。2つの「リオ原則」とは、第1に「共通だが差異のある責任」を負う、というものである。つまり、環境破壊については、先進国により多くの責任があることを認めた。米国は「これは環境保全に関するもので、持続可能な開発を指すものではない」と主張した。米国が拒否したリオ原則の第2は、「予防的アプローチ」であった。これは科学的に立証されない場合でも予防措置を講じるというものであった。
 これは、南北対立の構図であった。バリでの途上国の閣僚たちは強硬だったのには理由があった。
 それまで3回の準備会議は、ニューヨークの国連総会場で開かれた。したがって、とくに途上国は、ニューヨーク国連本部に常駐するベテランの外交官によって代表される。彼らは外交上の駆け引きには通じているが、本国の実情には疎い。しかし、バリの閣僚会議では、本国の環境相が出席した。閣僚たちは、持続可能な開発を実施するには、巨額の資金が必要であることを、日々痛感しているからであった。
 ついにインドネシアのサリム準備会議議長は、200近い不一致個所をブラケットにした草案をWSSDに先送りした。

3.ヨハネスブルグでのEUと米国/日本の対立

 WSSDが幕開けると、途上国側が軟化して、この南北対立の構図は解消してしまった。 
 これは、サミットに先立つ7月17日、ニューヨークで、南アフリカが「議長の友だち」と名付けた非公式の会合を開き、「ウイ―ン式」と呼ばれる議事方式で、南北間の"合意"を取付けた結果であった。
 ヨハネスブルグでは、資金、貿易といった南北対立に代わって、水/衛生、再生可能なエネルギー、京都議定書などといった環境問題をめぐって、EUと米、日連合との先進国間の対立が噴出した。ちなみに、Water/Sanitation、Energy、 Health and Environment、Agriculture、 Bio-Diversity and Ecosystem managementなどの対立項目の頭文字をとって、WEHABと総称された。
 EUは、「貧困層の衛生設備へのアクセス」や「再生可能なエネルギー」の目標値と期限を設定するべきだと強硬に主張し、またEUは、米国に京都議定書の批准を迫った。すでに首脳レベルの会合が始まった9月2日、「衛生設備へのアクセス」については双方の合意が成立し、京都議定書問題については、日本の仲介で米国が妥協し、再生可能なエネルギーの目標値と期限については、EUが譲歩するという引き分けの形で、合意された。