国連  
第12回国連貿易開発会議(UNCTAD)開催
2008年8月18日
 

 2008年4月20〜25日、ガーナの首都アクラで、「第12回国連貿易開発会議(UNCTAD XII))」が開催された。貿易大臣など政府代表、NGO、ビジネス界、マスメディアなど4,000人が参加した。

1.UNCTADの歴史

 UNCTADは、1964年、ジュネーブでの第1回会議以来、4年ごとにさまざまな都市で開催されてきた。第1回には、チェ・ゲバラが工業大臣として出席し、途上国のモノカルチャー経済を批判した有名な演説を行った。
 またジュネーブのUNCTAD Iでは、途上国77カ国が集まって、北の先進国に対して、統一した南の声を突きつけた。以来、国連では今日では130カ国以上に上るのだが、途上国グループのことを「G77+中国」と呼ぶようになった。
 ジュネーブでは、G77は、(1)途上国の対外債務の帳消し、(2)ODAの増大、(3)一次産品(砂糖、コーヒー、ココア、バナナ、綿花、木材、ボーキサイト、銅、錫の9品目)の価格の安定、という3つの課題を先進国に要求した。
 70年代に入り、石油危機をきっかけとして、南の資源攻勢が高まるにつれてUNCTADは国連最大の南北対決の場になった。とくに1972年、チリのサンチャゴで開催された第3回UNCTADでは、@ 先進国政府はGNPの0.7%をODAとして拠出する、AUNCTADに「共通基金」を設けて一次産品の国際市場価格の下落を防止する、ことなどを多数決で可決した。
 しかし、80年代、途上国が債務危機に見舞われ、その結果、IMF・世銀の構造調整プログラムが導入されるにつれて、途上国政府の発言力も弱まって行った。それにつれて、南北対決の国際舞台であったUNCTADもまた、存在価値が薄れ、単なる途上国経済の一調査機関にすぎなくなった。

2.WTOの登場

 そして、95年、貿易の自由化を推進する「世界貿易機関(WTO)」が設立されると、UNCTADはますます影が薄くなった。しかし、2001年11月、カタールのドーハで第4回WTO閣僚会議が開催された。以後「ドーハ“開発”ラウンド」の交渉がはじまると、南北対立が激化して行った。何度も交渉決裂を繰り返していく中で、再びUNCTADが脚光を浴び始めた。
 UNCTADは、貿易と開発を別々に考えるのではなく、一体のものとして取り上げるところに特徴がある。たとえば、水、教育、医療保健といった基本的な公共サービス部門の貿易自由化が貧しい人びとの開発にどのような影響をおよぼすか、といったUNCTADの調査報告書(07年)などが挙げられる。
 WTOのドーハ・ラウンドが、「開発ラウンド」と称しているにもかかわらず、開発問題を置き去りにしていることに不満を持つ途上国が、WTO交渉が不調に終わるにつれて、食糧主権、農村開発、農村の生計向上を実現する場として、UNCTADに期待を寄せるようになった。
 また、WTOが貿易のルール策定とその執行に限定されているのに対して、UNCTADは国連機関であるため、国連の他の機関の専門知識を活用でき、途上国がそれぞれ独自の貿易と開発政策を策定できることが利点になっている。

3.アクラ会議をめぐる情勢

 UNCTAD XIIは、サブプライム問題に端を発し、金融危機、エネルギー、食糧・一次産品の高騰、地球温暖化というかつてないグローバルな危機下で開かれた。金融危機によるものだけで約1兆ドルの損失といわれる。
 ネオリベラルなグローバリゼーションの破綻が顕著になった。したがって、会議の主要テーマは「グローバリゼーションの下での開発の機会と挑戦に答える」であった。
 途上国がUNCTADに大いに期待していたのとは対照的に、先進国はその役割を削ることに躍起になっていた。先進国は技術的な調整問題に議論を限定し、開発政策を議論することを妨害した。
 潘国連事務総長は、UNCTAD XII でのスピーチで、食糧、とくに主食の価格が過去6ヵ月間に150%以上高騰したこと、さらに農産物輸出国がコメや小麦の輸出を禁止したことが、この高騰に拍車をかけていると語った。(食糧生産国で輸出禁止、数量制限、関税などを課している国は、ブラジル、アルゼンチン、タイ、ベトナム、中国、インド、エジプト、インドネシア、ロシア、カザフスタンなどである)
 国連事務総長は、現在進行中の食糧危機は、バイオ燃料生産への転換、石油高騰による食糧生産のコストの上昇、そして金融のスペキュレーションなどを原因に挙げた。そして、貧しい食糧輸入国に対する人道的支援を直ちに行うべきだと訴えた。同時に、長期的には途上国の食糧生産を増加させるべきだとして、「専門家のタスクフォース」を設けることを提案した。先進国の農産物輸出の補助金の撤廃にも言及した。
 スパチャイUNCTAD事務局長は、金融市場に対する大胆な規制を提案した。
市民社会は以下のような論点を展開した。食糧危機は、食糧生産をバイオ燃料の生産に切り替えたことに直接の原因があるが、根本的には、途上国の農業の衰退にあると指摘した。これは小農民に対する政府の補助金を削減させ、同時に食糧の輸入関税を削減させたIMF・世銀の構造調整政策が原因である。一方、先進国は、巨額の農産物輸出補助金を出している。その結果、補助金漬けの安い農産物が途上国に流入し、小農民を破産させ、農業を衰退させた。
G77+中国は食糧主権、小農民の農業、持続可能な農業、高い輸入関税などの政策を守るべきだと、訴えた。

3.アクラ協定

 4月9日、ジュネーブのUNCTADの本部にある「貿易と開発理事会」で草案がまとまった。これは「アクラ協定(Accra Accord)」と呼ばれる。全体で223パラグラフ、その中で、アクラ会議までに合意に達していないのは68パラグラフもあった。この部分がアクラの本会議で議論された。

(1)開発政策決定のスペース

  途上国は、IMF・世銀が貿易と金融の国際ルールによって、自主的な開発政策の決定権を奪われている。この「国際ルール」と「開発政策の決定権(スペース)」をめぐって先進国と途上国の対立は激化した。その結果、UNCTAD XIIで採択された「アクラ協定(Accra Accord)」はこの「国際ルール」と「国家の政策決定スペース」の「対立」ついては、その間の「適切なバランスをはかる」という穏健な表現に終わった。
 NGOは、このようなあいまいな表現を批判した。とくに4年前、サンパウロで開かれたUNCTAD XI以来、途上国政府の「開発政策決定のスペース」は確実に狭まっていると指摘し、その理由として、多くのFTA、EPAが締結された結果、不適切な輸入の自由化と不適切な特許権の国際ルールなどを挙げた。
 途上国、特に貧しい国はFTAを締結したため、外国資本の投資と政府調達について新ルールを押し付けられ、さらに自身で開発と社会政策を策定するスペースを奪われている。
 この問題は「アクラ協定」の4〜5パラグラフに明記された。

(2)一次産品の交渉の再開

 UNCTAD XIIで採択された「アクラ協定」のなかで、注目すべきは、UNCTADが「一次産品(Commodities)」についての活動を再開させるとした点であろう。UNCTADは1964年の創設以来、一次産品協定について交渉を推進してきた。しかし、過去30年間、これら一次産品協定の交渉がストップ、あるいは協定が破棄されたものもあった。 
 実は4年前のサンパウロ会議で、UNCTADに一次産品の「タスクフォース」の設立が委任された。しかし、資金がないので、実現できなかったといういきさつがある。
 「アクラ協定」では、一次産品問題は前進したといえる。アフリカ勢のイニシアティブによって、国連総長に現在あるUNCTADの「一次産品部門」を、UNCTAD事務局長直轄の独立した機関に格上げすることになった。(183パラグラフ)この機関は、これまでよりも途上国が一次産品市場に対処してよりよく戦略と政策を策定することが出来るようになった。

(3)2つの委員会

 途上国、とくにアフリカ諸国は、ネオリベラルなグローバリゼーション、とくに貿易の自由化がもたらした否定的な影響に怒っている。この議題は、4年前、すでにサンパウロのUNCTAD XIで取り上げられた。今回、途上国はUNCTAD内に新たに「グローバリゼーションと開発戦略委員会」を設立することを提案した。
 しかし、これは先進国の反対で実現できなかった。米、日、カナダ、ノルウエイ、スイス、オーストラリア、ニュージーランド、トルコ、イスラエルは、委員会を新設することは時間の無駄だとして、全廃を主張した。一方、途上国は委員会を正式な政府間の議論の場ととらえ、そこでの合意にもとづいて事務局が実行していくものととらえている。
 結局、「貿易と開発委員会」と「起業、ビジネス・ファシリテイション、開発委員会」の2つの委員会の設置に合意した。
 UNCTADの主要な機関である「貿易と開発理事会」は「グローバル化した世界における開発戦略」という新しいテーマに取り組み、毎年の定期総会で議論していくことになった。これはアフリカが要求した「グローバリゼーションと開発戦略委員会」の新設を取りやめたことへの妥協的解決であった。

(4)移住労働者

 G77+中国、つまり途上国勢はUNCTADが移住労働者と開発問題を取り上げるよう要求した。しかし、「アクラ協定」には、これは盛り込まれることはなかった。しかし、「アクラ協定」にはUNCTADが移住労働者の送金の恩恵を最大限に受けていること、その送金コストを下げる方法を探ることが盛り込まれた。

(5)グッドガバナンス

 途上国は、国際機関のガバナンスを取り上げるべきだといった。しかし先進国はこれを途上国政府に限定しようとした。