国連  
中身のない『モンテレイ合意』
―国連開発資金会議の報告―
2002年3月
 

 2002年3月18〜22日、メキシコのモンテレイで、国連は、開発資金会議(International Conference on Financing for Development)を開催した。ブッシュ米大統領、シラク仏大統領、カナダのクレチェン首相、メキシコのフォックス大統領をはじめ51人の国家首脳が出席し、サミット・レベルの会議と呼ばれた。しかし、G7の中でも、英、独、尹、日などの首脳が欠席し、また、アジアの多くの国が閣僚レベルの参加にとどまったため、これまでの国連のサミットに比較すると、後退した感は否めなかった。
 この会議はメキシコで開かれたこともあって、ほとんどのラテンアメリカの首脳が参加した。また、「貧困削減のための資金」がテーマであったこともあって、アフリカの首脳の多くが出席した。

1.『モンテレイ合意(Monterrey Consensus)』を採択
 『モンテレイ合意』草案は、今年1月、ニューヨークの第4回準備会議に第1次草案が提出され、2週間の審議の末に、サミットに提出されたのだが、これまでのサミットにように[  ]で囲まれた、合意に達していない個所が全くないという異例の草案であった。
 3月18日、午前中は開会式で、18日午後、そして19、20日と閣僚級のスピーチが総会場で、延々と続いた。さらに21、22日には、首脳たちが演説した。
 22日の午前11時、議長のフォックス・メキシコ大統領が、突然、首脳のスピーチの合間に『モンテレイ合意』草案の可決を呼びかけ、拍手をもって、採択された。これには、報道陣もあっけに取られたようだったが、どうやら、フォックス大統領がブッシュ大統領との2人だけのサミットを午後に予定していたため、また、最終日の最後のセッションでの採決にすると、真夜中になり、総会場には誰も残っていないことを恐れたたためであった。
 総会場は、鉄筋を組み立て、屋根をつけた建物の3階にあり、アクセスは1台のエレベーターと1個所のエスかレターに限られた。あとで知ったのだが、はしごのような階段が1つ隠されていた。これでは、火事が発生したら、世界中の首脳が焼け死んだだろう。
 2階は、多国籍企業のオフィスのなっていて、1階に、食べ物屋、狭いNGOセンター、広い企業の控え室、マスメディアの部屋、記者会見場、そして、総会場の模様をテレビ中継する会議室などが、なぜか包装紙でもって仕切られていた。NGOの女性コーカスでは、これを「ペーパー・バック」と呼んだ。首脳の演説が始まった21〜22日は、政府代表団ですら3階に上るのを人数制限された。
 故意にしたとしか思えないのだが、総会場は極端に狭かった。そのため、NGOの入場は15人に制限された。その後、NGOが抗議したため、25人、そして50人とまるでバナナの叩き売りのように増やされた。
 また、これまでに国連サミットのように、準備会議で作成された草案の審議もなかった。したがってNGOがロビイする余地もなかった。もし、円卓会議のメンバーに選ばれなければ、モンテレイに来る意味は全くなかったであろう。「国連で、NGOがこれほど周辺化されたことはない」と、NGOの全員が怒った。
 総会場において、NGOは、3月18日、閣僚のスピーチに最後、さらに22日、首脳のスピーチの最後と計2回、発言を許された。第1回のスピーチは、モンテレイ・サミットに先だってメキシコのNGOが主催したグローバルNGOフォーラムの宣言文をメキシコのEL BARZON代表Laura Frade Alcadeco女史が読み上げた。第2回目は22日夜、NGOコーカスが作成したNGO宣言文をメキシコの「自由貿易に反対するメキシコネットワーク」の代表Alejandro Villamarが読み上げた。いずれの場合も、NGOがスピーチするときには、政府代表は帰ってしまい、会場は無人になった。

2.国連の新しい試み「円卓会議」
 参加国のスピーチが続く総会に並行して、2日目から「円卓会議」が開かれた。これは、国連の新しい試みであった。ここでは、『モンテレイ合意』草案が議論された。
 まず、3月19〜20日の2日間、政府閣僚・企業・市民社会の代表による、それぞれ円卓会議(Multi- Stakeholder Round Tables)が開かれた。午前と午後の2回、並行して2組の円卓会議が開かれ、さらに、21日、午前と午後の2回、並行して2組づつ、政府首脳・企業・市民社会の代表による円卓会議が開かれた。
 総計12回の円卓会議では、19日、「パートナーシップ」、20日は、「開発の整合性(Coherence)」、21日は、「今後の課題(Looking Ahead)」というテーマがついていた。
  円卓会議の構成は、政府が40カ国内外(地域別に均等に配分された)、UNDPなどの国連機関とIMF、世銀、WTOなどの代表が8人、企業代表が7人、NGOが7人、計60人あまりであった。12組の円卓会議の参加者総数はのべ800人にのぼった。政府と国連機関の代表2人が共同議長となった。
 私の場合、モンテレイに着いた日に、国連事務局から19日午後の円卓会議のメンバーであることを正式に知らされた。それまでに、何人かのNGOの友人が、私の名が「円卓会議のリストに載っている」とEメールで知らせてはくれていたが、円卓会議の形式、テーマさえ知らされなかった。NGOの間でも、円卓会議の内容を知っている人は皆無であった。
 幸い、19日午前の円卓会議のNGO出席者に様子を聞くことが出来た。それによると、まず、円卓会議にはルールが全くなく、単なる政府代表の演説の連続で、しかも政府の発言が優先され、企業はほとんど発言せず、最後にNGOの発言は2人しか認められなかった、ということであった。
 そこで、私たち午後の組は、始まる前に議長に会い、「参加者すべてを平等に扱う」よう申し入れた。幸い、私の円卓会議の議長はルーマニアの元中央銀行総裁で、「すべてが無事に時間通りに終了する」ことだけを願っている人だったので、NGOの要求を受け入れ、会議では、私は3番目に指名された。
 私は、途上国の債務と貧困ネットワークを代表して、次ぎのように述べた。
「リオの地球サミット以来、国連はグローバルな課題でサミット級の会議を毎年開催し、行動計画を採択してきたが、今日にいたるまで全く実施していないばかりか、貧困、環境、人権を取りまく状況はむしろ悪化している。その最大の理由は、資金がないことである。さらに2000年、国連はミレニアム・サミットにおいて、2015年までに貧困を半分に削減するというミレニアム・ゴールを採択した。アナン事務総長は、これを達成するために、ODAを倍増することが必要だと訴えている。ジュビリー・キャンペーンの立場から言うと、最貧国の債務帳消しこそは、その前提条件である。さらに、OECD加盟国は、通貨取引税(CTT)の導入などによって、ODAをGNPの0.7%以上に増やさねばならない」
 本来、円卓会議とは、文字通り、丸いテーブルを囲んで、参加者が平等の立場で議論し、投票によるのではなく、議論を通じて結論を出していくものである。しかし、今回の国連の円卓会議は、2−3分という時間制限付きで、早い者勝ちに、スピーチするだけに終わった。私の円卓会議のテーマは「パートナーシップ」であったが、これに沿って話をするものはいなかった。
 最後に、議長の隣に座っていた国連の書記が、「まとめ(Summary)」なるものを発表した。これは、2部に分かれていた。
 第1部は、円卓会議が『モンテレイ合意』草案を開発のグローバル・パートナーシップの歴史的な手段であると承認したとして、草案のパートナーシップに関する部分の要約を読み上げた。多分この部分は、あらかじめ国連事務局が起草していたものであろう。
 第2部は、円卓会議での参加者のスピーチの中から、草案に書かれていない問題を、メモの形に列挙したものであった。その中には、私とカナダのNGOが出した、CTTの導入問題も入っていた。国連では、米国の圧力で、CTTという固有名詞を使わないというルールがある。これを破ることが出来たのは、成功と言えよう。しかし、債務に関しては、「持続可能な債務のレベルに向けて追加の努力をする」にとどまり、「帳消し」を要求した私の意見は無視された。ミレニアム・ゴールを達成するためにGNPの0.7%を拠出するための第1歩として、ODAを倍増することもメモの項目に入った。一方、Financial Service Volunteer Corps(FSVC)という企業代表が提案した、「世銀と地域開銀の仲介で、南北の企業フォーラムを設立する」という提案も採り入れいられた。
 12組の円卓会議から出されたそれぞれの「まとめ」は、サミット終了後、国連事務局によって、最後に1つにまとめられた。円卓会議の議長の説明では、「まとめ」は『モンテレイ合意』と一緒に「ホッチキスで留められる」ものである。しかし、決議ではなく「まとめ」にすぎないので、加盟国政府が実施しなければならないものではない。
 この円卓会議方式は、8月、ヨハネスブルグの持続可能な開発サミットにも引き継がれる。

3.『モンテレイ合意』の中身
16ページ、73パラという短い『モンテレイ合意』は、先進国の主張がほとんど取り入れられたものになった。

1) 南北問題
 途上国は、「行動計画の実施を可能にする国際的な環境の整備」として、「先進国は"新しい資金"の供与を公約すべきである」と主張した。
 先進国は、「諸行動計画が実施されなかったのは、途上国のガバナンスがないためである」、したがって「腐敗追放、財政均衡、税制度、経済改革、資本市場整備など国内のガバナンスの確立が先決」だと主張した。結局、先進国の意見が取り入れられた。
2)「新しい資金」をめぐって
 「新しい資金」については、債務帳消し、ODAの0.7%、CTTという3項目に絞られた。しかし、これらは、すべて「と呼びかける」など、拘束力のない表現に留まった。
 CTTについては、固有名詞を削除された。

(1) 債務帳消し
 先進国は、一貫して、IMF・世銀の「拡大HIPCsイニシアティブ」の維持と、債務国が債務管理の能力の向上をはかるべきだと主張した。
 激論の末、債務の持続可能性を評価(レビュー)する時、「ミレニアム開発目標」を参照することに同意した。しかしこの「評価」については、HIPCs適格国に限られることになってしまった。
 中所得国の債務問題の解決については、「革新的なメカニズム」を探っていくことを、奨励する。
 自然災害、貿易条件の悪化、紛争などがもたらす債務が非持続可能になった時、債務の持続可能性を根本的に改正することをIMF・世銀に求めた。しかし、ここでは、債務救済はオプションの1つに留まっている。  
 HIPCsイニシアティブの実施にあたって、ODAを使わないことを、先進国に対して「奨励する」という弱い表現に変えられた。
 金融危機の解決と介入に際して、政府の公的機関と民間の銀行、債権者間、債務者と債権者/投資者の間のバードン・シェアリングの原則が明記された。また間接的な表現だが、「すべての関係者が参加する国際的な債務の解決メカニズム」が明記された。これは、NGOが主張している「FTAP」に比べると、あまりにも漠然としている。
(2) ODA
 アナン事務総長は、エイズ根絶、貧困根絶のプログラムを遂行するには、今日のODAを倍増する必要があると訴えている。実際、2000年の国連「ミレニアム宣言」に沿って、2015年までに世界の貧困を半減するという「ミレニアム・グローバル目標」を達成するために、ODAをGNPの0.7%以上に増やすことが必要である。
 0.7%問題は、すでに先進国は、1972年のUNCTAD IIIで承認したのであった。しかし、現在、北から南に供与されているODAはGNP比は、平均して0.3%を下回っている。0.7%を達成しているのは、北欧諸国など5カ国にすぎない。最終草案は、達成していない先進国が、「明確な努力」をするよう励ますだけに留まっている。NGOが要求したような、達成の期限を付けた決議文ではない。
(3) トビン税
 「トビン税」は、現在、「為替取引税(CTT)」と呼ばれている。
 2001年1月の国連「事務総長報告書」の113パラグラフには、2000年6月、ジュネーブの国連社会サミットで採択された、CTTに関する決議が引用されている。決議文は、
「新たな、かつ革新的な資金源についての提案の有利性、不利性についての活発な分析をすること」と記載されたが、最後の全体会議で、CTTの推進派のカナダとタイが、「新たな、かつ革新的な資金源」とは「CTT」を指すというスピーチを行った。このくだりが事務総長報告書に精しく記載された。
 2002年1月の第4回準備会議に提出された草案には、「CTT」の文字は消えていた。そして、最終草案では「可能性のある革新的な資金源についての事務総長の報告書において要請された分析の結果を、適切な場で、研究することに同意する」という幾重かの間接的な表現に終わっている。これでは、CTTはいつのことになるやら全く検討もつかない。

4.「コンセンサス」は「ナンセンス」
 モンテレイ・サミットは、米国がその開催にすら反対していたために、開催すること自体が目的化してしまい、その中身は、これまでの国連諸決議の追認に終わってしまった。したがって、モンテレイ・サミット開催の目的であった「新しい、追加の資金の調達」については、何ら進展がなかった。NGOは「モンテレイ・サミットは失敗」と分析した。
 モンテレイ・サミットのテーマは、低開発国(LDCs)の貧困問題であった。低開発国にとっては、政府開発援助(ODA)が唯一の開発資金である。したがって、ODAの増額が約束されねばならない。しかし、ODAは先細りである。ではどうするか。
 そこで、対外直接投資と貿易という民間資金を動員しようという考えがでてくる。しかし、民間企業は、利潤を目的にしており、貧困根絶のために活動するわけではない。
 多国籍企業が対象にしたいのは、中所得国である。今日では、途上国の中で、経済成長を遂げて、先進国入りをしたのは、メキシコだといわれている。モンテレイはメキシコの工業都市である。モンテレイをサミットの開催地に選んだのは、このような背景がある。
 中所得国にとって、先進国からの対外投資、貿易拡大をはかるためには、汚職追放、民主主義の確立、経済の自由化といった「環境整備」をしなければならない。モンテレイ・サミットでは、アジア、ラテンアメリカなど中所得国政府代表は、いかにこれらの条件整備を行っているかの説明に終始した。
 一方、低開発国側も一枚岩ではない。国連によって、LDCsと規定された国は49カ国である。またサハラ以南のアフリカは、債務危機とエイズの危険に晒されている。またカリブ海や南太平洋の島嶼国グループも、地球温暖化によって、国の存立さえ脅かされている。『モンテレイ合意』では触れられなかったが、紛争以後の国の復興問題もある。抱えている問題が多様であることもあって、LDCsが団結して、発言するという場面がみられなかった。
 モンテレイ・サミットでは、これまでの国連会議のように、途上国130カ国が「77カ国+中国(G77)」という地域ブロックを形成して、先進国に対決するという構図がなくなったことが特徴であった。G77のグループ会議すら開かれなかったようだ。
 
5.ブッシュとEUによるビューティ・コンテスト

 2001年5月、国連は、エイズ特別総会を開いた。アナン国連事務総長は、アフリカのエイズと闘うために、年間70−100億ドルの特別基金が必要である、と訴えた。しかし、特別総会で先進国が約束したのは、25億ドルにすぎなかった。その後、フランスとスエーデンが、教育や保健、とくにエイズを「グローバルな公共財(Global Public Goods)」として、ODAの別枠として先進国が基金を拠出することを提案した。
 また、アナン事務総長は、モンテレイ・サミットに先だって、「ミレニアム・ゴールを達成するためには、ODAを倍増するよう」訴えた。
 これを受けて、バルセロナで開かれたEUサミットでは、「ODAを年間70億ドルづつ増やし、2006年までに計200億ドル増額する。その結果、現在のEU平均GNP比0.37%を0.39%に引き上げる」ことを決議した。
 EU加盟国の中では、すでにスエーデン、デンマーク、オランダ3国が0.7%を上回っている。さらにバルセロナでは、ポルトガルとアイルランドがODAを0.7%にすることを公約した。しかし、EU内の経済大国の独、英、仏3国は、0.7%を公約することを拒否している。
 続いて、ブッシュ米大統領は、モンテレイ・サミットの1週間前に、「新しい開発の契約(A New Compact for Development)」を発表した。これは、2005年から3年間、ODAを50億ドル増やすというものである。しかし、これには、@「グッド・ガバナンス」、つまり、腐敗をなくし、人権を守り、法の秩序を確立する、A「保健と教育に投資する」、B「企業を起こす健全な経済政策」、つまり恒久的な成長と繁栄に向けた市場開放、持続可能な財政などを行うとしている。ブッシュ大統領が、モンテレイ・サミットの席上では、2005年から3年間、年間50億ドルの新規ODAを出す、とスピーチした。米国のNGOの解釈では、いずれ議会での承認がなければ、絵に描いたモチなので、年間50億ドルでも、3年間で50億ドルでもたいして変わりないということであった。
 同時に、米国は、HIV/AIDS対策費として、新たに2003年度予算に11億ドルを計上したことを発表した。昨年、米国は5億ドルを公約しているため、総額16億ドルになると言う。
 このブッシュ・イニシアティブについて、3月18日午前9時に開かれた定例のNGOコーカスでは、「不満である」ことに一致した。なぜなら、@米国は対"テロ戦争"に、毎日、10億ドルを使っている。これまでの米国のODAはGNPの0.1%にすぎず、新規の50億ドルもGNP比では0.117%にすぎない。A 米国は50億ドルのODA供与の対象国として、健全な経済政策を条件にしているが、これは、すでにNGOが反対してきたIMF・世銀の構造調整政策に加えて、米国が新しい条件をつけることになる。このような米国のユニラテラリズムを許すことができない。
 モンテレイ・サミットでは、初日の3月18日午後、米国代表のラーセン国務次官補とネグロポンティ国連大使は、NGOとの会合を開き、ブッシュ・イニシアティブについて説明を行った。この会見に先だって、米国のNGOが戦略会議を開いた。ここでは、朝のNGOコーカスの分析を認めながらも、政府と対決姿勢をとることに反対だという意見が多数派を占めた。したがって、「米国NGOは、ブッシュ・イニシアティブを歓迎する。しかし、以下の点について、疑問をもっている」という表現にすることになった。米国のNGOは、9月11日のテロ事件に、半年たっても回復していないことを実感した。その後米国NGOは記者会見をしたのだが、「歓迎する」という最初のパラグラフだけが報道されてしまった。
 私は、ラーセン国務次官補に対して、「EUに導入の兆しがある通貨取引税」について質問した。これについては「トビン税は悪いものだ。EUが導入することは考えられない」という、そっけない返事であった。                                        
 ブッシュ・イニシアティブについては、NGOばかりでなく、メディア、世銀総裁、ジョージ・ソロス、ジェフリー・サックス教授などが「十分な額でない、3年後という時間がかかりすぎる、米国のユニラテラリズムである」と不満の意を表明した。

7.IMF、世銀、WTOによる国連の乗っ取り
 モンテレイ・サミットのもう1つの特徴は、IMF、世銀、WTOという国際機関が、国連と共同主催したことである。本来、IMF、世銀、WTOは広い意味では国連ファミリーに属しているのだが、設立の由来も異なり、また、G7が代表する多国籍企業が支配している点でも国際民主主義の原則によっている国連とは異なる。
 本来、国連が開発資金について議論するならば、公的債務の帳消しやODAをテーマにすべきである。しかし、開発資金として、対外投資、貿易など、本来民間企業の分野のテーマを優先的に挙げた。そして、IMF、世銀、WTOで、非民主的な方法で決定された事項を国連で追認したのであった。
 モンテレイ・サミットでは、IMF、世銀、WTOは目立った動きを見せなかった。しかし、連日総会場に隣接したホテルや会議場で開かれたサイド・イベントと呼ばれるシンポジウムやセミナーを開催したのであった。これは、毎年9月のIMF・世銀の年次総会を真似たものであった。IMF、世銀、WTOはこれらイベントをUNDP、UNIDO、UNCTADなどの国連機関と共催した。
 
8.ドイツの通貨取引税(CTT)提案
 モンテレイ・サミットに先だって、ドイツのHeidemarie Wiecsorek-Zeul経済協力開発相は、Paul B. Spahn教授に委託したCTTについての研究報告書を発表した。Spahn報告書は、「CTTは実行可能であり、ユーロ圏+スイスで導入すべきである。またCTTの導入によって、為替取引にネガティブな影響はない」と述べている。Spahn教授は、「投機的な為替取引は1日当たり1.2兆ドルにのぼり、CTTの年間総額は1,500〜2,000億ドルにのぼる。これを、途上国の貧困削減に充てる。一方、2000年のODA総額は530億ドルであった」と述べた。Spahn教授は0.01%のCTTを課税することを提案した。
 ドイツ経済協力開発相は、閣僚レベルの全体会議において、CTTの導入を呼びかけた。彼女の他にCTTの導入を呼び掛けたのは、フランスのCharles Josselin協力相とフィデル・カストロ・キューバ議長であった。
 サイド・イベントでは、独、仏の経済協力相、英と独のNGOをパネルにしたCTTについてのシンポジウムが開かれた。