論文集  
市民社会はアジアの平和の創造にどのような役割をはたせるのか
2006年1月31日

 私はここで「平和」の問題を、戦争などの直接の武力紛争を解決することと、貧困という構造的暴力を解消していく、という2つの側面からとり上げる。そして、市民の立場からどのようにして、アジアの平和を創造していくかを考えていきたい。

1. アジアの紛争の形態は多様で複雑である

 東西冷戦が終結すると、人びとはそれまでの米ソ間のイデオオギー対決と核戦争の脅威から解放されたと感じた。しかし、代わって登場したのは、宗教、人種、民族間の武力紛争、それも内戦という形態をとった国内紛争であった。それは貧困を拡大し、人権を侵害し、環境を破壊する。難民が増大し、その大部分は女性と子どもであった。
 米ソ間の冷戦時代とは異なり、今日の紛争は南の途上国に頻発している。とくに、これは冷戦中、米ソが勢力圏の拡大を競い合っていたアフリカに集中している。アフリカの紛争の原因はイデオロギーにもとづくものではない。それは、人間として生きていくことができないほどの極端な貧困に起因している。昨05年には、このアフリカの貧困根絶を目指す国際的なキャンペーンが展開された。
 アフリカの武力紛争や内戦については、これまで国連をはじめアフリカ連合(AU)などの国際機関が、和平のための介入を行ってきた。また和平が成立した後も、戦争犯罪者の処罰などを目的にした法廷がアフリカ各地に設置され、和解委員会のような独自の平和のメカニズムも存在している。勿論、ルアンダの虐殺のように国連が介入の時期を逸し、あるいはスーダンのダルフールのようにAUの介入が不十分で、しかも遅々としており、理想的なものとはいえないが。
 一方、アジアの紛争は実に多様で、非常に複雑である。
 まず、アジアでは冷戦が終わっていない。なぜなら北東アジアでは、冷戦構造が残っているからである。またネパール、フィリピン、インドのように毛沢東主義者共産党による古典的な農村ゲリラ戦争が進行している国ぐにがある。とくにネパールとフィリピンでは、ゲリラ勢力が政権を脅かすまでにいたっている。
 スリランカ、ミャンマー、インドネシア、フィリピンのミンダナオなどには、少数民族による分離独立運動がある。あるいはインド・パキスタン間のような植民地支配の負の遺産を受け継いだ国境紛争が続いている。
 また、武力紛争にはいたっていないが、ミャンマーやパキスタンには軍事政権、中国やベトナムには共産党政権が支配しており、ここでは民主主義が不在である。
 さらに9.11以後は、イスラム原理主義者による“テロ”事件が世界最大のイスラム人口を抱えるインドネシアなどで起こっている。一方、第2のイスラム人口を抱えるインドでは、逆に少数派のイスラム教徒に対するヒンドゥー原理主義者の“テロ”事件が起こっている。
 こうしたアジアの紛争の解決は、国家レベルではほとんど不可能である。それには国境を越えた市民社会の平和創造の取り組みが不可欠である。

2. 北東アジアの平和―冷戦構造の解消に向けて

 90年代、東北アジアの平和を阻んでいたのは朝鮮半島の南北対立であった。これは、2000年6月、金大中大統領がピョンヤンを訪問するという偉業をなし遂げ、見事に解決した。しかし、その後、朝鮮人民民主主義共和国(北朝鮮)側が核武装を続け、また食糧難も深刻化した。これが今日、東北アジアの平和を阻害する要因となっている。
 これを解決するために、現在、南北朝鮮、米、中、ロ、日による6者会談が進行中である。金正日政権側の戦略は核を武器にして、政権の安全保障とエネルギー、食糧、開発プロジェクトなどへの援助を米、日から引き出そうとしている。
 すでに会談は5年を経過しようとしているが、「会談に入ること」に合意しただけで、なんら実質的な進展をみせていない。とくに、日本政府はこの会談ではほとんど役割を演じていない。6者会談と平行して、02年9月、小泉首相はピョンヤンを訪問し、日朝共同声明に署名した。これは日朝国交締結へ向けたはずのものであった。
 しかし、これは「日帰り」訪問という外交交渉上非常識な手段をとったため、多くのつめを欠いたものになった。とくに、問題となった拉致問題が共同声明に盛り込まれなかった。さらに、声明の実施については、小泉首相の無責任な態度のせいで、現在は反故同様になっている。なぜか。
 たしかに拉致は重大な人権侵害事件である。しかもこれは北朝鮮の国家権力によって実行されたのであって、日本の領土に対する侵害でもある。したがって、北朝鮮の金正日政権は謝罪と現状をもとに復帰すべきである。しかし、日本政府は、マスコミの過度の反拉致、反北朝鮮キャンペーンに屈服して、自ら署名した日朝共同声明を放棄してしまったのである。
 東北アジアでは北朝鮮と中国に政府から自立した市民社会が存在していない。これは世界の他の地域にも見られない例である。かつて冷戦時代、西ヨーロッパの市民社会が東欧の人びとに対して世界で起こっている情報を伝えたように、日本や韓国の市民社会が中国や北朝鮮の人びとに働きかけるべきではないか。IT時代には80年代よりもはるかに容易いことである。  
 日本でもかつて50年代から60年代にかけて日中間に市民社会レベルによる交流、友好運動を展開したという実績があるではないか。これは72年の日中国交回復につながっていった。今日、その第1歩として、6者会談に平行して、6カ国の市民社会の会談を開催するなどが考えられる。労組、宗教界、市民団体、平和運動など日本の市民社会が共同して、韓国とともにイニシアティブをとれないだろうか。

3. 日本政府・NGOが共同して紛争解決の仲介役を

 ノルウェーはヨーロッパ連合(EU)に加盟していないので独自の外交を自由に展開することが出来るという利点を利用して、93年、政府の承認と支援を受けて、NGOがイスラエルとパレスチナの和解の仲介役をはたした。その後、イスラエルのシャロン政権の登場でこの和解は崩れてしまったが、これが「歴史的事件」であったことには変わりはない。 
 政府の正規の外交ルートでは到底なしえない秘密交渉の仲介役をNGOが成し遂げたということで、ノルウェーは世界中の賞賛を浴びた。その後、日本はパレスチナ自治政府に対してODAを供与したが、これは、PLO幹部の腐敗につながった部分が大きいため、国際的な評価を得ることができない。
 その後、ノルウェーは、02年、スリランカの紛争解決に乗り出した。スリランカでは、80年代以降、島の東北部に「イーラム国」の分離独立を求めるタミール人が武装闘争を続けてきた。03年末の大津波の被災地域でもある。
 日本政府は、これまでスリランカに対して最大の開発援助を供与してきた。これをテコにして、スリランカ政府に和平のテーブルにつくように圧力をかけることも出来たはずだが、残念ながら、何もしていない。 
現在、私の属しているアジア太平洋資料センター(PARC)は、NGOの立場から、タミール地域で開発援助と被災者救援活動を行っている。さらに、ノルウェーのような和平の仲介役をはたすことが望まれるのだが、日本政府は積極的な和平外交に乗り出すような気配はない。
 日本政府は、憲法に違反してイラクに自衛隊を派兵しているが、このような和平外交のほうが、国際貢献であり、世界中から尊敬されるだろう。
 最近になって、ノルウェーは、政府とNGOが共同して、フィリピン政府と共産党ゲリラとの間の和平の仲介をオスロではじめた。80年代以来、共産党ゲリラのリーダーはオランダに亡命していた。現在、フィリピンではイスラム過激派の脅威が宣伝されているが、実は共産党ゲリラが全土に勢力を拡大し、首都マニラ近郊まで迫っている。
 今日のようなグローバリゼーションの時代には、ゲリラが武力で政権を奪取することは望めない。したがって、何らかの交渉による解決の道しかない。
 日本はフィリピン政府に対してマルコス政権の時代から莫大な円借款を供与してきた。当然アジア外交の一環として、和平交渉の仲介役を買って出るべきである。なにも遠いヨーロッパのノルウェーに任せるまでもないはずだ。
 同じことが、日本の援助が集中していたミャンマーにも言えることである。軍事政権によって不当にも政権の座を奪われ、軟禁状態に置かれているスーチーさんと軍事政権との対話の仲介をすべきではないか。

4.貧困根絶に向けて

 冷戦後、国連は、それまで国際社会がマイナーな問題として取り上げてこなかった子ども、環境、人権、人口、社会開発、女性、人間居住、教育などを「グローバル課題」として、サミット級の世界会議を開催し、その解決をはかる行動計画を採択してきた。そして、2000年9月には、国連はミレニアム・サミットを開催し、これまでの行動計画の集大成とも言うべき「ミレニアム開発ゴール(MDGs)」を採択した。これは2015年までに、世界の貧困を半減することをはじめ、子どもの100%の識字率、安全な水の供給、幼児死亡率の半減など、世界中の首脳たちによる大胆な、期限付きの公約であった。これでやっと世界は貧困の解消に向かって動き出したのであった。
 2001年9月11日、ニューヨークで発生した9.11事件は、この流れを一瞬のうちに変えた。ブッシュ大統領の反テロ同盟に、キューバのカストロ首相、パレスチナのアラファト議長まで参加した、世界は反テロ同盟一色に塗りこめられたかに見えた。そして、米軍によるアフガニスタン侵攻、イラク戦争へとつながっていった。
 しかし、フセイン政権が打倒された以後、その後米軍に対するイラク人の抵抗闘争が本格化する中で、また大量殺戮兵器の存在やフセインとアルカイダとの関係も否定されるに及んで、ブッシュの戦争の大義は消滅した。
 05年に入ると、ブッシュの戦争の最大の同盟者であった英国のブレア首相が、グレンイーグルスでのG8サミットの議長国として、「アフリカの貧困根絶」を提唱し始めた。再びMDGsは国際政治の最優先課題となった。
 アジアは、世界最大の貧困人口を抱える地域である。
 日本はアジアでは唯一の先進工業国である。これまで日本政府は自国の企業進出のための産業インフラ建設プロジェクトに対してODAを供与してきた。これからは、ODAはMDGsの達成のために供与されることになる。そのためには、円借款という融資ではなく、税金を投入する無償援助でなければならない。そのためには、ヨーロッパにようにODAについての国民的コンセンサスを早急に確立する必要があり、市民社会の意識変革が求められる。
 
5. 東アジア共同体の実現に向けて

 今日、世界には、EUをはじめ、AU、東南アジア諸国連合(ASEAN)、南アジア地域協力連合(SAARC)などさまざまな地域共同体の形成が見られる。「米国の裏庭」とまで呼ばれた南米でも南米南部共同市場(MERCOSUR)のような地域共同体が誕生している。これらはすべて米国の一極支配を脱した自立した地域統合をめざしている。 
 一方米国主導で、カナダ、メキシコが加盟する北米自由貿易地域(NAFTA)は、激しい非難にさらされている。さらに、NAFTAを西半球全域にひろげようとした「米州自由貿易地域(FTAA)構想」も、昨年10月末にアルゼンチンで開かれた米州サミットで、米資本の支配を目論むものとして、ブラジル、アルゼンチン、ベネズエラなどが反対し、ついに合意に至らなかった。南米にはこれにウルグアイ、パラグアイ、ボリビアを加えた人口の3分の2を占める国々に、反米、民族主義政権が誕生している。
このように経済レベルで見ると、米国による単独支配主義(ユニラテラリズム)の時代は終わりつつあり、米国から自立した地域統合の動きは早まっている。
 東アジア共同体構想は、このような世界の地域統合の動きに連動したものである。これは、当面、ASEAN10カ国に日本、韓国、中国の3カ国を加えたものだが、やがては、インドなどのSAARCを加えた一大アジア連合を目指していく。
 米国は、東アジア共同体構想に反対である。それはアジアが米国の勢力圏から離脱する危険をはらんでいるばかりでなく、中国やインドの台頭を促し、世界が限りなく多極化していくことにつながるからである。逆に、アジアの平和は、このような過程で創造されていくのである。
日本政府は米国の意向を受けて、東アジア共同体構想には乗り気でない。いい加減に、米国の顔色を伺うことをやめるべきだ。このような日本の態度は、アジア各国の信頼をすでに失っている。日本を置き去りにして構想が進められる危険性を否定できない。
 日本では、少数の学者、研究者による国際シンポジウムを除いて、この東アジア共同体構想についての市民社会の中での関心は薄い。今後、市民社会レベルでの活発な議論と、実現に向けてのロビイ活動を展開すべきである。