論文集  
第2回ポルトアレグレ世界社会フォーラムについて
 
―2002年1月30日〜2月4日 ポルトアレグレ、ブラジル―

1.ニューヨークの世界経済フォーラムに対する抗議デモ

 1961年以来、毎年1月に、スイスのダボスで、多国籍企業のリーダーたちが世界経済フォーラムを開催してきた。しかし、昨年9月11日のテロ事件以後、ダボス町が高額な治安対策費を負担できないという理由で開催を断った。その結果、今年の世界経済フォーラムは、「テロに屈しない」という口実で、1月30日〜2月4日、ニューヨークのウォドルフアストリアホテルで開催された。
 これに対して、2月2日の土曜日、12,000人が会場周辺で抗議デモを行った。デモの参加者は、口々に「我々は皆アルゼンチン人だ!貴方たちは皆エンロンだ!」と叫んだ。テロ事件以後、米国の反グローバリゼーション運動は後退したように見えたが、これをきっかけに復活したようだ。

2.史上最大のポルトアレグレ世界社会フォーラム

 一方、ブラジルのポルトアレグレでは、ダボス会議に対抗して、反グローバリゼーション派が第2回世界社会フォーラムを開催した。これに、131カ国から、5,000団体、のべ6万人が参加した。参加者の大部分は、農民運動、労組、女性、青年、住民組織といった「社会運動」であった。環境、人権、開発NGOによって占められてきたこれまでの国際会議の流れが、大きく変わったことを示した。
 今年のポルトアレグレの参加者で、最大の勢力は農民であった。ブラジルの「土地なき農民運動(MST)」が中心になって、ラテンアメリカ全体に組織された「ビア・カンペシーノ(農民の道)」は、フィリピン、タイ、インドなどの農民運動を巻き込み、今日、土地闘争と反WTO運動の先頭に立っている。アフリカでも、カメルーン、ウガンダ、タンザニア、ザンビアなど多くの国に小農民組合の全国連合が誕生した。
 今日、これら第三世界の農民は、反WTO運動の中核をなしている。米国やヨーロッパの政府は、年間2,000億ドルを農産物の補助金として支出している。その結果、安い先進国の農産物が第三世界にダンピングされ、農民は大きな打撃を受けている。第三世界の農民は、WTOが推進する「自由貿易」のいんちき性を肌身で理解しているのである。
 農民に次ぐ大きなグループは、労働組合であった。いうまでもなく、ブラジル総同盟がその中心勢力であった。今年は、米国最大の労組AFL-CIOがリンダ・トムプソン副会長をポルトアレグレに送り、スゥイニー会長が、開会式に、ニューヨークの抗議デモの現場から衛星ビデオを通じて挨拶した。これも大きな変化であった。
 国別の参加者数で言えば、ブラジルが最も多く、イタリア(1,400人)、アルゼンチン(1,400人)、フランス(800人)と続いた。これらは、現在、世界で最も市民社会の強い国であることを物語っている。

 3.反グルーバリゼーション運動の転換点

 国際運動の新しい傾向は、2年前のシアトル・デモから始まった。その後、WTO、IMF、世銀などグローバリゼーションを推進する国際機関やそれらを支配しているG7に反対する大規模デモが続いた。しかし、9月11日事件をきっかけに、単なる抗議デモにとどまっていいものだろうかという声が出ていた。また、反グローバリゼーションのデモに見られた「暴力」についても反省が出ていた。
 ポルトアレグレは、これら反グローバリゼーション運動の転換点となった。
 シアトル以来の反グローバリゼーション運動は、怒れる反対派や不満分子が、現状に対するオルターナティブも持たずに、スターバックスやモンサントを襲撃している、というイメージがあり、したがって、主流派のマスメディアから無視された。
 今回の世界社会フォーラムの主催者たちは、これまでの運動に欠けていたもの、つまり、運動の正統性の欠如と組織の不在という弱点を克服し、反グローバリゼーションの運動の主流化をはかった。その1つの手段として、国連のような国際政治の場を、提言のプラットフォームとして使って行こうというのであった。とくに、安保理や国連憲章改革を提言する国連の「グローバリゼーション委員会」には、メリー・ロビンソン国連人権高等弁務官、ジョセフ・スティグリッツ元世銀チーフ・エコノミストで昨年のノーベル経済学者、ミハエル・ゴルバチョフ、ファン・ソマビアILO所長、ジョージ・ソロスなどとともに、反グローバリゼーションの旗手である「パブリック・シティズン」のロリィ・ワラチも入っており、委員会の共同議長を務めている。
 今回のポルトアレグレには、国連や世銀のスタッフも出席した。その中には、マリー・ロビンソン女史も入っていた。また、6人人の大臣、3人の大統領選立候補者、2人のノーベル平和賞受賞者もポルトアレグレに参加した。
 会議の最終日には、国連のアナン事務総長が、世界社会フォーラムに向けて、「メッセージ」を送った。
 一方、ブラック・ブロックなどのアナーキスト、さらに、第1回ポルトアレグレで、モンサント実験農場を襲撃したフランス農民運動の指導者ホセ・ボベなどを招待者のリストから外された。さらに、コロンビアのマルクス主義ゲリラFARC、バスクのETAなども、参加を拒否された。

4.反グローバリゼーション運動の理論と戦略

 第2回ポルトアレグレ・フォーラムのもう1つの特徴は、反グローバリゼーションの理論家が一堂に会したことであった。まず、サンフランシスコに本拠を置く「グローバリゼーション国際フォーラム(IFG)」のメンバーが揃って参加した。彼らは、シアトル以来、WTOに対するNGOの闘いをリードしてきた。インドのバンダナ・シバ、マレーシアのマーチン・コー、フィリピンのウォルデン・ベロ、米国のロリ・ワラチなどは、昨年11月のWTOのドーハで会議での結果に、これまでのロビイングの限界を感じていた。それは、マーチン・コーの「WTOを縮めるべきか、沈めるべきか」という問いかけの言葉に象徴された。
 IFGは、ポルトアレグレで「グローバル経済改革についての提案」を発表した。これは、これまでの反グローバリゼーション・デモで指摘されていた「運動の理論と戦略の欠如」を克服しようという試みの1つであった。巨大な国際金融機関に対抗する戦略は何か、多国籍企業のグローバルな活動をどうコントロールするのか、国家権力と市民社会の関係は、運動の戦術、そして国際連帯などといった課題が提起された。IFGは反グローバリゼーション派のシンクタンクの役割をはたしている。
 ポルトアレグレの主催団体の1つであるフランスのATTACは、大代表団を送りこんだ。その副代表であるスーザン・ジョージ女史は、カジノ経済化した資本投機行動を抑制するために、通貨取引税そ導入することや、タックス・ヘブンの廃絶など、国際金融資本に対抗する戦略を提起した。
 『No Logo』の著者であるカナダのナオミ・クライン女史は、「市民社会をどう構築するかを議論する時は過ぎた。グローバルな市民の不服従行動の時だ!」と演説し、若者から熱狂的な喝采を受けた。

5.マスメディアの反応

 シアトル以来の反グローバリゼーションのデモについてのマスメディアの報道は、もっぱら「抗議」の側面に集中していた。しかし、今年のポルトアレグレについての報道は、反グローバリゼーションのアジェンダにより多く費やされた。AP通信や『ファイナンシャル・タイムズ』の見出しは、それぞれ「抗議よりも、政策論議に集中」、「劇場の裏で真剣な議論」などであった。これは、反グローバリゼーション派が、グローバリゼーションそのものに反対しているのではなく、「無制限なグローバリゼーション」、「規制のない企業の権力」を抑制することをめざしている、と報道した。ジャーナリストの数で言えば、ポルトアレグレはニューヨークの世界経済フォーラムをはるかに上回っていた。
 『エコロジスト』のポール・キングスノース副編集長は、「始まりの終わり」と題する長文の分析論文を発表した。
  彼は、「反グローバリゼーション運動」ではなく、「グローバルな正義のための運動」と呼ぶべきだと言っている。ポルトアレグレは、これまで、全く無視されてきた第三世界の草の根の運動に焦点が当てられた。ポルトアレグレは、明確にパラダイムが転換した。これは、単に、ダボスのオルタナティブではない。グローバルな抗議とラディカルな運動が、新しい社会秩序の確立に向けて、一致した勢力として登場した、と述べた。

6.第三世界の反グローバリゼーション運動

 一般に反グローバリゼーションのデモは、1999年、シアトルに始まったと見られている。たしかに、大規模な反グローバリゼーションのデモは、北米、ヨーロッパで起こっている。これは、グローバリゼーションを推進しているWTO、IMF、世銀の総会、そしてG7サミット、FTAAサミットなどが、北の都市で開かれていることに由来する。また、反グローバリゼーションのデモを行っているのは、暇とカネがある先進国の豊かな階層の青年たちである、とも言われていた。しかしこれらの神話は、ポルトアレグレで見事に粉砕されたのであった。
 これら先進国の反グローバリゼーションのデモ以前に、第三世界では、より大規模、より激しい反WTO、反IMF、反世銀のデモが起こっている。それは、インド、タイ、韓国、南アフリカ、ベネズエラ、ブラジル、アルゼンチン、メキシコ、エクアドル、ベル―、コロンビアなどで、起こっていた。そして、第三世界のデモは、警察の厳しい弾圧、人権侵害を常に伴なっている。単にマスメディアが報道しないというだけのことである。

7.新しいインターナショナルのはじまりか

 ブッシュ大統領の反テロ戦争に対して、米国内で敢然と反対した知識人の代表するノーム・チョムスキー教授が、「ポルトアレグレは、新しいインターナショナルの始まりである」と宣言した時、3,000人で埋め尽くした階段教室を拍手で揺るがしたのであった。しかし、チョムスキー教授の言葉通りには事は運ばなかったようだ。世界社会フォーラムは、「ポルトアレグレ宣言」をまとめることが出来なかった。代わりに、「社会運動の呼びかけ」と題する文書が作成された。これは、この2年間、世界各地で取り組んできた反グローバリゼーションの課題を16項目にまとめたものである。さらに今後のスケジュールとして、今年1年かけて、アジア、アフリカ、ヨーロッパ、ラテンアメリカ・カリブ海、北米などで地域別の社会フォーラムを開き、2003年1月、第3回を再びポルトアレグレで開催することになった。今回のポルトアレグレ・フォーラムは、ポルトアレグレ市とリオグランデドスル州の全面的な財政支援を得た。同市・州ともにブラジル労働党の政権である。ブラジル側の実行委員会に参加しているNGO連合は、政治的中立をモットーにしている立場上、フォーラムが労働党の政治宣伝に使われることに反対した。一方、今秋11月に総選挙を控えている労働党の意向に沿って、アジェンダに手心が加えられたという不満もあった。
2004年の第4回世界社会フォーラム、はインドのニューデリーで開催することに合意した。  
 ポルトアレグレでは、サイドイベントとして、ジュビリー・サウスが、債務についての国際法廷を開催した。1980年ノーベル平和賞のアルゼンチンのアドルフォ・ペレス・エスキベルが陪審長となり、50人の証人が証言した。12人の陪審は1.8兆ドルにのぼる途上国の債務のすべては、不法であり、不道徳である。したがって、ただちに全面的に帳消しにせよ、という判決文を採択した。(その「判決文」の英文のコピイが必要な方は北沢までご請求下さい) 
 また、同じくサイド・イベントとして、50カ国の種の多様性条約について活動しているNGOが集まり、「地球上の種の財産を企業の遺伝子情報、あるいは知的所有権の取引きの対象にしてはならない」として、「遺伝子公共財を共有する協定(Treaty to Share the Genetic Commons)」を提案した。これは、植物、ミクロ生物、動物、人間の生命などに対するすべての特許を禁止しようとするものである。