論文集  
Jubilee2000総括論文
目 次
 

1.はじめに

(1)史上最大の国際キャンペーン

 1998年から2000年にいたる2年間、Jubilee2000は、市民社会の歴史においては最大規模の国際的キャンペーンであった。Jubilee2000は、最貧国の債務問題を、G7サミット、OECD、国際金融機関、国連などあらゆる国際政治の場において、最重要、かつ緊急課題に押し上げた。
 市民社会においても、Jubilee2000の幅広い連合体が誕生した。ローマ法王を先頭にあらゆる宗派のキリスト教会、国際自由労連などの労働組合、世界医師会、国際女性組織、OXFAMなどの国際開発協力NGOが参加した。「2000年までに貧しい国の返済不可能な債務を帳消しにしよう」のスローガンの下に、このような国際市民社会のすべての構成員を包括する巨大な連合体が結成されたことは、史上初めてのことであった。
 確かに、Jubilee2000以前に、市民社会のキャンペーンが国際政治を動かした例はあった。1997年にオタワ条約を実現させた対人地雷禁止の国際キャンペーンが挙げられる。これは、市民社会が国際社会を動かす時代の到来と評価された。しかし、この段階では、キャンペーンの主体はNGOに限られていた。

(2)バーミンガム・サミット 

 1998年6月、バーミンガムにおいて、「2000年までに、貧しい国の債務の帳消し」を求めて、英国全土から集まった7,000人が、「人間の鎖」でG7サミットの会場を取り囲んだ。
 Jubilee2000の国際キャンペーンの幕開けであった。
 バーミンガム・サミットの議長であった英ブレア首相は、Jubilee2000の代表に会い、最貧国の債務救済を約束した。しかしサミット会議では日、独、伊が反対したため、めぼしい成果は見られなかった。

(3)ケルンに向けて

 1999年に入ると、債務問題は大きく前進した。ケルン・サミットの議長国となったドイツに、債務帳消しに消極的であったコール政権が退場し、社民党政権が誕生した。1月、シュレダ―首相は、2国間ODA債務の100%帳消し、IMF保有の金の売却、HIPCs信託基金への拠出などを含む、大胆な「ケルン・イニシアティブ」を発表した。
 続いて3月、IMF・世銀の春季会議を前にして、英国のブラウン蔵相が、「総額500億ドルの債務救済案」を提案した。これに対して、4月には、クリントン大統領が、「700億ドル」を提案した。ケルン・サミットに向け、国際的なJubilee2000キャンペーンの広がりを意識したG7首脳たちのイニシアティブ争いが続いた。ケルン・サミットに対する国際世論の関心も高まっていった。
 それまで、G7サミットは、失業、通貨などのグローバルな経済的な難問を解決することが出来ず、とくに冷戦後は、マスコミの関心も薄れ、無用論さえ出ていた。
 バーミンガム・サミットでJubilee2000が、債務帳消しを求め、「人間の鎖」でもってG7会場を囲んで以来、皮肉なことに、G7サミットが息を吹き返すことになった。
 1999年6月、ケルンでは、G7首脳に対して、Jubilee2000は160カ国から送られた1,720万人にのぼる「債務帳消しを求める」署名簿を提出した。ケルン後も、この署名運動は続き、1年後の沖縄サミット時点では、166カ国、2,432万人にのぼった。この数は、国際的な署名としては最大規模のもので、2000年度のギネすブックのに記録された。
 同時に、世界中から集まった35,000人のJubilee2000のメンバーが、サミット会場を取り囲み、英誌『エコノミスト』の表現を借りれば、「G7から700億ドルの債務削減の公約をもぎとった」のであった。
 
2.ケルンで何が決まったか

(1)政治的な勝利
 ケルンでは債務問題がサミットの中心的議題となった。サミット直後に開かれたJubilee2000の 国際会議では、南北の代表が一致して、これはJubilee2000の「政治的勝利」だと評価した。

(2)削減額は700億ドル
 ケルンでは、Jubilee2000が要求したきた「2000年までに貧しい国の返済不可能な債務を全面的的に帳消し」は達成されなかった。代わりに、G7は、総額700億ドルの債務削減に合意した。うち200億ドルは2国間のODA債務の帳消し分であった。
 この700億ドルという数字は、250億ドルであったバーミンガム合意の3倍であった。この点では、大きな前進であった。しかし、これは重債務最貧国が抱えている債務総額2,000億ドルの3分の1に過ぎないし、また多分にG7首脳たちのPR的要素があることにも注意しなければならない。

(3)対象国は36カ国
 債務削減の対象となる国の数が36カ国に増えた。これは、IMF・世銀が重債務最貧国(HIPCs)イニシアティブの適格国と認定した41カ国を下回る数字である。

(4)ODA債務の全面的帳消し
 2国間のODA債務については、100%の帳消しが決まった。これはリヨン条項の80%に比べると前進であった。
 日本のマスコミは、この点について、日本が「全面帳消しに合意」と大きく報道した。しかし、G7の声明文を注意深く読むと、文章の合間に、「2国間ベースで」と、「さまざまな選択肢を通じて」という挿入句が加えられている。これは、日本が「原則として債務帳消しは出来ない」と主張した結果の妥協策であった。政府は、これで日本独自の「スキーム」でもって、"実質的な"債務帳消しを行うことが認められたと主張した。

(5)その他の2国間債務
 ODA以外の貿易保険、輸銀融資などの2国間債務は、90%、またはそれ以上の削減が決まった。これもまた、それ以前の80%に比べると前進である。

(6)中所得国の債務削減
 Jubilee2000が対象外にしてきたフィリピンなど重債務中所得国については、これまでの50%から67%に削減率が引き上げられた。これは英国Jubilee2000などが、HIPCs以外にとくに10カ国を選んで、帳消しの対象国に加えるよう、政府にロビイしてきた成果であった。

(7)NGO用語の盗用
 G7声明に中に、「より早く、より広く、より深い債務救済」といった表現がある。これは古くからNGOが、HIPCsイニシアティブを批判するときに使ってきた用語であった。このように随所にNGO用語が借用されている。しかし、同じ用語でも、使い手によって内容が異なることに注意しなければならない。
 また国際金融機関の項では、「市民社会と協議して行く」などという言葉もある。これは、NGOがロビイするときの武器となる。

3. Jubilee2000の成り立ち
(1)アフリカの教会の呼びかけ
 1990年、全アフリカ・キリスト教会協議会は、「キリスト生誕2000年というお祝いの年に、アフリカの貧しい国ぐにの重い債務を帳消しにしよう」と呼びかけを行った。Jubilee2000という言葉が実際に使われたのは、この時が始めてであろう。
(2)Jubileeの由来
 そもそもJubileeとは、旧約聖書に記されたヨベルの年からきた言葉である。それは、7年を7度数えた年の翌年にあたる50年目の年を指す。古代イスラエルでは、角笛(ヨベル)を吹いてその年の到来を人びとに知らせた。旧約聖書のヨブ記には、「国中に自由が宣言された」と記されている。すべての債務は帳消しにされ、奴隷も開放されたと言う。言いかえれば、これは社会正義の制度であった。しかし、実行されたという確証はない。
 Jubilee2000は、この古代イスラエルではたせなかった社会正義の理想を、現代に蘇らせようとするものである。国連は、「21世紀には、すべての人が人間らしく生きられる世界の実現」をうたいあげた。世界中の人びとが2000年のJubileeを心から祝うためには、
まず、地球人口の4分の1に当たる15億人の絶対的貧困を根絶しなければならない。20世紀が生み出した貧困という不正義を21世紀に持ち越してはならない。
 この貧困の最大要因の1つに挙げられるのは、最も貧しい国の返済不可能な債務である。Jubilee2000が、「2000年までに、貧しい国の返済不可能な債務の帳消し」を掲げたのは、以上のような理由である。
(3)Jubilee2000の世界的広がり
 1994年11月、ローマ法王は、『2000年の到来』と題する使徒的書簡の中で、キリスト誕生2000年という大聖年を祝うために、「貧しい国の対外債務の帳消し」を呼びかけた。
これは、ローマ・カトリック教会の枠を超えて、キリスト教会すべてを巻き込んでいくきっかけとなった。1997年、ランベールで開かれた英国国教教会の司教会議においても、債務帳消しが決議された。
 1996年、英国にキリスト教系援助3団体(Christian Aid、CAFOD、CMS)と国際開発協力NGO(OXFAM)によってJubilee2000のキャンペーンが始まった。1997年には全世界で1億2,400万人の労働者が加盟している国際自由労連(ICFTU)がJubilee2000への参加を決定した。1998年ハーグで開かれた世界医師会の総会でも、Jubilee2000の支持決議が採択された。
(4)戦後ドイツの債務帳消し
 1998年2月、第2次世界大戦後の1953年に米、英など連合国側が敗戦国ドイツの巨額の債務を帳消しにした協定の45周年を記念して、英国とドイツでJubilee2000がさまざまなキャンペーンを行った。このドイツに対する債務帳消しと、冷戦後1990年以降、西側債権国がポーランドを初めとする東欧諸国の債務帳消しを行ったことは、重債務最貧国の債務帳消しを要求するJubilee2000にとって、重要な前例である。
(5)Jubilee2000の国際会議
アクラ会議
 1998年5月、ガーナのアクラにおいて、20カ国の代表が参加して、Jubilee2000アフリカのネットワークが発足した。そして、バーミンガム以後、先進国に次々とJubilee2000の国内組織が誕生した。
ローマの国際会議
 英国Jubilee2000の呼びかけで、1998年11月、ローマでJubilee2000の初の国際会議が開催された。先進国のJubilee2000は、資金力に応じて、それぞれ途上国のJubilee2000代表の参加費を分担した。日本は、ガイアナJubilee2000の代表の経費を負担した。これは、国際会議の歴史でも初めての試みであった。
 ローマでは、ケルンに向けて「債務帳消し」の署名運動を行っていくことが決まった。この場合、帳消しの対象となる債務は、「貧しい国」の「返済不可能な債務」と規定された。同時に、アパルトヘイト関連の債務の帳消しについての特別決議が採択された。
テグシガルパ会議
 1999年1月、史上最悪の洪水に見舞われたホンデュラスのテグシガルパで、ラテンアメリカのJubilee2000の代表が集まって、地域会議を開いた。ここでは、「不当な(illegitimate)債務の帳消し」が決議された。
(6)日本のキャンペーン
 1998年10月、東京で、「債務帳消しキャンペーン日本実行委員会(英文名Jubilee2000Japan)が設立した。宗教界、労働界、市民団体、NGO、学者などによる幅広い連合体が形成されたのは、日本の市民社会の歴史上初めてであった。
 また、1999年5月には、国会内に超党派の「最貧国の自立と債務帳消しを考える議員連盟」が誕生した。 
 日本Jubilee2000は、ケルンに向けて、50万人の「債務帳消し」を求める署名を集めた。これは、人びとが、遠いアフリカの貧困を思いやり、同時に、自分の懐から帳消しの費用を支出しなければならないことを納得の上での、貴重な署名であった。これもまた、日本の市民社会の歴史において、初めてのことであった。
 2000年に入り、日本がG7サミットの議長国になるとともに、 Jubilee2000の国際キャンペーンの矛先は日本に集中した。1月11日火曜日、ロンドンの日本大使館に対する英国Jubilee2000のデモに始まり、毎週火曜日、世界各地の日本大使館前で、Jubilee2000のデモが続いた。日本Jubilee2000も、2月15日以来、毎週火曜日、外務省、大蔵省に対する申し入れと、正門前のデモを続けた。
 また、日本Jubilee2000が、首相に宛てた年賀葉書キャンペーンを始めた。総計、15,000枚の日本Jubilee2000の年賀葉書が首相に届けられた。これに呼応して、各国のJubilee2000が、日本の首相宛てに、議長国としてのリーダーシップや、100%の帳消しなどを要求した「葉書キャンペーン」を展開した。日本政府は、世界中から集まった首相宛ての葉書の数を公表していないが、恐らく、100万通を下らないだろう。
 また、4月末には、小渕首相と会見した。この段階では、「日本は帳消しをしない」と主張していた。

4.アフリカの債務の発生
(1) 植民地支配
 植民地時代、アフリカはヨーロッパの宗主国によって、国毎にそれぞれ綿花、パームやし、落花生、ココア、バナナなど単一換金作物の生産(モノカルチャー)を強制された。植民地は、これら一次産品を、ヨーロッパにただ同様に供給し、代わりに高いヨーロッパの工業製品の販売市場となってきた。このような搾取によって、アフリカの経済発展は阻害され、人びとは貧困に苦しんでいた。
(2) 独立後の貿易赤字
 1960年代、アフリカは独立した。しかし、安い一次産品を先進国に輸出し、高い工業製品を輸入するという南北の経済関係は変わらなかった。その結果、毎年多額の貿易赤字が発生した。これを埋めるために、かっての宗主国に借金した。したがって、独立直後から対外債務を抱えることになった。すでに1964年、ジュネーブで開かれた第1回国連貿易開発会議(UNCTAD I)で、アフリカから対外債務の帳消し要求が出ていた。
 アフリカの政府は、このような一次産品の輸出への依存から脱却するために、産業の多角化と食糧の自給化を図ろうとした。しかし、このような試みは、世界銀行などによって、
「開発のためには、輸出を増大しなければならない。それには単一の換金作物を生産する方が効率的である」という理由で、一次産品の輸出国にとどまるように"勧告"された。これには、開発融資がエサとして使われた。
(3) 石油危機
 1970年代半ばに、石油危機が発生した。それまで、高度成長下にあった日、米、ヨーロッパなどの経済は停滞した。
 一方、これら先進国の銀行には、産油国から石油ドルが流れ込んだ。それまで国内にあった貸し付け先を失った銀行は、途上国に目を向けた。途上国ではリスクが大きいので、銀行は借款団を結成して、途上国政府の大規模な開発プロジェクトに融資するという方式をとった。政府は破産できないので、たとえ不良債権化しても返済すると踏んでいた。また、変動金利制を採用した。
 1970年代末、米政府の政策によって、世界的な高金利時代が訪れた。たちまち、途上国の債務は急増した。同時に途上国が輸出する一次産品は値下がりした。債務の返済は現地通貨ではなく、輸出で得たドルを充てなければならない。これが債務の増大に拍車をかけた。
 1985年、UNCTADは、1970年代の債務の金利は年平均15%であったが、この間の一次産品の値下がり分15%を加えると、実質金利は30%に達したという報告書を発表している。
(4) 第1次債務危機の発生
 1982年、メキシコのデフォールト(債務返済不履行)を皮切り、途上国に債務危機が襲った。この時の全途上国の債務総額は、約8,000億ドルであった。石油危機以前1970年の債務総額は600億ドルであった。13倍強である。
 債務危機に見舞われた途上国政府に"救済融資"をするのは、国際金融機関(IMF)である。これには厳しい条件が付いている。それが構造調整プログラムである。
 途上国の債務危機は、巨額の融資をした銀行にとっても危機であった。しかし、大銀行が破産したという記録はない。先進国政府が公的資金を使って銀行の不良債権の肩代わりをしたり、世銀やアフリカ開発銀行などの国際金融機関の融資によって、債務が返済されたのであった。また、Brady Planのように、途上国政府が銀行への債務を国債に代えて、長期にわたって国家予算から現地通貨で返済していくというメカニズムもあった。

5.'90年代のアフリカの債務危機
(1)冷戦後のアフリカ
 1990年代に入ると、アフリカに対するODAが急激に減少した。第1には、ソ連の崩壊により、西側政府はアフリカに援助合戦をする必要がなくなった。第2には、市場経済に移行した東欧という新しい援助先が出てきた。第3には、最貧国が集中しているアフリカには、多国籍企業が投資をしない。したがって、産業インフラ向けのODAを供与する必要ない。
 経済のグローバリゼーションが進む中で、アフリカは全く忘れられた大陸になった。   
 1990年代、サハラ以南のアフリカ諸国に債務危機が発生した。これは、1982年に途上国全体を襲った債務危機に次ぐものだが、この債務問題が国際政治のテーマにのぼることはなかった。
(2)構造調整プログラムの導入
 アフリカの債務危機は、巨額の累積債務によってもたらされたものではない。それは、一次産品の値下がり、ODAの減少、外国投資ゼロというマイナスの環境に加えて、主として、IMF・世銀の構造調整プログラムが実施されたことによって発生した。アフリカの債務は、決して大きくない。サハラ以南のアフリカ諸国の債務を合計しても、ブラジル1国のそれよりも少ない。
 アフリカの債務危機の特徴は、GNP、政府歳入、輸出などに占める債務の比率が高いことである。これは、まさに構造調整プログラムが導入された結果である。
 1980年代の債務危機は、途上国政府の大規模開発プロジェクトに対して、銀行が過度に貸し付け、ついに返済不可能に陥ったというパターンであった。IMF・世銀は、途上国政府に対して、債務を済させるために、構造調整プログラムという緊縮政策を押し付けたのであった。
 しかし、そもそもサハラ以南のアフリカは、地下資源の豊富なコンゴ民主共和国、ナイジェリア、ザンビアなどを除いては、銀行の融資対象ではなかった。したがって、アフリカにIMF・世銀が構造調整プログラムを導入したのは、債務危機に対する"救済"融資に付随したものではなく、当初から「経済改革」そのものを目的としたものであった。
 しかし、この経済改革は、アフリカでは完全に間違った政策であり、失敗した。
(3)財政赤字を改善するために、民生向け予算を削減、公務員を大量解雇・賃下げ、
補助金を撤廃
 その結果、貧しい人びとが、医療サービスを受けられなくなり、子どもの就学率が低下した。人材不足から政府そのものの質が低下した。食料品など日用品に対する政府の補助金が撤廃されることによって、物価が高騰した。これは、各地で発生している「IMF暴動」の原因である。
 貧困が増大し、一方で政府の統治能力が低下する中で、国内紛争が激発した。軍事費の増大が、財政赤字に拍車をかけた。 
 冷戦時代、アフリカは東西の援助合戦により、"援助漬け"になっていた。国家財政そのものが、ODAに大きく依存していたのであった。冷戦後、ODAが一挙に激減したため、財政赤字が顕在化したに過ぎない。財政赤字の体質を根本的に変えることなしに、このような緊縮政策では解決しない。
(4)輸出を増大させるために、通貨を切り下げ
 一般的には、通貨が切り下げられれば、輸出品の競争力が高まる。しかし、アフリカのように、ほとんど生産コスト以下で一次産品を輸出し、工業製品については全面的に輸入に依存している場合、通貨の切り下げは、むしろマイナスに作用する。輸入品の高騰により、インフレが昂進した。また、政府は予防接種のためのワクチンすら確保できない状況になり、幼児死亡率が増大した。
 また、アフリカ各国が、競ってコーヒーやバナナなどの輸出を増大させた結果、国際市場価格が暴落した。コーヒーの価格は、1995−98年の3年間で20%も下落した。その損失を補うために、農民は作付けを増やし、その結果、さらに価格の下落を招くという悪循環に陥っている。
 また輸出を増加させるために、熱帯雨林の大量伐採が行われた。これは環境破壊をもたらした。
(5)貿易の自由化、規制緩和、国営企業の民営化という3つの自由化
 その結果、外国からの安い輸入品に圧迫され、小農民が破産した。手厚い補助金を受けたEU産の安い牛肉が、アフリカの旱魃に見舞われたサヘル地帯の牧畜農民を破産させ、飢餓に追い込んだ例もある。
 民営化によって、電力、鉱山、森林など国家の基幹産業や財産が外国資本によって、安値で買い取られた。その結果、大量の労働者が解雇され、公共料金が高騰した。初等教育、基礎医療などが、「受益者負担」となった。すべて貧しい人びとにしわよせられた。
 農業と鉱山業以外に見るべき産業が発達していないアフリカでは、国内産業を育成していくには、まず高い輸入関税を課すことと、同時に外国資本に対する厳しい規制が必要である。一方、長期的な経済開発計画に基づいて、国内産業を発達させるためには、国営企業をまず育成しなければならない。これを市場経済の原理にしたがって、利潤追求型の多国籍企業の投資にまかせるわけにはいかない。

6.これまでの債務削減の動き
(1)パリ・クラブ
 1956年、アルゼンチンの債務問題を話し合うために、債権国の代表がパリに集まった。以来、債権国政府が途上国の2国間債務を繰り延べするための会合がパリで開かれることになり、債権国会議を「パリ・クラブ」と呼ぶようになった。しかし、必ずしも、すべての債権国会議がパリで開かれるわけではない。昨年10月、インドネシアの債権国会議は東京で開かれた。
 また、会議がパリで開かれることから、フランスが議長を務めるが、最近では、インドネシアの債権国会議のように、世銀が議長になっている。
 この会議は、あくまでも債権国政府の会議である。まず、10−20カ国にのぼる債権国側が、債務国抜きで、不良債権の削減額、返済期間などについて議論する。ここでは、コンセンサスが原則である。ここでの合意事項を債務国政府の代表に一方的に通告する。その後、債務国政府の代表が、債権国の首都を訪ね歩き、債務繰り延べの条件などの具体的な内容を取り決めなければならない。したがって、債務国政府にとっては、パリ・クラブの交渉は、長いプロセスと、費用が嵩む悪夢のようなものである。しかも、これまでは、主として債務の繰り延べが中心であった。
(2) G7サミットの議論
 1988年、トロントで開かれたG7サミットにおいて、重債務低所得国の2国間の公的債務について、繰り延べ、返済期間の延長、金利の引き下げが決まった。これは、「トロント条項」と呼ばれる。しかし、これは、債務の返済を先送りしただけであった。日本、ドイツなどが、債務の削減に反対したためであった。
 1994年、ナポリで開かれたG7サミットにおいて、それまで債務削減に反対していた日本が合意して、「ナポリ条項」が決まった。ナポリに出席したのは、村山富市首相であった。
 ナポリ条項は、重債務低所得国の2国間公的債務の67%を削減することを決めた。
 しかし、ナポリ条項は、以前に繰り延べした債務(Pre-Cut of date)を削減の対象にしないなどの条件が付けられたため、実際に削減されるのは、僅かな額にとどまった。しかも、アフリカの場合、IMF・世銀、アフリカ開発銀行などの多国間債務が多いので、このナポリ条項のよる削減額は限られていた。例えば、ウガンダは、多国間債務のシェアが最も高く、毎年の債務返済額の70%を占めていた。したがって、ナポリ条項によって削減を受けた額は、債務総額の2%にすぎなかった。
 1995年、リヨン・サミットにおいて、ナポリ条項の67%が80%に拡大された。

7.HIPCs(重債務最貧国)イニシアティブ
 1995年、コペンハーゲンで開かれた国連社会開発サミットにおいて、はじめてIMF・世銀などの多国間債務を削減して行くことが決議された。これは、NGOにとって、社会開発サミットにおける最大の勝利であった。
 世銀は「国別援助戦略」を作成する。これに基づいて、2国間のODAの供与額も決まる。したがって、アフリカの政府にとっては、国際金融期間への債務の返済は、何よりも優先しなければならない。そして、構造調整プログラムを忠実に実施しなければならない。ODAが、多国間債務の返済に充てられるといった事態すら生じていた。どうしても、世銀などの債務問題に着手する必要があった。
 コペンハーゲン・サミット後、IMF・世銀は、1996年秋の年次総会において「HIPCsイニシアティブ」を決定した。HIPCsとは、Heavily Indebted Poorest Countries
(重債務最貧国)の略語である。
 まず、IMF・世銀は、HIPCsイニシアティブによる債務削減交渉の対象となり得る国として41カ国を指定した。これは、適格国(eligible countries )と表現されたが、その内容は以下のような厳しい条件であった。
 まず第1に、適格国とは、GNP1人当たりの額が、695ドル以下の低所得国である。第2に、IMF・世銀の構造調整プログラムを忠実に実施している。第3に、債務が持続可能なレベルを超えている。
 では、債務の持続可能性はどのように判定するのか。
 最も多く使われる資格は、輸出額に占める債務総額の比率であり、200−250%以上。
 輸出依存度が極端に高い国については、政府の歳入に占める債務の比率を用いる。これは280%以上。
 実際には、債務国がHIPCsイニシアティブの資格を得るには、IMFと世銀の両理事会に承認されねばならない。この場合、理事会が、債務が持続可能な額を超えていると判断した上で、さらに、IMFの構造調整プログラムを、3年間以上実施していなければならない。IMF・世銀の審査に合格すれば、「Decision Point(決定点)」に達したとして、HIPCsイニシアティブによる削減交渉を受けることが出来る。その後さらに3年間、構造調整プログラムを実施しらければならない。そこでやっと「Completion Point(完了点)」に達したと認定されて、初めて実質的な債務の削減を受けるのである。
 したがって、HIPCsイニシアティブの適格国に指定されてから、実質的な債務削減を受けるまでには、合計6年という長い期間がかかる。
 その結果、1996年にHIPCsイニシアティブが発足してからケルン・サミットまでの4年間に、債務削減交渉に入ったのは、ウガンダとボリビアの2カ国であった。しかもウガンダの削減率は、債務総額の19%、ボリビアは27%に過ぎなかった。
 
8.ケルンから沖縄まで
(1)1999年秋、IMF・世銀年次合同会議
拡大HIPCsの発足
 ケルン声明では、G7は、"より早い、より広い、より深い"HIPCsイニシアティブを公約した。これを受けて、1999年秋、ワシントンで開かれたIMF・世銀の年次合同総会では、「拡大HIPCsイニシアティブ」が打ち出された。
 第1に、債務削減を貧困根絶プログラムに関連づけるという口実で、国際金融機関に対して、債務国が、市民社会の参加をもって「貧困削減戦略ペーパー」を作成するという、新しい条件を課した。
 第2に、債務の持続可能性のレベルを下げた。
 第3に、決定点から完了点までの3年間、債務国は、債務返済を続けると同時に、貧困削減戦略ペーパーにしたがって貧困削減の実績を挙げなければならない。これは、まずもって不可能な課題である。そこで、この3年間を流動的なものとし、決定点以後に「暫定期間」を設け、債務削減を行うこともあるとした。これらはすべてIMF・世銀の理事会の裁量に任されている。

表 1. 旧HIPCsと拡大HIPCsの比較
    ケルン以前のHIPCsイニシアティブ     拡大HIPCsイニシアティブ
債務額/輸出      200−250%             150%
債務額/政府歳入    280%                250%
輸出/債務返済額     40%                 30%
政府歳入/債務返済額   20%                 15%
債務救済の時期     完了点                決定点
完了点までの暫定期間   なし                 あり
完了点までの期間     3年               流動的(Floating)
削減の対象国の減少

 ケルンでは、債務救済の対象国は、36カ国であったが、ワシントンのIMF・世銀総会では、24カ国に減少した。しかもこれらの国は、HIPCsイニシアティブの「決定点」に達しただけであって、実際に削減を受けるわけではない。
 また1996年にHIPCsイニシアティブの適格国と認定したナイジェリアを、何の理由もなく、除外した。ナイジェリアでは、独裁政権に代わって、民主的な政権が誕生したところであった。
クリントン大統領が米国の債権の100%放棄を発表
 IMF・世銀の総会に出席したクリントン大統領は、スピーチの中で、2国間の公的債務を100%帳消しにすると公約した。米国は、ODAについては、全額贈与の政策をとっている。したがって、ケルンで、90%の削減が決まった非ODA、つまり貿易保険や輸銀融資から生じた債務を、100%に引き上げたのであった。クリントン大統領は、米国は60億ドルの債務を帳消しにすると語ったが、これは、名目債務額であって、実質債務の削減額は9億ドルにすぎない。
(2)IMF・世銀の2000年春季会議
議長国日本に向けたキャンペーン
 1999年秋のIMF・世銀総会は、ケルン合意を後退させる結果となった。Jubilee2000は、ケルンに続く山場となった2000年4月のIMF・世銀春季会議に向けて、G7政府の責任を追及する国際キャンペーンを展開していった。とりわけ、2000年沖縄サミットの議長国となった日本政府に、このキャンペーンの矛先が集中した。
 日本Jubilee2000が、小渕首相に対して、新年の年賀状を送るキャンペーンを始めた。首相に送られた年賀状は、15,000枚にのぼった。これを聞いて、オーストラリア、英国、北欧諸国、バングラデシュなどで、小渕首相に対して「日本のイニシアティブを要求する」葉書キャンペーンが始まった。
 さらに、英国Jubilee2000が、1月11日、火曜日、ロンドンの日本大使館に対して、小渕首相宛ての債務帳消しの要請文を手渡し、以後毎週火曜日に大使館前で、デモを続けると宣言した。スコットランドJubilee2000をはじめ、スエーデン、ノルウエイ、フィンランド、デンマーク、オランダ、インド、ケニヤ、ペルーなどのJubilee2000が、英国Jubilee2000の呼びかけに呼応して、それぞれ日本大使館、領事館に対するデモを始めた。
 日本Jubilee2000実行委員会も、2月15日の火曜日を皮切りに、毎週火曜日、外務省、大蔵省に対して、沖縄サミットに向けて日本政府のイニシアティブを発揮すること、2国間債務を帳消しにすることを要請し、同時に、両省の門前でデモを行った。
 日本Jubilee2000は、IMF・世銀の春季会議直前の4月11日を、火曜日行動の最終日とし、ケニア、ウガンダ、タンザニアのJubilee2000の代表とともに、「人間の鎖」でもって、大蔵省を包囲することを決定した。
日本が非ODA債務の100%帳消しを発表
 この前日の4月10日、森首相は、国会において、鳩山民主党代表の質問に対する答弁の中で、「日本が、HIPCsの非ODA債務を100%帳消しにする」と発表した。明らかに、IMF・世銀の春季会議に向けたものであった。同時に、日本Jubilee2000が、翌日に企画していた「人間の鎖」行動を意識した決定であった。
 日本政府が、非ODA債務の帳消しの対象にしたのは、貿易保険から生じた債務であった。貿易保険とは、日本の輸出業者が、HIPCsに輸出した際に、輸出代金の取り立てに不安がある場合に掛ける、政府の保険である。そして、相手国政府が輸出代金を払わない場合、その政府の債務となる。
 日本の貿易保険によるHIPCsの債務総額は14億ドルにのぼる。これは、ODA債務ではないので、「債務救済無償援助スキーム」が適用されない。貿易保険は、通産省の管轄下にあり、6月19日、帳消しのために「債務管理法」を改正した。政府予算のなかの一般会計から捻出される。実際に実施されるのは、債務国がHIPCsイニシアティブの「完了点」に達したときである。
 この外に、輸銀融資による非ODA債務もある。額は大きくないが、大蔵省の管轄下にあり、なぜか、帳消しの対象から外された。
ドイツ・フランス・イタリアも非ODA債務の帳消し
 4月6日、カイロでEUとアフリカの首脳会議が開かれた。
 このサミット会議において、ドイツは、HIPCsの非ODA債務を100%帳消しにすると発表した。その総額は、50億ドルにのぼる。この中で、ケルンの公約の90%を上回る額は、4億ドルである。
 続いて、同会議において、フランスのシラク大統領は、「向かう2−3年間で、非ODA債務をすべてなくす」ことを公約した。フランスの帳消し額は、70億ドルにのぼり、うち、ケルン合意を上回る分は、10億ドルである。またシラク大統領は、他のG7政府もフランスに続くよう呼びかけた。
 イタリアも同様な公約を行った。
 続いて、ワシントンのIMF・世銀春季会議において、北欧諸国とG7以外の国も、非ODA債務を100%帳消しにすることを公約した。
HIPCs信託基金
 春季会議において、日本、カナダ、スペイン、スイスなどが、世銀のHIPCs信託基金に拠出を公約した。これは、IMF、世銀、アフリカ開発銀行などが債務救済を行うための資金に充てられる。

表 2.各国の拠出状況
日本     2億ドル
カナダ    1億 400万ドル
スペイン     8,500万ドル
スイス      5,800万ドル
(2000年IMF・世銀春季会議まで)
EU     9億 500万ドル   2000年7月
ベルギー    8,800万ドル       9月
イタリア    7,000万ドル       9月
米国     4億3,500万ドル      10月

IMFの金売却のまやかし
 ケルンにおいて、G7はIMF保有の金のうち1,000万オンス分の売却に合意した。NGOは、以前から債務帳消しの財源として、IMFに保有する金を売却して充てるよう、要求してきた。金の売却が世界的なインフレにつながると言う理由で反対していたドイツのコール政権が退陣したことによって、その障害はなくなった。しかしケルン合意では、売却した資金を、ESAF(拡大構造調整ファシリティ)の強化とその不良債権の解消に充てることになった。ESAFはIMFが最貧国を支配する機能にほかならない。
 しかし、その後、米議会がIMFの金の売却に反対したため、IMFは、1,000万オンスの金を、市場価格でG7の中央銀行に売り、直ちに、全額を同じ市場価格で買い戻すという「買戻しオペレーション」に代えた。IMF保有の金は、1オンス当たり35ドルという1960年代の低い価格で評価されていた。現在は、1オンス当たり250−270ドルになっている。IMFは金の含み資産を大量に保有していたのであった。このオペレーションは、IMFの資産を増大させただけで、NGOが要求してきたIMFの債務帳消しにつながらなかった。

9.Jubilee2000沖縄国際会議 
 Jubilee2000からの首相宛ての葉書作戦、日本大使館前のデモは、先進国から、途上国のJubilee2000へと波及していった。日本政府は、これを「日本叩き」という低い次元でしかとらえることが出来ず、また沖縄サミットが、前年12月の「シアトルの二の舞」になるのではないかと恐れた。
 そこで、日本政府は、沖縄サミットの直前、ジュネーブで開かれた国連社会開発サミット(WSSD+5)において、「ODA債務の100%帳消し」と「実施については、市民社会と協議していく」ことを公約した。

日本政府代表のスピーチ
 「…途上国の貧困削減の努力は、債務救済により支援されなくてはなりません。日本は、この機会を利用し、非ホンが昨年のケルン・サミットで合意された拡大HIPCsイニシアティブの下で、重債務最貧国(HIPCs)に対する全てのODA債務の帳消しを行うことに完全にコミットしているとの基本的立場を改めて明確にしておきたいと思います。現在同イニシアティブの迅速な実施が急務となっていますが、この関連で日本は、本年4月、適格なHIPCsに対する非ODA債務についても国際的な枠組みの下で削減率を100%まで拡大すること、及び、世銀の信託基金に合計2億ドルまでの追加拠出を行うことを決定しました。
 国際的に認められているさまざまな方法を通じて債務救済を実施する際には、債務帳消しにより利用可能となる資金が当該債務国の経済社会開発及び国民の福祉のために活用されることが重要です。このため同プロセスに市民社会を含む関係者が参加することが有益であり、日本政府としても債務救済措置の実施に当たり、NGOその他の市民社会を含むさまざまな関係者の意見も参考として行く考えです…」     
(2000年6月28日、ジュネーブ国連社会開発サミットにおける有馬龍夫日本政府代表のスピーチより抜粋)
ジュネーブにおける日本政府の公約
 続いて、同じジュネーブの国連サミットにおいて、6月29日、日本政府は、1978年以来の「債務救済無償援助スキーム」の取り下げにつながる決議に合意し、さらに、これまでの重債務最貧国40カ国に限定してきた債務救済適格国を一挙にアフリカと後発途上国(LDCs)全体に拡大するとした決議にも同意した。
 これは、同サミット決議第3部「更なるイニシアティブ」の中の、アフリカと後発途上国についてのコミットメントのパラグラフ95の中にある「2国間債務救済措置を実施する」という文章に、日本は「現行の」という形容詞を挿入することを主張していた。その意味は、日本の「債務救済無償援助スキーム」を維持することにあった。日本代表は1日間の猶予を要求し、東京に訓令を仰いだ結果、「現行の」という言葉を削除することに同意した。つまり日本政府は現行のスキームを取り下げる方向に大きく踏み込んだことになった。
 また2国間債務救済の適格国は、HIPCsに限ると主張してきた日本政府が、アフリカと後発途上国に拡大することにも同意したことになった。例えば、重債務最貧国については、サハラ以南のアフリカは33カ国であるが、アフリカ全体では52カ国である。また重債務最貧国は40カ国であるが、後発途上国は53カ国である。これには、重債務最貧国に含まれず、しかも日本の多額の円借款が焦げ付いているバングラデシュやインドネシアなども入っている。
 残念なことに、国連決議には、加盟国政府を拘束する力がない。だが、日本政府は、自らが同意したものを実施する道義的な義務がある。
 こうして、日本は、ケルン合意から1年後、ようやく他のG7と肩を並べることになった。このことは、一方では、2年間に及んだ日本Jubilee2000のキャンペーンの果実であった。同時にこれは、国際的なJubilee2000のキャンペーンの力によるものであった。 
 Jubilee2000の国際キャンペーンがなければ、日本政府は、依然として、債務帳消しを拒否し、債務を40年繰り延べし、債務国に毎年返済させ、同額の無償援助を供与し、これを外国からの輸入に充てさせるという「債務救済無償援助スキーム」に固執しつづけたであろう。 
(1)ケルン国際会議の失敗から
 ケルンでは、6月19日、世界中から集まった35,000人が、「人間の鎖」でもって、G7会場を取り巻いた。その一方、アイルランドのロック・スターBono、英国やドイツのJubilee2000代表数人が、シュレダ―首相と面会し、1,700万人の署名を提出した。また、G7合意が発表されると、英国、ドイツ、米国のJubilee2000の代表3人が、「G7のケルンイニシアティブを積極的に評価する」という声明を出し、記者会見を行った。これらのことは、ケルンに集まったJubilee2000の代表との民主的な合意に基づいた行動ではなかった。
 ドイツJubilee2000の呼びかけで、6月20−21日、ケルン郊外で開かれたJubilee2000の国際会議は、ケルン合意の評価と沖縄に向けてJubilee2000の国際戦略について議論することになっていた。しかし、実際に会議が始まると、前日、英・独・米の代表3人の名で発表された声明文に対して、途上国からのJubilee2000の参加者、またベルギー、デンマークなど一部の先進国のJubilee2000が激しく抗議した。
 第1には、3カ国の代表が一方的に記者会見をしたという、非民主的なプロセスが問題視された。第2には、反対派は、ケルン・イニシアティブを、全く意味のないもの、あるいは、IMF・世銀の支配が強化され、より悪くなったと分析した。
 そのため、会議は、ケルン合意をめぐる討議に入る前に、3人の声明文をめぐる議論に多くの時間が費やされてしまった。結局、会議では、債務問題がサミットの最重要課題となったというJubilee2000の「政治的勝利」についてのみ、合意を見た。700億ドルの債務帳消しの公約については、一致した評価を出すことができなかった。
 主催国ドイツJubilee2000が、国際会議を開く準備を全くしておらず、その上、会議運営の任務を放棄してしまったため、ついに、沖縄に向けての国際キャンペーンの戦略を議論することが出来なかった。
 その後、南アフリカ、フィリピン、アルゼンチンなど途上国のJubilee2000のイニシアティブによって、1999年11月、ヨハネスブルグ郊外で債務についての会議が開かれ、
Jubilee Southの結成が宣言された。ここでは、ケルン合意を拒否し、HIPCsイニシアティブに反対し、すべての途上国の債務を帳消しにすること、また2000年までに債務帳消しが実現しない場合、「債務の不払い宣言」を行うことなどが決議された。
(2)沖縄国際会議の開催
 ケルン以後、とくにJubilee Southの誕生後、このような債務帳消しをめぐる対立を克服するために、どうしてもJubilee2000が議論する場が必要であった。同時に、沖縄という地理的な制約から、バーミンガム、ケルンと「Jubilee2000の伝統」となっていた大規模な「人間の鎖」でもってG7会場を包囲することは、困難であった。
 そこで、Jubilee2000日本実行委員会は、サミットに先だって、那覇市内で、Jubilee2000の国際会議を開催することを呼びかけた。同時に、2000年4月、日本実行委員会が、G7首脳に対する要請文を起草し、インターネットを通じて、各国のJubilee2000に送り、コメントや修正を求めた。それらをもとに、第2次草案を作成し、沖縄国際会議の参加者に提案した。G7首脳に対する要請文と、Jubilee2000の合意文書という2つの文書が、沖縄では、満場一致で採択された。
 このようなプロセスは、国際民主主義を尊重したものとして、参加者から高く評価された。同時に、Jubilee2000の国際的な団結が確認された。
G7に対する要請書
 以下の要請文が全員一致で決議された。

   G7首脳に対する要請書
 私たち、世界中から集まったジュビリー2000は、ケルン・サミットでは、債務帳消しを求める私たちのキャンペーンに応えて頂けたものと理解しておりました。しかしながら1年前の限られた債務帳消しの公約でさえ、実行されなかったという事実に、大きな遺憾の意を表明します。
"より早い、より深い、より広い"債務救済であると言われたHIPCイニシアティブは、事実は、債務帳消しを遅らせる手段でしかありませんでした。それゆえ、私たちは構造調整プログラムをともなうHIPCイニシアティブ、拡大HIPCイニシアティブのいずれも、債務と貧困問題の解決の枠組みとして、認めることはできません。
 私たちは、G7首脳に対して、このジュビリー2000年末までに、貧しい国々の債務問題を解決する重要な第一歩として、以下の三項目を直ちに実施するよう呼び掛けます。
1. 貧しい人々の健康、教育、そして生命までの犠牲にすることなくしては、返済できない不当な、返済不可能な債務のすべてを帳消しにすること。
2. 債務帳消しを、構造調整プログラム、およびその他の条件から、切り離すこと。債務帳消しを2国間で行うこと。そして、国際金融機関に対して、その責任を認め、多国間債務を帳消しにするよう取りはからうこと。
3. 債務帳消しのプロセスにおいて、現在のような利害対立する状態において、裁判官であり、陪審であり、原告であることをやめること。債務国政府および市民社会を含む、独立した、公平で透明性のあるメカニズムの設立を支援すること。
 債務帳消しのプロセスの企画、実施、モニター、そして評価にいたるまで、市民社会、とくに債務国の市民社会の広範な代表の完全な参加を、という私たちの呼び掛けを、ここに再確認するものであります。これは、債務帳消しによって生じる資金が、世界人権宣言に基づいた貧しい人びとの基本的なニーズを満たすことを保証するものであります。
ジュビリー2000国際会議
沖縄にて
2000年7月21日
38カ国、10国際団体が署名

 7月21日、午前11時、ブセナ・テラスにおいて、日本、英国、ウガンダ、ハイチのJubilee2000の代表が、サミット議長の森首相と会見し、「G7に対する要請書」を手渡した。
Jubilee2000合意文書
 これまで、各国のJubilee2000の間では、どの債務を、どれだけ帳消しにするかについて、統一見解はなかった。日本Jubilee2000は、IMF・世銀が適格国と規定した重債務最貧国41カ国の債務を2000年末までに全面的に帳消しにすることを要求してきた。ただし、その中で、スーダンやミャンマーなど内戦、人権が侵害されている国を除く。英国Jubilee2000は、これにバングラデシュなどを加えた52カ国を重債務最貧国と規定してきた。HIPCs以外の途上国Jubilee2000では、すべての不当な債務の帳消しを要求していた。
 そこで、沖縄の国際会議では、これら債務について議論し、共通の見解をまとめた「合意文書」を採択した。

       JUBILEE2000国際会議
          合意文書
 Jubilee2000キャンペーン――債務国、債権国双方の市民社会諸組織の連合からなる地球規模の運動――は、南の国ぐにに負わされている返済不能かつ不当な債務の帳消しを求めてキャンペーンを行ってきた。キャンペーンは幅広い支持を得て、債務問題を国際的な政治・経済の論議の中心に据えることに成功した。
 債務返済額の増加は、すでに貧しい国ぐにをますます貧困化させる主要な要因となっている。債務は以下の要因によって増大した。
● 1980年代初頭の金利上昇
● 債権者による債務救済措置の結果生じた債務の長期化
● 複利の過剰な蓄積
● 計画および運営が不適切に行われた結果、失敗したプロジェクト
● 為替の変動相場制への移行
● 正統性を欠いた抑圧的な政府および利権を求める腐敗した独裁者への貸しつけ
● 不公正な条件による国際貿易
● IMFと世界銀行による誤った政策指示と開発政策の誤り
 Jubilee2000は、以下のことを認識する。
● 債務はすでに実質的に返済されている。
● 債務問題を解決する手段としてIMFが導入した構造調整プログラム(SAP)は実際には貧しい人びとの状況を悪化させ、不平等を拡大した。非常に弱体化した経済の債務国をいかなる保護や支援なしに完全な市場競争に追いこんでいる。
● ESAF(拡大構造調整ファシリティー)は「貧困削減・成長ファシリティ」という新しい名称に変わっても、IMFのような債権者の管理下にある限り、そしてSAPの下での自由化経済政策を維持している限り事態は変わるものではない。この点に関して、ESAFを止めるべきというメルツア委員会の勧告に留意する。
● 拡大HIPCイニシャティブは、対象となった国の数が限られていること、帳消しされる債務の比率が少ないこと、不当な条件が課せられていること、債権者による債務帳消し実施の欠如といった理由から貧困国の債務負担を軽減する事に失敗している。
● 植民地支配の終わった南の国には、歴史的、道義的、社会的、環境的な債務が負わされており、このことが今日の経済的な債務問題の原因となっている。
● 債務の帳消しは南の国ぐにの貧困問題を解決し、南と北の不均等で不公正な関係を公正で相互支援的な関係に変革する第一歩である。
 ジュビリー2000は以下のことを主張する。
● 返済不能な債務とは、多数の人びとから生活に欠かせないものを奪うことなしに返済できない債務問題のことであり、これは帳消しにすべきである。
● 「汚い債務(odious debt)原理」に準じて、不当な債務及び失敗した開発プロジェクトによって生じた債務は帳消しにすべきである。
● 紛争後の国々や地域、自然災害に襲われた国に関しては特別な債務帳消し規定を作成すべきである。
● 債務危機を解決するためのプロセスと条件は債権者の手から引き離す必要がある。このためには、公正で、独立かつ透明なメカニズムを設立しなければならない。このメカニズムは債務国の政府と同時に市民社会の代表を含み、次の点を検討すべきである。
a) 債務帳消し手続きに関連するプログラムの計画、実施、モニターならびに評価。
b) 国際的な資金移動に関する「トビン税」の実施。
c) 国際的な破産手続きの検討と実施。
d) 債務帳消しの金額、プロセス、条件を決定する独立仲裁機関の設置。
 現在の債務危機は、南北の格差の拡大の象徴であり、原因でもある。南北の格差は奴隷貿易と植民地化に始まる歴史的なプロセスに起源を有している。この格差は不公平な貿易関係、構造調整プログラムの押しつけ、途上国に対する付加価値の高い大規模投資の欠如によって拡大した。貿易と投資の自由化によって推進されているグローバル化は、この格差を一層拡大する。債務帳消しと経済正義を求める私たちの声は、富めるものと貧しいものの間で広がりつつある格差に対する私たちの答えである。
 Jubilee2000は、公正と公平、主権、北と南の市民社会の共同行動を通じた参加民主主義を基礎とし、世界人権宣言に基づく人間の尊厳を守る、正義ある地球社会を求める。
 Jubilee2000は債務帳消しが実施されるまで、何らかの形で国際運動を継続する決意である。連合体が現在の形で存続しなくなったしても、国際活動を継続すること、秩序ある方法で責任の委譲を行うことを集団として誓う。
 運動は以下のことを継続しなければならない。
● G8、国際金融機関、債権国、民間銀行に債務帳消しを求めて圧力をかける。 
● 債務帳消しプロセスが構造調整プログラムやその他の条件と切り離されるように圧力をかけ、それが真に貧困削減をもたらすようにモニターする。
● 2000年末までに債務帳消しを得られなかった国が債務の不払いを決定した場合にこれを支援する。
 プラハでのIMF・世界銀行の年次総会、国連のミレニアム・サミットの機会を活用して私たちのネットワークを強化し、分析とキャンペーンを深化する。 
2000年7月21日
沖縄にて

10.沖縄G7サミットからプラハIMF・世銀総会へ
(1) ケルンからの後退
 ケルンでは、G7は700億ドルの債務帳消しを公約し、その対象となる国の数は36カ国だと発表した。続いて、その秋のIMF・世銀総会では、「拡大HIPCsイニシアティブ
(HIPCsII)が打ち出された。この総会から帰国した英国のブラウン蔵相は、「2000年中に1,000億ドルの帳消しを実行する」という楽観的な観測を述べた。
 しかし、実際には、拡大HIPCsは、HIPCsIと何ら変わるところがなかった。沖縄サミットまでに、実際に拡大HIPCsによる債務削減交渉に入った国は、わずか9カ国にとどまった。
(2)削減の対象国は20カ国に減少
 ケルンの公約は、ほとんど実行されなかった。
 沖縄サミットにおいては、G7首脳は、これまでのJubilee2000の国際キャンペーンを無視して、拡大HIPCsイニシアティブによる債務救済の対象国を、これまでの9カ国に、さらに11カ国を加え、合計20カ国を目指す、と発表した。帳消し総額についても、150億ドル(実質価値総額では86億ドル)とした。しかも、これは、20カ国の債務総額の46%が削減されるにすぎない。また20カ国というのも、単に削減交渉を受ける「決定点」に達した国にとどまり、そのすべてが実際に削減を受けるのは、2005年まで待たねばならない。
 IMFは、1999年12月、「2000年中に決定点に達する国は、24カ国である」と発表していた。このように、ケルンでは、36カ国、次いで、IMF・世銀総会以後は24カ国、そして沖縄では、20カ国と、時を経る毎に、G7、IMF・世銀は、債務救済の対象国の数を減らしていった。
(3) 新しい条件―紛争国の排除
 拡大HIPCsイニシアティブは、それまでの構造調整プログラムの実施に加えて、「貧困削減戦略ペーパー(PRSP)」の作成という新しい条件を加えた。沖縄サミットでは、さらに新しい条件が加えられた。債務削減の対象国40カ国の中から、「紛争の影響下にある国」が除かれることになった。これは、紛争の当事国ばかりでなく、その周辺国も含まれる。
 この新しい条件を設けることについて、米国とヨーロッパの首脳たちの間に対立があった。英国などは、紛争解決を支援するためにも債務削減が必要であるとして、除外することに反対した。結局、議長である森首相のリーダーシップがないために、除外されることになった。
(4) プラハIMF・世銀総会
 2000年9月、プラハにおいて、IMF・世銀は合同年次総会を開いた。
 正式の年次総会は、9月26−28日の3日間が予定されていた。これには、182カ国の蔵相・中央銀行総裁などの政府代表に加えて、銀行頭取や大企業の特別ゲスト、ビジターのNGO(360団体)など、1万4,000人が参加した。これは、単なる祭りにすぎない。
 この正式総会は、26日に、ヨーロッパ、米国から集まったグローバリゼーションに反対する2万人のデモによって、初日の開会式後、自然流会になった。デモに怒った代表たちが帰国してしまったからであった。IMF・世銀は、「効率よく議事が進行したので、1日早く会議を終えることが出来た」と記者会見で説明したのだが、そもそも総会がどうなっても良かった。
 実際には、同じプラハにおいて、9月22日から「G7蔵相・中央銀行総裁の会議」が開かれており、23日には、その声明が発表された。また23日には、24カ国からなる国際通貨金融委員会(IMC)と開発委員会(世銀)の「合同会議」が開かれ、その声明も発表された。  
 つまり、実質的には、9月24日にIMF・世銀の年次総会は終わっていた。とくに、「合同会議」は、悪名高いWTOのグリーンルームに相当するものだが、IMF・世銀の場合は、これを隠そうともしていない。 
ブラウン蔵相の記者会見
 9月24日、「合同会議」の議長である英国のブラウン蔵相が記者会見をした。ここでは、貧困削減戦略ペーパー(PRSP)について、IMCと開発委員会の合同会議のコミュニケを発表した。
 「債務削減の対象国については、プラハまでに決定点に達し、HIPCsイニシアティブの交渉を受けた国は、10ヶ国であり、2000年末までの3ヶ月間で、さらに10カ国が交渉に入る。削減額は、HIPCsIとHIPCsIIによるものは300億ドル、さらに1996年以前の諸条項によるものを加えると、総額500億ドルになる。」
 これは、多国間債務削減を500億ドルとしたケルン合意に、辻褄を合わせたものにすぎない。沖縄サミットのG7声明とほとんど変わらない。
 合同会議において、ブラウン蔵相は、沖縄よりさらに踏み込んだ債務削減を主張したのだが、それに反対する米国のサマーズ財務長官に押し切られた。
カナダ提案
 合同会議において、カナダのマーチン蔵相は、重債務最貧国の債務返済を、即時モラトリアム(停止)しようと呼びかけた。ただし、この場合の対象国は20カ国に限られていた。このカナダ提案は、NGOの間では、センセーションを巻き起こしたが、IMF・世銀の共同コミュニケには影響を与えることが出来なかった。

11.プラハ以後の動き
(1) プラハまでの債務救済状況 
 2000年秋、プラハのIMF・世銀総会の時点で、拡大HIPCsイニシアティブに基づいて、債務削減交渉に入った国は、11ヶ国であった。それは、ベニン、ブルキナファソ、カメルーン、モーリタニア、マリ、モザンビーク、セネガル、タンザニア、ウガンダ(以上サハラ以南のアフリカ9カ国)、ボリビア、ホンデュラス(以上ラテンアメリカ2カ国)であった。
 この11カ国中、実際に債務が削減されたのは、ウガンダ1カ国であった。
 これら11カ国の債務削減総額は、104億ドルにのぼるが、毎年の返済額の平均37%が減るだけであり、しかもこれを今後25年間という長い期間、債務の返済を続けなければならない。また、11カ国は、今後も、年間の保健予算よりも多い額を債務の返済に充てていかねばならない。
タンザニアの例
 タンザニアでは、子どもの50%が、栄養失調に苦しんでおり、同じく50%が学校に行けない。このような最貧国であるにもかかわらず、HIPCsイニシアティブで債務削減措置を受けた後、政府は、それまでより多く返済して行かねばならない。
カメルーンの例
 カメルーンは、11番目に「決定点」に達した国であり、20億ドルの削減を受けることになった。しかし、これでは、返済額が15%しか減ることにならない。
ザンビアの例
 2000年11月、ザンビアは「決定点」に達し、HIPCsイニシアティブによる削減が決まった。
 ザンビアは、これまで十分すぎるほど、IMF・世銀の構造調整プログラムを実行したきた。初等教育や医療の有料化、国営銅鉱山会社の民営化、食糧など日用品への補助金の廃止などを行った。犠牲になったのは、貧しい人びとであった。その結果、ザンビアの平均寿命は44歳、アフリカで最も低い。また、HIV/AIDS感染者は、成人5人に1人という猛威を振るっており、子ども人口の13人に1人が両親をAIDSで亡くした孤児である。HIV/AIDs対策は、ザンビア政府の最優先課題である。
 しかし、HIPCsイニシアティブによる債務削減措置を受けた後には、これまで支払ってきたより多くを2001年から2005年までの間、返済していかねばならない。
 例えば、1999年、ザンビアの返済額は、1億3,500万ドルであった。しかし、2002年には2億2,000万ドル、2005年にもなお1億5,000万ドルを支払わねばならない。
 しかもこの間、返済を続けると同時に、「貧困削減戦略ペーパー」に基づいて、貧困削減の実績を示していかねば、「完了点」に達することができない。これは不可能である。
 これは、IMFの融資政策に原因がある。1995年、IMFは、ザンビアの不良債権を回収するために巨額の融資をした。その返済が、2001年に始まる。HIPCsイニシアティブには、Post Cut of Date、つまりある期間以後に発生した債務は削減の対象にしないという制度がある。したがって、95年の融資分は削減交渉の対象から除外された。しかし、これは、すでに帳消しにすべき焦げ付き債権を回収するために行われた融資であった。
(2)2000年内の追加削減措置
 プラハまでの11カ国の大部分は、すでに旧HIPCsイニシアティブによって削減交渉を受けてきた国であった。しかし、残りの国については、初めて削減交渉に入るわけで、2ヶ月という短い時間では、かなり杜撰な交渉になる。これら債務国が、IMFとの交渉時に課せられる条件は、100項目に及んでいる。これに対して、ケーラーIMF専務理事は、「緩和する」と約束した。
 プラハ以降、2000年内に交渉に入った国は、11カ国であった。それは、ガンビア、ギニア、ギニアビサウ、マダガスカル、マラウイ、ニジェール、ルアンダ、サオト―メ・プリンシペ、ザンビア(以上サハラ以南のアフリカ9カ国)、ガイアナ、ニカラグア(以上ラテンアメリカ2カ国)である。
 2000年12月22日、IMF・世銀は、拡大HIPCsイニシアティブによる債務削減交渉を終えた国が、22カ国に達し、削減総額は340億ドルにのぼる、と声明した。2000年までに決定点に達していたチャド、象牙海岸の2カ国は、21世紀に持ち越された。

表3. 拡大HIPCsイニシアティブによる債務削減状況
                        2000年12月21日世銀発表による                       
                                単位:100万ドル
        債務総額 削減総額 % 返済額(前)(後)返済削減率 教育医療費 
ウガンダ    2,371  1,003  42.3  104    74    28.5   177+144
ボリビア    2,974  2,308  22.4  319    233   26.9   402+ 94
モーリタニア  1,570   612   61.0.  93    55   41.3    51 + 17
タンザニア   3,769  2,356  37.5  209    149   28.6   154+114
モザンビーク  2,731   996  64.6   93    54   42.1   121+ 88
セネガル    2,495  2,149   13.9  221    161  26.9   174+125
ブルキナファソ  860   462   46.3   57    37   34.9    39+32
ベニン      836   580  30.6   65    41   37.2    74+38
ホンデュラス  3,296  2,912  11.6  276    225   18.5   173+144
(これまでの9カ国は、沖縄サミットまでの措置)
マリ 1,402 994 29.1 79 65 17.2 57 + 54
カメルーン 8,199 6,939 15.4 401 287 28.5 323 + 88
(これまでの2カ国は沖縄からプラハ総会まで)
ガイアナ 1,085 552 49.1 101 43 56.8 33 + 30
ザンビア 5,517 3,049 44.7 142 168 −18.9 70 + 76
ガンビア 248 181 27.0 26 20 24.2 6 + 23
ギニアビサウ 490 73 85.1 9 5 43.2 6 + 2
ニジェール 983 594 52.0 62 36 40.8 46 +27
サオト―メ
 ・プリンシペ 144 47 67.4 4 1 62.7 1.7+2.2
マラウイ 1,462 728 44.0 85 62 26.3 108+ 51
ニカラグア 4,537 1,971 72.0 288 141 50.9 82+101
マダガスカル 2,035 2,459 40.0 169 65 61.4 70 + 41
ギニア 2,512 1,927 21.7 157 125 20.4 70 + 44
ルアンダ 682 229 66.4 22 15 30.2 57+ 41
(これまでの11カ国はプラハ以後2000年末まで)
合計    50,196 33,456 33.3 2,976 2,063 30.7 2,294+1,346

(3) 債務削減プロセスの遅れ
 1996年、IMF・世銀は、41カ国を重債務最貧国HIPCsの「適格国(Eligible)」に規定し、「HIPCsイニシアティブ」という多国間債務の救済を行うと発表した。しかし、その後、ケルンまでの3年間には1カ国、1年後の沖縄では9カ国、プラハまでに11カ国といった遅いテンポで進行してきた。
 2000年12月末、世銀はHIPCsの適格度について、以下のようにまとめた。なぜか、新たにガンビアが入っている。したがってHIPCしゃ41カ国である。

表4.HIPCs41カ国
2000年末までに決定点の国: (22)ベニン、ブルキナファソ、カメルーン、ガンビア、
                  ギニア、ギニア・ビサウ、マダガスカル、マラウイ、  
                  マリ、モーリタニア、モザンビーク、ニジェール、        
                  ルアンダ、セネガル、サオト―メ・プリンシペ、
                  タンザニア、ウガンダ、ザンビア(以上アフリカ)
                  ボリビア、ガイアナ、ホンデュラス、ニカラグア
紛争国            (9)ブルンディ、中央アフリカ、民主コンゴ、コンゴ、 
                  エチオピア、リベリア、ミャンマー、シエラレオ 
                  ネ、ソマリア、スーダン
2001年以後に持ち越された国: (4)チャド、象牙海岸(2000年内に決定点に達すると
                           いわれていたが、延期された)
                  エチオピア、トーゴ
イニシアティブを断った国:  (2)ガーナ、ラオス
重債務国と認められない国:  (4)アンゴラ、ケニア、ベトナム、イエメン
 (註)以前、IMF・世銀の発表では、2000年以後とされていた国の中で、マダガスカル、ガンビア、ニジェール、サオト―メ・プリンシペの4カ国が、2000年中に債務削減交渉を受けた。
 (註)G7がケルン・サミットで行った公約では、拡大HIPCsイニシアティブを受ける国の数は36カ国であったが、1年後には、31カ国に減っている。

債務削減が遅れているのは何故か
 たしかに、象牙海岸のクーデタのような債務国の理由がないわけではないが、遅延の原因はほとんど債権者側にある。
 ガイアナの例のように、IMFが公務員の賃上げに賛成しておきながら、一方で財政緊縮を要求するといった矛盾した政策を押し付けている。ガイアナは第1次HIPCsイニシアティブを達成しており、ケルン合意では当然削減交渉に入るべきであったが、拡大HIPCsイニシアティブから一時期除外されていた。
 日本は最大の援助国と自称しているが、一方で、HIPCsイニシアティブの対象国から外れるように、債務国政府に圧力をかけている。ベニン、ガーナ、ラオス、マラウイなどは、日本から借款を受けられなくなるぞ、脅かされている。その結果、ガーナとラオスは、HIPCsイニシアティブを辞退している。
 米国議会が、IMFの改革が先決だとして、HIPCs信託基金への拠出を拒否している。7月、議会は2億2,500万ドルの債務帳消し予算を承認した。しかし、クリントンが請求した4億7,200万ドルには不足しているし、さらに、上院の承認を必要としている。その結果、EUが、均等な負担を口実に、「ヨーロッパ開発基金」への拠出を拒否している。
 米国のHIPCs信託基金の拠出分は、ラテン・アメリカに特定されているので、ボリビアの債務削減は実現していない。それは、ボリビアの債権者である米州開発銀行やアンデス開発公社などが自分自身には削減資金がないことを理由に、削減を拒否しているからである。世銀によれば、ボリビアは完成点に達する筈だが、それに応じる債権者の数は限られている。
 債務削減の条件に、新しく「貧困削減戦略ペーパー」の作成が加わったことである。これには、市民社会との協議が含まれている。原則として、これは歓迎すべきことだが、現実には、削減を遅らせる口実になっている。ウガンダやボリビアの例では、いくらかの柔軟性が見られるが、一般的には、完成点の1年前に作成されなければならないことになっている。

表5 2000年末までに決定点に達する国 その遅延の理由
ベニン      2000年7月       日本からの圧力
ボリビア         2月8日     債権者側の資金問題
ブルキナファソ      6月       構造調整政策の実施の遅れ
カメルーン        7月       構造調整思索の実施の遅れ
チャド      2001年以後        説明なし
象牙海岸     2001年以後       1999年12月、クーデタ
エチオピア    不確定          エリトリアと和平したが、旧ソ連の債務  
                      が大きい
ガーナ      現在は「辞退」      日本が辞退を要求
ギニア      2000年12月22日    構造調整政策の実施の遅れ
ギニアビサウ       第4四半期    政権交代
ガイアナ         12月       財政不均衡
ホンデュラス       7月       構造調整政策の実施の遅れ
ラオス      辞退           日本の圧力
マダガスカル       12月22日    構造調整政策の実施の遅れ
マラウイ         11月       日本の圧力
マリ            9月      構造調整政策の実施の遅れ
モーリタニア        2月10日   債権者側の遅れ
モザンビーク        4月12日   政権交代
ニカラグア        12月22日    ガバナンス問題
ニジェール        12月      構造調整政策の実施の遅れ
ルアンダ         12月22日    紛争
セネガル         6月       政権交代
シエラレオネ   不確定          内戦
タンザニア        4月5日     構造調整政策の実施の遅れ
ウガンダ         2月8日     民主コンゴの戦争に関与
ザンビア         12月7日     民営化の遅れ
資料:IMF、世銀、債権国政府より 

(4)国家破産法と仲裁機関によるプロセス
 アフリカなど最貧国の債務については、1988年、トロント条項以来、ナポリ、リヨン、ケルン条項、そして最後には、拡大HIPCsイニシアティブにいたるまで、次々と新しい削減のフレームワークが打ち出されてきた。その度毎に、これこそ債務問題の決定的な解決案である、と言われてきた。しかし、債務問題は一向に解決されていない。その結果、貧困は増大し、紛争が頻発し、HIV/AIDSが猛威を振るっている。
 Jubilee2000は、債権者側が、一方的に債務救済のスキームを決め、債権者側のルールに基づいて、実施されていることを批判してきた。誰が債務削減を受けるのかそしていくら、いつ、どのようにして、などについて決定権を持っているのは、債権者である。常に
債権者の政治的思惑、対立する課題に影響される。債権者は、出来るだけ削減の費用を少なく押さえたい。彼らにとっては、債務の削減は、2の次ぎである。
 通常、債権者が、このように一方的に債務の処理を行うことは、個人や会社の場合は、考えられないことである。
 先進国には、「破産法」が制定されており、これに基づいて、中立の機関が債務処理を行っている。しかし、国家には、これが適応されない。
 Jubilee2000は、ローマ会議以来、以下の2つの提案を行ってきた。
提案1:国家破産法の制定
 ローマ会議において、ウイ―ン大学経済学部のKunibert Raffer教授は、途上国の債務帳消しのプロセスに、国家破産法を制定することを提案した。そのモデルは、1920年代に制定され、その後いくらかの修正が施された米国の「破産法の第9条」である。これは、破産した地方自治体の債務処理のプロセスを規定した国内法である。
Raffer教授の主張:
「 個人及び法人には、破産法という法律があり、重債務者に対しては、秩序だった、かつ公正な解決がとられている。途上国の債務危機についても、国際的な国家破産法を適用するべきである。
 歴史的に見ても、重債務国の債務危機の解決を遅らせることは、債務の回収を不可能にするだけである。逆に、債務残高をいたずらに増加させ、結果的には、債権者の負担を増幅するだけである。
 したがって、古くは、アダム・スミスも述べているのだが、今日再び、国家破産法問題が浮上している。国際金融危機ワーキング・グループは、一種の破産措置を提案した。それは、適切な多数の債権者による、あるいは、共同行動条項に基づいて、債務削減を行う、というものである。また、カムデスー前 IMF専務理事は、1998年9月17日付けの『フイナンシャル・タイムズ』紙に、国際的な破産措置の必要性は、既に、明らかな教訓となっている、と述べている。
 OECDの『エコノミック・アウトルック』誌1999年65号では、国際的な破産法廷が金融パニックを防ぐことが出来る、と述べている。
 最近では、アナン国連事務総長が、公正、かつオープンな仲裁プロセスを支持する発言を行った。これは、Jubilee2000の国際キャンペーンが、米国の破産法第9条を適用した仲裁機間の必要性をロビイしてきたことを受けたものであった。
 1987年以来私が提案してきた米国の破産法第9条は、破産した地方政府を保護するものである。そして、これは、直ちに債権国に適用できるものである。それは、当然、債権者の利益にも合致するものであり、過重債務の公正な、かつ透明性のある解決を可能にする。
 破産法には、法的な原則がある。それは、債務の返済にあたっては、債務者自身、もしくはその子どもたちを飢えに追いやってはならないということである。文明国の法制度においては、契約の履行が、非人間的な苦痛、生命や健康に脅威、または人権の侵害をもたらすものであってはならない。たとえ、債権者の請求が法にかなったものであっても、破産法は、債務者の生活費を保証している。言いかえれば、債務を無条件に返済することよ
りは、債務者の人権と尊厳の方が優先している。
 ここで強調したいことは、破産法は、明確な、かつ適切な法的根拠に基づいた請求の上にのみ適用されるということである。例えば、汚い債務、つまり独裁者によって盗まれた債務については、破産法は適用されない。
 そもそも汚い債務は不当であり、無効である。アパルトヘイト関連の債務についても、この汚い債務の原則が適用されるべきである。
 破産法の主要な特徴は、債務者の保護にある。同時に、それは、法の支配の最も基本的な原則、すなわち、自分自身の問題を自身で裁いてはならないということである。現行の破産法には、公正な解決を保証する中立の機間が規定されている。
 しかし、これは、途上国政府には適用されていない。債権国は、判事であり、陪審であり、専門家であり、管財人であり、さらに債務国の弁護人ですらある。
 このような、債権国による無制限な支配は、OECDが途上国に要求している法の支配に反するばかりでなく、純粋に経済的観点からいって非効率ですらある。というのは、債権者は、ともすれば債務の削減を最小限にとどめようとするし、また、出来るだけ引き伸ばそうとする傾向がある。これは、危機を長引かせ、解決をもたらさない。
 破産法による救済は、決して慈善行為ではない。それは、正義に基づくものであり、同時に経済的な理由からきている。私が「幽霊債務」と呼ぶ帳簿上の債務で、決して回収できない。今日の途上国の債務は、債権国が長い間、必要な債務削減を怠ってきた結果、累積したものにほかならない。
 このような政策を改めることは、より効率の良い、安定した新しい金融秩序の構築に役立つばかりでなく、世界の貧困層の希望をもたらすであろう...」
提案2:債務帳消しの国際的仲裁機関の設置
 Jubilee2000は、国際的な貸し出しと借り入れに、より整合性のある、公正な、透明性のある、新しい、独立したメカニズムの設立をよびかけている。これは、債権者と債務国が共に合意する「独立仲裁者」を任命し、これをもって、「債務レビュー機関(DRB)」を構成する。これに、債権者側と債務国側が入り、また債務国の市民社会の代表も参加する。DRBは、帳消しによって浮いた資金を慎重にモニターし、貧困削減と優先的開発に使われることを監視する。また、DRBは、将来の融資受け入れについても監視し、債務危機の再発を予防する。この独立仲裁プロセスという考えは、アナン国連事務局長の「21世紀行動計画」に盛り込まれている。
 債務国と債権者間の、債務と返済問題を解決することができる資格と機能をそなえた国際法機関が存在していないので、国際仲裁法廷の設置が必要である。国際仲裁法廷はアドホック的なものであり、債務国と債権者の双方から同一の人数の判事を選出する。それがさらに、もう1人を選出する。これは、多数決で採決が行われるためである。このようなプロセスは、勿論、これまで2国間のケースでは、しばしば行われてきたことであり、国際的には全く新しいものではない。また、この仲裁機関がインフォーマルな性格のものであっても、問題はないだろう。なぜなら、これまでの債務処理が、国際法において何ら拘束力を持たず、むしろアド・ホックのまま実施されてきたからである。それは、債権者の政治的意思と、債務国側に何のオルタナティブな選択肢がないという状況のもとで行われてきた。
 このメカニズムは柔軟でなけれなならないし、官僚的であってはならない。債務国と債権者の手にのみゆだねられるべき事項であるから、巨大な国際機構を必要としない。しかし一方では、小規模なテクニカルな事務局が設けられるべきである。それは、債権者、債務国のいずれの機関でもない、つまり国連の下に置かれる。事務局の任務は、国際的水準に基づいた債務データの総合・比較化、会計監査、判事にたいするテクニカルな支援、プロセスの基準に基づいた利害者の公聴会の開催などといったところである。
公正で、透明性のある仲裁プロセス(FTAP)についての議論
 国連レベルでは、アナン事務総長が、市民社会や学会で行われている議論を反映して、国連ミレにアム・サミットのスピーチの中に、FTAP提案を積極的に盛り込んだ。
 ドイツにおいては、大蔵省、経済協力省などの連邦政府、連邦準備銀行(中央銀行)とドイツJubilee2000キャンペーンとの間にFTAP提案をめぐってかなり議論が行われた。経済協力省の科学者会議(日本の審議会)では、FTAPについて1つの意見が出され、それをめぐって賛成派と反対派が激しく議論した。連邦準備銀行は、市場を規制できるという副産物を期待して、「FTAPのコンセプト支持」を宣言した。ドイツ連邦議会は、2001年3月に、大蔵、外務、経済協力委員会が共同の公聴会を開いて、FTAP提案を、新規に取り上げることになっている。
 NGO側では、国際的な作業委員会が設けられている。それには、ペルーやエクアドルのような債務国と、スイス、ドイツ、オーストリア、英国、アイルランドなど債権国のキャンペーンや学者が入っている。Jubilee2000は、このなかで指導的な役割をはたしたはいるが、カトリックの援助機関のネットワークであるCIDSEや、「ジェスイット債務救済と開発」のような国際組織も積極的に参加している。
債務の持続可能性について
 長い間、債権者が独占してきた債務処理の基本的な問題が、初めて、現実主義的にとりあげられる。これは、少なくとも、或る特定の債務国との債務救済協定が、数年間、あるいは、数ヶ月で再検討されるなどということをなくすことが出来る。パリ・クラブではしばしばこのようなことが繰り返されてきた。
公平性
 債権者は、これまでのように、舞台裏で債権者同士が喧嘩することなく、特定の債務国の問題を包括的に解決できる。これまでのばらばらな対処方法では、リスケや帳消しを通じた解決に非常に抵抗する債権者にプレミアムを与えることになる。一方、包括的な仲裁プロセスでは、誰も無料の昼食にありつけないことを保証するものである。
新規投資へのインセンティブ
 FTAPプロセスによる債務の解決とは、これまでの重債務国に投資しようとする投資家が、その国の真正のバランスシートを手に入れることができるようになることをも意味する。これまでのように、新規の投資資金が古い債務の支払いに廻されるといった危険もなくなる。重債務国の投資環境が向上することは、過去の不良債権と、緊急に必要とされる資金との間に、防火壁のような効果をもたらすだろ。

12.各国の動き
 途上国が抱える公的債務は、2国間と多国間債務に分類される。ケルン・サミットにおいては、130カ国にのぼる途上国の中で、IMF・世銀が規定した重債務最貧国(HIPCs)40カ国だけが対象になった。
 ケルン以後、G7政府は、それぞれ一方的に、2国間債務のすべてを帳消しにすると公約した。そして、G7の多くは、IMF・世銀のHIPCsイニシアティブに沿って、帳消しを進行させた。しかし、2000年末、それぞれ方法、期間、プロセスは異なるが、米国、イタリア、英国の3カ国政府・議会が、2国間債務のすべてを帳消しにすることを決定した。
(1) 米国議会の承認
 クリントン大統領は、1999年秋、IMF・世銀総会において、米国の2国間債務を100%帳消しにすることを公約した。彼は、Pre-Cut of Dateと Post-Cut of Dateともに帳消しにすることを約束した。
 この時、HIPCs40カ国の債務は、60億ドルにのぼると言ったが、そのうちの35億ドルは、民間債務である。また、60億ドルと言うのは、帳簿上の数字であって、大部分はすでに不良債権として処理されており、納税者が負担する分は9億ドルである。
 7月10日、米国Jubilee2000は、債務帳消しを要求する50万人の署名を議会に提出した。この署名キャンペーンの主な担い手は、全米キリスト教会協議会やAFL・CIOなど有力な団体であった。
 翌日7月11日、米下院は、2001年会計年度予算審議の中で、HIPCs40カ国の2国間債務の帳消し予算として、2億5,000万ドルを、賛成239対反対185票で可決した。これは、クリントン大統領が、2000−2001年の2年間の債務帳消し予算として要求した4億7,200万ドルにはるかに及ばない額であった。
 以後、米国Jubilee2000は、全勢力を議会に対するロビイ活動に向けた。その結果、10月25日、米議会は、超党派で、HIPCsの債務帳消しに向けた4億3,500万ドルの予算を承認した。これで、2001−2002年会計年度の債務帳消しの費用をカバーすることが出来る。クリントン大統領が、1999年秋、IMF・世銀総会において、4年間で債務帳消しを実施するとした公約の2年間については、実現するこ見通しになった。残りの2年間については、ブッシュ大統領の課題になった。
 また、米議会は、IMF保有の金を時価に評価変えして得た資金を、債務救済に充当することをついに承認した。今回の決定で、IMFのHIPCsイニシアティブ向け資金は保証された。
(2) イタリア議会の大胆な決定
 6月27日、イタリア下院議会は、通称「ミレニアム寛容の法案」と呼ばれる最貧国の債務帳消し法案の討議を開始した。そして、この法案は最短審議で採択された。
 なぜなら、債務帳消しはバチカンとNGOの強い要請であった。だがこの法案の背景には、4ヵ月前、前ダレマ首相がサンレモ・フェスティバルでロック・スターのジョバノッチの要請に債務帳消しを公約したことにはじまる。ジョバノッチが何百万人もが見ていたテレビで、債務帳消しを訴えたことが大きかった。
 政府原案は、下院の外務委員会で拡大修正された。それによって、帳消しの対象国は40カ国から何と67カ国に拡大した。
 ODA債務は3兆リラ、また非ODA債務は5兆リラが、向かう2年間で帳消しになる。
 しかも法案は今回の対象国以外でも、今後自然または人的災害に見舞われた国に対しても直ちに債務を帳消しにするという条項まで盛り込んでいる。
 この法案がイタリアの国家財政に及ぼす影響について、いくつかの見方がある。政府原では対象国はほとんど破産国であったので、どちらにしても返済されないので、帳消しは何ら財政負担にならない。あるいは、採択された法案では、いくらかの支出が必要だという見方もある。
 また、この法律は、イタリアの貿易保険庁(SACE)に対して、年に1度の議会への報告を義務づけている。これによって、今後、武器の輸出などが規制される。
(3)英国ブラウン蔵相声明 
 2000年12月2日、ゴードン・ブラウン蔵相は、「今日以降、英国政府は、重債務最貧国41カ国(ナイジェリアを加えている)に持っている総額16億ポンド(今日のレートでは1ポンド=164円)にのぼる2国間債権を事実上放棄する」と発表した。
 これは、英国Jubilee2000が主催した、「世界は決して同じではないだろう(The world will never be the same again)」の集会に、クレア・ショート国際開発相とともに出席したブラウン蔵相が、41カ国からの債務返済を受け取らない」と演説したのであった。
 プラハのIMF・世銀総会においては、HIPCsイニシアティブによって、今年中に債務救済を受けるのは、たった20カ国であった。これに加えて、英国政府は、残りの21カ国からの債務返済も受け取らないことを決定したのであった。
 「あなたも、わたしも、ともに、最大の金持ち国がこれ以上、最も貧しい国の債務から利益を得ようとは思わないだろう」、したがって、「今日をもって、英国政府は、全41カ国の累積債務からの取り立ての権利を放棄する」と語った。1999年には、これら41カ国英国政府に対する債務の返済総額は、2,900万ポンドであった。
 「41カ国は債務を返済するのだが、これは、彼らが貧困削減計画を完成させるまでの期間、特別な信託基金に積み立てて置く。これは、残り21カ国の内11カ国が武力紛争下にあり、債務救済によって浮いた資金が武器購入にまわされるのを防ぐための手段である」と説明した。
 ブラウン蔵相とショート開発相は、他のG7の政府に対して、英国の例に倣うよう外交努力を開始した。すでにクリントン米大統領が、任期の最後の期間中に、「債務問題について、寛容な姿勢を示す」ことが予想されており、ブラウン蔵相は、少なくともクリントンについては、楽観視しているようだ。
 英国政府は、HIPCsイニシアティブの受益国である20カ国の2国間債務については、
すでに6億ポンドの帳消しを決定していた。残りの21カ国の2国間債務総額は10億ポンドである。
 ブラウン蔵相は、2001年はじめに、マダガスカル、ニジェール、エチオピアを含む5カ国が、貧困削減戦略ペーパーを書き上げることが出来ると予想している。また、今回の英国政府の決定は、先進国政府をはじめとして、国際社会が合意している、「2015年までに貧困の数を半分に減らし」「すべての子どもが初等教育を受けられ」「幼児死亡率を3分の1にまで減らす」という目標への第1歩である、とJubilee2000の集会で語った。
 英国政府の「決定」は、英国Jubilee2000が、4年にわたって債務帳消しのキャンペーンを続け、また2年にわたって国際的なキャンペーンをリードしてきた成果である。HIPCs40カ国に対する英国の2国間債務の総額は、33億ドル(20億ポンド)であり、貿易保険による債務が96%を占めている。ODA債務は、8,200万ポンドである。この総額20億ポンドの内、Pre-Cut of Date分が15億ポンドであり、Post-Cut of Date分は3−4億ポンドである。
(4)フランス政府の報告書 
 2000年8月23日、フランス政府は議会に対して、HIPCsイニシアティブについての報告書を提出した。これは、1999年の第1回報告書に比較して、Pre-Cut of date分と Post-Cut of Date分が明らかにされており、情報公開の面で前進している。とくにモザンビークを例に挙げて、パリ・クラブ、拡大HIPCsイニシアティブによる債務削減の実情を述べている。
モザンビークの債務救済の例
 モザンビークの名目債務総額は、59億ドルであった。その中で、実質債務総額は42億ドルである。IMF・世銀は、ナポリ条項にもとづいて、2国間の債務救済が行われた後、モザンビークの債務残高は、27億ドルであり、これは、輸出比で538%にのぼり、持続不可能と判定した。モザンビークは、IMFの構造調整プログラムの実施については3年以上の記録を認められており、20004月、IMF・世銀によって、HIPCsイニシアティブの資格国とされた。

表6.モザンビークの債務削減
モザンビークの名目債務総額:       59億7,200万ドル
       実質債務総額:       41億9,300万ドル
ナポリ条項による2国間債務削減額(註): 27億3,100万ドル  輸出比: 538%
HIPCsイニシアティブの結果:       7億6,100万ドル       150%
HIPCsイニシアティブの削減額:      19億7,000万ドル       388%
                  多国間     2国間      総額
ナポリ条項以後の実質債務総額:   10億9,000万 17億1,200万  27億3,100万
          削減総額:   7億3,500万 12億3,500万  19億7,000万
           比率 :     37%     62%      100%
註:パリクラブは、 Pre Cut-of date の債務の96%を削減した。

 フランスはナポリ条項による削減額では3億8,500万ドルを負担した。また、HIPCsイニシアティブによる追加削減額では、フランスは、2億3,000万ドルを負担した。この内、ODA債務分は6,000万ドル、非ODA債務分は、Pre Cutof dateの100%でで4,000万ドルである。
 フランスのHIPCsイニシアティブにおける追加削減額は、モザンビークの債務/輸出比はの20%にのぼった。その結果、モザンビークの実質債務総額/輸出比は130%になった。他のパリクラブ、非パリクラブのメンバーも追加削減し、その結果、モザンビークの輸出比は、59%、輸出/債務返済額は8%になった。
(5)アルゼンチン連邦裁判所の判決 
 アルゼンチンは、HIPCsではないが、重債務国である。しかし、市民社会のJubilee2000は組織されていない。一方、議会には、Jubilee2000の議員連盟があり、活発な活動を行っている。
 Olmos教授は、1982年以来、連邦裁判所に対して、たった1人で、独裁政権下に生じた汚い(Odious)債務を不当だとする訴訟を起こしていた。アルゼンチンの債務は、1976年から8年間続いた独裁政権下に、75億ドルから435億ドルに急増した。この裁判は長引き、残念なことに、最終判決の直前、2000年4月、Olmos教授は亡くなった。 
 7月14日、アルゼンチンの連邦裁判所のJorge Balliesteros主任判事は、独裁政権時代の債務の不当性(Illegitimacy)について、歴史的な判決を下した。判決文は、「Alejandoro Olmos氏の 対外債務の弾劾について」と題する200ページに及ぶもので、
「1976−1983年間に生じた債務が全く恣意的な借り入れによるものであった」とした。また、この対外債務は、「1976年以来の短期外国資金の流入、国内の高金利、緊縮財政政策などと深く関連しており、これらにIMFの関与がなかったとは考えられない」
と述べた。
 連邦裁判所は、議会に対して、これらの債務の詳細について調査するよう求めた。つまり、これらの債務の帳消し、あるいは、返済拒否などの措置は、議会の手に委ねられた。
 Omlos氏の裁判闘争は、孤独な戦いであった。しかし、父の遺志を継いだ息子のAlejandoro  Omlos Ganoa氏を代表として、労組のCGTを中心とした「対外債務フォーラム(FORDEX)」が結成され、7月24日には、議会前に5,000人が集まり、調査を要求してデモをした。議会は、政府寄りの有力議員たちが、国際金融機関との関係悪化を恐れれて、反応は弱い。しかし、Mario Careifo議員を代表とするJubilee2000議員連盟が活発に動いている。
 これら債務の調査には、現政府のLuis Machinea経済相、Carlos Menem前大統領時代のDomingo Cavallo経済相など独裁政権時代の大物が対象にあがっている。同時に、
 この調査は、アルゼンチン中央銀行や、30以上にのぼる先進国の民間銀行も対象になる。
 また、この判決は、ハイチ、バングラデシュ、旧ザイールなどの独裁政権の債務の不当性を明らかにすることにも大きく貢献する。
(6)ブラジルの住民投票 
 2000年9月7日のデモ
 1992年、ラテンアメリカ大陸では、スペイン・コロンブスによる征服500年の抗議行事があった。以来10月12日を「疎外された者の叫び」の名の下に、毎年大陸レベルで抗議の行動がおこなわれてきた。
 ポルトガルに征服されたブラジルでは、9月7日の独立記念日(178回目)をこの「疎外された者の叫び」行動の日としており、9月7日には、サンパウロで、数千人がデモをした。これは軍事パレードに並行する形となった。「政府が債務返済を減らし、その分を貧困対策に充てろ」と要求した。カトリックの指導者、土地なき農民、都市貧困者などがデモに加わった。
 その他の都市でもデモがあり、その総数は10万人にのぼった。
民間の国民投票
 この9月7日は、1週間続いた、非公式(Jubilee2000)の債務をめぐる国民投票の最終日でもあった。リオにある「ラテンアメリカ南部オルタナティブ政策研究所(PACSーJubilee2000キャンペーンの国内連合である、「国際金融機関のブラジル・ネットワーク」の事務局になっている)がこの国民投票の運動の事務局を勤めた。
 投票の結果は、ブラジリアの連邦議会内のNereu Ramos会場で、国際国内メディア、国会議員、キリスト教会の指導者など大勢詰めかけるなかで発表された。
 投票参加者は、546万人にのぼった。3,000以上の市町村で施行された。これは、1998年総選挙の投票参加者の5.16%に上る。13万人が、ボランティアとして、働いた。投票は、道路、協会、事務所、記者、地下鉄、僻地の農村でも集められた。これは、まさに直接民主主義であった。政府の妨害はひどく、メディアはこれを野党の選挙活動だと決めつけた。また教会の指導者たちには、運動から外れるよう圧力がかかった。また、運動は資金難に苦しんだ。
国民投票のテーマとその結果
 政府はIMFとの協定を尊守するべきか―93.81%がNO. 1.21%がYes.
 1988年憲法にある公開監査をすることなしに支払われている現在の債務返済を続けるべきか―96.57%がNo 2.19%がYes
 連邦、州、市町村政府が投機屋にたいする国内債務を予算の大きな部分を返済にまわすべきか―94.93%がNO 1.3%がYes
 会議は、政府に対して公的な国民投票を要求している。
(7)ウガンダのJubilee2000
 ウガンダには、1997年以来、キリスト教会、労組、NGOが参加した「ウガンダ債務ネットワーク(UDN)」が活発な活動を続けてきた。さらに政府、議会、UDNの3者による協議会が設けられ、「貧困削減戦略ペーパー」を作成し、同時に、削減で浮いた資金を貧困削減プログラムに充当するための受け皿として、「貧困行動基金」を設けた。これは、市民社会の管理の下に置かれる。
また、ウガンダ政府は、IF・世銀が要求した軍事費の削減を行った。
 しかし、2000年5月、パリ・クラブの会議において、メンバーの中から、ウガンダ政府が大統領専用機を購入したことを理由に、削減に反対したため、HIPCsイニシアティブの実施が延期されてしまった。その結果、ウガンダ政府は、2000−2001年度予算において、貧困削減プログラムを実施することが不可能になった。
(8)ボリビアのナショナル・フォーラム
 ボリビアは、2000年2月、拡大HIPCsイニシアティブによって、8億ドルの債務削減を受けることになった。しかし、これには、市民社会が参加して、貧困削減戦略ペーパーを、IMF・世銀に提出する、という条件が課せられた。
 ボリビアJubilee2000は、カトリック教会と共同して、真の貧困削減戦略ペーパーを作成することなった。まず、全土のカトリック教会において議論された。人びとは、それぞれ人権、マクロ経済、都市の開発、農村の開発の4部門に分かれて、医療、教育、土地、雇用の4項目について提言を行い、国内9州に組織したフォーラム毎にまとめられた。これには、個人4,000人、800の組織が参加した。
 2000年4月24−28日、首都ラパスにおいて、これら9州の地域フォーラムから429人の代表が提言を携えて、全国フォーラムを開き、市民社会の「貧困削減戦略ペーパー」を作成した。
 しかし、ボリビア政府は、これを拒否している。

13.今後の課題
(1) G7のJubilee2000の行方
英国
 2000年9月18日に理事会が開かれ、2000年末にJubilee2000のキャンペーンを終え、オフィスも閉鎖することを決定した。以後、
a Jubilee Plusと改名し、Ann Pettifor代表が、New Economic Foundationの中で、債務問題のフォローアップを行う。
b Adrian Lovettがチームを作り、2001年7月20−22日、ジェノアで開かれるG7サミットに向けたキャンペーンを行う。これは、同年9月には終了する短期のキャンペーンとなる。
c Christian Aid、 CAFOD、 OXFAM、WDMなど英国Jubilee2000のドナー団体が
以前にあったJubilee債務キャンペーン・ネットワークを復活する。
 このように、実質的にJubilee2000が3組織に分裂したことに対して、地域や参加団体などから非難が出た。その結果、Jubilee Plusは、ジェノア・キャンペーン以後に、活動を開始することになった。
米国
 米国のJubilee2000は、ワシントンのロビイ活動に重点を置き、HIPCsの債務帳消しに集中してきた全米キリスト教会協議会やAFL・CIOなどと、「50年はもうたくさんだ」などグローバリゼーション反対を掲げる黒人組織との間の対立を抱えていた。2000年以後のキャンペーンについては、これまで米国政府が独裁政権を支えてきた結果として生じたOdious債務を中心課題とし、全米規模の草の根の運動にするべきだという意見がある。
そのため、「50年はもうたくさんだ」も入った15人の運営委員会が、2001年4月に大会を開き、今後の組織や方針を決定することになった。
カナダ
 もともとカナダには、独自の債務帳消しキャンペーンはなかった。キリスト教会が中心となって、1998−2001年の期限付きで、Ecumenical Jubilee Initiativeが組織されていたが、国内の先住民の土地問題を中心課題としてきた。途上国の債務問題は、あくまで副次的な課題であった。
 1986年以来、カナダ政府のODAは、すべてグラント(贈与)であったため、2国間債務は少なかった。ケルン・サミット以前に、カナダ政府は、2国間債務の100%帳消しを宣言しており、その額は、9億ドルにのぼった。これにはPre-cut of Date分も含まれている。HIPCsでは、ミャンマーの債務が残っているだけである。また、HIPCs以外のバングラデシュの債務60万ドルも帳消しにした。
 したがって、カナダJubileeイニシアティブとしては、カナダ政府に対して、2国間債務の帳消しをキャンペーンする必要がない。
ドイツ
 ケルン以後、ドイツJubilee2000は、債務帳消しの「公正で、透明性のある仲裁機関によるプロセス(FTAP)」問題に重点を置き、FTAPの国際的なワークショップを開催してきた。すでに、3回にわたるワークショップが開かれている。
フランス
 これまで、フランスのJubilee2000は、ほとんど、キリスト教会関係の団体であった。
2000年末、Jubilee2000が中心になって、「トビン税」をテーマにして、20,000人のメンバーを擁する「ATTAC」、国際金融機関の改革をテーマとする「IFI」、WTOに反対する「CCC-OMC」など、グローバリゼーションに反対する市民団体が結集し、2001年1月6日、パリで、設立集会を開いた。
イタリア
 イタリアJubilee2000は、1998年にローマ会議を主催したリーダーが、コソボで国連の飛行機事故にあい、死亡してから、活力を失った。一方、プラハのIMF・世銀総会に対する大規模なデモにおいて見られたように、Ya Bastaなどグローバリゼーションに反対する直接行動グループがイタリアでは、最も活動的である。すでに、ジェノアに向けて、7月20日を、「グローバル行動デー」として、大規模なデモを企画している。
 また、すでに述べたように、イタリア議会が67カ国の2国間債務の帳消しを決定しており、ジェノアに向けて、議長国として大胆なイニシアティブを発揮するものと期待される。
(2) Cut of Date の問題
 1986年、パリ・クラブにおいて、初めて途上国の2国間公的債務の繰り延べが行われた。この時点をもって、それ以前に発生した債務をPre-Cut of Date分、それ以後をPost-Cut of Date分と呼ぶ。カナダ、英国、米国の3カ国は、その両方を、ともに帳消しにすることを約束している。フランスは、Post-Cut of Dateの大部分を帳消しにする。
 一方、イタリア、ドイツ、日本は、Post-Cut of Date 分は帳消しにしない。日本は、90年代以前に、サハラ以南のアフリカに対しては、円借款の供与を止めており、したがって、Post-Cut of Dateの債務は少ないことを、その理由に挙げている。
(3) G7の削減の分担額
 日本政府は、2国間債務の帳消しを拒み、40年の繰り延べによる「債務救済無償援助スキーム」に固執してきた理由として、「日本がODAの最大の供与国であり、したがって2国間公的債務が最も大きい」、それゆえ「財政的負担が大きいので、帳消しはできないい」と言ってきた。これには、HIPCs適格国40カ国の債務総額であって、その中の3分の1は、人権侵害として除外されるミャンマーが入っている。
 フランス政府の資料によると、今日、IMF・世銀がHIPCs適格国としている31カ国に対して、最大の債権国はフランスであり、日本は2位である。

表7.G7による2国間債務の分担額     
                    HIPCs 40カ国     HIPCs 31カ国
フランス:             123億7,500万ドル   104億1,400万ドル
日本:               127億5,300万ドル   79億8,100万ドル
ドイツ:               51億900万ドル    59億5,300万ドル
米国:                56億1,800万ドル   51億8,500万ドル
イタリア:              46億3,900万ドル  39億5,100万ドル
英国:                21億9,600万ドル   17億2,600万ドル
カナダ:               7億6,000万ドル   6億8,400万ドル
                          1999年12月31日現在

(4)帳消しに必要な費用をめぐる議論
債務帳消しにODAを充てない
2国間債務の帳消しにODAを充てることは、これまでJubilee2000が始まる前から、NGOが反対してきたところである。債務国にとって、確かに返済の資金は浮くのだが、しかし、援助金が減るので、結局同じことである。逆に、債権国では、帳消しの資金は国外に出るわけでなく、英国の場合ではODA資金のある部分が、貿易保険庁の不良債権の処理に充てられる。

表8.債務救済の資金がODA予算に占める割合
ポルトガル―78%
イタリア―57%
オーストリア―36%
ベルギー―22%
フランス―21%
英国―18%
スペイン―15%
デンマーク―15%
オランダ―12%
カナダ―7%
ドイツ―6%
日本―3%
オーストラリア―2%
スイス―1%
ノルウエー―1%
スエーデン―1%
米国―1%
 (註)このデータは、1998年、OECDが発表したもので、したがって、HIPCsイニシアティブもケルン合意の2国間の分も入っていない。

 注目すべきことは、ODA予算が増えても、それが債務削減に流用されるので、ODAの実質額は増えない。また米国のように、名目債務の削減をしている場合、実質的には公表された削減額の7〜8%にすぎない。
 債務国がきちんと債務返済をしている場合、ODA予算が債務救済に充てられることは、とりもなおさず、債権国は一方の手でODAを供与し、他方の手で、それを債務国からもぎ取っていることになる。
 債務国が返済を滞っていたら、債権国はODAで不良債権を単に処理することに終わる。
 このことについて、フランスのFabius蔵相は、春のIMF・世銀の国際金融通貨委員会において、「債務削減においては、追加の予算を充てるべきで、ODA予算を割くべきではないという原則をコミットするべきである」と述べた。
IDAの債務の帳消し
 IDAは、世銀の高い利子の開発融資を受けることが出来ない貧しい国に対して、先進国がグラントで拠出した資金を世銀が長期の無利子のソフト・ローンに変えて融資する機関であって、通称第2世銀と呼ばれる。
 重債務最貧国(HIPCs)の多国間債務480億ドルのうち、IDAへの債務は360億ドルにのぼる。
返済不可能なIDAの債務の帳消しの方法
a. 資金の手当てなしで行う場合、必然的にIDAの融資分が減る。この場合、どうしてもIDA融資のレベルを維持すべきかという疑問にぶつかる。つまり今日でもIDA融資の半分以上がそれまでのIDA債務の返済に充てられている。したがって、これまでの債務を帳消して、IDA融資を減らして行く。
b. 世銀の利益金を充当する。この場合、世銀融資を受けている中進国が反対している。またこの場合、世銀の利益金の範疇が問題になる。世銀の融資の利子収入分か、資金運用部の財テク分か、融資のロス補填金なのか。
c. 先進国の拠出金を充てる。これはJubilee2000の中でも、意見がまとまっていない。
 世銀の「HIPCs信託基金」への拠出金について出せとロビイしているものと、反対しているものがある。反対派は、「HIPCsは、債権国が支配しており、構造調整プログラムにリンクしている」という理由からである。
IDA融資そのものの問題点
 IDAには、「IDA債務削減基金」が設けられている。これまで、IMF、世銀や民間銀行の債務の返済に充てられてきた。3ドルのIDA融資が、IMF・世銀に2ドル戻ってきた。しかもサハラ以南のアフリカへのIDA融資の40%は構造調整融資である。
 以上の諸点について今後議論をして行くべきである。
米国会計監査院のHIPCS分析報告
 ケルン直後、米国の議会は会計監査院のチームにHIPCs債務イニシアティブの研究を委託した。その結論は、IMF・世銀が描いている、「拡大HIPCs債務イニシアティブ」の下では、「持続的な経済成長は、楽観的過ぎる。なぜなら、重債務最貧国は、一次産品の価格の変動などといった外的なショックに脆いからである。多分、HIPCsの持続的経済成長は、今後20年間望むことが出来ない」
 そのシナリオは、HIPCsイニシアチブの下では、古い債務の返済に更に借りなければならず、更なる債務削減が必要になるか、または不良債権化する、と結論づけている。
 HIPCsイニシアティブの遅れの原因には、資金問題がある。なぜならプロセスを実施する資金は債権国からの任意の拠出金によっているからである。
 IMFの債務救済については、1999年秋の総会において、保有の金の売却をもって充てることに合意を見た。そこで、市場外取引きを行い、2000年4月には、30億ドルの益金が出た。また、IMF・世銀のHIPCsTrust基金に対して、かなりの国が新規の拠出の公約をした。しかしこれだけでは、HIPCsイニシアティブの完全な実施には程遠い。
 また、アフリカ開銀など地域開発銀行の債務救済の資金の手当てについては、何も決まっていない。ラテンアメリカ、カリブ海地域のInter-American Development Bank(IDB)やアフリカ開銀が、HIPCsイニシアティブに参加するという協定はつい数ヵ月前に結ばれたばかりである。
 またHIPCsイニシアティブを実施して行くことは、HIPCs以外の途上国の債務返済資金の一部がこれに充当されることになり、すでに不満が出ている。
 このような資金不足問題は、個々の国の債務救済に大きく影響する。例えば、ボリビアの最大の債権者はIDBであり、またホンデュラスに対するIMFの暫定期間中の援助資金もIDBから調達しなければならないことになっているからである。
 もしこのような資金不足が長引くと、債務救済の実施は非常に長期にわたることになる。そして、「達成点」に達していない国にとっては、HIPCsイニシアティブはほとんど停止状態になる。この資金不足問題は2000年後半に顕著になり、IMFにHIPCs参加は、当分望めそうもない。
 またHIPCsイニシアティブを実施して行くことは、HIPCs以外の途上国の債務返済資金の一部がこれに充当されることになり、すでに不満が出ている。
 このような資金不足問題は、個々の国の債務救済に大きく影響する。例えば、ボリビアの最大の債権者はIDBであり、またホンデュラスに対するIMFの暫定期間中の援助資金もIDBから調達しなければならないことになっているからである。
 もしこのような資金不足が長引くと、債務救済の実施は非常に長期にわたることになる。そして、「達成点」に達していない国にとっては、HIPCsイニシアティブはほとんど停止状態になる。この資金不足問題は2000年後半に顕著になり、IMFにHIPCs参加は、当分望めそうもない。
(5)貧困削減戦略ペーパー(PRSP)の問題点
 HIPCsイニシアティブの枠組において債務救済と貧困削減とをリンクさせることは、根本的に矛盾している。そもそもHIPCsイニシアティブは、持続不可能な債務の重荷から解放させることを目的としていた。一方、新しく付け加えられた貧困削減は、それ自身が、もう1つの目的である。しかし、この両方を同時に実現できるのかという問題が残る。
 最近、国連貿易開発会議(UNCTAD)事務局は、サハラ以南アフリカが必要とする資金需要の試算を行った。それによると、この地域が、年率6%の成長を確保するためには、現在のODAの2倍の資金供与を必要としている。これは、この地域のGDP総額の7%に相当する額である。
 一方、この地域の毎年の債務返済額は、GDPの3%である。そこで、もし、HIPCsイニシアティブの枠組で、即時、100%の債務救済が実現すれば、今後のODA供与額は、現状のレベルでも、年率7%の成長が見込まれる。
 サハラ以南のアフリカのみならず、他の低所得国(LDCs)も、国内の貯蓄率が低く、民間の資本投資が無いため、ODAへの依存度が高い。
 上記のことは、債務救済に対する資金の手当ての重要性を物語っている。債権国と国際金融機関が、資金拠出をしない場合、債務救済と貧困削減は大きく阻まれる。多くの資金供与国が、通常のODA予算からHIPCsイニシアティブへの資金を捻出しているのは、不吉な兆候である。
 IMFのESAF-PRGFは、債務の持続可能性についての調査報告書を出したが、それによると、HIPCsイニシアティブの実施によって、輸出が増えると言っている。しかし、これは、楽観論すぎる。
 例えば、すでにHIPCsイニシアティブによる削減の実施を受けたウガンダでは、1999/2000年に6〜7%の輸出増が見込まれていたが、逆に、輸出は、5分の1も減少した。
 ガイアナの例では、1999年に「完了点」に達した筈であったが、何と債務総額が政府税収に占める比率は410%であった。これはHIPCsイニシアティブがターゲットとしている280%をはるかに超えている。
 HIPCsイニシアティブが「持続可能な債務」を目指すなら、輸出増と税収増を保証しなければならない。これなくしては、HIPCsは今後外的なショックに耐えることが出来ない。
 HIPCs/PRSPイニシアティブは、債務国政府のOwnershipを強調しているが、これが必ずしも実施されているわけではない。新たに「貧困削減」を条件に加えられたが、これも、債務国政府と十分協議したものではなかった。IMF・世銀が一方的に、企画をし、策定方法を決めたもので、債務国の自主的な采配の余地はほとんどない。
 同じく、債権者が、救済の額と条件を決める。これは、債務国が必要とするものであるよりは、むしろ、債権者側の準備する資金額によって決まる。そして、債務国が何時、削減交渉を受けるかを決定するのは、IMF・世銀である。
(6)はげたかファンド 
 アジア金融危機を引き起こした悪名高いヘッジ・ファンドが、重債務国政府の債務を第2債権市場で超安値で買取り、その後、その債務国政府を法廷に訴えて、高い利子を加えて、全額返済させるという悪徳行為を行っている。これは、「ハゲタカ・ファンド」と呼ばれ、最近では、ペルー政府のBrady債権が被害にあった。ペルーは総額37億ドルのBrady債権を抱えている。
 「ハゲタカ・ファンド」のやり口は次の通り。ニューヨークに本拠を置くヘッジ・ファンドのElliott Associatesは、債権の安売り市場で、売値が2,000万ドルであったペルーのBrady債権を1,100万ドルに買い叩いて購入した。そして、ニューヨークの地裁に、高い利子を加えて何と5,800万ドルを即時支払うよう訴えた。地裁は、この取引が違法であることを理由に、訴えを却下した。しかし、その後Elliott Associatesが法の改正に成功した結果、連邦最高裁は地裁の判決を覆した。そしてElliott Associatesは、4,700万ドルの不当利益を獲得した。その結果、ペルー政府は破産の瀬戸際まで追い詰められた。
 Elliott AssociatesのオーナーであるPaul Singer、彼のアドバイザーのJay  Newman、弁護士のMichael Strausによる3人のチームは、これまで、パナマ、エクアドル、ポーランド、象牙海岸、トルキスタン、民主コンゴなどの債務について、同じ様な取引きを行ってきた。G7首脳たちは、これまでアジア金融危機以来、ヘッジ・ファンドの規制を公約してきたが、何の措置も講じていない。

14.日本の課題
(1)短距離ランナーを長距離マラソンに
 Jubilee2000は、「2000年までに、最も貧しい国の支払い不可能な債務を帳消しにする」ことをテーマに掲げた時限付きの国際キャンペーンであった。したがって、2000年末には、国内レベル、国際レベルのキャンペーンは終息する。Jubilee2000の国内の連合体は解散する。
 しかし、これは債務帳消しの運動を終わらせるということではない。
  ケルンの「人間の鎖」のような大規模な人数を動員し、また、短期間に記録的な数の署名を集めたJubilee2000の国際キャンペーンは、いわば短距離トラックのようなものであった。今後はこれを長距離マラソンに切り替えていかねばならない。
 Jubilee2000は、2000年までに最貧国の債務の100%帳消しを実現できなかった。IMF・世銀のHIPCs Iも拡大HIPCsもともに、Jubilee2000にとって受け入れ難いものである。最貧国以外の途上国の支払不可能な、かつ不当な債務の帳消し問題はまだ取り組まれていない。公正で、透明性のある債務帳消しの仲裁プロセスには、どのようなメカニズムが必要なのか.。このような国際的な課題と、2国間債務の100%帳消しをどのように実現していくのかといった日本独自の国内的な課題が残されている。
 Jubilee2000のキャンペーンに結集した人びととともに、残された債務問題の課題を解決するためには、どのような目的と組織形態が考えられるだろうか。
(2)「途上国債務と貧困ネットワーク」
 Jubilee2000の解散した後、日本実行委員会の加盟団体、及び個人でJubilee2000に参加した人の中から、引き続き債務問題に取り組む組織を作る。組織名は、「途上国の債務と貧困ネットワーク」とする。(英文名はJapan Network on Debt and Povertyとなる)。
 これまで、世界各地に「債務と開発ネットワーク」はあるが、今後は、開発一般ではなく、貧困根絶を枠組として、債務問題と取り組むべきであろう。
組織形態
 ネットワークは、緩やかな組織形態だが、しかし息の長い債務問題の解決を目指すという決意が必要である。では、どのような組織形態なのか。
 ここで、日本Jubilee2000のこれまでの2年間のキャンペーンを振り返って見よう。最初に取り組んだのが、ケルンに向けての「債務帳消し」の署名運動であった。50万人という記録的な数の署名の中で、約半分は、立正佼成会、退婦教、日教組、自治労などの組織であったが、残りは、カトリック教会の方がたをはじめとする熱心な個人であった。
 次に取り組んだのが、2000年2月から4月にかけての外務省、大蔵省にたいする毎火曜日の要請行動であった。ウイークデイの午前中であったにも関わらず、これを成功させ、ついには、4月10日、政府に「非ODAの100%帳消し」を公約させた。この連続行動を
担ったのは、熱意のある個人であった。
 最後に、日本Jubilee2000が取り組んだ大きなキャンペーンは、「新聞の前面広告」と沖縄での国際会議開催のための募金活動であった。これには、3,000人が参加した。
 このように、日本Jubilee2000のキャンペーンを支えてきたのは、熱意ある個人の力であった。
 一方、政府との交渉レベル、さらに国際レベルにおける、日本Jubilee2000の存在という点では、日本の市民社会を代表する組織の連合体であるということが、大きな強みであった。G7諸国の中では、このような幅広いJubilee2000連合体でもってキャンペーンを展開したのは、英国、米国、日本の3カ国であった。
 したがって、「途上国債務と貧困ネットワーク」は、団体と熱意ある個人によって構成される。
 ネットワークに参加するにあたって、当然のことであるが、沖縄のJubilee2000の国際会議で採択された2つの文書、「G7への要請書」「Jubilee2000合意文書」を規範とする。
 ネットワークの事務局は、従来通り、アジア太平洋資料センターが担当する。できるだけ早く専属のスタッフを置く必要がある。そのため、ネットワークへの参加費として、年間個人は1口5,000円、団体は1口10,000円とする。お金を払うことは、運動へのコミットメントの意思表示である。
ネットワークの課題
●日本政府に、「債務救済無償援助スキーム」に代わる、債務帳消し政策を要求する。HIPCs41カ国のODA、非ODA債務を、2〜4年間で100%帳消しにすることを目指す。
ただし、人権を侵害している政府は、改善されるまで、帳消しを中止する。
 1999年5月に設立された「最貧国の自立と債務帳消しを考える議員連盟」は、2000年6月の総選挙後に新しい議員たちが加わった。この議員連盟と共同して、「スキーム」にかわる「最貧国の2国間債務帳消し」に実現をはかっていく。

表9 日本に対するHIPCsの債務総額
国名       円借款  輸銀融資  貿易保険  合計(100万円)(100万ドル)   
ベニン 3,762 0 0 3,762 34
ブルキナファソ 0 0 0 0 0
カメルーン 2,232 0 0 2,232 20
ガンビア 0 0 0 0 0
ギニア 9,492 0 3,620 13,112 119
ギニアビサウ 0 0 0 0 0
マダガスカル 13,816 0 6,863 20,679  188
マリ 8,702 0 0 8,702 79
モーリタニア 9,055 0 0 9,055 82
モザンビーク 0 0 6,233 6,233 57
マラウイ 30,450 0 1,158 31,608 287
ニジェール 2,879 0 0 2,879 26
ルワンダ 1,291 0 0 1,291 12
サオトーメ・プリンシペ 0 0 0 0 0
セネガル 11,982 0 0 11,982 109
タンザニア 14,840 1,290 56,813 72,943 663
ウガンダ 6,247 0 0 6,247 57
ザンビア 43,837 12,628 5,616 62,081 563
ガイアナ 0 0 123 123 1
ホンデュラス 32,268 2,078 9,055 43,401 395
ニカラグア 13,579 0 0 13,579 123
ボリビア 53,407 0 7,408 62,256 566
(以上22カ国は2000年末までにHIPCsイニシアティブによる削減交渉を受けた国)
チャド 0 0 0 0 0
象牙海岸 14,212 0 0 14,212 129
エチオピア 0 0 1,725 1,725 16
トーゴ 9,019 0 0 9,019 82
(以上4カ国は、2001年以後)
ブルンジ 3,300 0 0 3,300 30
中央アフリカ 600 0 0 600 5
リベリア 3,749 2,086 0 5,835 53
民主コンゴ 43,672 0 5,890 49,562 451
コンゴ 0 0 0 0 0
シエラレオネ 2,250 0 0 2,250 20
ソマリア 6,468 0 0 6,468 59
スーダン 10,724 0 23,921 34, 645 315
ミャンマー 275,535 0 0 275,535 2,505
(以上9カ国は紛争下の国として除外された)
アンゴラ 0 0 4,031 4,031 37
ケニア 113,849 4,567 0 118,416 1,077
ベトナム 88,257 21,806 0 110,063 1,001
イエメン 34,434 0 586 35,020 318
(以上4カ国は重債務国から外された)
ガーナ 81,304 0 23,921 105,225 957
ラオス 2,319 0 0 2,319 21
(以上2カ国はHIPCsイニシアティブを辞退)

合計 947,531 44,455 156,963 1,150,390 10,457

●IMF・世銀のHIPCsIIに代わる、公正な、透明性のある債務帳消しの仲裁プロセス(FTAP)のメカニズムを打ち出し、その実現のための国際的なロビイ活動に参加する。中でも,ドイツJubilee2000が主催しているFTAPのワークショップのネットワークに積極的に参加していく。
 そのために、「途上国の債務と貧困ネットワーク」の中に、少人数でよいが「IMF・世銀タスクフォース」を設け、HIPCsイニシアティブの調査、研究、国際的なさまざまなネットワークへの参加、さらに学習会の開催などを専門に取り組む。
ウガンダのJubilee2000の例
 「Uganda Debt Network」の名の下に、キリスト教会、労組、NGOを含む広範な連合体が組織された。このNetworkは、政府、議会と共同して、IMF・世銀が新しい条件として打ち出した、「貧困削減戦略ペーパー」を書き、さらにこれに基づいて、「貧困行動基金」を設立した。これは、債務帳消しによって浮く資金の受け皿であり、市民社会がその使途についてモニターして行く。
ボリビアJubilee2000の例
 ボリビアでは、全国のキリスト教会において、「教育、医療、地域開発」をテーマとして、人びとが「行動計画」を書いた。これを、9つの州毎にまとめ、さらに、さる4月、州の代表が首都ラパスに集まり、草の根の意思を代表した「貧困根絶行動計画」を作成した。政府に対して、「貧困削減戦略ペーパー」の作成にあたって、これを組み入れるよう要求している。
●アジアやラテンアメリカ諸国の日本に対するODA債務の救済に取り組む。これは、円借款によって生じたものである。とくにマルコス、スハルトなどの独裁政権維持のために供与されたもの(汚い債務)、開発プロジェクトが失敗して不良債権化したケース、1985年以来の円高により増えた部分、1997年のアジア金融危機で現地通貨下落により増加した分などの債務の検証が必要である。
 スハルト以後のインドネシアでは、INFIDなどNGOによって、このような債務問題がすでに取り組まれている。しかし、インドネシアに関しては、日本には、JANNIやNINDJAなど、この問題に取り組んでおり、その活動を尊重したい。
フィリピンの債務
 まず、手始めに同じ様な重債務国であるフィリピンの債務問題に取り組むことを提案する。すでに、1994年、IMF・世銀を問う連絡会で、国会議員とともに、フィリピンに調査団を送り、債務問題とフィリピン政府、議会とコンタクトしたことがある。そのフォローアップの形で、はじめたらどうか。
アルゼンチンの債務
 アルゼンチンでは、連邦最高裁が「独裁時代のアルゼンチンの債務は、不正当である」という判決を下した。これは学者である故Alejandoro Omlos氏の1982年以来の孤独な裁判闘争の勝利であった。アルゼンチンにはJubilee2000の国内連合は存在しないが、今日Omlos氏の意志を継ぐ組織が生まれた.。またアルゼンチンにはJubilee2000議員連盟が活発である。現在、判決後、議会に「汚い債務」の調査が委ねられており、この時代の日本の円借款についても問い合わせがある。
ブラジルの債務
 ブラジルでは、憲法に基づいた「債務について」の国民投票が計画されている。「債務返済にNO」の結果が出れば、ブラジル政府は国際司法裁に提訴するであろうし、いずれは、日本の円借款の問題が起こってくるであろう。
●ジェノア・サミット・キャンペーン
 2001年7月20〜22日、ジェノアにおいて、G7サミットが開かれる。
 日本と異なり、イタリア政府は、すでに2国間債務の帳消しを向こう2年間で行うと約束し、議会ではその予算を可決している。しかも帳消しの対象をHIPCsの40カ国に限らず、67カ国に拡大した。
 したがって、イタリアは、ジェノア・サミットの議長国に就任する2001年1月には、
債務帳消しについて、「大胆なイニシアティブ」を打ち出す可能性がある。これに対して、今年1月以来、各国のJubilee2000が日本大使館に対して要請デモを続けたようなジェノア・キャンペーンを行う。