論文集  
債務と貧困


正義と平和全国大会での講演 1998年10月10日                  

I.なぜ貧しい国の債務を帳消しにしなければならないのか?

1)債務とは?

今日は「債務」の話をいたします。

これは途上国政府が負っている債務のことです。先進国に返済しなければならない2国間債務、IMF(国際通貨基金)や世界銀行など国際金融機関に返済しなければならない多国間債務、それに先進国の銀行などから借りている民間債務などがあります。

途上国政府は、今日、この対外債務を返済するために、国の予算の大きな部分を割かなければなりません。その結果、当然のことのように医療、教育、農村開発など民生予算が削られ、そのしわ寄せが貧しい人びとに集中しています。

このほかに、国内債務があります。勿論、最も貧しい国では、そんなことさえできないのですが、フィリピン、インドネシア、ブラジルのように中所得国ですと、政府の予算が足りなくなると、国債を発行したり、国内の銀行などからか借りてきたりしますが、これらの借金を国内債務と呼びます。これも大きな問題です。

例えば、フィリピンなどは、対外債務の返済に予算の30%ぐらいを割かれ、さらに10%ぐらいが国内債務の返済に充てられています。つまり予算の40%が債務返済に充てられています。40%というと、公務員の給料を支払ったら、残りの予算はほとんど残らない。学校を例にとっても、新規の学校を建設することなど到底できないのですが、今ある学校さえも維持できない状況です。

日本政府が毎年予算から支払っている国債の償還費などは国内債務です。これはあまり問題になっていませんが、毎年その返済額は予算の30%以上にのぼっています。日本もまた重債務国ですけれど、これは円で発行し、国内の銀行、証券会社、個人などに売っていますから、国際的な問題にはならないで済んでいます。世界一の重債務国はアメリカです。アメリカの国債は、主として日本、韓国、中国、その他アジアの国が買って、アメリカの予算の赤字を補填しているのです。つまり、巨額の対外債務を抱えています。しかし、アメリカはドルという国際通貨を発行していますから、将来、多分、冗談ですけど、ドルを増し刷りして返済に充てれば済むのです。こうしてアメリカの債務は当分問題ないのですが、ドルを大量に増し刷りでもしたら、世界中がどういうことになるか、というのはまた別の問題ですが・・・。

 

2)地球上のすべての人びとが人間らしく生きられるために

 

(1)ベーシック・ヒューマン・ニーズ

国連は、1998年に、2000年を「ジュビリーの年」にすると決め、ミレニアム・サミットを開催することを決めました。その意味は、20世紀が生み出した不正義を21世紀に持ち越さない、ということでした。21世紀には地球上のすべての人が、人間らしく生きられるようにしよう、そのために、世界の首脳が目標と期限を決めて努力することを誓おうではないか、ということです。

ここで、「ミレニアム開発ゴール(MDGs)」が採択されました。その内容は、2015年までに、絶対的な貧困を半減する、すべての子どもが学校に行けるようにする、すべての人が安全な飲み水を手にいれることができるようにするなど、8項目に及んでいます。

 これらMDGsは実はすでに途上国政府が開発プログラムとして、90年代に毎年のように開かれた国連の環境、人権、人口、社会開発、女性、人間居住、教育などをテーマにしたサミット・クラスの会議で公約してきた内容でした。

例えば、タンザニア政府は95年9月の北京での国連女性会議において、安全な飲み水の供給に関する細かなプログラムを発表したしました。それは、全ての所帯が700メートル以内に井戸や水道といった安全な飲み水を供給するようにすることを、それも2000年までに達成するという公約しました。 

しかしタンザニアのように貧しい国にとっては、結局達成不可能でした。なぜなら巨額の対外債務をまず返済しなければならないという問題があります。債務がなくなるということは、MDGsの達成のために必要です。このような環境作りをするために、債務の帳消しは国際的な責務です。

UNDP(国連開発計画)という国連の開発機関があります。これは途上国のほとんどの国に代表をおいて、約6000人のスタッフを擁する国連最大の開発機関です。UNDPは毎年『人間開発レポート』というのを出していまして、97年度版に貧困の問題を取り上げ、絶対的な貧困層が13億人いるという数字を出しました。これは衝撃的な数字でした。というのは、80年に世界銀行が出した『世界貧困レポート』というのがあるのですが、その時は絶対的な貧困層は5億人でした。20年もしない間に5億人から13億人に増えたのです。

この絶対的貧困層というのは国連の用語です。「絶対的」というのは、単に貧しいというだけでなく、それ以下、つまり貧困ライン以下を指します。

具体的に言うと、三食食べられない。一日一食か二食、文学的な表現を使うと、夜お腹を空かせたまま床に就かなければならない、科学的にいうと、一日の摂取カロリーが1200カロリー以下です。これは、医者に言わせると、寝ていなければならない、動けないカロリーなのです。しかも、このカロリーだと、若い男性と子供や妊婦とでは与える影響が圧倒的に違うのです。まず子供の場合は、そういうカロリーだと、七歳の子供なのに三歳ぐらいにしか見えない、七歳位にしか見えないのが実は十四歳だとかいう形で全体的に体の発達が遅れるのです。だから、将来大人になった時大変なことなる、脳の発達も遅れるのです。それから、妊婦の場合は、生まれてくる赤ちゃんに大きな影響を与え、将来世代にまで禍根を残すのです。これらの子どもや妊婦に、今、食べさせられるようにしたら解決するかという問題ではないのです。

衣については着たきりで、着替えさえないという人びとです。住については、適切な屋根の下で寝ることが出来ないということです。当然路上生活者が入りますが、このほか、たとえ屋根があるところに暮らしていても、スラムの人たちのように公共用地などに勝手に家を建てて住み着いているという人たちがいます。つまり、適切な住居とはいえないのです。常に市当局や警察に追い立てられる危険にさらされているし、電気、水道、下水道など、住環境に必要なものはない。つまり路上生活者とスラム住民が入ります。

さらに衣食住のほかに、絶対的貧困層の条件としては、教育問題があります。小学校に行けないか、行ってもドロップアウトしてしまうということで、読み書きが出来ない。そのことで、さまざまな可能性を奪われているのです。就職できないだけでなく、例えば村の行事に参加できないといったようにすべてのものへのアクセスを奪われています。五番目には、医療保健があります。これは病気でなっても医者に診てもらえない、薬がない、看護婦も助産婦もいない、といったことも含めますが、同時に先ほど申しましたように、安全な水が手に入らない。だから女たちが何キロも歩いて水を汲んできて、その水で、一日、一家が暮らさなければならないために、非常に不潔です。そのため子供が下痢、風邪やはしか等、通常なら治る病気でも、命を奪われるということも含めます。

衣食住、教育、医療保健という五つのニーズ、これを「ベーシック・ヒューマン・ニーズ(BHNs)」と言いますが、これを奪われている人が、絶対的貧困層というカテゴリーに入るのです。国連がこの「絶対的貧困」のカテゴリーを決めたのは80年代でした。

90年代に入り、冷戦が終わって、つまり社会主義が崩壊した時に、国連はあることに気がつきました。以前、社会主義は「社会主義になったら人びとはただで学校に行けて、全員就職できて、そして医療費もただになる」と宣伝していました。社会主義はBHNsを満たすのだと言っていたのです。

しかし、なぜ、人びとは社会主義に「ノー」と言ったのでしょうか?それは「自由」がなかったからです。だから、BHNsの五つのカテゴリーでは足りない。これら五つは、いわばハードなものです。食べるものや屋根といったものだったのです。それに、自由という、表現の自由とか、政治的な自由とか、そういう自由がなくてはいけない。つまり以前のハードな五つに、ソフトな自由というものが加わり、六つのカテゴリーになりました。これが、国連では共通認識になりました。

このような人びとがこの地球上に13億人もいるということは、増えたということも衝撃的ですが、13億人ということは、この地球上に60億人がいるのですから、13億とは、5人に1人の割合になるわけです。私たちは、億という単位で言われると、思考が停止してしまい、10億でも13億でも「ああそうですか」ということで、あまり実感がありません。私たちの日常生活で理解できるのは100万人ぐらいまでです。とくに豊かな国に住んでいますと、そういう人が隣にいないと、分からない。しかし、そこに座っていらっしゃる5人のうち1人がそういう状況にあるというふうに考えると、リアルに考えられます。これは由々しい問題です。生きる権利さえも奪われているのですから、重大な人権侵害です。

 

(2)難民の激増

冷戦が終わったので、本来は冷戦がらみの紛争がなくなっているはずですが、実際には、冷戦時よりももっと武力紛争の数が増えています。大体85カ国位に広がっており、途上国に集中しております。しかもその多くは国内紛争の形をとりまして、犠牲者の数も多く、難民の数も極端に増えました。

冷戦前までは難民は1000万人ぐらいだったのが、冷戦後には1億5000万人にふくれあがりました。その他に国内に難民になっている人がいます。難民は国外に出て行くと、国連の高等難民弁務所の手当てが受けられますけど、国内の難民はだめです。その国内難民がまた、難民と同じ数ぐらいいるのではないか・・・その圧倒的に多くが女性と子供です。女性と子供が紛争を起すはずがない。起すのは男の人たちで、それで犠牲になるのが女性と子供であるというのが、これもまた大きな問題です。

ですから、95年の北京の女性会議で、武力紛争下における女性の人権侵害の問題と、女子、つまりガールチャイルドの問題とが、特別の項目を設けられて議論されたということも、このような背景があるのです。

 

3)これまでの開発理論の誤り

 

(1)主流派の開発論

このような貧困層の増大が諸悪の根源となっています。これまでは世界銀行などは、とにかく経済成長すれば、つまり、工場を建てて、商品を生産して、それを輸出して、外貨を稼げばGNPが増えます。それが全国に及ばなくてもいい。例えばインドネシアであれば、ジャカルタだけでいい、ジャカルタに多くの工場ができて、物がたくさん生産され、それが輸出されれば、GNPが増える。それは、水が高いところから低いところに必ず流れるように、いつかはその恩恵が底辺層まで及ぶ、と言ってきました。これをエコノミストたちは「トリクル・ダウン理論」と呼ぶのですが、要は水が下に流れるように、下層の人びともやがては成長の恩恵を受けることができる。とにかく、パイを大きくすることが大事だと。だから工業化をすることだ、と言ってきました。

工業化するにしても、途上国には資本も技術もありませんから、先進国の企業に投資をしてもらわねばなりません。工場誘致です。しかし、外国企業に投資してもらうにはある条件が要ります。つまり何もないところ、たとえばジャングルには工場は建たないです。途上国政府はそのため、道路を作ったり、電気や、水道を供給するためのダムを作ったり、漁港では大きな船は泊められませんから、港を整備したりして、産業インフラストラクチャーというものを整えなさい、といわれます。そのためのお金はないから、これを先進国政府にODAの形で出してもらって、これらインフラを作ります。そうして、先進国の企業にお願いして投資を増やしてもらうのです。

しかし、外国資本は、途上国の開発のために投資をするわけではありません。外国資本が途上国に投資するのは、そこに安い労働力があるからです。ですから、賃金が安くなければならない。安い賃金を維持していくために、外国企業には労働組合は作らせないといった法律を作りなさいとか、いろいろ言ってきました。

要するにGNPを増やすことが、やがては底辺層にまで、じわじわと及んでいくのだと。戦後の日本もそうだった。戦争で産業は破壊されましたが、工業化したら農村もきれいになって、貧困はなくなったではないか。だから、途上国もそういうことをしなさいと、こう言ってきました。こういう開発理論が、これまで長い間、世銀などが音頭をとって、主流を占めてきました。

 

2)多国籍企業の投資の条件

しかし、この理論には、大きな誤りがありました。というのは、外国企業の側には、投資先を選ぶ権利があります。途上国どこでも投資できます。外国資本はもっとも貧しい国に投資しようといった殊勝な考え方を持っていません。従順な労働力が豊富にあって、この場合、多くは女性があたりますが、そういうところに投資するのです。だから、投資先は必ずしも全世界に及ぶわけではなく、アフリカのように奴隷貿易の時代から人的に完全に枯渇しているところには行かないで、人口が密集しているアジアやや比較的工業化が進んでいたラテンアメリカに集中しました。この場合、途上国側が投資をして欲しい企業が入ってくるわけではなくて、外国企業が目指すのは安い労働力、つまり利潤をたくさん上げたいわけですから、一番手っ取り早いのは賃金が安い国に行くというわけで、必ずしも、途上国政府が計画した成長や経済のあり方にそって資本を投資するわけではありません。このように、外国資本と途上国政府の思惑の間のミスマッチが起こりました。

まあ、多国籍企業についてはいっぱい言うことがあるでしょうが、他にも例えば、企業が投資をしてくれる場合には、受ける側の一番のメリットは、現地で生産して利潤を上げ、それを国内で再投資してくれることなのです。日本の国内ではそういうことが起こっています。例えば、新日鉄はここに工場を建てて、儲けて、その次に他のところに工場を新設して儲けるという形で、どんどんと工場設備を国内に拡張してきました。しかし。途上国に投資した外国企業はそれを絶対やらない。まず投資する条件として、工場が上げた利潤は、そのまま本国の親会社に送還する。その自由を認めなければ、投資はしてくれない。だから、利潤がその国に還元されて、途上国内に再投資されるということは一度も起こったことはありません。

ほかにも多国籍企業の投資の仕組みにはいろいろあって、言い始めるときりがないです。そんなことで、実際には途上国政府が望んだような経済発展ではありませんでした。けれども、GNPが減っているのはアフリカぐらいで、他の途上国ではGNPは増えています。しかし依然として、貧困はなくならないばかりか、逆に増えています。

 

(3)モノカルチャー経済

他方では世界銀行は、先進国の経済成長や需要に合わせて途上国の政策を決めてきました。これが問題でした。途上国が、独立する前に植民地時代に決められた一次産品があります。植民地本国は、ここ国では落花生を作りなさい、ここでは石鹸の原料であるパームヤシを作りなさい、ここでは綿花を輸出しなさい、という形で決めてきたのです。しかし、途上国の望みは、それを何とか多角経営にしたい。だから、コーヒーだけに依存しないで、砂糖だけに依存しないで、他のものを作るようにしたいといったら、いや、それは駄目だと、あなたたちはもう既に、コーヒーならコーヒーを作るノウハウがあるのだからそれを続けろ、とこう言ったのです。これを、モノカルチャー経済と呼びます。

一次産品だから植民地時代と同じように外貨を稼げるのであれば、工業化のための外貨も全て、一次産品で賄いなさい、と言われました。銅の国とか、錫の国とかいろいろありまして、それがそのまま残っているわけです。これら一次産品は、戦後、一貫して値下がりしています。

コーヒーを例にとりますと、最大の輸出国であるブラジルのコーヒーが定期的に霜にやられて不作になり、その間コーヒーの国際市場価格はちょっと値上がることもありますが、一般的には常に値段が下がってきていまして、今日では、作っても、ほとんど元手も回収できないほど値下がりしています。

70年代半ばの石油ショック以前、白い砂糖の値段というのは、スーパーの目玉商品として一キロ98円でしたが、今目玉商品で138円ぐらいです。というのは、いかに一次産品の典型である砂糖の価格は上がっていないかということです。70年から90年の間、物価はどんどん上がっていますが、砂糖の値段はほとんど変わっていないということは、砂糖だけを生産し輸出している国にとってどういうことになるか、ということはお分かりになると思います。私たちが日常飲んでいるコーヒーは500円のもあれば、1200円のコーヒーもありますが、生産者と間に、ネスレーやジェネラルフーズなど巨大な会社が入っていて、私たちには生産者のことは分からないようになっていますが、コーヒー豆の値段というのもほとんど上がっていない、というより、下がりつつあるということです。現在、私たち消費者が300円のコーヒー代を支払っているとすると、コーヒー豆を生産している途上国の農民が受け取るのは10円以下です。

これが、戦後一貫した途上国の経済開発政策として、世界銀行などが打ち出してきたものです。

一次産品の多くは、農産物です。私たち消費者から見れば、一般に農産物が値下がりするのは、生活費が安くなって良いではないかと思います。ところが途上国で生産している一次産品は、換金作物で、それも一国に一品目なのです。これは100%輸出されるものです。現地で消費するのは、女性が庭や畑の隅で細々と家族のために自家生産しているもので、ほとんど市場には出ません。つまり自給自足経済の部分です。

ですから、一次産品の値段を上げたとしても、即、農民の収入増につながるわけではありません。むしろ値下がりの影響は、ただちに農民にしわ寄せされます。

 

3)途上国の債務発生のメカニズム

 

(1)石油ドル代金が先進国の銀行へ

その結果としてどういうことになったかというと、60年代の先進国はものすごい経済成長ブームの時代でした。日本も含めまして、ヨーロッパもアメリカも先進国といわれている国は高度成長を謳歌しました。そして、途上国から安い一次産品を輸入しました。今では信じられないのですけど、当時石油が1バレル1ドルでした。それで日本などは1ドル1バレルの石油を湯水のように使いました。そのため国内の炭鉱を全部閉鎖して、エネルギー源を全面的に中東からの石油に代えたのです。このときの高度成長とは、企業が工場設備をどんどん増やしたのです。

ここで、銀行が大きくなりました。銀行は日本中に支店を作って、ものすごく大きくなりました。そして、銀行は企業にどんどんお金を貸したのです。ところが、石油ショックが起こって、日本の経済成長が止まると、これはヨーロッパもアメリカもみな同じなのですが、国内の設備投資のための資金の需要がなくなってしまいました。銀行は国内に貸し先を失ってしまったのです。

一方で、石油価格が高騰して、産油国にドルが集中しました。産油国が、大きな国で、人口が多い場合、国内に投資をすることができますが、産油国の多くはサウジアラビア、バーレン、オマーン、クウェートなど、いわゆる湾岸諸国ですけれども、それは王様の国で、ドルは王様のポケットに入りました。産油国では国内に投資することがありませんでしたので、王様たちはそのお金をヨーロッパの銀行に預けました。

一方、石油ドルがどんどん入ってきた先進国の銀行はどうなったか?これは放っておけば銀行は潰れるわけです。銀行は自転車操業ですから、入ってくると同時に貸さなければ仕事にならない。それまで、銀行にとっては途上国にお金を貸すということはタブーでした。つまり、非常に危険な貸付先でした。いつ、クーデタが起こるか分からない、いつ社会主義になるか分からないということで、途上国にはお金を貸さなかったのです。

ところが、70年代の石油ショック後には、背に腹は変えられないということで、今度は、大量のお金を途上国政府に貸すことになりました。途上国には民間企業などはないので、とにかく政府は潰れないということで、政府に貸したのです。しかも銀行は、単独で貸さないで、リスクを等分にシェアしようと銀行のシンジケートを作りました。その結果、大きなプロジェクトに貸すことになりました。100万ドルとかいう単位ではなく、10億ドルという単位でどんどん貸しました。

その時の心理的状況は、次のようなものでした。途上国政府側は、今日、政権の座にあるのですから、今、お金が入ってくればいい。借りられれば借りたほうがいい。それが、将来どうなるかということは、大統領も政府はあまり責任を持たない。そして、当時は利息が安かったのですが、変動金利制で借りたのです。途上国政府は変動金利制が何であるかを知らなかったのです。   

そして、70年代末、世界的に金利が非常に高くなりました。ロンドンの銀行間金利が一番高いのですが、途上国ではその1.5倍位の高さになりました。大体14.5%の金利になりました。これに、同じ期間に途上国が輸出する一次産品は年間に15%ぐらいの割合で値下がりいたしました。その結果、途上国の債務は年間30%ぐらいに上ったことになります。3年間で借金は倍増したのです。この数字は、国連貿易と開発会議(UNCTAD)が計算したものです。

先進国の銀行が途上国政府に貸したのは、道路建設などいろいろなプロジェクトがあります。そのプロジェクトの内容については、スーザン・ジョージが『債務の真実』という本に書いていますが、そのほとんどが失敗でした。それは銀行が提案するプロジェクトですから、途上国政府が要ると考えて出したプロジェクトではありませんでした。

心理的な状況というと、日本のサラ金と同じです。通常サラ金から借りてはいけないと思っているのでしょうけれど、安易に借りられるから、つい借りてしまいます。途上国政府は腐敗していなくても、腐敗したフィリピンのマルコス大統領などだともっとスゴイのですけど、そうでなくとも皆借りました。

 

(2)債務危機の発生

債務というのは、ドルで借りて現地通貨にして使います。その返済は政府の予算の中から返さなければいけないし、ドルにして返さなければならない。その後は、利息を払うためにまた借り入れるという形が続きました。その結果として、ついに82年に債務危機が起こりました。これは債務不履行、つまりデフォールト、要するに国が破産したのです。元金も返せないばかりか、利子も払えないのです。その口火を切ったのが産油国では豊かな国と言われていたメキシコでした。

これは非常に意味深いことです。銀行は、メキシコの今ある財産ではなくて、将来生産できる石油の埋蔵を担保にして貸しました。そこで石油の価格が上がり続ければよかったのですが、80年はじめの第2次オイルショックで、一時的に石油代金は入ったものの、すぐに急激に値下がりしました。そこでメキシコはどうしようもない状態になってしまったのです。メキシコから始まったのが連鎖反応の形になって、途上国全体が債務危機に陥りました。元金が返せない、利子も払えないということになったのです。

途上国が債務危機に陥るとどういうことになるかというと、フィリピンの例を見ても分かるのですが、非常に恐ろしいことになります。全世界の銀行が、一切その国と取引を停止します。当時はマルコス政権時代でしたから、マルコス自身が持っていた企業がありましたが、その企業も潰れました。国営企業と言わず民営企業と言わず、原料輸入の手当てが出来なくなりました。そもそも、途上国の工業化とは、原料を外国から輸入して安い賃金で加工して輸出するというのが一般的ですから、輸入できなくなると大変です。イメルダ大統領夫人の企業も、立ち行かなくなりました。

 

4)IMF・世銀の構造調整プログラム

 

(1)IMFの救済融資

これを救ってくれる究極の機関があります。それが国際通貨基金(IMF)です。IMFは、政府に外貨がなくなったときに、救済融資をしてくれるところです。実際は、救済融資ではなく、IMFの加盟国が積み立てている「外貨引き出し金」を引き出しのですから、堂々と借りられるのですが、IMFは救済融資とよびます。これは短期で非常に高い利子がつきます。

とにかくIMFが救済融資をしてくれると、これが国際的な保証になります。そして、IMFの融資が決まったとなると、全世界の銀行が取引を再開するということになります。ODAも出ますし、世界銀行の融資も始まるわけです。それまでは一切の経済活動が中断されてしまいます。

ところが、IMFはただでは貸さないのです。一般に「コンディショナリティ」と言われていますが、厳しい条件がつきます。これが、構造調整プログラムです。聞こえはいい言葉です。途上国も、確かに構造調整しなければならないところもあります。腐敗している政権で、多額の軍事費を使っている場合には、私は、それは構造調整すべきだと思います。たとえば議会にもはからないで、無差別に政府がお金を借りるようなシステムは良くないです。こういうのは直すべきだとは思っていますけども、構造調整プログラムというのは、そういうことではないのです。

かつて1975年にイギリスが通貨危機に陥った時に、IMFに救済を求めたことがあります。これがIMFの構造調整プログラムの最初なのですが、そのイギリスのケースは、保守党も労働党もそのようになる75年まで、福祉を隠れ蓑にした放漫財政でした。ものすごい財政赤字になってしまったのです。その結果75年にポンドが急激に下がってしまい、ポンド危機と言われました。それでIMFが救済融資を行いました。

イギリスは先進国ですから、財政政策が国の経済を決定するわけです。だから、IMFはイギリスに、財政政策が放漫だから緊縮財政を敷きなさい、と言ったわけですよ。でイギリスでは、福祉課や、「ゆりかごから墓場まで」といった福祉制度がなくなって行って、サッチャーの登場へと繋がっていったのです。イギリスはこのときの緊縮財政によってポンド危機は一応救われたのです。その同じ政策を、債務危機に陥ってIMFに助けを求めてきたときに救済融資をするすべての途上国に押し付けたのです。

ところが、イギリスのようにたっぷり福祉や教育が行き渡っている国ではない途上国の場合は、もともと福祉や教育も何もないわけですから、それを削減しろというのは滅茶苦茶です。

 

(2)補助金の廃止

途上国の財政の特徴に、補助金があります。これは日本政府の補助金とは違って、最も貧しい人でもともかく最低食べられるように、たとえ独裁政権でも補助金を出しています。米、小麦、とうもろこしなどの主食に補助金を出して、価格を下げています。それから、食料油やガソリンといった日用品にも政府が補助金を出しています。そうして物価を抑えておかないと、貧しい人びとが食べられなくなり暴動が起きて政権が危なくなるからです。それをIMFは撤廃しろというのです。補助金は悪い、だから全部撤廃しなさい。それが、どういうことを意味するか、ワシントンにいるIMFのスタッフたちにはわかりません。

それから増税をしなさいといいます。途上国で増税をするということになると、何が起こるか。途上国では所得税というものがなく、ほとんど間接税です。最もかけやすい輸出入にかけているのです。それから消費税や付加価値税をかけている。これらを上げるのですから、物価が高くなります。

それからIMFは輸出を増やしなさいといいます。つまり、債務は外貨で返さなくてはならないですから、輸出を増やしなさいというのです。そして、輸入を減らしなさいといいます。

 

(3)民営化

一方でそういうことを言っておきながら、規制緩和をして、どんどん輸入をしろといいます。規制緩和と、資本と貿易と金融の自由化、それと民営化という3点セットを押し付けます。とにかくイギリスでやったように民営化をしなさいというのです。

ところが、イギリスの国営企業の問題と違って、途上国のように何もないところ、あるいは工業化してもまた成熟していない国では、外国の巨大企業と競争しながらやっていくためには、国家が企業を育成をし、また自国の産業を保護しなければなりません。だから、国営企業の役割は非常に大きいです。例えば、電話会社を民営にするとします。すると、途上国では民営化された電話会社は電話線を僻地に引きません。そんなことはやらないで、今だと、携帯電話が最も儲かります。携帯電話を売ればいいので、別に電話線を引くという先行投資は要りません。そうすると、大都市しか電話は入らないわけですね。地方都市さえも入らないことになり、途上国にとってみれば、電話のような公共的なものは、国営でやらなければいけない。にもかかわらず、IMFはイギリス流に民営化を要求します。

それから、投資、貿易、金融などの部門の自由化です。これまで途上国では、外国資本が無差別に入ってくることを認めておりませんでした。外国資本は、49%の投資を認めています。残りの51%は現地企業が参加する形で、貿易自由区や自由加工区などを除いて100%の外国企業が途上国内で活動するのを認めていませんでした。100%資本を自由化するとなると、その51%を多国籍企業が、ほとんどただ同然で買い叩くということなのです。

私は、この間、その方式で資本が自由化されたタイに行き、銀行の例を見てきたのですが、その銀行は元々優良銀行でしたので、アメリカのシティバンクが、買い取り交渉をやったのです。これは株を買う形を取ったのですが、額面は一株10バーツでした。市場価格はこれよりはるか高いのです。少なくとも一株10バーツで買わなければならない。それを叩いて3バーツまで下げさせた。シティバンクはそれでも「ノー」と言って2バーツにしたのです。タイのマスメディアが凄く怒りまして、「すでにアジア通貨危機でバーツのレートが半分以下に下がっているのに2バーツで買うとは何事だ、ほとんどただではないか」と書きました。これは文字通り企業の乗っ取りです。

民営化といっても、日本では国鉄の民営化のように、民営化したら効率が良くなることもある。確かに、途上国でも、そういう面もあるかもしれないけれど、そういうものを超えて、もっとひどいネガティブな効果があります。

このように途上国の民営化は、地方に電話線を引くこともできない。最近は、大学も民営化した国もあるのですが、そうすると誰も行けなくなってしまう。途上国では国立の大学で月謝がただだから、みんな学べるわけですけれども、民営化して有料化したら、誰も大学に行かれなくなってしまいます。

IMF・世銀が推し進めている民営化の中には、ODA(政府開発援助)が挙げられます。世銀は、途上国への民間投資がODAを凌いでいると言います。だからODAをなくしても良いのだ、と平気で言います。では、民間投資はどこに行くかというと、中国、インド、東南アジア、南米、旧東欧諸国に集中しています。貧しいアフリカにはごく一部しか行かないのです。それは、豊かな鉱物資源を持っていて、それをどうしても開発したいという国に投資がいくのであって、一般に貧しい国の開発のための投資などは、まずあり得ません。日本の国内でも民間投資については同じことが言えます。

家賃が払えない人に、どうして民間が住宅を作るか?ということと同じように、貧しくて支払えない国、開発するべき資源がない国には、決して外国企業は投資をしません。ということは、公的な援助が絶対必要です。こういうことを無視して、ODAはいらない、民間で全部やる、つまりODAを民営化するというのです。

 

(4)ラオスのダム建設の例

いまラオスで、ラオスも最貧国ですが、メコン川に巨大な電力用ダムを建設するというプロジェクトがあります。これはラオスの国家予算を上回るような巨額のものです。これを民活で建設しようというものです。貧しいラオスには資金がないので、外国の民間銀行や証券会社が出資して、外国の建設会社がダムを建設します。これは本来ODAでやらなくてはいけないのに、世銀も融資しません。代わりに世銀が保証するという形をとりました。しかも、貧しいラオスでは電力需要がないから、隣国のタイに売電して建設費を回収します。ところが、その後通貨危機が起こり、高度成長を記録していたタイの経済後退し、ラオスから電力を買う必要がなくなりました。

にもかかわらず、何が何でも作るということになりました。ラオス政府はこの借金を返せるかどいうか大きな問題です。このほかに、ダム建設が川の流れを変えるということで、そうなったら生態系にどのような影響がでるか、問題になっています。

だけど、世銀が保証しているが故にやるわけです。もしこれが失敗して、ラオス政府が返せなくなったとしたら、ラオス政府は世銀からソフトローンを借りるのです。このソフトローンというのは、猶予期間の15年間ののち50年間に返せばよくて、無利子です。それに切り替わるわけです。だから、民間企業がここからは取り立てればよいのですが、ラオス政府は、50年に亘って失敗した一銭も収入にならないダムのために、環境は破壊され、人びとはダムサイトから強制移住させられ、貧困化しているにもかかわらず、債務を支払い続けなければならないのです。

 

(5)IMFの強制力

石油ショックの後で、石油代金が流れ込んできた銀行は安心して貸せたというわけです。だから、その政権がひっくり返って、革命政権ができ、前の悪い政権が無茶苦茶に借りたのをチャラにするよということは、言えないわけではないのですけれど、言ったら、今度は報復が大変なのですね。全ての銀行が、取引を停止し、全ての先進国がODAをストップし、世銀が融資をストップするということになる。もっとひどい例があります。

例えばアフリカのギニアという国で、フランスの植民地だったのですね。10何カ国かのフランスの植民地があって、その中で、ギニアだけがフランスからの完全独立国を宣言しました。あとの国は、フランスとの同盟の中で独立するという新植民地主義的な独立を選んだわけですが、ギニアだけがノンと言って独立したのですね。その時に、フランスは何をやったかというと、ギニアにあった全部の外貨を持ち出し、酷いのは電話線まで引き抜いていったのです。

だから、ほんとに文字通り0から始めなければならなかったのです。だからボーキサイトの輸出に頼っていたのですけれど、そのボーキサイトも買わなくなったということで、ひどい目にあって、その記憶というのが途上国政府には、報復がどんなものであるかというのが良くわかっているから、そういうことは出来ないということになっています。

破産をする権利はあります。要するに前の借金は払わないと宣言をすることはできます。だけれど、ソ連や中国のように革命政権が出来て、たとえば毛沢東は、中華人民共和国の成立する前の国民党の債務を支払わないと言いましたが、当時は出来たのかも知れないけれど、今では債権者から報復されるのが怖くて、今のアフリカの国では、絶対出来るはずはないのです

このようなことを無視して、IMFは先進国の例をそのまま途上国に当てはめるやり方をしました。構造調整プログラムというのは、大きく言うと財政金融の緊縮政策、国内の金利を引き上げ、現地通貨を切り下げます。通貨の切り下げによって輸出が増えるというのですが、原材料、工業製品、食糧まで多くのものを輸入に頼らなければならないですから、通貨切り下げは、途上国では大きな打撃です。物価も上がるし、各種補助金も廃止されるので、IMF暴動というのが多くの国で起こっています。これは、エジプト、ヨルダン、モッロコなどで起こり、マスコミでも報道されましたが、政権を脅かすような暴動になりました。日とびとは食べられなくなってしまうわけですから、怒ります。

 

(6)通貨の切り下げ

一例として、IMFが旧フランス領植民地であった中央アフリカ諸国が共通して発行している「中央アフリカ・フラン」を50%切り下げることを構造調整プログラムに盛り込みました。IMFの謳い文句は、輸出品の競争力が強くなり、輸出が増えるということですした。

ところが、ちょっとやそっと中央アフリカ・フランを切り下げても、もともと非常に安い一次産品を輸出してきたのですから、大して変わりはありませんでした。その代わり、輸入に頼っていた米やとうもろこしなどの主食品からはじまって工業製品にいたるまで何から何まで、全部値上がりしてしまったのですね。一番胸が痛いのは、政府が無料で接種してきた子供のポリオの予防ワクチンでした。国内に製薬会社がない中央アフリカ諸国では、それまでスイスの製薬会社から輸入してきたのですが、価格が2倍になったため接種を止めてしまったのです。その結果、大勢の子供の命が失われました。だから、一次産品の輸出に頼っている貧困国では、通貨の切り下げは両刃の剣です。両刃の剣ですが、プラス、マイナスするとマイナスのほうが大きい。

IMFのエコノミストには、こういう構造が見えないのです。確かに、国内の輸入品は上がるかも知れないけれど、輸出の競争力は強まるから、いいではないかというのです。しかし事実は、誰が得して、誰が損をするかというのを考えたのは、私たち市民社会です。「あなたたちIMFが、そういう計算をして、通貨を切り下げたほうが良いという結論に達したかもしれないけれど、私たちの目から見たら、それは間違いです」と言いました。

このようなNGOのIMFや世銀に対するロビイ(政策提言)活動は非常に重要です。粘り強く続けていくことが肝要です。

 

(7)世銀の構造調整融資

それでもIMFは通貨切り下げを押し付けてくる。とにかくやり方が汚いのです。例えば、10億ドルのIMFのスタンバイクレジット(外国銀行に対して発行する、その国の銀行の債務保証書)の約束をします。だけど、10億ドルを途上国政府に一挙に供与するのではない。10億ドルをいくつかのグループに分けて、そして三ヵ月毎に渡すのです。したがって途上国政府は三ヵ月毎に、IMFが命令する構造調整プログラムの部分を達成して、融資を受けるということになります。目の前ににんじんをぶらさげられて、一生懸命レースで走る馬のようです。そうしないと次の融資が出ないのです。IMFの救済融資が出ないだけでなくて、ODAだとか、世銀融資だと同時に約束されます。だから、スタンバイクレジットはほんの一部なのですが、他の援助を受けるためにもIMFの采配通りにやらなければなりません。

IMFは絶対的な権威を持っています。しかも、IMFの救済融資は、ただではなくて、利子の高い融資なのです。その次にIMFとセットになっている世界銀行が、また、開発融資をするのです。これは、短期ではなくて長期で25年ぐらいの融資をする、これも利子が高いです。というのは、世銀は世銀債を市場で発行して、それに世銀の運営費を利子に上乗せして途上国に貸すからです。日本みたいに0.3%という、ほとんどただに等しい利子ならまだ良いけれど、世界の利率というのは結構高いです。今、5%ぐらいになっています。それに、1%、2%上乗せして貸すわけですから、世銀の融資は、返済期間は長いけれども、他の銀行より利率が高いですね。

それで、世銀も構造調整融資を供与しています。本来世銀はこのような政策融資をやってはいけないのです。世銀は途上国に開発融資をするところです。ところが、構造調整融資は、教育予算を削ったり、高等学校の数を減らしたりするために融資をします。だから、それを返すのは並大抵のことではないのです。

開発プロジェクトだと、成功すれば輸出が増えて、やがて、生産が上がって返済できるかもしれないけれども、この構造調整融資は、その国にとって完全に返済できない債務となります。しかも貧困が増えて、さらに政府の出費がかさみます。しかし目先のお金が必要だから、ともかく、悪魔からでも借りたいというような絶望的な状況に陥った途上国政府にとって飛びつかざるを得ない、それを拒否する力はほとんどないです。

そういう形で、構造調整プログラムが82年以降、導入されました。すでに20年以上になります。もっとも早く導入されたのはカリブ海のジャマイカで、70年代半ばに導入されました。構造調整プログラムの真の狙いは、まず債務を返しなさいということです。債務を優先的に返すことが条件です。予算を削減したり、公務員を解雇したり、補助金を廃止したり、増税をしたり、通貨を切り下げたりする。

それから、輸出を増やす。・・・輸出を増やすことにも問題があります。例えば、とうもろこしなど、本来は貧しい子どもたちが食べるものまで、輸出に回します。飢えている人がいるのに、とうもろこしの輸出が増えるという奇妙な現象が起こります。タイも米の輸出国といわれています。だけど、飢えた人がいます。タイの東北や、北部に行けば飢えた人がいます。これは疑問です。輸出しているから食糧が余っているとは限らないわけで、貧しい人が食べるものまでも輸出しなければならないということです。

もっと酷いのは、輸出を増やすために、一番手っ取り早いのは、コーヒーはどの国でも出来るわけですから、コーヒーの作付けを増やします。植えつけて三年経てばコーヒーが採れて、豆のまま輸出するから、大変簡単です。しかしこうすると、コーヒーの価格が一挙に下がります。だから、もっと増やさなければいけないということで、とうもろこしを植えていた畑も潰して、コーヒーを植えてしまいます。

このように食糧生産が打撃を受けます。それから環境も破壊されます。つまり、これまで丸太の輸出を禁止していたのですが、構造調整プログラムで、輸出を増やさなければならないために、丸太の輸出もしなければならないということで、環境を破壊してしまうのですね。これもみな、構造調整プログラムという絶対的なものがあって、それに従わないと、つまり三ヵ月ごとに融資があるわけですから、今回は輸出を何パーセント増やしなさいと言われると、何が何でも増やさないと次の融資が受けられないということになっているからです。だから世論が何と言おうとやるわけで、それで大統領の首が飛んだりする例はたくさんあります。

そういうことで、諸悪の根源が構造調整プログラムであることが明らかになり、NGOだけでなく、いろんなところで問題になりました。例えば労働組合の世界団体であるICFTU(国際自由労連)でも、構造調整融資に対して、女性に与える影響とか、貧しい人びとに与える影響などを長い間議論していますし、キリスト教会でもそうですし、構造調整プログラムについての批判はたくさんあります。

それから、学者たちが、途上国に対する構造調整プログラムというのは間違っている、という声を上げました。それでも問題なのは、世界銀行とIMFが持っている巨大な力です。この力に対して途上国政府は無力でした。IMF・世銀は途上国に債務を返済させると同時に、ある操作をしたのです。それは、民間銀行が危機になったのです。途上国がお金を返せないということになって生じた債務危機は先進国の民間銀行の危機だったのです。ODAの有償援助の結果ではないです。銀行が貸したのですが、その銀行の不良債権が、この20年ぐらいの間に巧みに先進国の人びとの税金でもって政府間の債務にすり替えられてきました。

それで今では、もともと問題を起したのは民間銀行なのですが、貸し倒れという焦げ付債権がほとんどなくなりました。日本の場合も、アフリカなどの債務があります。それを、ODAの無償開発援助を出すことによって無くしてきているのです。だから、リストを見ると、債務が無くなった国がありますね。0と書いてある国があります。これはその国が返したのではなくて日本から無償のODAが行ったのです。それでもって返したという形になります。

こういう形を取った国が多いですね。だから先進国の納税者の負担で民間銀行の失敗が拭われました。無償援助の形で行われたのですが、アフリカなど貧しい国は債務が免除されても開発が出来ないです。だから、あるべきODAというのは、もともと開発のためにあるわけですから、開発以外の債務削減に使ってはならないのです。

子どもが増えれば、学校を増やさなければいけない、病院を増やさなければならないとか、やらねばならないことがある。そういう開発資金が債務返済に使われてしまったのです。それで、途上国政府は、世界銀行に借りたのです。だから、途上国、特にアフリカに対する世銀の開発融資が莫大に増えて、今では債務の半分近くが世銀の開発融資から生じた債務です。これは何が何でも返さなければならない。

そして、その世銀の構造調整融資というのが行われているし、世銀の開発融資というのも行われていて、途上国政府は世銀に首根っこを押さえられて、その構造調整プログラムをいまだに執行しています。本来はもう終わっているはずです。

それで犠牲の数がどんどん増え、今日、絶対的な貧困層が13億人まで増えている。なぜ増えているのか、債務も増えているのです。本来なら、構造調整プログラムは債務の返還のためにあるわけだから、債務は減らなければいけないのですが、私が計算したところ、82年に全途上国の債務総額が9000億ドルだった。それが何と、今、1兆3500億に増えています。これはおかしいのではないか、返済しているのは巨額なのに。先進国のODAが1ドル途上国に行っているのに、途上国は3ドルを先進国に債務の返済という形で払っているという計算になります。そんなに返したのにもかかわらず、こんなに債務が増えているのです。

これは、構造調整融資だとか、利子を払うのにまた借金するとかことなど、いろんなことが絡まって、もう、がんじがらめの債務地獄に途上国政府が陥っているということを示しています。

 

5)これまでの債務帳消しの動き

 

(1)ナポリ・サミットでの債務削減

これまで、債務について先進国側から債務削減の動きがなかったわけではないのです。実はあったのです。古くは、80年代の終わり頃からイギリスのメージャー蔵相が英連邦会議に債務削減の提案をしています。イギリスは昔の植民地をアフリカに抱えていまして、それがほとんど重債務国です。

例えば、ザンビアは銅の輸出に依存しているのですが、銅価格が急激に下がりました。特に、日本が光ファイバーを発明してから、これまで銅の最大の使用先は電線でしたが、電線が光ファイバーに変わることによって、銅の需要が激減しました。二つの意味でいらないのです。まず、いらなくなった銅線を再利用すればよい。それと、いろんな国が銅の産出を増やしたので、銅の輸出だけに頼っているザンビアは打撃を受けました。

そういう国を旧植民地として抱えているイギリスは、債務削減を出してきたのです。G7サミットに出したのですが、そこで抵抗したのは「削減は良くない」から、「返済を先に延ばそう」と言ったのは、日本とドイツでした。そこで最終的に決まったのは、94年ナポリ・サミットで、日本(村山首相)が最終的に賛成して決まりました。

債務削減、それは、最貧国に限るという規定があるのですが、GNPが、一人当たり700ドル以下の国で、その頃は50カ国位あったのですが、その最貧国の債務を80%削減することが決まったのです。

 

(2)国連社会開発サミットでの多国間債務の決議

ところが、債務の80%を削減といってもやり方が問題でいろいろあります。例えば、私が出ました95年のコペンハーゲンの国連社会開発サミットですが、これは118人の首脳が集まった大会議だったのです。私も政府の代表団の一員に入って、つぶさに見ましたのがNGOの現場でのロビイングでした。「ロビイングというのは、ああいうものか」というのが、ほんとに分かるぐらいに、NGOは各国の代表団にアプローチして、ひどい時にはホテルの部屋の前に頑張って説得するのです。それから各政府代表のグループの秘密会議ですが、たとえばEUの秘密会議にはNGOは入れないので、代表がトイレに出てきたときを捉まえて、トイレまで行って説得するといった、直接行動のロビイングでした。その結果、債務問題では残されていたIMF・世銀など多国間債務を最貧国に限り削減することが、会議の閉会ぎりぎりの段階で決まりました。最後日、首脳たちが集まったときにも、まだ合意文書が完成していなかった。首脳たちは次々に演説をして、その後会議の文書に署名するのですがそのときでも、そこだけがブランクになっていてどうするかということで慌てたのですけれど、ぎりぎり最終的にすべての国が賛成したのです。G5の日本、アメリカ、イギリス、フランス、ドイツが次々とOKを出し、そしてサインまで漕ぎつけました。そこで初めて、今までメスが入っていなかったというか多国間債務の削減の問題が、最貧国に関する限り決まりました。

 

(3)パリ・クラブの債務削減

二国間債務の削減ですが、実行するとなると全く違います。例えば、債務国の途上国政府は一カ国ですが、債権者である先進国は複数です。通常1対20ぐらいで、これをパリで交渉します。これら債権者をパリ・クラブと呼びます。フィリピンのパリ・クラブの担当官だった女性から苦労話を聞かされたのですが、まず、1対20ぐらいで交渉をする、その後、債務国は部屋からだされて、債権者だけで結論を決め、債務国に伝えるというのです。

しかも、パリ・クラブは全員一致の原則です。モザンビークの例を挙げるとこの国の債権者にはロシアも入っています。旧ソ連が軍事援助をしてきたからです。そうすると、旧ソ連が出していた軍事援助額は、いま、ルーブルが下がっているから、モザンビークとしては今のレートで返したい、と言ったのです。しかし、ロシアは旧ソ連時代のルーブルのレートで返せといい、全員一致の原則なので、モザンビークの債務帳消しは決まりませんでした。

一方、日本は、アジアに円借款を供与したきました。円借款はODAですから7年ぐらいの返済猶予があり、さらに25年ぐらいの長期にわたって返済します。したがって80年代の初めごろ、円が安かった頃の円借款が、今、返還の時期を迎えています。債務国は当時のレートで返したいと言っています。その時は円が1ドル250円位でした。今、110円位。しかし、日本は今のレートで返還することを要求しています。そすると債務国の返済は利子を入れると約3倍になります。これはルーブルの場合とまさに反対です。

債務国はこのような債権者の我が儘を唯々諾々として従わざるを得ない弱い立場に置かれています。それから、次の難問はパリで削減が決まったあとです。たとえばウガンダは、真っ先に削減が決まったのですが、ウガンダ政府の代表がすべての債権国の首都を訪問して、1カ国ごとに削減額の交渉をしなければなりません。パリ、ロンドン、ワシントン、東京など、そのことで、債務国には莫大なお金がかかります。すでにパリで一ヵ月に及ぶ会合の滞在費を債務国は自分で払わなければならない。そして、東京のような物価の高いところにいて、二週間、三週間と大蔵省、外務省など円借款を出している14の官庁と日本国際協力銀行など2政府機関の間を駆け回らなければなりません。ほんとに信じられないような状況で、これでは、遅々として進みません。だから、ナポリ条項による削減はとっくに済んでいなくてはいけないわけですが、まだ数カ国しか削減をうけていないのです。

しかも、この際の最大の条件は、IMF、世銀の構造調整プログラムを滞りなくやっていかねばなりません。教育予算を削減し、福祉予算を削減し、医療保健予算を削減し、IMF・世銀に言われるとおりにやった優等生だけが削減の対象になるのです。 

このままでいったら、10年、20年たっても解決しないと思います。だから、グローバルな市民社会から2000年までに貧しい国の債務を帳消しにしようという提案が出てきた理由はここにあります。

 

(4)IMF・世銀のHIPCイニシアティブ

それから、もう一つ、多国間債務の問題があります。すでに述べたように95年、コペンハーゲンの社会開発サミットで劇的な決まり方をしました。これを受けて、同じ年の9月、IMF・世銀が「重債務貧困国(HIPC)イニシアティブ」というスキームを出してきました。

これは二国間のパリ・クラブよりも過酷なものです。まずIMF・世銀が42カ国を重債務貧困国に認定しました。単に貧しい国というだけでなく、債務と輸出高比、GNP比などといった複雑な計算をしたものです。これらの国は構造調整プログラムを3年以上実施していることが必要です。これを決定点と呼びます。それからさらに3年間、IMF・世銀の監視期間が必要です。結局、6年後でないと債務削減を受けることができません。だから、今、対象国になっても今後6年間待たなければいけない。そのときはじめて債務の帳消しを受けることが出来ます。これを決定点と呼びます。

例外的に、ウガンダは、すでにパリ・クラブによって構造調整プログラムをまじめに実施している優等生の国であると認められ、最初の3年間を免除してもらったのですが、それでも、削減をうけるのは2001年になります。

だから、IMF・世銀のHIPCイニシアティブでは、2000年までに債務を帳消しにするというのは、ほとんど不可能です。何で、そういうことになるのだろうか?そんなこと、コペンハーゲンのサミットの合意文書にも書いてないです。債務帳消しをすることを決めたにもかかわらず、IMF・世銀がこのような条件を勝手につけているのです。

このやり方が債務国である途上国に非常に不利だということで、実は国連のUNDP(国連開発計画)が前々から、ラウンドテーブル方式で決めようという提案を出しています。UNDPが主催して、すべての債務国と債権国をラウンドテーブルの形で対等に交渉する。パリ・クラブ方式の1対20では無理だというのです。

 

(5)スイスの債務と開発スワップ

その他にも、個々に債務削減の動きがあります。これも、重大なので申し上げておきますけれども、実は一番典型的なのはスイスです。スイスが1990年にスイス建国600年を迎えました。そこで、スイスのジュビリー・キャンペーンがこの600をとって、600ミリオンスイスフラン、約7億ドルを貧困国の債務削減しようという提案をしました。ここでは、フィリピンのような中所得国も対象に入りました。この時対象国の条件としては、市民社会が強い、NGOが成熟している国が選ばれました。スイス政府は600ミリオンスイスフランを建国600年祭の特別予算から出して、債務国の債務を買い取りました。債務国側はその額と等しい資金を現地通貨で出し、NGOの開発費に当てるという「債務と開発とのスワップ」方式です。

途上国側は債務が無くなると、肩の荷が軽くなって、ひょっとすると、従来返済に充てるべき資金が財政一般に解消されてしまう可能性があります。そうではなくて、途上国政府は、国内通貨でその分を特別に資金として出し、スイスのNGOと、フィリピンのNGOが手を組んで開発費に出すという形でやりました。これは、「債務と開発のスワップ」の典型です。そのために、スイスのNGOが、キリスト教会と労働組合も入って、特別に政府と対等にやれる専門家を雇って、NGOの開発プロジェクトに作成しました。フィリピン中を走り回ってやったのです。そして、フィリピンのNGOもプロジェクトを出してきて、一つのNGOでなく、その地域で活動しているNGOの連合体を作って、幹事のNGOを出し、それが世話役になって、共同でやったのです。これを、債務削減で浮いた資金を使って実施しました。

それから、債務と環境のスワップというのがあります。これは、いろいろなところで、いろんな提案が出ていて、ちょっと、あり過ぎという感じなのですが。分かりやすくて、債務と自然のスワップとか、債務と環境のスワップとか、いろんなところで提案されています。それからもう一つ、債務と子供のスワップがあります。国連のUNICEFが93年に決議したのですけれども、最貧国の中でUNICEFがプロジェクトを作り、先進国のUNICEF委員会が、自国政府の持っている債務を買い取るわけです。この場合に、市場価格が500万円という価格だったら、それを値引きして買います。債務国の債務を買い取ると、その分だけ債務国政府に国内通貨で出させて、それで、UNICEFがやろうとしても資金がなくてやれなかったプロジェクトを実施します。

たぶん、来年(1990年)のケルンのサミットでG7首脳が賛成したら、つまり2000年のジュビリー運動が成功すれば、かなりの額が浮きます。だから、国連の諸機関は、その準備をしていると思います。

 

(7)日本の二国間債務の帳消しを

 なぜ、債務帳消しにこのような条件をつける必要があるのだろうか。それは債務返済が構造調整プログラムなどをともなって、貧しい人びとを犠牲にして行われているという現実があるからです。ですから、帳消しによって浮いた資金を途上国政府は、貧困の根絶に充てなければならない。具体的には、教育費、医療保健費に充てるということになります。このような条件はIMF・世銀の条件とは対照的です。条件を付けなければ、途上国政府

は、軍事費に使うかもしれないし、政府の高級官僚の給料になるかもしれないのです。

 ここで、日本の債務削減について説明をいたします。IMF・世銀の定義による重債務貧困国の定義に当てはまる国は38カ国です。その債務は円借款ですからの総額は7,000億円です。これを2000年までに帳消しをするということは、まず債務国に帳消しの通告をします。実際に債権を持っているのは日本国際協力銀行ですから、そこに対して、たとえば10年がかりで、毎年700億円を政府予算から交付金の形で支払っていく、ということが考えられます。私たちが、日本国際協力銀行と交渉したとき、銀行としては「この提案に異論はない」といっていました。債務国にとっては、2000年の時点で、もう返済しなくても良いのだから、帳消しとおなじことなのです。

 私たち納税者にとってみれば、毎年予算から700億円を支出することは、増税につながるわけではないし、国内の銀行に13兆円を税金から支出していることを考えれば、その20分の1でしかありません。それで、1日に1万9000人の子どもが死ななくても済み、

安全な水を飲むことが出来るのです。

債務国側は、これまでは政府の予算から返済してきた分がなくなるわけです。それと同額の資金を自国の通貨で出して貧困根絶プロジェクトに使うことになります。その場合、帳消しの全額をいっぺんに出す必要ありません。プロジェクトは長い期間のものです。

途上国にはNGOが成熟していない国があります。とくに国内紛争が終わったばかりのルワンダのような国などでは、国連のUNDPやUNICEFのプロジェクトに使われますが、市民社会の参加が必須条件になっております。

重債務貧困国の債務の帳消しは、先進国、途上国ともに全世界が取り組んでいかねばならない最重要課題です。             (講演おわり)

 

II.ジュビリー2000の国際キャンペーン

 カトリック正義と平和協議会の全国大会で私が講演をした同じ年、98年6月、イギリスのバーミンガムで開かれたG7サミットに7万人、全土から集まり、G7首脳に対して「2000年までに貧しい国の債務を帳消しにしよう」要求して、「人間の鎖」でサミット会場を取り囲みました。これが、20世紀最大の国際キャンペーンとなった「ジュビリー2000キャンペーンの始まりでした。日本でも、98年10月に「最貧国の債務帳消しキャンペーン日本委員会(ジュビリー2000日本)」によるジュビリー2000キャンペーンが開始されました。

 そもそもジュビリー2000の運動は、90年、全アフリカ・キリスト教会協議会が、「キリスト生誕2000年というお祝いの年に、アフリカの貧しい国ぐにの重い債務を帳消しにしよう」と呼びかけたことにはじまります。「ジュビリー2000」という言葉が実際に使われたのは、この時が始めてでしょう。

 

1)ジュビリーの由来

 そもそもジュビリーとは、旧約聖書に記されたヨベルの年からきた言葉です。それは、7年を7度数えた年の翌年にあたる50年目の年を指します。古代イスラエルでは、角笛(ヨベル)を吹いてその年の到来を人びとに知らせました。旧約聖書のヨブ記には、「国中に自由が宣言された」と記されています。すべての債務は帳消しにされ、奴隷も開放されたと言うのです。言いかえれば、これは社会正義の制度でした。しかし、実行されたという確証はありません。

 ジュビリー2000は、この古代イスラエルではたせなかった社会正義の理想を、現代によみがえらせようとするものです。国連は、「21世紀には、すべての人が人間らしく生きられる世界の実現」をうたいあげました。世界中の人びとが2000年のジュビリーを心から祝うためには、まず、地球人口の5分の1に当たる13億人の絶対的貧困を根絶しなければならなりません。20世紀が生み出した貧困という不正義を21世紀に持ち越してはならないのです。

 この貧困の最大要因の1つに挙げられるのは、最も貧しい国の返済不可能な債務です。ジュビリー2000が、「2000年までに、貧しい国の返済不可能な債務の帳消し」を掲げたのは、以上のような理由です。

 

2)ジュビリー2000の世界的広がり

 9411月、ローマ法王は、『2000年の到来』と題する使徒的書簡の中で、キリスト誕生2000年という大聖年を祝うために、「貧しい国の対外債務の帳消し」を呼びかけました。これは、ローマ・カトリック教会の枠を超えて、キリスト教会すべてを巻き込んでいくきっかけとなりました。

 96年、英国にキリスト教系援助三団体(クリスチャン・エイド、CAFOD、クリスチャン・ミッション・ソサエティ)と、国際開発協力NGO(OXFAM、世界開発運動など)によってジュビリー2000のキャンペーンが始まりました。97年には全世界で1億2,400万人の労働者が加盟している国際自由労連(ICFTU)がジュビリー2000への参加を決定しました。98年には世界医師会がジュビリー2000に参加しました。このような国際市民社会のすべての構成員を包括する巨大な連合体が結成されたことは、史上初めてのことでした。

 バーミンガムのG7サミットの議長であった英ブレア首相は、ジュビリー2000の代表に会い、最貧国の債務救済を約束しました。しかしこのときのサミットでは日、独、伊が反対しました。G7サミットでは参加国全員の合意を原則としているので、帳消しの決議は出ませんでした。

 このバーミンガム・サミット以後、先進国に次々とジュビリー2000の国内組織が誕生していきました。

 

4)日本ジュビリーの誕生

 「途上国の債務帳消し日本実行委員会(ジュビリー2000日本)」には、ほとんどの宗教界、労働界、市民団体、NGO、学者などが参加し、市民社会総ぐるみの幅広い連合体が形成されました。これは日本の市民社会の歴史上では初めてのことでした。また、99年5月には、国会内に超党派の「最貧国の自立と債務帳消しを考える議員連盟」が誕生しました。 

 まず手始めに、日本ジュビリー2000は、ケルン・サミットに向けて、50万人の「債務帳消し」を求める署名を集めました。これは、人びとが、遠いアフリカの貧困を思いやり、同時に、自分の懐から帳消しの費用を支出しなければならないことを納得の上での、貴重な署名でした。これもまた、日本の市民社会の歴史において、初めてのことでした。

 

5)ケルンに向けて、G7のイニシアティブ競争

 99年に入ると、債務問題は大きく前進しました。ケルン・サミットの議長国となったドイツで、債務帳消しに消極的であったコール政権が退場し、社民党政権が誕生したのです。1月、シュレダ―首相は、2国間ODA債務の100%帳消し、IMF保有の金の売却、HIPCs信託基金への拠出などを含む、大胆な「ケルン・イニシアティブ」を発表しました。

 続いて3月、IMF・世銀の春季会議を前にして、英国のブラウン蔵相が、「総額500億ドルの債務救済案」を提案しました。これに対して、4月には、クリントン大統領が、「700億ドル」を提案しました。ケルン・サミットに向け、国際的なジュビリー2000キャンペーンの広がりを意識したG7首脳たちのイニシアティブ争いが続きました。ケルン・サミットに対する国際世論の関心も高まって行きました。

 これまでのG7サミットは、失業、通貨などのグローバルな経済的な難問を解決することが出来ず、とくに冷戦後は、マスコミの関心も薄れ、無用論さえ出ていたのでした。

 ところが、バーミンガム・サミットでジュビリー2000が、債務帳消しを求め、「人間の鎖」でもってサミット会場を囲んだことによって、国際マスメディアの関心が高まり、皮肉なことに、G7サミットが息を吹き返す結果になりました。

 

6)G7首脳の「ケルン・イニシアティブ」

 99年6月、ドイツのケルンでG7サミットが開かれました。ジュビリー2000は、G7首脳に対して、160カ国、1,720万人にのぼる「債務帳消しを求める」署名簿を提出しました。 

 ケルン後も、この署名運動は続き、1年後の沖縄サミット時点では、166カ国、2,320万人にのぼりました。この数は、国際的な署名としては最大規模のもので、2000年度のギネスブックに記録されたほどです。

 同時に、世界中から集まった35000人のジュビリーのメンバーが、サミット会場を取り囲み、英国『エコノミスト』誌の表現を借りれば、「G7から700億ドルの債務削減の公約をもぎとった」のです。

 

(1)政治的な勝利

 ケルンでは債務問題がサミットの中心的議題となりました。サミット直後に開かれたジュビリー2000の国際会議では、南北の代表が一致して、これはジュビリー2000の「政治的勝利」だと評価しました。

 

(2)削減額は700億ドル

 ケルンでは、ジュビリー2000が要求してきた「2000年までに貧しい国の返済不可能な債務を全面的に帳消し」ということは達成されませんでした。代わりに、G7は、総額700億ドルの債務削減に合意しました。うち200億ドルは2国間のODA債務の帳消し分でした。

 この700億ドルという数字は、250億ドルであったバーミンガム合意の3倍の額でした。この点では、大きな前進であったといえます。しかし、これは重債務貧困国が抱えていた債務総額2,000億ドルの3分の1に過ぎませんし、また多分にG7首脳たちのPR的要素があることにも注意しなければならなりません。

 

(3)帳消しの対象国は36カ国

 債務削減交渉の対象となる国の数が36カ国に増えました。これは、IMF・世銀が「重債務貧困国(HIPCs)イニシアティブ」で「適格国」と認定した41カ国(この時点では42カ国であったのに、理由もなくナイジェリアがはずされました)を下回る数字でした。

 

(4)ODA債務の全面的帳消し

 2国間のODA債務については、100%の帳消しが決まりました。これは96年のリヨン条項の80%に比べると前進であった。

 日本のマスコミは、この点について、日本が「全面帳消しに合意」と大きく報道しました。しかし、G7の声明文を注意深く読むと、文章の合間に、「2国間ベースで」と、「さまざまな選択肢を通じて」という挿入句が加えられていることがわかります。これは、日本がG7サミットで「日本は原則として債務帳消しは出来ない」と主張した結果の妥協策でした。後に述べるように、日本政府は「ケルンの合意では、日本の債務救済無償援助スキームを“実質的な”債務帳消しであると理解された」と解釈しました。

 

(5)その他の2国間債務

 ODA以外の貿易保険、輸銀融資などの2国間債務は、90%、またはそれ以上の削減が決まりました。これもまた、それ以前の80%に比べると前進でした。

 

(6)NGO用語の盗用

 G7声明に中に、「より早く、より広く、より深い債務救済」といった表現がりました。これは古くからNGOが、HIPCsイニシアティブを批判するときに使ってきた用語です。このように随所にNGO用語が借用されています。しかし、同じ用語でも、使い手によって内容が異なることに注意しなければなりません。

 また国際金融機関の項では、「市民社会と協議して行く」などという言葉もあります。これは、NGOがロビイングする際に有利な言葉です。

 

(7)「拡大HIPCイニシアティブ」をめぐる攻防

しかし、このケルン合意も、同年9月のIMF・世銀総会において、拡大HIPCイニシアティブが発表され、結局、多国間債務については、ケルン以前通りIMF・世銀のスキームで実施されることになりました。G7首脳によるケルン合意は、結局IMF・世銀に乗っ取られる形になってしまいました。この「拡大イニシアティブ」という新しいスキームは、重債務貧困国として削減の対象になった41カ国の中で、構造調整プログラムを忠実に実施していると認められた国から順に削減交渉に入るというものでした。しかし、削減を受けるのは、それからさらに3年後という極めて厳しい内容でした。したがって、41カ国の内、2000年4月までに、削減交渉に入ったのは、ウガンダ、ボリビア、モーリタニア、モザンビーク、タンザニアの5カ国に過ぎませんでした。しかもあまりにも多くの条件が付いたため、削減額はほんのわずかでした。

 

7)2000年沖縄サミット

 

(1)議長国日本に向けた国際キャンペーン

 99年秋のIMF・世銀総会は、ケルン合意を後退させる結果となりました。ジュビリー2000は、2000年沖縄サミットの議長国となった日本政府にキャンペーンの矛先を集中しました。

 まず日本のジュビリー2000が小渕首相に対して、新年の年賀状を送るキャンペーンを始めました。首相に送られた年賀状は、15,000枚にのぼりました。これを伝え聞いたオーストラリア、英国、北欧諸国、バングラデシュなどのジュビリー2000が、小渕首相に対して「日本のイニシアティブを要求する」葉書キャンペーンを始めました。

 さらに、英国ジュビリー2000が、1月11日、火曜日、ロンドンの日本大使館に対して、小渕首相宛ての債務帳消しの要請文を手渡し、以後毎週火曜日に大使館前で、デモを続けると宣言しました。スコットランドをはじめ、スエーデン、ノルウエイ、フィンランド、デンマーク、オランダ、インド、ケニア、ペルーなどのジュビリー2000が、英国の呼びかけに呼応して、それぞれ日本大使館、領事館に対するデモを定期的に始めました。

 日本実行委員会も、215日の火曜日を皮切りに、毎週火曜日、外務省、大蔵省に対して、沖縄サミットに向けて日本政府のイニシアティブを発揮すること、2国間債務を帳消しにすることを要請し、同時に、両省の門前でデモを行いました。

 日本ジュビリー2000は、IMF・世銀の春季会議直前の411日を火曜日行動の最終日とし、海外から参加したケニア、ウガンダ、タンザニアの代表とともに、「人間の鎖」でもって、大蔵省を包囲しました。

 

(2)日本が非ODA債務の100%帳消しを発表

 この前日の4月10日、森首相は、国会において、鳩山民主党代表の質問に対する答弁の中で、「日本が、重債務貧困国の非ODA債務を100%帳消しにする」と発表しました。明らかに、これはIMF・世銀の春季会議に向けたものでしが、同時に、日本ジュビリー2000が、翌日に企画していた「人間の鎖」行動を意識した決定でした。

 この場合、非ODA債務とは、貿易保険から生じたものでした。貿易保険は、日本の輸出業者が、HIPCに輸出した際に、輸出代金の取り立てに不安がある場合に、日本政府が掛ける保険です。そして、相手国政府が輸出代金を払わない、あるいは払えない場合、相手国政府の債務となります。

 日本の貿易保険によるHIPCsの債務総額は14億ドルにのぼります。これは、ODA債務ではないので、「債務救済無償援助スキーム」が適用されません。貿易保険は、通産省の管轄下にあり、619日、帳消しのために債務管理法を改正し、政府予算のなかの一般会計から捻出されました。

 

(3)ドイツ・フランス・イタリアも非ODA債務の帳消し

 46日、カイロでEU・アフリカ首脳会議が開かれました。この会議では、ドイツは、HIPCの非ODA債務を100%帳消しにすると発表しました。その総額は、50億ドルにのぼります。この中で、ケルンの公約の90%を上回る額は、4億ドルでした。

 続いて、同会議において、フランスのシラク大統領は、「向こう2〜3年間で、非ODA債務をすべてなくす」ことを公約しました。フランスの帳消し額は、70億ドルにのぼり、うち、ケルン合意を上回る分は、10億ドルです。またシラク大統領は、他のG7政府もフランスに続くよう呼びかけました。そしてイタリアも同様な公約を行いました。

 続いて、ワシントンのIMF・世銀春季会議において、北欧諸国とG7以外の国も、非ODA債務を100%帳消しにすることを公約しました。

 

(4)日本政府の債務帳消しの公約

 ジュビリー2000から首相に宛てた葉書作戦と各地の日本大使館前のデモは、やがて先進国から、途上国へと波及していきました。日本政府は、これを「日本叩き」という低い次元でしかとらえることが出来ず、また沖縄サミットが、前年11月の「シアトルの二の舞」になるのではないかと恐れました。

 そこで、日本政府は、サミット前の6月17日、ジュビリー2000日本に対して「ODA(円借款)債務の100%帳消し」と「実施については、市民社会と協議していく」ことを公約しました。

 続いて、629日、ジュネーブの国連社会開発サミット+5において、日本政府は、ケルン合意の中に挿入句を入れてまで継続を主張した「債務救済無償援助スキーム」を取り下げることにもつながる決議に合意し、さらに、これまでの重債務貧困国41カ国に限定してきた債務救済適格国を一挙にアフリカと後発途上国(LDCs)全体に拡大するとした決議にも同意しました。

  残念なことに国連決議には、加盟国政府を拘束する力はありません。しかし、日本政府は自らが同意した事項を実施する道義的な義務があります。

 こうして、日本は、ケルン・イニシアティブから1年後、帳消しを公約することに関しては、ようやく他のG7と肩を並べることになりました。これは、2年間に及んだ日本ジュビリー2000のキャンペーンの果実と言えましょう。同時に国際キャンペーンの力によるところが大きいのです。ジュビリー2000の国際キャンペーンがなければ、日本政府は、G7の中では1国だけ、公然と債務帳消しを拒否し続けてきたでしょう。

 

(5)債務救済無償援助スキームとは?

 しかし、国際政治では、「公約」と「実施」との間には大きな隔たりがあります。「公約」は、しばしば「実施」されません。残念ながら、ケルン・サミットでの、日本政府の「合意」は全く「実施」されませんでした。そして、ジュネーブの国連社会開発サミット+5での「帳消しの公約」とは、その翌月に開かれることになっていた沖縄サミット向けの議長国日本のPRでしかなかったのです。

 では、日本政府が固執する「債務救済無償援助スキーム」とはどのようなものでしょうか。78年に発足した外務省の債務救済無償援助スキームは、アジア諸国が対象であって、その大部分がアフリカの重債務貧困国に向けたものではありませんでした。日本から大量の円借款を受けてきたアジア諸国が、原油価格が高騰し、外貨不足に陥りました。しかもニクソンのドルショック後、円がそれまでの1ドル360円という固定相場制から、変動制に移行しました。その結果、円高になり、円借款を受けていたアジア諸国の債務が急増しました。このスキームは、アジア諸国向けの救済措置として設けられた制度でした。すなわち、まず、アジアの債務国は日本に返済することが義務づけられます。そうすると、日本はそれと対価の額の無償援助を供与します。これは円貨で支払われるので、債務国側は日本国内に銀行口座を設け、それに振り込まれます。さらに債務国は、この無償援助を外国からの商品購入に充てねばなりません。したがって、別に義務づけられているわけではありませんが、債務国は受けとるのが円貨なので、どうしても日本の商品を買うことになります。したがって、このスキームだと、ODAで禁止されている商品援助と同じものになります。また、ODAがプロジェクト援助でもないので、しばしば、被授与国からの報告がありません。しばしば会計監査院が、このスキームでは報告書がないことを指摘していました。

 外務省は、その後いつの間にか、アジア諸国向けであったこのスキームを、国連が定義した後発開発国(LDC)にも適用するようにしました。

 やがて、90年代に入ると、東京でアフリカ開発会議(TICAD)が開かれました。この会議で、外務省は、「債務救済無償援助スキームがアフリカにも適用される」と発表しました。実は、これは、アフリカの債務危機に対する対応策ではなく、日本が安保理事会の常任理事国になるのを、国連の大票田であるアフリカに支持してもらうといった政治的な措置でした。

 ケルン・イニシアティブはまさに重債務貧困国(HIPCs)の債務危機解決のためであり、貧困削減を目的とした筈でした。決して78年当時のスキームのように、石油代金の支払いのための救済措置ではありませんでした。第二に、78年当時のスキームの対象は、すでに工業化が始まっていたアジアであり、その後適用を拡大したLDCも、「重債務」というカテゴリーは入っていない国があります。第三に、日本政府がTICADで提起したアフリカに対するスキームも、必ずしも対象は、重債務国、あるいは貧困国だけではありませんでした。一方、IMF・世銀が規定した重債務貧困国(HIPCs)には、アフリカが多く含まれていますが、中米、アジアも入っています。

 債務救済無償援助スキームがアジア、LDC、アフリカに適用された時には、構造調整プログラムやケルン・サミット以後にIMF・世銀が出した「貧困削減戦略ペーパー(PRSP)」などといった条件はついていませんでした。IMF・世銀がHIPCイニシアティブを出したのは96年でした。日本がTICADで債務救済無償援助スキームをアフリカに適用すると発表したのは96年以前です。TICAD以前には、スキームには構造調整プログラムやPRSPを条件にしていませんでした。

 しかし、日本がケルン・イニシアティブで、HIPCsに対して、債務救済無償援助スキームを当て嵌める場合にだけ、構造調整プログラムやPRSPを含めた拡大HIPCイニシアティブを条件にしています。しかも、IMF・世銀が拡大HIPCイニシアティブを適用する時は、構造調整プログラムを忠実に実施していると認められた時点を「決定点」として、削減交渉を開始します。この時点で、ある程度債務の返済額を減らすという措置が採られます。当時はHIPC41カ国のうち、24カ国に上っていました。その3年後、「完了点」に達したと判断された時、その後3年以内になっていますが、債務の元金の削減が行われるのです。2000年の時点では、これはボリビアとウガンダの2カ国でした。

 日本は、このIMF・世銀の拡大HIPCイニシアティブを悪用して、HIPC41カ国に対しては、完了点に達したとIMF・世銀が認めた国にのみ、債務救済無償援助スキームを適用しました。つまり41カ国の中で、日本のスキームにより、債務の元金の削減を受けた国は、ボリビア1カ国でした。ウガンダについては、スキームの中で、もう1つの問題点である「無償援助を受ける条件」で頓挫しているため、執行されませんでした。その条件とは、無償援助は円貨で、日本国内の銀行に振り込まれるので、ウガンダは銀行の口座を開設しなければなりません。そして円貨でしか受け取れないのです。またウガンダは、債務救済によって浮いた資金を「貧困行動基金」に入れ、市民社会の参加をもって、貧困根絶、とくに、医療保健と教育に使うことになっています。これは、無償援助分を外国からの商品輸入に充てるという日本の「スキーム」に抵触します。したがって、ウガンダは、債務を返済しても、日本の債務救済無償援助スキームからの無償援助を受けとることが出来ませんでした。

 スキームが発足した78年以後、これまでに、救済措置を受けたのは、バングラデシュ、ラオス*、ネパール、スーダン*、イエメン*、エチオピア*、タンザニア*、ウガンダ*、ルワンダ*、アフガニスタン、マラウイ*、インド、パキスタン、スリランカ、ケニア*、マダガスカル*、エジプト、ミャンマー*の18カ国です。しかも87年以前の債務が対象でした。(*はHIPCsで11カ国)

 

8)ジュビリー2000国際キャンペーンの合意

 

(1)沖縄国際会議の開催

 ジュビリー2000は、バーミンガム・サミット以来、「貧しい国の支払い不可能な債務を帳消ししよう」というスローガンでもって国際キャンペーンを展開してきました。この場合、対象となる国は、国内連合の独自の戦略に任されてきました。

 たとえば、英国ジュビリーは、「重債務」について独自のカテゴリーを当て嵌めて、対象を52カ国としました。これに対して、日本ジュビリーは、G7首脳とIMF・世銀が「重債務貧困国」と規定し、債務救済の対象にしたのだから、2000年までには、少なくともその公約を実施すべきだという立場をとった。したがって、41カ国を対象にしました。

 9911月、ヨハネスブルグ郊外で、南アフリカ、フィリピン、アルゼンチンなど途上国のイニシアティブで、債務についての会議が開かれました。ここで「ジュビリー・サウス」が誕生しました。ここでは、「すべての債務は不法であり、南(途上国)すべての債務を即時全面的に帳消しにすべきである」と決議しました。また、2000年までに債務帳消しが実現しない場合、「債務の不払い宣言」を行うことに合意しました。

 ケルン以後、とくにジュビリー・サウスの誕生後、このような債務帳消しをめぐる南北の対立を克服するために、どうしてもジュビリーが国際的に議論する場が必要でした。 

 同時に、沖縄という地理的な制約から、バーミンガム、ケルンと「ジュビリー2000の伝統」となってきた大規模な人間の鎖でもってG7会場を包囲する戦略は難しい。そこで、日本実行委員会は、サミットに先だって、那覇市内で、ジュビリー2000国際会議の開催を呼びかけました。

 20004月、日本実行委員会は、G7首脳に対する要請文を起草し、インターネットを通じて、全世界のジュビリー2000に送り、コメントや修正を求めました。それをもとに、第二次草案を作成し、沖縄国際会議に提出しました。参加者全員の討議を経て、G7首脳に対する要請文と、ジュビリー2000の合意文書という二つの文書が、満場一致で採択されたのでした。このようなプロセスは、国際民主主義を尊重したとして、参加者から高く評価されました。それまで南北間で対立していたジュビリー2000の国際的な団結が確認されました。それまで、各国のジュビリー2000の間では、どの債務を、どれだけ帳消しにするかについて、統一見解はなかったが、沖縄の国際会議では、これら債務についての共通の見解をまとめた「合意文書」を採択することが出来ました。

 帳消しを要求する南の債務とは次のようなものが挙げられます。

 

(2)返済不可能な債務

 重債務貧困国では、政府が債務を返済するために、教育、医療保健予算が削られます。その結果、貧しい人びと、とくに女性や子どもたちが犠牲になっています。予防注射を受けることが出来ない子どもが死んでいます。UNICEFによれば、子どもの死者の数は1日19,000人にのぼっています。

 このように、貧しい人びとの教育、健康、そして生命までも犠牲にすることによって返済されている債務は、ただちに帳消しされるべきです。

 まず、「汚い債務(Odious Debt)」、すなわち、独裁者や腐敗政権に貸し付けた資金が、彼らによって盗まれたために生じた債務が挙げられます。

 続いて、80年代初頭の金利上昇や債務の繰り延べ措置が採られた結果、利子分が増えました。また複利制度によって膨らんだ債務も入ります。開発プロジェクトが失敗して返済不可能になったものもあります。利子の変動相場制、為替の変動(債務国通貨の下落と債権国通貨高)、債務国の輸出品、とくに一次産品の国際価格の下落によって生じた債務も入ります。IMF・世銀の誤った開発政策などにより増加した債務もあります。これらすべての債務も汚い債務の範疇に入ります。これら汚い債務は直ちに、無条件で帳消しにするべきであるとしています。

 さらに、沖縄会議では、「すでに債務は実質的に返済されている」ことを確認しました。

 債務問題を解決する手段としてIMFが導入した構造調整プログラムは、貧しい人びとの状況を悪化させ、不平等を拡大しました。弱体化した債務国の経済を保護することも、支援することもなく、市場経済の熾烈な競争の下に晒していることも非難されました。

IMFの拡大構造調整基金(ESAF)は、「貧困削減・成長基金(PRGF)」という新しい名称に変わりましたが、IMFのような債権者の管理下にある限り、そして構造調整プログラムによって緊縮財政、自由化・民営化政策が強制されている限り、事態は改善されるはずはありません。

 拡大HIPCイニシァティブは、対象となった国の数が限られています。帳消しされる債務の比率が少なく、不当な条件が課せられています。債権者はあらゆる口実を設けて帳消しを実施しないために、債務の帳消しの対象をはずしています。その結果、貧困国の債務負担は軽減されていません。

 

(2)沖縄ジュビリー合意の意義

 植民地支配が終わっても、南の国は歴史的、道義的、社会的、かつ環境破壊から生み出された債務を背負わされています。このことが今日の経済的な債務問題の原因となっています。したがって、債務の帳消しは、南の国ぐにの貧困問題を解決し、南と北の不均等で不公正な関係を公正で相互支援の関係に変革する第一歩となる、などについて合意しました。

 これまでジュビリー2000の国際キャンペーンの中で、2000年までに債務帳消しすべき対象国を、HIPCs41カ国(大部分の北のジュビリー)、52カ国(英国ジュビリー)、あるいは途上国すべて(ジュビリー・サウス)にするかなどといった論争は、沖縄会議でもって決着を見たのでした。

 ジュビリーが当初デッドラインとした「2000年」は過ぎようとしていました。英国ジュビリーのように、2000年末で解散するのもあるが、大部分のジュビリーは継続を決めました。21世紀のジュビリー運動は、すべての債務の帳消しではなく、またHIPC41カ国に限定するのではものでなく、「返済不可能な債務」と「不法な債務」の帳消しを要求して行くことになります。そのためにも、沖縄会議でこれらの債務の規定について、ジュビリー・サウスを含めてすべてのジュビリー全組織が合意したのは大きな成果であったと言えます。

 

9)実行されなかった公約

 

(1)   沖縄サミットはケルンからの後退

 ケルンでは、G7は700億ドルの債務帳消しを公約し、その対象となる国の数は36カ国と発表しました。続いて、その秋のIMF・世銀総会では、「拡大HIPCイニシアティブ」が打ち出されました。この総会でIMF・世銀合同委員会の議長を勤めたブラウン英蔵相は、「2000年中に1,000億ドルの帳消しを実行する」という楽観的な観測を述べました。

 しかし、実際には、拡大HIPC(II)は、HIPCIと何ら変わるところがありませんでした。沖縄サミット時までに、実際に拡大HIPCによる債務削減交渉に入った国は、わずか9カ国にとどまりました。

 

(2)削減の対象国は20カ国に減少

 ケルンの公約は、ほとんど実行されなかったのでした。

 沖縄サミットでは、G7首脳は、これまでの債務帳消し国際キャンペーンを無視して、拡大HIPCsイニシアティブによる債務救済の対象国を、それまでの9カ国に、さらに11カ国を加え、合計20カ国を目指していく、と発表しました。帳消し総額についても、150億ドル(実質価値総額では86億ドル)としました。しかも、これは、20カ国の債務総額の46%が削減されることにすぎませんでした。またこの20カ国というのも、単に削減交渉を受ける「決定点」に達した国だけにとどまり、そのすべてが実際に削減を受けるのは、2005年まで待たねばなりませんでした。

 IMFは、9912月、「2000年中に決定点に達する国は、24カ国」と発表していました。このように、ケルンでは、36カ国、次いで、IMF・世銀総会以後は24カ国、そして沖縄では、20カ国と、時を経る毎に、G7、IMF・世銀は、債務救済の対象国の数を減らしていったのでした。

 

(3)新しい条件―紛争国の排除

 拡大HIPCイニシアティブは、それまでの構造調整プログラムの実施に加えて、「貧困削減戦略ペーパー(PRSP)」の作成という新しい条件を加えました。沖縄サミットでは、さらに新しい条件が加えられました。それは債務削減の対象国41カ国の中から、「紛争の影響下にある国」が除かれることになったのです。これは、紛争の当事国ばかりでなく、その周辺国も含まれます。

 実はこの新しい条件を設けることについて、米国とヨーロッパの首脳たちの間に対立がありました。英国などは、紛争解決を支援するためにも債務削減が必要であるとして、除外することに反対しました。議長である森首相のリーダーシップを発揮できなかったために、結局除外されることになってしまいました。

 

9)IMF・世銀の世紀末“泥縄”措置

 IMF・世銀は、沖縄直後に2カ国、また2000年末に、泥縄式に追加11カ国の債務救済交渉を行いました。

 20001222日、IMF・世銀は、拡大HIPCイニシアティブによる債務削減交渉を終えた国が、22カ国に達し、削減総額は340億ドルにのぼった、と声明しました。沖縄サミットで、2000年末までに20カ国の債務救済を公約したが、これにプラス2カ国という“色”をつけたことになります。しかし、チャド、象牙海岸は2000年までに決定点に達していたにもかかわらず、なぜか21世紀に持ち越されてしまいました。

 

(1)   債務削減プロセスの遅れ

 200012月末、世銀はHIPCの適格度について、以下のようにまとめました。

2000年末までに決定点に達した国は、ベニン、ブルキナファソ、カメルーン、ガンビア、ギニア、ギニア・ビサウ、マダガスカル、マラウイ、マリ、モーリタニア、モザンビーク、ニジェール、ルワンダ、セネガル、サオト―メ・プリンシペ、タンザニア、ウガンダ、ザンビア(以上アフリカ)、ボリビア、ガイアナ、ホンデュラス、ニカラグアの22カ国でした。このなかで、以前、IMF・世銀が2000年以後に削減措置をすると発表していた国の中で、マダガスカル、ガンビア、ニジェール、サオト―メ・プリンシペの4カ国は、2000年中に債務削減交渉を受けました。

また、紛争国として帳消しの対象から外されたのは、ブルンジ、中央アフリカ、民主コンゴ、コンゴ、リベリア、ミャンマー、シエラレオネ、ソマリア、スーダンの9カ国でした。決定点に達しているのもかかわらず削減を2001年以後に持ち越された国は、チャド、象牙海岸、さらに何の理由もなく延期された国はエチオピア、トーゴ、計4カ国でした。

IMF/世銀の圧力によって、自らイニシアティブを断ったとされた国は、ガーナ、ラオスの2カ国でした。そして、96年の段階ではHIPCの的確国と認定しておきながら、2000年末には重債務国と認めないとして除外された国は、アンゴラ、ケニア、ベトナム、イエメンの4カ国でした。

 

(2)債務削減が遅れている理由

 たしかに、象牙海岸のようにクーデタが起るなど削減措置をとれなくなる債務国のように理由がないわけではないが、遅延の原因はほとんど債権者側にあります。

 ガイアナの例のように、IMFはいったん公務員の賃上げに賛成しておきながら、一方で財政緊縮を要求するといった矛盾した政策を押し付けています。ガイアナはすでに第一次HIPCイニシアティブを達成しており、ケルン合意では当然削減交渉に入るべきであったのですが、拡大HIPCsイニシアティブになると一時期除外されました。

 日本は最大の援助国と自称していますが、一方で、HIPCイニシアティブの対象国から外れるように債務国政府に圧力をかけました。ベニン、ガーナ、ラオス、マラウイなどは、日本から借款を受けられなくなるぞ、脅かされていると訴えています。事実その結果でしょうが、ガーナとラオスは、HIPCイニシアティブを辞退しました。

 

10)債務帳消しについての新たな枠組みの提案

 ジュビリー2000は、市民社会ぐるみの国際キャンペーンでした。したがって、スローガンも「2000年までに、貧しい国の返済不可能な債務を帳消しにしよう」という誰にでもわかりやすい、容認しやすいものにしました。また、債権者の中でも最も権力をもっているG7首脳を直接要請するという戦略をとりました。

 しかし、ここに1つの重大な問題があります。国家間の債務では、債権者であるG7、パリ・クラブ、IMF、世銀などが、一方的に債務救済のスキームを決め、債権者側のルールに基づいて、帳消しを行うのです。誰が債務削減を受けるのか、そしていくら、いつ、どのようにして、などについて決定権を持っているのは、債権者です。

 債権者は、出来るだけ削減の費用を少なく押さえたいと願います。彼らにとっては、債務の削減は、二の次ぎの問題です。通常、債権者が、このように一方的に債務の処理を行うことは、個人や会社の場合は、考えられないことです。

 先進国には、「破産法」が制定されており、これに基づいて、裁判所など中立の第三者機関が債務処理を行っています。しかし、国家には、これが適応されません。しかも国家には破産が許されないのです。国家の破産についての国際法はありません。

 そこで、G7国のジュビリーの中で、このような債務の帳消しのメカニズムを批判し、新しいスキームについて、議論してきました。これに最も熱心だったのはドイツ・ジュビリーで、ケルン・サミット以後は、「公正で、透明性のある仲裁プロセス(FTAP)」と名付けた新しいメカニズムを提案してきました。

具体的には、FTAPは二つの提案よりなります。

 

(1)米連邦法の地方政府破産法を演繹

 87年以来、ウイ―ン大学経済学部のクニバート・ラッファー教授が、87年以来、国家破産法の制定を主張してきました。ラッファー教授は、米国連邦法の破産法には、「第九条」に、地方政府の破産(Insolvency)についての条項があり、これを途上国の債務帳消しの国際法に演繹して、「国家破産法」として、途上国の重債務国に適用すべきだと言います。 

 19世紀以前には、ヨーロッパには個人の破産法がありませんでした。借金が返せない人は投獄されました。その借金は息子、孫に受け継がれ、次ぎ次ぎと投獄されました。これは非常に非人道的なことです。19世紀になって、やっと、個人の破産法が制定されました。裁判所などの第3者機関が、返済不可能な債務を整理し、債権者に大部分の債務を放棄させる。破産者は、財産を失い、さらに新しい借金は出来ませんが、仕事に就き、収入を得ることが出来るし、選挙権を含めて公民権を保証されるのです。しかし借金が返せないために、投獄されることはないのです。

 

(2)会社更正法

 法人の場合も、同様、破産法に基づいて、債務の処理が行われます。破産した場合、会社の債務を、経営者が被ることはありません。さらに会社更生法、最近では民事再生法が制定され、裁判所から委託された弁護士、公認会計士が、会社の債務を調べ、再建しても、支払い可能な債務額を決定します。債権者は、それを超える分については放棄しなければなりません。

 個人、法人の破産処理のケースで、重要なのは、第一に、債務の管理や、帳消しを行うのが、銀行などの貸し手ではなく、第三者機関だという点です。第二に、返済不可能な債務は帳消しになっている点です。第三に、破産したものの最低の財産、生命、働いて得る収入、さらに公民権を保証されています。

 

(3)国家は破産できない

 しかし、国家となると、問題は全く別です。まず、国家の破産を扱った国際法は存在しません。つまり、国家は破産できないことになっています。国家は返済不可能な債務を抱えており、その返済が貧しい人びとの教育、健康、生命を奪ったとしても、返済しなければならないのです。また、国家の債務は、次世代、次次世代と永遠に支払いつづけなければなりません。これでは、孫まで投獄された19世紀以前とかわらないではありませんか。

 

(4)   米国連邦法第九条

 米国連邦法の破産法の第九条には、地方政府が債務危機に陥った場合の条項があります。ここでは、州や市政府が債務を返済出来なくなった時、裁判所はその債務の処理を行うのです。その時、州民や市民の福祉、医療保健、人権の保護が優先されます。その上で、帳消しになる債務の規定を行います。債権者は、そのような債務を放棄しなければなりません。

 この「第九条」を途上国の債務救済に演繹すべきです。ラッファー教授は、米国の「第九条」を、直ちに重債務貧困国に、適用できる、と主張しています。

 これまで、ケルン・イニシアティブやIMF・世銀のHIPCイニシアティブなどの債務救済措置は、「人間生存のためのニーズ(BHNs)」、人権、生命までも犠牲にしたところで返済されてきました。このような人道に反する行為をやめ、法の秩序に基づいた債務の救済措置をとるべきです。

 

(5)   公平で、透明性のある仲裁プロセス(FTAP)

 主権国家の債務帳消しに、米国破産法の「第九条」を当てはめ、債務帳消しを行う場合、

国内の裁判所に相当する第三者機間は、これまでは存在していません。債務救済措置は、G7、パリ・クラブ、IMF、世銀など、貸し手の手に委ねられてきました。

これに対して、G7のジュビリーは、国際的な貸し出しと借り入れに、より整合性のある、公正な、透明性のある、新しい、独立したメカニズムの設立をよびかけてきました。これは、債権者と債務国の双方が合意する「独立仲裁者」を任命し、これをもって、「債務レビュー機関(DRB)」を構成します。これに、債権者側と債務国側が入り、また債務国の市民社会の代表も参加します。DRBは、帳消しによって浮いた資金を慎重にモニターし、貧困削減と優先的開発に使われることを監視しなければなりません。また、DRBは、将来の融資受け入れについても監視し、債務危機の再発を予防します。この独立仲裁プロセスという考えは、国連のアナン事務局長などの支持を受けています。沖縄サミットでは、G7首脳に宛てたアナン事務総長の手紙にも言及されていました。

 ジュビリーは、新たに常設国際裁判所を設置せよ、といっているわけではありません。それはあくまで随時で暫定的なものです。第一に、債務国と債権者の双方から同一の人数の判事を選出します。第2に、多数決で採決を行うために、双方が合意したもう一人を加えます。 

 また、この仲裁機関は非公式な性格のものですが、別に問題はないです。なぜなら、これまでの債務処理は、IMF・世銀のHIPCsイニシアティブI、II、パリ・クラブ、さらに、G7サミットでさえ、国際法では何ら拘束力を持たず、むしろ暫定的なまま実施されてきています。それは、債権者たちの政治的意思と、債務国側に何のオルタナティブな選択肢がないという状況のもとで行われてきたのです。

 このメカニズムは柔軟でなければならないし、官僚的であってはなりません。債務国と債権者の手にのみ委ねられる事項であるから、巨大な国際機構を必要としません。しかし一方では、小規模な専門家による事務局が設けられるべきです。それは、債権者、債務国のいずれの機関でもない国連の下に置かれます。事務局の任務は、国際的水準に基づいた債務データの総合・比較化、会計監査、判事に対するテクニカルな支援、プロセスの基準に基づいた利害者の公聴会の開催などといったものです。

 これはどのような効果を持っているでしょうか?

 長い間、債権者が独占してきた債務処理の基本的な問題が、初めて、現実主義的にとりあげられるでしょう。これは、少なくとも、或る特定の債務国との債務救済協定が、数年間、あるいは、数ヵ月後に再び検討されなければならないなどということをなくすことが出来ます。パリ・クラブではしばしばこのようなことが繰り返されてきました。

 債権者は、これまでのように、舞台裏で債権者同士が喧嘩することなく、特定の債務国の問題を包括的に解決できるでしょう。これまでのばらばらな対処方法では、債務繰り延べや帳消しを通じた解決に強く抵抗する債権者にプレミアムを与えることになります。一方、包括的な仲裁プロセスでは、誰も無料の昼食にありつけないことを保証するものです。

 FTAPプロセスによる債務の解決とは、これまでの重債務国に投資しようとする投資家が、その国の真正のバランスシートを手に入れることができるようになることをも意味します。これまでのように、新規の投資資金が古い債務の支払いに廻されるといった危険もなくなります。重債務国の投資環境が向上することは、過去の不良債権と、緊急に必要とされる資金との間に、防火壁のような効果をもたらすでしょう。

 

11)アルゼンチン経済危機をめぐって

 200112月、アルゼンチンに経済危機が襲いました。中でも、1,300億ドルを超える対外債務は、返済不履行(デフォールト)になりました。それまで、IMFは、アルゼンチンに100億ドルを超える救済融資を繰り返してきたが、ここで大きな問題が起こりました。

アルゼンチン政府の債務の50%は民間銀行からの融資分でした。これは、短期で、利子も高いのです。IMFが緊急融資を供与すると、その資金は、民間銀行への返済に充てられます。つまり、IMF(ワシントン)から出たカネはアルゼンチン政府を経由して、(ニューヨーク)の銀行に入っていくことになります。これは、アルゼンチン政府に無制限に貸した銀行のモラルハザードであるとして、200112月、アン・クルガーIMF副専務理事が、「国際法廷によるアルゼンチン債務処理」を提案しました。ジュビリー側は、このクルガー案を、「IMFの債務処理の間違いを認めたもの」として、評価しましたが、IMFが国際法廷の設置に力を入れるだけで、アルゼンチン政府、ならびに市民社会の参加を全く考えていないことを批判しました。クルガー案は、米国や日本の支持を受けていませんが、今後に残された課題になっています。

 

12)G7各国の動きと今後の課題

 途上国が抱える公的債務は、2国間と多国間債務に分類されます。

 2000年末、それぞれ方法、期間、プロセスは異なりますが、米国、イタリア、英国の三カ国政府・議会が、2国間債務のすべてを帳消しにすることを決定しました。

 

(1)米国議会の承認

 クリントン大統領は、99年秋、IMF・世銀総会において、米国の2国間債務を100%帳消しにすることを公約しました。86年、パリ・クラブで、はじめて途上国の二国間公的債務の繰り延べが行われました。この時点をもって、それ以前に発生した債務を「削減時点前(Pre-Cut of Date)」分、それ以後の分を「削減時点後(Post-Cut of Date)」分と呼び、通常、パリ・クラブでは、前者のみ帳消しされることになっていました。しかし、クリントン大統領は、両者ともに帳消しにすることを約束しました。

 この時、HIPC40カ国の対米債務総額は、60億ドルにのぼると言いましたが、そのうちの35億ドルは、民間債務です。また、60億ドルと言うのは、帳簿上の数字でして、大部分はすでに不良債権として処理されており、納税者が負担する分は9億ドルです。

 2000710日、米国ジュビリー2000は、債務帳消しを要求する50万人の署名を議会に提出しました。この署名キャンペーンの主な担い手は、全米キリスト教会協議会や労組のAFL・CIOなどといった有力な団体でした。

 翌日711日、米下院は、2001年会計年度予算審議の中で、HIPC40カ国の2国間債務の帳消し予算として、2億5,000万ドルを、賛成239対反対185票で可決しました。これは、クリントン大統領が、2000年〜2001年の2年間の債務帳消し予算として要求した4億7,200万ドルには、はるかに及ばない額であった。

 以後、米国ジュビリー2000は、全勢力を議会に対するロビイ活動に向けた。その結果、1025日、米議会は、超党派で、HIPCの債務帳消しに向けた43,500万ドルの予算を承認した。これで、20012002年会計年度の債務帳消しの費用をカバーすることが出来ます。クリントン大統領が、99年秋、IMF・世銀総会において、「4年間で債務帳消しを実施する」とした公約については前半の2年間分は、実現する見通しになりました。残りの2年間分は、ブッシュ大統領が前任者の「公約」を破棄したため実施されませんでした。

 

(2)イタリア議会の大胆な決定

 2000年6月27日、イタリア下院議会は、通称「ミレニアム寛容の法案」と呼ばれる最貧国の債務帳消し法案の討議を開始し、法案は最短審議で採択されました。

 なぜなら、債務帳消しはバチカンとNGOの強い要請であったからです。しかしこの法案の背景には、4ヵ月前、前ダレマ首相がサンレモ・フェスティバルでロック・スターのジョバノッチの要請に債務帳消しを公約したことにはじまります。ジョバノッチが何百万人もが見ていたテレビで、債務帳消しを訴えたことが大きかったのです。

 政府原案は、下院の外務委員会で拡大修正されました。それによって、帳消しの対象国が40カ国から何と67カ国に拡大した。ODA債務は3兆リラ、また非ODA債務は5兆リラが、向かう2年間で帳消しになります。しかも法案は今回の対象国以外でも、今後自然または人的災害に見舞われた国に対しても直ちに債務を帳消しにするという条項まで盛り込んでいます。

 また、この法律は、イタリアの貿易保険庁(SACE)に対して、年に1度の議会への報告を義務づけています。これによって、今後、武器の輸出などが規制されることになります。

 

(3)英国ブラウン蔵相声明 

 2000122日、ゴードン・ブラウン蔵相は、「今日以降、英国政府は、重債務最貧国41カ国(ミャンマーが除外され、ナイジェリアを加えている)に持っている総額16億ポンド(当時のレートでは1ポンド=164円)にのぼる2国間債権を事実上放棄する」と発表しました。

 これは、英国ジュビリー2000が主催した、「世界は決して同じではないだろう(The world will never be the same again)」の集会に、クレア・ショート国際開発相とともに出席したブラウン蔵相が、以後41カ国からの債務返済を受け取らない」と演説しました。

 プラハのIMF・世銀総会においては、HIPCイニシアティブによって、2000年中に債務救済を受けるのは、たった20カ国でした。これに加えて、英国政府は、残りの21カ国からの債務返済も受け取らないことを決定しました。

 「あなたも、わたしも、ともに、最大の金持ち国がこれ以上、最も貧しい国の債務から利益を得ようとは思わないだろう」、したがって、「今日をもって、英国政府は、全41カ国の累積債務からの取り立ての権利を放棄する」と語りました。99年には、これら41カ国英国政府に対する債務の返済総額は、2,900万ポンドでした。

 「これら41カ国は債務を返済するのだが、これは、彼らが貧困削減計画を完成させるまでの期間、特別な信託基金に積み立てて置く。これは、残り21カ国の内11カ国が武力紛争下にあり、債務救済によって浮いた資金が武器購入にまわされるのを防ぐための手段」だと説明しました。

 英国政府は、HIPCイニシアティブの受益国である20カ国の2国間債務については、すでに6億ポンドの帳消しを決定していました。残りの21カ国の2国間債務総額は10億ポンドでした。

 また、今回の英国政府の決定は、先進国政府をはじめとして、国際社会が合意している、「2015年までに貧困の数を半分に減らし」「すべての子どもが初等教育を受けられ」「幼児死亡率を3分の1にまで減らす」という2000年国連ミレニアム総会で宣言された「ミレニアム開発ゴール達成への第一歩」だとジュビリー2000の集会で語ったのです。

 英国政府の決定は、英国ジュビリー2000が、4年にわたって債務帳消しのキャンペーンを続け、また2年にわたって国際的なキャンペーンをリードしてきた成果だといえましょう。HIPC41カ国に対する英国の二国間債務の総額は、20億ポンド(33億ドル)であり、貿易保険による債務が96%を占めています。

 

13)帳消しに必要な費用をめぐる議論

 

(1)債務帳消しの費用をODAから出さない

2国間債務の帳消しにODAを充てることは、これまでジュビリー2000のキャンペーンが始まる前から、多くのNGOが反対してきたところです。債務国にとって、確かに返済の資金は浮くのですが、しかし、一方では援助金が減るので、結局教育や医療保健の予算を増やすことが出来ません。貧困削減につながりません。

また先進国がODA予算を増やしてもても、債務があると被援助国はそれを債務削減に流用してしまうので、ODAの実質額が増えたことになりません。

 債務国がきちんと債務返済をしている場合、ODA予算が債務救済に充てられることは、とりもなおさず、債権国は一方の手でODAを供与し、他方の手で、それを債務国からもぎ取っていることになります。債務国が返済を滞っていたら、債権国はODAで不良債権を単に処理することに終わります。

 このことについて、フランスのファビウス蔵相は、春のIMF・世銀の国際金融通貨委員会において、「債務削減においては、追加の予算を充てるべきで、ODA予算を割くべきではないという原則をコミットするべきである」と述べました。

 

(2)IDAの債務の帳消し

 IDA(国際開発公社―第2世銀)は、世銀の高い利子の開発融資を受けることが出来ない貧しい国に対して、先進国が無償で拠出した資金を世銀が長期の無利子のソフト・ローンに代えて融資する機関でして、通称第2世銀と呼ばれています。

 重債務最貧国(HIPCs)の多国間債務480億ドルのうち、IDAへの債務は360億ドルにのぼります。

 IDA債務の帳消しは、出資国の新たな資金供与なしに行うべきです。この場合、必然的にIDAの融資分が減ります。そこで、どうしてもIDA融資のレベルを維持すべきなのだろうかという疑問が出てきます。つまりIDA融資の半分以上がそれまでのIDA債務の返済に充てられています。したがって、これまでの債務を帳消しにし、同時にIDA融資を減らして行くか、この際IDAはグラント(贈与)にするべきです。

また、IDA債務の帳消しには、世銀の利益金を充当することです。この場合、世銀融資を受けている中所得国が反対しています。つまり、世銀の利益金は自分たちが高い利子を払って返済しているところからのものだと言うのです。また世銀の利益金の規定が問題になります。世銀の融資の利子収入分か、資金運用部の財テク分か、融資のロス補填金なのか、これらが渾然一体となっているのです。

先進国が世銀内に設けられた「HIPC信託基金」に出す拠出金を充てるという方法があります。これはジュビリー2000の中でも、意見が一致していません。ここへの拠出金について、出せとロビイしているところと、反対しているところがあります。反対派は、「債権国がHIPCsを支配しており、したがって構造調整プログラムが付随しているから」というのが反対の理由です。

 

(3)IDA融資そのものの問題点

 IDAには、「IDA債務削減基金」が設けられています。すでにこれまで、IMF、世銀や民間銀行の債務の返済に充てられてきました。3ドルのIDA融資が行われる一方で、IMF・世銀に2ドル戻ってきている仕組みです。しかもサハラ以南のアフリカへのIDA融資の40%は構造調整融資です。これは、政策融資といって、政治的な要素が強いので、NGOは早くから反対してきたところです。

 

III.7 日本政府がついに債務帳消しを発表              

 01年1月1日、「途上国の債務帳消し日本実行委員会(ジュビリー2000日本)」は「途上国に債務と貧困ネットワーク(DebtNet)」は改名しました。そして、外務省経済協力局に対して、「債務救済無償援助スキームの廃止」と「重債務貧困国のODA(円借款)債務の帳消し」を要求するロビイ活動を続けてきました。これは、政府が、2000年6月にジュビリー2000日本委員会に対して行った公約の実施を求めたものでした。

 これに対して、外務省は一貫して、「債務救済無償援助スキームの見直しを検討中」であり、「債務帳消しは出来ない」という返事を繰り返してきました。

 ところが、突如、021210日、日本政府は、川口外務大臣の名で、「債務救済無償援助スキームを廃止し、重債務貧困国(HIPCs)とその他一部の債務救済無償援助対象国の債務の帳消し」を発表しました。帳消しの総額は、9,086億円に上ること、及び、対象国など明細がDebtNetFAXで送られてきました。

 これは、日本ジュビリー20009810月以来、首相宛てに50万人の債務帳消し要請をした署名運動からはじまって、2000年1月から4月にかけて毎週火曜日、外務省と大蔵省(当時)に対する要請行動、4月11日の大蔵省に対する「人間の鎖」行動、沖縄サミットでのG7首脳に対するジュビリー2000国際会議からの債務帳消し要請など、4年余りに亘る粘り強い運動の成果であったといえます。

 しかし、すでに、99年6月、日本の小渕首相を含めたG7首脳会議での「ケルン合意」で、「ODA債務については100%帳消しにする」ことが決定されています。日本政府は、この「ケルン」合意の実施に、何と3年半の月日を費やしたことになります。さらに、2000年6月、日本政府がジュネーブの国連社会開発サミット+5で、「ODA債務の帳消しを公約」して以来、その実施を2年半も引き伸ばしてきたのでした。

 この間の、重債務貧困国の貧しい人びとが蒙った苦痛を考えると、憤りを感じます。

 同年1217日、DebtNetは、債務帳消しの詳細について、外務省経済協力局と会合を持ちました。そこで外務省側が明かにしたのは、次のような内容でした。

 

(1)   帳消しになる国は、IMF・世銀が規定したHIPCsのなかで、日本が債権を持って

いる国27カ国とHIPCs以外で従来の「債務救済無償援助スキーム」の対象国の中から5カ国を加えた、計32カ国だということ。

(2)   帳消しの対象となる債務は、03年3月末の円借款債務残高であること。

(3)   重債務貧困国については、IMF・世銀の「拡大HIPCイニシアティブ」の枠組み

で実施されること。

その結果、03年4月から、帳消しの交渉に入るのは、すでに拡大HIPCイニシアティブによって「完了点」に達しているウガンダ、ボリビア、モザンビーク、タンザニア、モーリタニア、ブルキナファソの6カ国になります。ただし、ケルン合意にもとづき、100%の債務が帳消しされます。

(4)従来の「債務救済無償援助スキーム」の対象国については、拡大HIPCイニシアティブのような条件は一切つけないこと。返済期限がきた額について、順次日本が債権を放棄して行くことになる。しかし、これまで、返済を滞納した分については帳消しにしない。

(5)ミャンマー、マリ、ウガンダなど従来の「債務救済無償援助スキーム」対象国とHIPCs対象国がダブっている国については、拡大HIPCイニシアティブが適用されること。

(6)帳消しのメカニズムは、円借款を供与してきた日本国際協力銀行(JBIC)が債権放棄を行い、そこで生じる損失は、JBICの利益金から埋めるが、足りない分は政府のODA予算からJBICへの交付金として支出すること。しかし、これはJBICが現在円借款がゼロ金利の資金に低利とはいえ利子をつけて貸しており、一方、現在返済されているのは、20年以上も前の利子が高い時代の利子なので、非常に儲かっているのです。したがって、重債務貧困国の債務を帳消しにする資金はJBIC自身沢山持っているということです。それよりも、スキームを維持したならば、無償援助を出さざるとえません。すでにODAの無償援助分は減っているのですから、すでにスキーム自体が日本政府にとっては重荷になっていたのでした。決して、重債務貧困国のためを思ってとった措置では必ずしもありません。むしろ、2000年の沖縄サミットにおいて、議長国としてこの帳消しを発表していたら、国際的な賞賛を浴びたでしょうに。

(7))HIPCsに含まれているのもかかわらず、帳消しの対象になっていないベトナムとケニアは、これら政府が政務帳消しを辞退しているのが理由であること、などが議論の中で明らかになりました。

 ところが、この会合直後の朝日新聞(1222日付け、バンコク山田厚史特派員発)に、日本政府がミャンマーに対し、1,150億円の債務帳消しを決定したことが報じられました。これは、同日、バンコクではじまった日本ミャンマー経済構想支援会議で表明されたものです。ミャンマーの対日債務総額は、2,735億円で、32カ国の債務総額中3分の1近くを占めています。その中、半分以上の額の帳消しが対象になりました。

 このことは、第一に、ミャンマーが非合法な軍事政権の支配に下にあり、そのことが理由で先進国が援助を停止し、IMF・世銀も融資をしてきませんでした。したがって、HIPCの的確国ではありますが、債務救済の交渉の対象国から外されてきました。第二に、ミャンマーは債務救済無償援助スキームの対象国であり、同時にHIPCであるので、前記の(5)が当てはまります。ということは、拡大HIPCイニシアティブの枠組みで債務帳消しが行われるべきです。したがって、ミャンマーの債務帳消しは同国の民主化が達成されるまで、実施されない筈です。第三に、021210日の政府発表では、帳消しの交渉が始まるのを、03年4月1日以降となっていたにもかかわらず、ミャンマーだけを例外にして、しかも前倒しにしたことになります。

 1210日の日本政府の帳消し措置は、これでやっとG7と肩を並べることになったとい点では、大きな前進であり、債務帳消し運動としては評価すべきでしょう。しかし、ミャンマーのような例が出て来ると、その真意が、民主化という現在国際社会の合意事項から大きく外れたものであることを、疑わざるを得ません。

                

IV.01年以後の債務帳消しの動き

 

1)象牙海岸が債務削減を受ける

  01年3月27日、IMFは、最貧国に対するソフトローン供与する貧困削減成長ファシリティ(PDGF)を象牙海岸に承認しました。これはIMFが象牙海岸の構造調整プログラムを3年間実施してきたことを承認したことを意味します。それを受けて、4月9〜10日の2日間、パリ・クラブ会議が開かれ、象牙海岸に対して、債務の繰り延べに合意しました。

 これは、象牙海岸の22億6,000万ドル債務(うち39%はODA債務)が対象になりました。この債務は、02年3月31日までの元金と利子を合わせた債務残高10600万ドルと02年4月1日〜1231日に返済期限が来る分12億ドルを合わせたものです。

パリ・クラブの合意は(1)リヨン条項、つまり、Pre-cut of dateODA債務を16年の返済免除期間とODAが供与された時点での利子に相当する低利子で、40年の繰り延べを行うこと、(2)パリ・クラブが行ったこれまでの帳消し分を配慮して、Pre-cut of dateの民間債務の80%を削減すること、(3)残りの債務については、6年の免除期間と市場並の利子で23年の債務繰り延べをおこなう、という内容でした。

実際の削減額は9億1,100万ドルになります。言いかえれば、象牙海岸は02年4月1日から041231日までの期間に返済しなければならなかった226,000万ドルが、7億5,000万ドルに減ったことになります。

パリ・クラブは、象牙海岸が拡大HIPCイニシアティブによる「決定点」に達した時、ケルン条項によって、民間債務を90%削減することにも合意しました。

 

2)ガーナが決定点に

02 年5月、ガーナは決定点に達し、IMF・世銀の拡大HIPCイニシアティブによる2億ドルの債務返済の削減措置を受けました。しかし、これには、「水の民営化」という高い代償をしはらった結果でした。さらに、世銀は、ガーナが、「完了点」に達した時は、債務を80億ドル削減するといいましたが、これには更なる民営化をしなければなりません。

 

3)ブルキナファソが完了点に

 02年4月12日、IMF、世銀は、ブルキナファソが拡大HIPCイニシアティブによる「完了点」に達したことに同意しました。これによって、ブルキナファソは、5億7,500万ドルの債務元金の削減を受けました。

 ブルキナファソは、すでに旧HIPCイニシアティブによって、2000年7月、決定点に達したとして、2億2,900万ドルの債務削減を受けました。今回の拡大HIPCイニシアティブによる削減額は1億9,500万ドル、これに加えて、パリ・クラブによる2国間債務の削減(英国は100%)による2,200万ドル、残りの1億2,900万ドルは、外的なショック(一次産品の急激な値下がりなど)による救済措置でした。

 ブルキナファソが、旧HIPCイニシアティブによる決定点に達して、債務救済の交渉に入ったのは1997年でした。ブルキナファソの債務返済額は、年間6,000万ドルでしたが、この措置によって05年まで2,000万ドルの返済額に減りました。その後にはわずかばかり返済額が増える見込みです。また返済額が政府の歳入に占める比率は99年に14%であったが、03年度には5%になります。

 

4)モーリタニアが完了点に

 02年6月20日、モーリタニアが拡大HIPCイニシアティブによる完了点に達しました。これで、ウガンダ、ボリビア、モザンビーク、タンザニア、ブルキナファソを含めて、債務元金の削減を受けた国は6カ国になりました。モーリタニアの債務削減総額は11億ドルに達しましたが、実質削減は6億2,200万ドルでした。98年の決定点時の年間返済額は8,800万ドルでしたが、03年には3,500万ドルになり、11年まで、年間3,900万ドルになります。この中には、2国間債務の100%帳消し分も含まれる。

 

5)マリが完了点に

03年3月7日、西アフリカのマリがIMF・世銀のHIPCイニシアティブによる完了点に達しまた。これで7カ国が完了点に達したことになります。

すでに02年9月、マリは特別に1億2,100万ドルの債務帳消しを受けている。これは、マリの全債務額の9%にすぎません。03年3月の分は28%の削減、金額にして4億100万ドルの帳消しになります。

これで、マリの残りの債務総額は22億ドルになりました。これはマリのGDP比にすると100%となり、依然として、マリにとって債務は大きな重圧であることは間違いのないところです。マリ以前の完了点に達した国でも、一次産品の輸出価格の暴落により、債務が年間輸出総額の150%%以上にのぼったため、追加の削減を受けた国もあります。しかし、マリの輸出は比較的好調と見なされたため、そのような恩恵を受けることが出来ません。

HIPCイニシアティブによる今回のマリの債務帳消し措置は、1年ぶりのことでした。

そもそもIMF・世銀が公約したHIPCsの債務帳消し総額は1,100億ドルでしたが、マリの帳消しを足しても、これまでにわずか365億ドルを削減したのに過ぎません。

 

6)ガイアナが完了点に

 031219日、南米のガイアナがIMF・世銀の拡大HIPCイニシアティブによって完了点に達しました。総額2億5,600万ドルの削減措置を受けました。これでガイアナは総額3億3,450万ドルの債務削減を受けたことになります。IMFによれば、これでガイアナは54%の債務削減を受けたことになります。しかし、ガイアナ政府はそれでも5億ドルの債務を抱えており、これからもなお債務返済に予算の12%を充当しなければなりません。

 ガイアナでは、人口の35%が貧困層である。5億ドルの債務は、GDP70%に相当します。ガイアナの02年のGDPは僅か7億1,000万ドルでした。ガイアナはいまだに80年代の債務危機から脱出していないのです。80年代の貧困率は65%でした。90年代には目覚しい成長を記録しましたが、2000年代に入ると、それは鈍化しました。02年の成長率は0.2%でした。ガイアナ経済は、エルニーニョ、一次産品の価格の下落、政治的不安定などの外的なショックに左右されやすいのです。

 ガイアナはその主要な輸出品である砂糖価格の下落に悩んできました。97年から02年の間、砂糖の国際市場価格は39.2%も下落しました。その上、先進諸国は砂糖生産に巨額の輸出補助金を支出して、安い砂糖を国際市場にダンピングして、ガイアナなど貧しい砂糖輸出国の農業を破壊しています。一方、同じ先進諸国は、IMFの権力を使って、ガイアナの砂糖輸出に対する補助金を撤廃するよう、また砂糖産業の自由化の圧力をかけてきました。 

 

7)ニカラグアが完了点に

04年1月23日、IMFと世銀のIDAは、中米のニカラグアが拡大HIPCイニシアティブによる完了点に達した、と発表しました。ニカラグアは10番目の完了点に達した国になりました。これまでに、ベニン、ボリビア、ブルキナファッソ、ガイアナ、モーリタニア、マリ、モザンビーク、タンザニア、ウガンダが完了点に達していることになります。

 すでに、決定点に達した国の数は27カ国であります。これらはHIPC国の3分の2に当たります。削減された債務は約500億ドルに上ります。それらは、ベニン、ボリビア、ブリキなファッソ、カメルーン、チャド、民主コンゴ、エチオピア、ガンビア、ガーナ、ギニア、ギニア・ビサウ、ガイアナ、ホンデュラス、マダガスカル、マラウイ、モーリタニア、マリ、モザンビーク、ニカラグア、ニジェール、ルワンダ、サオトーメ・プリンシペ、セネガル、シエラレオネ、タンザニア、ウガンダ、ザンビアです。

 これによって、ニカラグアは総額約45億ドルの債務削減を受けたことになります。

 今回の措置では、長期の無利子の融資を供与するIDAは、ニカラグアの実質3億8,200万ドルの債務を削減しました。これは、ニカラグアが01年から23年にかけての債務返済するべき額の90%を削減したことになります。一方、IMFは、0209年に債務返済するべき分のうち、実質1億650万ドルの債務を削減しました。IMFIDA以外の多国間、2国間債権者たちも、拡大HIPCイニシアティブにもとづいた削減を今後行うと見られます。ニカラグアは、IMF・世銀によってマクロ経済の運営と構造調整の進行が良好であると評価されました。そのことによって、ニカラグアは債務の73%の削減措置を受けたのでした。

 ニカラグアは、ラテンアメリカの中でも最も貧しい国の1つに挙げられます。しかし、社会面での指標はゆっくりだが良くなっています。たとえば、貧困層は93年に50.3%、絶対的貧困層は19.4%であったのが、01年にはそれぞれ45.8%、15.1%に減っています。98年、ニカラグアはハリケーン・ミッチの被害を受けました。また2000年に貿易収支が悪化しました。これが01年に巨額の財政赤字と貿易赤字を生み出した理由でした。02年以来、ニカラグア経済は回復の兆しを見せています。

 

8)マダガスカルが完了点に

マダガスカルは、0410月末に、HIPCイニシアティブによる「完了点」に達し、19億ドルの債務帳消しを受けました。

マダガスカルはアフリカでも最も貧しい国の1つに数えられます。3人に1人の子どもは栄養失調であり、10人のうち3人の子どもは5歳以下で死亡しています。にもかかわらず、その後もさらに年間5,000万ドルの債務返済をしなければなりません。そして06年にはその額は7,000万ドルに増えます。

 

9)ホンデュラス、ザンビア、ルアンダが完了点に

 05年4月、ワシントンで開かれたIMF、世銀の春季会議の直前に、拡大HIPCイニシアティブによってホンデュラス、ザンビア、ルアンダの3カ国が「完了点」に達したとして、債務帳消しを受けました。

 ザンビアとホンデュラスの2カ国に関しては、「決定点」に達してから以後も、IMF、世銀によって民営化や公共部門への財政支出についての多くの条件をクリアすることを強制され、そのために非常に時間がかかりました。そしてホンデュラスについては、4月はじめに10億ドル、ザンビアは38億ドル、ルアンダは14億ドルを帳消しになりました。

これはIMFと世銀のIDAの債務帳消しです。同時にパリ・クラブの2国間、民間銀行の民間債務、他の地域開発銀行の債務の帳消しも行なわれることになりました。

ルアンダとザンビアの2国間債務についてのパリ・クラブ会議は5月に開かれることになりました。ホンデュラスについては6月に予定されています。しかし、パリ・クラブの個々の国とはすでに交渉が始まっています。たとえばカナダのラルフ・グーデール財務相は、4月13日、カナダ独自の「債務イニシアティブ」に基づいて、ホンデュラス、ザンビア、ルアンダ3カ国合わせて5,200万ドルの債務を帳消しにすると声明しました。

これら、国際金融機関のHIPCイニシアティブによる重債務貧困国の債務帳消しについては、NGOは批判的です。なぜならいわゆる「拡大債務帳消し」は債務状況を少しも変えるものではないからです。第一に、これら「帳消し」分はすでに全く返済されている。第二に、これまで完了点に達したとして債務帳消しを受けた国のもかかわらず「債務の持続可能性」を保証されていない。第三に債務帳消しを受けても、「ミレニアム開発ゴール」を達成することが不可能だから、という理由です。

ザンビアの場合、38億ドルの帳消し作業は、今後20年間にわたって行なわれることになっています。その間ザンビアは借り続けなければならないのです。つまり、その間、債務返済は続きますし、予算の大きな部分が債務返済に充てられることになるからです。

今回の措置により、41カ国のHIPCsのうち、18カ国が完了点に達したことになります。それは、ベニン、ボリビア、ブリキナファッソ、エチオピア、ガーナ、ギアナ、ホンデュラス、マダガスカル、マリ、モーリタニア、モザンビーク、ニカラグア、ニジェール、ルアンダ、セネガル、タンザニア、ウガンダ、ザンビアです。

 

IV.G7財務相会議で多国間債務の100%帳消しを決定

 05年6月11日、ロンドンで開かれたG7財務相会議はブラウン英蔵相が議長となって開かれました。ここで、IMF・世銀が持っている重債務貧困国18カ国の多国間債務を100%帳消しにすることに合意しました。これはすでに、拡大HIPCイニシアティブによってすでに完了点に達しており、実際に債務帳消しを受けてきた国が対象となった国でした。また、すでに、3年間構造調整プログラムを実施して決定点に達している9カ国については、これらが完了点(つまり3年後)に達したときには、100%の債務帳消しを受けることが出来ると、されました。それで27カ国になります。この新しい措置によって、帳消しの総額は540億ドルにのぼります。

 98年以来、「貧しい国の返済不可能な債務を帳消し」にすることに取り組んできたジュビリー2000キャンペーンにとっては、99年のケルン・合意以来、残されてきたIMF・世銀という多国間債務の100%帳消しに、ともかくG7が合意したことは、勝利だといえましょう。

 しかし、合意内容を詳細に見ると、あまり手放しでは喜べません。

(1)   帳消しの対象国が18、ないし27カ国とあまりにも少ないこと。

(2)   帳消し額も540億ドルであって、これはケルンでG7が約束した700億ドルを下

回っていること。

(3)   帳消しをする国際金融機関は世銀、IMF、アフリカ開銀だけであって、米州開銀

が入っていないのです。しかも、世銀、アフリカ開銀の債務帳消しをどのような方法で実施するのか、明らかにされていません。英国、カナダは各国の拠出金で賄うべきだとしていますが、米国、日本は反対しています。

(4)   ケルン合意では、IMFは保有する金を売却して、債務帳消しの資金に充てること

になっていました。しかし、米国がウオール街の圧力を受けて、これに反対していました。

しかし、今回のサミットでは、米国は原則として賛成いたしました。

(5)   帳消しを実施するにあたって、IMF・世銀の構造調整プログラム、またその延長

である貧困削減戦略ペーパーの実施を義務づけています。これはジュビリーが無条件でという要求をしてきたことに反します。

 これらは、05年7月英国のグレンイーグルスで開かれたG8サミットにおいて、G7首脳たちによって合意されたものです。その後は、05年9月、IMF・世銀の年次総会で具体的な内容が決定されます。

今回のG7の100%帳消し合意は05年に入って、OXFAMなどの国際開発NGOが呼びかけて、「貧困を過去のものにしよう(Make Poverty History)」と名づけた国際的なキャンペーンをはじめ、その第一歩として、後発途上国50カ国の債務を100%帳消しにしようと呼びかけてことによるものです。これに英国のブレア首相やブラウン蔵相が賛同し、6月11日の決議となったのです。

 すでに国連は2000年9月のミレニアム・サミット総会で、2015年までに貧困を半減するなど「ミレニアム開発ゴール」が採択されていたのですが、その後、2001年に9.11が起こり、世界はブッシュ大統領の「軍事力でテロを封じ込める」戦略によるアフガニスタン戦争、イラク戦争が続きました。しかし、イラク戦争が全く根拠のない無意味な戦争であったこと、さらにこうした軍事力主義がかえってテロを世界中に拡散することが明らかになりました。回り道のようであっても、テロや紛争が起こる原因、この場合は貧困ですが、その根絶に取り組むことが近道であることを世界に人びとが悟ったのでした。

 こうして、05年、貧困根絶が国際的に取り組むべき最大の課題として再び途上してきたのです。債務帳消しは、その第一歩です。