イラク自衛隊派兵違憲訴訟  
 
 
平成16年(ワ)第6919号
原  告  北沢洋子
被  告  国

 


準 備 書 面(7)
法の支配の回復と裁判所の責務
−違憲審査権発動の必要性−

2005年10月24日
東京地方裁判所 民事第18部合議2係 御中

                               原告訴訟代理人
                               弁護士 内田雅敏 ほか

 

1 憎しみの大地と化した世界

  2005年7月7日、英国グレンイーグルズでの主要国首脳会議(サミット)開催と符節を合わせたロンドン市内地下鉄などでの同時多発爆破テロは、全世界に衝撃を与えた。死者50人以上、負傷者700人以上にのぼるという痛ましい惨事だ。
  2001年9月11日米国同時多発テロ、そして2004年3月スペイン・マドリードでの列車同時爆破テロに次ぐものである。
  2001年9月11日の米国同時多発テロ、それに対する攻撃としてなされた、アフガニスタン、イラクに対する米国による先制攻撃は、世界を「憎しみの大地」と化してしまった。次のテロの標的は、イタリア・ローマだともささやかれている。東京も例外ではありえない。テロ、先制攻撃、「捕虜」に対する虐待、再びテロという暴力の連鎖は一体いつまで続くのであろうか。
  テロとの戦いは、相手が見えないものであるが故に交渉による解決(講和)ということはあり得ず、相手を殲滅させるまで続く。しかし、テロ発生の根源にメスを入れることなく、力で封じ込めるという治安的な発想で対処する限り、テロを根絶することはできないということを、歴史の教訓として学ぶべきである。
  2001年9月11日の米国同時多発テロの発生の原因の一つに、イスラエルに対する米国のダブルスタンダードがあったことは否定のしようのない事実である。
  再三にわたる国連決議を無視し、パレスチナの地を奪い続ける建国以来のイスラエルの歴史、そしてそれを支える米国。パレスチナ人たちの絶望的な抵抗蜂起、圧倒的な火力を使用してのイスラエル軍の容赦なき掃討作戦、そして自爆テロ。「9.11」は米国の「イスラエル化」であり、ブッシュ大統領によるアフガニスタン、イラクに対する先制(予防)攻撃がもたらしたものが、「全世界のイスラエル化」−憎しみの大地化−であった。

2 イラク攻撃という不正義な戦争

  スペイン・マドリードでの同時列車爆破テロでも、そして今般の英国・ロンドンでの同時地下鉄爆破テロでも、イラク攻撃に対する報復ということが強調されている。
  2003年3月20日に始まったブッシュ米大統領によるイラクに対する先制(予防)攻撃は、国連安保理決議のなされない(得られなかった)ままに行われたものであり、しかもイラクによる米国に対する攻撃、もしくはその恐れが具体的にあったわけではなかったのであるから、国連憲章第51条に違反することは明白なものであった。
  攻撃開始の理由として、イラクが「大量破壊兵器」を準備しているということが声高に喧伝された。しかし、今日ではイラクに大量破壊兵器が存在しなかったことは明らかとなった。すると今度は、フセイン大統領の独裁政権を倒し、イラクに民主主義を実現するための戦争であったと強弁されるようになった。
  他国に対する攻撃の理由が、このようにくるくる変ってよいはずがない。米国によるイラクに対する先制(予防)攻撃は、明らかに不正義な戦争であった。
  今日、全世界で発生し、または発生する恐れのあるテロを根絶するための第一歩として、全世界がこのことを、すなわち、イラク攻撃は不正義な戦争であることを共通の認識としなければならない。それは決して、「テロに屈する」ことではない。

3 違法な戦争に、違憲・違法に参加している自衛隊のイラク派兵

  最近、ジャーナリストの田中伸尚氏が『憲法9条の戦後史』(岩波新書)を上梓したが、1946年11月3日、日本国憲法が施行されて以降の59年の歴史の中で、「戦争の放棄」を宣言した憲法9条は、時代状況・政治状況の中で翻弄され続けてきた。そしてすでにこれまでの原告準備書面において繰り返し述べてきたように、砂川事件をめぐる1959年12月16日最高裁の大法廷判決が、いわゆる「統治行為論」によって9条問題に関する議論を事実上封印してしまう中で、憲法第9条に関する解釈は変遷させられてきた。
  この変遷が極めて非論理的なものであったことは、それが論理の緻密な組み立ての上になされたものでなく、前述したように単に、その都度の政治状況、とりわけ米国との関係によるものであったことからして当然なものであった。いつしか、憲法9条をめぐるまじめな論議は放棄され、「神学論争」という言葉−これも言葉の正確な使用法ではない−でもって押さえ込んでしまうという風潮すら生れるに至った。
  憲法9条をめぐる論議という極めて法律的なものが、非法律的な処に貶められていく過程で、裁判所の果たした違憲審査制の不行使というその任務放棄の責任は大きいものがある。ところで、前記憲法9条の解釈をめぐる変遷の中で、最低限の確認としてなされてきたものがあった。それは、日本の自衛隊は日本の防衛を任務とするものであるということであった(自衛隊法第3条)。すなわち日本に対する攻撃がない場合に、他国の防衛のために日本の自衛隊が活動することを許さないとする、いわゆる集団的自衛権の行使を認めないとする見解である。
  前述したような裁判所の任務放棄の中で、「擬似憲法裁判所」的役割を果たすことになってしまった内閣法制局の見解も、この点では一貫している。今般の自衛隊のイラク派兵は、前述したように集団的自衛権の行使を認めないとする歴代政府のこれまでの合意にも反するものであることは明らかである。
  イラク特措法は、このような批判をかわすために、「非戦闘地域」なる言葉を持ち出し、自衛隊のイラク派兵は戦闘行為をしに行くのではなく、非戦闘地域にてイラクの復興支援を行うために行くのであるから、集団的自衛権の行使に当らないと強弁された。
  しかし、サマワの自衛隊駐屯地に対する相次ぐロケット弾攻撃が発生しており、最近では、自衛隊の車列を狙った道路上での爆発物の設置やその爆発など、イラク全土が戦闘地域であることは国際的に常識である。
  一人、小泉首相のみが、「どこが非戦闘地域であって、どこがそうでないかなど、私に分かるわけがない」「自衛隊のいるところが非戦闘地域」だと強弁しているに過ぎない。具体的に自衛隊に被害が生じても、このような強弁をしつづけるであろう。
そしてさらに、イラクの復興支援というまやかし。サマワ駐屯地の自衛隊が浄水作業をなしていたことは、いろいろ喧伝された。しかし、その浄水した水の約半分を自衛隊が自家使用していたこと、他国のNGOに比べ、はるかに効率の悪い作業であったことなどは、すでに原告準備書面(6)で述べたとおりである。今日では、浄水作業は終了し、道路・学校などの整備をしているとのことであるが、それもこのところの一連の攻撃を考慮して、していないとのことである。毎日、何をしているか。駐屯地内でじっとしているだけである。そしてこの自衛隊を外国の軍隊が守っているのが実情である。
外国の軍隊に守ってもらって、駐屯地内にじっとしている自衛隊、一体何のために彼らはイラクにいるのか。これほど滑稽なことはあるまい。
@イラク攻撃という不正義な戦争に、自衛隊が違憲違法に関与している。Aそして国民の税金を使って、全く役に立たない「イラク人道復興支援」をしている。
原告らは、これまで準備書面においてくり返し、これらの点について主張してきた。
≪王様は裸だ≫。見えているにもかかわらず、誰もがそう発言しない中で、原告らは、≪王様は裸だ≫といい続けてきた。
被告指定代理人や裁判所は、それが見えないのであろうか。普通の目線で見て欲しい。≪王様は裸だ≫ということが見えるはずである。

4 裁判上救済を受ける権利〜訴えの利益(1)

  本件訴訟は提訴以来、1年余を経過している。これまで、6通の準備書面を提出し、上に述べたような事柄を主張し、また口頭弁論における意見陳述をもって、これを補足説明してきた。これに対して、被告がなした主張はただ1点、原告らには本件につき裁判上の救済を受ける訴えの利益がないということであった。
  この伝で行くと、自衛隊がイラクにおいて米軍と一体行動をなし、イラクの民衆をどんなに殺戮しようとも、それは政治の問題であって裁判上の問題足りえないとなってしまうことになる。
  原告は、国民主権・戦争の放棄・基本的人権の保障を三大原理とする日本国憲法の下で生き、その原理を広く世界に伝え、「全世界の国民が恐怖と欠乏から免れ、平和のうちに生存する権利」を享受できるような社会にしたいと願っている。したがって、自衛隊のイラク派兵によって、原告自身の身に何事も起こらなかったとしても、原告らの政府がイラクに自衛隊を派兵して、米国の不正義な戦争に追随して、イラクの民衆の生活を破壊し、「捕虜」を虐待しているのを見て、平静ではいられない。もちろんそのような政府を変えることが、国民主権下での原告らの役割であろう。しかし、同時に三権分立の観点から、前述したような政府の違憲・違法な行為を改めさせる役割を裁判所に期待する権利も原告らは有するものである。もしこれが認められないとすれば、裁判所は、政府の違憲違法な行為について一切発言することができないことになる。何のための三権分立か。権力とりわけ行政の暴走をチェックする役割を司法に期待したのが権力分立ではなかったか。既に原告準備書面(4)で述べたように、裁判所法第3条にいう「法律上の争訟」はゆるやかに解されるべきである。

5 裁判上の救済を受ける権利〜訴えの利益(2)

  冒頭述べたように、2004年3月のスペイン・マドリードの同時列車爆破テロ、そして2005年7月7日、英国ロンドン地下鉄同時爆破テロなどでの同時多発テロの発生は、テロを全世界に拡散し、全世界が「イスラエル」となってしまったことをまざまざと目の前に明らかにした。もはやブッシュ米大統領のイラクに対する先制(予防)攻撃に加担している国々は、テロの恐怖から免れない。原告らは、マドリード市民、ロンドン市民と同じような運命に遭遇するかもしれない。
  それは、構内での注意を呼びかけるアナウンスや警察官の立ち番くらいのことでは到底防ぎきれない、現実の恐怖である。もちろんこのことは原告らだけに限るものではない。被告指定代理人も裁判官も同じである。避ける方法はただ一つ、それは自衛隊のイラクからの撤退であり、そしてテロの根源となっている世界における富の不公平な分配を正すことによってしかあり得ない。それはテロに屈服することでは全くない。テロの発生するあるいは発生させざるを得ない不正義にメスを入れ、これを根絶させる作業である。それは難しく困難な作業である。しかし、現在世界がテロ対策の名の下に費やしている金額、そしてさらには膨大な軍事費を削減してこれに当てるならば、決して不可能なことではない。
  そのための第1歩が本件訴訟なのである。裁判所は、この三権分立の観点に立って、世界から貧困をなくし、テロをなくすために、裁判所の果たすべき役割に思いを馳せてみて欲しい。マドリードの、そしてロンドンの悲劇を回避するために、裁判所の果たすべき役割があるかどうかを真剣に検討していただきたい。あなた自身がテロの被害者とならないためにも。