イラク自衛隊派兵違憲訴訟  
 
 
平成16年(ワ)第6919号
原  告  北沢洋子
被  告  国

 


準 備 書 面(6)
日本はイラクのために何をなすべきか
−真の人道復興支援活動とは−

2005年7月11日
東京地方裁判所 民事第18部合議2係 御中

                               原告 北沢洋子
                               代理人
                                弁護士    内田雅敏

 

第1 はじめに −人道復興支援は派遣の真の目的ではない−

 総理大臣が「軍隊である」と言い切った自衛隊が,人道復興支援をやると称して,我が国憲法に違反してイラクに派遣されてから2年以上が経過した。そして,他国の軍隊が次々と撤退する中で,自衛隊は数少ない残留組となっている。

 自衛隊は,イラク特措法に基づいて派遣されている。イラク特措法の正式名称は,「イラクにおける人道復興支援活動及び安全確保支援活動の実施に関する特別措置法」であり,「給水」「学校・道路の補修」「医療支援」が自衛隊の任務の3本柱とされ,給水が最大の任務であった。

 しかし,すでに昨年平成16年6月の民主党井上和雄衆議院議員によるイラクにおける人道復興支援活動の内容及び実績に関する質問主意書に対する被告の答弁は,「第一次イラク復興支援群にあっては,給水にかかる活動を終了した平成16年5月26日までの間,合計約8830トンの水を浄水し」「このうち,約4340トンについて…ムサンナー県水道局に…供給し,420トンについてはオランダ軍に対して供給し,及び残余の4070トンについては自家使用をしたところである」という,浄水の半分は自衛隊が自家使用しているという驚くべきものであった。また井上議員の「政府として、ムサンナー県水道局の水の供給能力に関する情報を、イラク人道復興支援特措法第四条の規定に基づく基本計画作成時に入手していたのかどうか、明らかにされたい。入手していたとすれば、ムサンナー県水道局の水の供給量は、一日あたり及び一ヶ月あたりに何トンであったか、それぞれ明らかにされたい。また、現在は、自衛隊による供給量を除いてどの程度の供給量であるのか、一日あたり及び一ヶ月あたりに何トンであるか明らかにされたい。また、ムサンナー県水道局の水の供給能力に関する情報が入手されていなかった場合には、なぜ政府は自衛隊のイラクにおける人道復興支援活動において、当該活動が必要と判断したか、根拠を明らかにされたい。」との質問に対しては,同答弁書では,「ムサンナー県における給水状況に関しては、同県水道局の一日当たり及び一月当たりの水の供給量についてその数値を正確に把握していたわけではなかったものの、同県における水道設備等の状況が劣悪であり、生活用水の供給が質・量共に不十分であるとの事情については十分に把握していたところである。」とし,同県の具体的給水状況を把握しないまま,ただ漠然と給水を最大の任務と決定するという被告のお粗末な姿勢が暴露された。

 このほか,医療に関しては,井上議員の「サマーワ市の病院長ら五名が、本年五月二十日から二十八日まで日本に滞在し、二十七日に都内にある自衛隊中央病院を訪問したという報道があったが,わが国の自衛隊がサマーワ市で医療支援活動を実施しなければならないほど現地においては医療事情が逼迫している中、サマーワ市の病院長らが医療現場を離れ、日本を訪問していたという事実について、政府の見解を示されたい。」との指摘に対しては,被告は訪問の事実を認めた上で,「病院長等が我が国を訪問している間,四病院における医療活動及びムサンナー県における保健行政は、何らの支障もなく行われていたものと承知している。」とし,現地における医療事情の逼迫という事実を否定する結果となった。

 以上のとおり,派遣された自衛隊は,当初から何らイラク国民のために役立つ活動を行っていないことは明らかであった。被告政府の強弁する「人道復興支援」の任務は,米国占領政策の後押しの隠れ蓑であり,派遣の後付の理由とされたに過ぎないことがあからさまとなっている。

給水も,補修も,医療支援も,後述のとおり軍隊の行いうることではない。これらは,各NGOが低コストで実のある活動を行ってきた分野なのである。「人道援助を武装組織が担えば,新たな紛争や混乱を招きやすい。非武装のNGOや国連機関に任せることが憲法の求める国際貢献のあり方に合致する。」との指摘は,イラクでの真の人道支援に尽力してきた日本のNGOの,自衛隊派遣前から指摘であった。

しかも,上記質問主意の行われた以降のイラク情勢はますます悪化し(準備書面(3)記載のとおり),自衛隊は宿営地に引きこもる状態となって,何の活動も行っていないのが現状となっている。

 本年1月28日の朝日新聞では,現在の派遣部隊は,「給水活動は政府の途上国援助(ODA)による浄水装置供与で十分な飲料水を提供できることから大幅に縮小し,陸自部隊向けの飲料水などに限定していく方針」「このため給水要員を減らし,警備要員を増やして治安悪化に備える」との報道がなされた。

 もはや,憲法に反して派遣された自衛隊は給水活動すら放棄し,イラクでの存在価値は,米国の占領政策支援のみとなっている。

 次項以下では,イラク民衆のための真の人道復興支援活動とは何かを論じていく。

 

第2 紛争地域における人道支援と軍隊との関係

 

1 「その地域に軍隊しかいないという極限的状況の場合を除き、軍隊が人道支援をするべきではない」というのが、紛争地域で活動する赤十字国際委員会を含む国際NGO、国連人道援助事務所(UNOCHA)などの考えである。

その理由として、3点が挙げられるという(日本国際ボランティアセンター(JVC)代表・熊岡路矢氏/世界no.727)。

@ 軍隊は、軍隊は敵と戦い倒すために訓練されている組織であり、女性、乳幼児、こども、老人など弱い立場の人々を対象とする、人道支援(特に文化の異なる地域)のための専門性はない(低い)。

A 軍隊は通常、その属する国の国益を反映する。従って人道支援の原則である中立性・公平性を守り難い(たとえば、米国の国益・政策を反映する米軍の、イラク・アフガンにおける行動を例にとれば、親米的な地域には支援を増やし、反米的な地域には支援を減らす、ということが実際におきている)。

B 軍隊及び軍隊的組織が、人道支援を行うことで、本来これを行っている国連やNGOのような組織の中立性までが疑われ、政治的・軍事的に標的にされることがある(イラクにおける昨年8.19国連ビル爆破事件、10.27赤十字国際委員会ビル爆破事件で、この危険は現実のものとなった)。

2  英の「OXFAM」、仏の「国境なき医師団」、米の「CARE」などの国際NGOは、イラクに関しても、昨年のイラク戦争・占領の開始以降、前記の論点を挙げて、軍隊的なものが人道支援に関わる危険性と問題点を指摘していた。

国連では、UNOCHA(国連人道援助事務所)が、軍と人道支援の関係について、以下の内容のガイドラインを作成して、各国政府・関係機関に提示している(同熊岡路氏/世界no.727)。

「軍と人道支援の関係について(訳・高橋清貴)

UNOCHA発表のガイドラインから(Guidelines on Use of Military and Civil Defence to Support United Nations Humanitarian Activities Complex Emergencies 2003年3月)

1.人道支援活動の基本理念

人道性:人間の苦しみに応えるもの。特に最も脆弱な人々に注意を向ける(例えば、子ども、女性、老人)。しかし、活動にあたっては、彼らの尊厳と人権を尊重しなければならない。

中立性:政治的、宗教的、思想的な対立がある中での活動なので、敵対行為に関わったり、どちらか一方の側を支援してはならない。

公平性:民族、ジェンダ−、国籍、政治的意見、人権、宗教に関する差別をしてはならない。純粋に(solely、最も緊急を要する人々のニ−ズの優先順位に基づいて応えるべきである。

2.基本原則・基準

従って、人道支援目的のために軍のリソース(人、機材、サ−ビス)  を使うには、以下の基準に従うべきである。

1) 軍のリソースの活用は、現場の人道支援調整官からの純粋に人道ニ−ズに基づく要請によるものでなければならない。政治権力者からの要請であってはならない。

2) 軍のリソースの活用の際には、その民生的側面と性質が維持されるように注意しなければならない。従って、人道支援機関の管理の下で実施されるべきである。

3) 人道的活動は、人道機関によって実施されるべきものである。軍というものは、その性質上あらゆる活動を行う可能性があるだけに、人道的目的の活動と軍事的目的の活動を明確に峻別させるために、直接的な人道支援は控えるべきである。

4) 軍のリソースの活用は、使うべき時間と規模を限定すべきである。また、終了計画を明確にしておかなければならない。

5) その他、国連の行動規範に準ずる。」

 

3 上記の基本理念や活動基準に照らしてみた場合、自衛隊の「人道支援」は、その本来の名に全く値せず、むしろ対立物であることが理解されよう。日本国民が、自衛隊の「人道支援」について、NGO等が行なう「人道支援」とは主体が違うだけで(いわば平服か軍服か)、内容的には同じなのだと認識しているとするならば、これは大変な過ちである。しかも自衛隊の有する土木・建築技術や医療・衛生・民生に関わる能力は、戦争を効率的に遂行するためのものであって、平時における本来の民生用とは全く違うということも理解しておく必要がある。

具体例を挙げよう。紛争地域におけるNGO職員らの実践的な悩みの1つに、活動の際に防弾チョッキを着るかどうかという問題があるという。業務に携わる職員の安全性を考えると着用した方がよいと思われる場合も少なくないが、そうすると住民との間に緊張感、距離感が生じて信頼関係が築けなくなり、支援活動に支障を来すというのである。それほど、軍隊との徹底した峻別に意を用いているのである。

ところが、イラクでの日本はどうか。重装備の武器を携行し、米軍を支持する勢力が支配する地域に駐留し、その地域の「人道復興支援」を行う。これは、戦争遂行の観点から言えば、占領地域の支配を固める活動にほかならない。

 

4  自衛隊の「人道支援」について、実質に即した合理解釈ができる道がある。それは、自衛隊がCPAの一員として、占領地域内に居住する文民に対して、占領政策の内容として「人道支援」を行うことである。

しかし政府は、これを認めるわけにはいかない。なぜならば、日本が交戦当事国であることを認め、憲法第9条2項が禁ずる交戦権行使に抵触することが明らかとなるからである。

ところで、自衛隊の活動には、上記のほか、バグダッド、バスラ、バラド、モスル飛行場とクウェートなどとの間の物資輸送、さらには米軍の物資、兵士の輸送などの「治安確保支援活動」が含まれている。(これらの実態について、政府・自衛隊が「実施要領」等で明らかにすることをしておらず、マスコミもほとんど報道していないことは重大な問題である)

これらを含めて全体的、実質的に見たとき、自衛隊は米軍とともにイラク占領軍の一員であり、米軍が主として戦闘行為を担うのに対して、自衛隊が物資・兵士輸送などの後方支援活動を主として分担しているという実態が見えてくるのである。

こうして、「自衛隊は軍隊ではない」とのレトリックに続き、「戦闘に行くのではない。人道支援に行くのだ」との新たなレトリックを加えて、自衛隊が米軍と共に海外で全面戦争を遂行する現実が生まれたのである。

 

第3 自衛隊のイラクにおける活動状況

 

1 概要

  政府は自衛隊につき,2004年12月14日の派遣期間を延長し,派遣期間は2005年12月14日までとなった。

陸上自衛隊については,駐留が長引けば長引くほど,サマワの住民が期待する支援と自衛隊の駐留が合致しないことが明らかになっている。一方では自衛隊を米英軍と同じ占領軍とみなした攻撃は続けられている。

政府が「非戦闘地域」の概念につき不可思議な答弁に終始し,国会においてまともな議論がなされないまま,自衛隊員は危険なサマワへの派遣を強いられている。

また,航空自衛隊については,この1年間で護身用の武器を携帯した米軍兵士を輸送したこと,武器の部品を輸送したこと,その他の積荷に武器が含まれていても航空自衛隊員には中身を確認する術がなくわからない,ということが明らかになった。

 

2 陸上自衛隊(日本)を狙った攻撃

(1)陸上自衛隊宿営地への着弾

  @2005年1月11日迫撃砲弾

  2005年1月11日,サマワ陸上自衛隊宿営地付近で迫撃砲が爆発した。宿営地東約5キロメートル先から発射され,約100メートルの地点に着弾した。陸上自衛隊宿営地を狙った攻撃と考えられる。

   陸上自衛隊宿営地を狙った攻撃としては,2004年4月以降,9回目2004年12月に陸上自衛隊の派遣が延長されてからは初めての攻撃である(2005年1月12日朝日新聞朝刊)。

  A2005年1月11日ロケット弾,宿営地内着弾

上記発表の後,防衛庁は1月12日になってから,1月11日の陸上自衛隊宿営地に対する迫撃砲弾による攻撃の際,宿営地内に信管付のロケット弾1発が着弾していた,と報じた。宿営地内で信管付のロケット弾が発見されるのは初めてである(2005年1月13日朝日新聞朝刊)。

この攻撃に対し,サマワのイスラム・シーア派強行派サドル師派は,匿名幹部が朝日新聞イラク人助手への取材に応じ,「我々が実行した。自衛隊への警告だ。」「ロケット弾3発を使おうとしたが,砲の設置の仕方が悪く,1発しか宿営地に届かなかった。」と話した。

さらに,12月10日には,アブグレイブ・モスクの礼拝において,サドル師派アブドルラザク師が自衛隊について以下のように語った。

「当初は1年だけと聞いていた。多国籍軍である以上,占領軍であり,街から撤退すべき。」

「自衛隊に対する平和的な抵抗は今後も続ける。それで撤退しなければ,平和的な抵抗は別の種類の抵抗に変わるだろう。」

(2)陸上自衛隊宿営地攻撃の準備

   陸上自衛隊に対する直接の攻撃ではないが、陸上自衛隊に関わり、陸上自衛隊宿営地付近で武器が発見されたり、陸上自衛隊出入りの業者に接触を図る不審人物が発見されることも相次いだ、

  @2004年12月23日

    2004年12月23日には、サマワ郊外、バグダッドと南部バスラを結ぶ幹線道路の鉄道橋の下にTNT火薬を使った爆発物が発見された。同所は陸上自衛隊宿営地から南西へ約6〜7キロのところにあり、地元ムサンナ州警察が爆発物処理を行った。負傷者は出なかった。2004年12月30日には陸上自衛隊宿営地付近で未使用の迫撃砲弾5発が見つかり、地元ムサンナ州警察が調査を開始した。

  A2004年12月24日

2004年12月24日には地元ムサンナ州警察がサウジアラビアからサマワを経由して武器を密輸するルートの開拓を探っていたイラク人男性を拘束したことが判明した。同男性は、オランダ軍と自衛隊から仕事を請け負う業者にも接触を図っていた(2004年12月25日朝日新聞夕刊)。

  B2005年1月11日

    地元警察筋によると,陸上自衛隊の宿営地を警護する警備員の話として,宿営地の北約1キロメートル地点で宿営地に向けて発射設備に装填されたロケット弾3発を発見したと伝えた(2005年1月12日朝日新聞朝刊)。

(3)一般紙が報じないイラク人通訳の死

   日本国内の一般紙をはじめとするマスコミが一切報道しない事件がある。

   2004年12月25日,サマワ陸上自衛隊宿営地を出たイラク人通訳,運転手等が乗っていた車が襲撃され,イラク人通訳等が殺害されたというものである。事件の近くは市場の近くで起こっており,事件を数百人の買い物客が目撃した。しかしながら,イラク警察は事件について何も語らず,事件の発表を控えるよう要請した(2004年12月25日付イスラム・メモ,「アラブの声」より)。

   これに先立ち,2004年12月23日,自衛隊で働くイラク人通訳が殺害された。同日,サマワ警察幹部も自宅前で殺害された(2004年12月23日付イスラム・メモ,「アラブの声」より)。

   日本の一般新聞報道では全く報じられておらず,情報の真偽を確認する術もないのであるが,日本で報道されている事柄が全てではない,ということを常に忘れてはならない。

 

3 サマワの治安状況

(1)オランダ軍が関わった武力衝突

   2004年11月19日、サマワ市内をパトロール中のオランダ軍に対して手榴弾が投げつけられた。オランダ兵に怪我はなかったが、応戦し、発砲した。

   2004年11月24日には,オランダ軍が誤って照明弾を民家へ投下した。この誤射に対しては,イスラム・シーア派強硬派ムクタダ・サドル師支持者が抗議のビラを作成した。

また,2004年12月には,オランダ軍と地元ムサンナ州警察が合同で,陸上自衛隊が道路補修を行ったことのあるサマワ近郊スウェイルにおいて,大がかりな掃討作戦を実施した(2004年12月15日朝日新聞夕刊)。

2005年1月13日には,陸上自衛隊がオランダ軍宿営地近くで大きな爆発音が少なくとも3回あった,と伝えたが,オランダ国防相報道官は1月14日,オランダ軍宿営地内から砲弾や砲撃後は見つからず,また宿営地内では爆発音が聞こえなかったことから,宿営地は攻撃されていなかった,と否定した(2005年1月15日朝日新聞朝刊)。

(2)サマワのサドル師支持派

   イスラム・シーア派強行派ムクタダ・サドル師支持者は,11月16日、自衛隊は占領軍である、と規定した。

   同サドル師支持派は11月26日,自衛隊は占領軍であると名指しするビラを作成した。

さらに,前記第2の1において述べたように,2005年1月11日に陸上自衛隊宿営地が攻撃され,ロケット弾1発が宿営地内に着弾した事件について,サマワのイスラム・シーア派強行派サドル師派は,匿名幹部が朝日新聞イラク人助手への取材に応じ,「我々が実行した。自衛隊への警告だ。」「ロケット弾3発を使おうとしたが,砲の設置の仕方が悪く,1発しか宿営地に届かなかった。」と話し,サドル師派の関与に言及した。

また,サマワのサドル師派は,2004年12月16日,反米デモを行った(2004年12月17日朝日新聞夕刊)。

(3)その他

その他、サマワ市内の音楽店が攻撃の対象となる事件が相次いだ。2004年11月25日には、サマワ中心部の音楽店が爆破された。負傷者は出なかった。

2004年12月5日には、サマワ中心部の音楽CD店で爆発があった。負傷者は出なかった。なお,5日は大野防衛庁長官がサマワの陸上自衛隊を視察したちょうどその日であった。

 

4 自衛隊の活動状況

(1)陸上自衛隊の活動状況

   2004年11月8日、10月31日に陸自宿営地内にロケット弾が着弾したため自粛していた宿営地外活動を8日ぶりに再開した。

また、2004年11月26日衆議院イラク人道復興支援特別委員会において防衛庁は、陸上自衛隊の活動につき、

・ルメイサ及びダラージにおいて学校補修を、ナジミにおいて道路整備を行い、1日3〜500人の雇用を創出した

・2004年3月26日から11月24日までの期間に、述べ4万1千トンの給水活動を行った。1日200〜280トンの水を給水し、役5〜6万人の所要量を給水した

  と述べた。

もっとも,サマワに派遣されている陸上自衛隊には土木工事が専門の施設部隊も含まれているが,同施設部隊の主な仕事は迫撃弾の直撃にたえられるコンテナ宿舎の建設など宿営地の要塞化であり(傍点部原告代理人),任務の1つである施設復旧はイラク人を雇用して行っている状態である。そのため2005年2月に派遣される第5次隊から施設復旧を本格化させるにあたり,陸上自衛隊員では足りず,防衛施設庁の職員2人を派遣することとなった(2005年1月4日中日新聞朝刊)。

また,選挙当日の2005年1月30日からは安全確保のためと車両規制のため,宿営地外活動を自粛し,31日以降も状況に応じて活動を自粛する予定である。

(2)航空自衛隊の活動状況

防衛庁は、2004年12月2日までに航空自衛隊は

 ・輸送実施を94日行い、

 ・そのすべてがバスラ空港への飛行であること、

 ・バグダッド空港への輸送は「安全が確保できない」と見送られたままであること

  を明らかにした。

既に2004年4月、津曲航空幕僚長がクウェートにおける記者会見で「携行火器を持った米兵を運んだ」と発表していたが、空自関係者によると空自は米兵数人〜数十人を数回搭乗させたという。中には、軍の休暇中にタリル空港からクウェートへ移動する私服米兵を搭乗させたこともあった(2004年12月7日付朝日新聞朝刊)。

また、防衛庁は、2003年3月から12月9日までに航空自衛隊は

・輸送業務を99回行い、

・輸送した物資の量は約190トンであること、

を明らかにした(2004年12月16日朝日新聞夕刊)。

(3)陸上自衛隊の派遣状況

  @2004年12月14日にイラク特措法上の派遣期間が満了し延長議論が決着を見ていないにもかかわらず,派遣期間延長を前提に陸上自衛隊の派遣が繰り返された。

とくに,2005年に入り部隊編成命令が発令された第5次派遣隊では,東海の駐屯地から陸上自衛隊が初めてイラクへ派遣されることになる。

  A陸上自衛隊第4次隊派遣

2004年11月13日、陸上自衛隊第6師団駐屯地(山形県)において、イラク派遣予定の陸上自衛隊約500人に隊旗授与式が行われた。この際、陸自駐屯地に入るについて手荷物検査が実施され、厳戒態勢が敷かれた。

陸上自衛隊第4次隊は11月13日から3回にわたり順次派遣され、11月28日には最後の第3波約120人が仙台空港を出発した。

  第4次隊の派遣期間は2005年2月までであり,2004年12月14日までとされていたイラク特措法上の派遣期限延長問題につき決着がつかないまま,イラクへ派遣された。

  2004年12月6日,サマワの陸上自衛隊宿営地において,第3次隊から第4次隊に対し派遣支援任務指揮権を引き継ぐ式典が行われた。

  B陸上自衛隊第3次イラク復興業務支援隊派遣

    2005年1月8日,陸上自衛隊第3次イラク復興業務支援隊約110人のうち,第10師団の隊員を含む約90人が迷彩服姿で羽田からクウェートに向け出発した。

これまで陸上自衛隊員は,いずれも私服で出発していたが,防衛庁が「日本の代表なのだから制服姿で送り出したい」と要望し,迷彩服姿での出発となった(2005年1月9日朝日新聞朝刊)。

同第3次復興業務支援隊は,1月12日,約60人が空路及び陸路でサマワ入りした(2005年1月13日朝日新聞朝刊)。

  C陸上自衛隊第5次隊派遣準備

    2004年12月10日,イラク派遣の1年延長が閣議決定され,2005年2月にイラクへ派遣される陸上自衛隊第10師団(東海・北陸6件管轄)の派遣候補者人選が本格的に進められることとなった。

    2004年12月11日,2005年2月にイラクへ派遣される第10師団の家族及び隊員向けに,守山・豊川等の駐屯地で説明会が行われ,約600人が参加した。参加した家族には,補償内容等を記した「派遣隊員と家族のしおり」が配布された(2004年12月12日朝日新聞朝刊)。

    第10師団の幹部の一人は,建前は原則として派遣を希望した隊員のみに派遣命令が出されるとしつつ,「うちの部隊で派遣を熱望しているものは3分の2。残りは命令があれば行く隊員だ」「半分の家族が反対している」と語った(2004年12月10日朝日新聞朝刊)。

    2005年1月4日,陸上自衛隊第10師団の久居駐屯地の年賀会において「久居からもイラクに派遣される」と発表され,約500人の隊員のうち6〜70人の隊員がイラクに派遣されることとなった。久居からの派遣に陸上自衛隊幹部が言及したのはこのときが初めてであった(2005年1月4日朝日新聞夕刊)。

    陸上自衛隊第5次イラク派遣部隊の物資輸送について,岡山空港から出発する打診をけた岡山県は,積荷に爆発物が含まれていることがわかり,爆発物搭載を禁じた県条例を根拠に岡山空港の使用を断った(2004年12月24日朝日新聞朝刊)。

守山に駐屯する陸上自衛隊第10師団では,駐屯地内に家族支援所を設置し,サマワ宿営地とつながるテレビ電話を設置するほか,家族から隊員への生活用品を送る窓口,家族の心理サポート窓口とすることを発表した。テレビ電話は陸上自衛隊中部方面隊が派遣にあわせて11台購入し,春日井,豊川,久居,金沢にも支援センターを設け,テレビ電話を割り当てる。また,豊川市は2月1日に派遣隊員家族支援相談窓口を設置することを決めた(2005年1月28日朝日新聞朝刊)。

第10師団に対しては,2005年1月27日夜,大野防衛庁長官により編成命令が発令された。

豊川駐屯地のある豊川では,自衛官OBによる隊友会豊川支部が黄色いハンカチ運動を進めている他,1月30日には豊川駐屯地で陸上自衛隊OB等約350人が集まり,イラク派遣の激励会が行われた。また,1月29日には第10師団の派遣激励のため演奏会が開かれ,会場となった愛知芸術文化センターホールに派遣隊員やその家族約200人を含む約1700人が参加した。

  D陸上自衛隊員の声

    サマワで3ヶ月の任務を終えた第3次イラク復興支援郡長の松村五郎一佐は,2004年12月7日,共同通信の単独インタビューに応じて以下のように語った。宿営地への砲弾攻撃について「外国からの流入者に対する反発の一環として,自衛隊にも攻撃をしていると思う」と述べた。

    また,復興支援の今後の課題として「民間会社でなければ見積もりができない大きな橋や発電所などの大規模事業」を挙げた(2004年12月8日中日新聞夕刊)。

2004年春に自衛官を退官した息子を持つ母親は,息子が「日本を守るためなら覚悟はある。だが,今のままでは自衛隊は米国に組み込まれてしまう」と悩んでいたと話した(2004年12月12日朝日新聞朝刊)。

(4)航空自衛隊の派遣状況

@航空自衛隊の第5次派遣

    2004年12月16日、航空自衛隊第5次派遣隊要員第1陣約15人がクウェートに向けて小牧基地を出発した。

    隊員の半数以上が2度目の派遣となる(2004年12月16日朝日新聞夕刊)。

また,2005年1月17日には航空自衛隊第5次派遣隊員の後発隊約100人が小牧基地をクウェートに向けて,政府専用機で出発した。

  AC130の帰国

    2004年12月27日、C130機が小牧基地へ帰還した。

また,航空自衛隊第4次派遣隊員の後期隊員約100人が2005年1月22日,小牧基地に帰国した。これで第4次隊約200人が全員帰国し,第5次派遣隊との交替が完了した(2005年1月22日朝日新聞夕刊)。

  B航空自衛隊員の声(いずれも2004年12月28日朝日新聞朝刊)

航空自衛隊からは、この1年間で延べ約800人の隊員がイラクへ派遣された。帰還した隊員の中には、「実は6月ごろからバグダッドへ向け飛行する予定だった。治安悪化がこれほど長引くとは」という感想を漏らす者もいる。

そして、航空自衛隊が輸送する物資について、政府が「武器・弾薬を運ばないとの方針に変わりはない」としているのに対し,現場では米軍から託される搭載品はラッピングされた状態で届き,隊員が自ら確かめることはできない。実際に,ある曹長が米軍から輸送を依頼された物品のリストに「部品」と書かれているのを発見した。その部品はミサイルや武器などに使うねじであることがわかったが,空自から照会を受けた米軍は「1つの部品なので問題なし」との回答をした。

また,イラクへ派遣された3機のC130で,この1年間5000人近くを輸送したが,その中には陸上自衛隊員以外に,米兵を含む海外の軍関係者1300人が含まれていることが判明した。米兵は,休暇のためにイラクとクウェートを往復する私服姿が多いが,数人から数十人単位で乗り込み,一部は護身用の武器を持った制服姿の兵士も含まれていた。派遣部隊の元幹部は「制服姿での搭乗はほとんど目立たなかった」としている。

(5)陸上自衛隊の活動に対する評価

  @自衛隊派遣延長決定前

2004年11月11日、ムサンナ州政府教育部門公務員ら130人が陸上自衛隊駐留継続を求めてデモを行った(2004年11月12日朝日新聞朝刊)。自衛隊が来てから、医療サービスが5割向上したとしている。

また,朝日新聞がサマワの地元紙ウルタと共同で行った世論調査では,84%の住民が自衛隊の駐留を支持した一方,不満があるとした住民も4割に上った。不満の内容としては,自衛隊宿営地がある地域の部族だけに恩恵が偏っているというもの,大型の都市基盤整備事業を望む声,失業問題の解消などが挙げられている。また,サドル派宗教指導者ザルカニ師は「当初,自衛隊は復興支援の軍隊であると考え,歓迎した。しかし今にいたるまで,発電所,上下水道など実質的な復興事業はまるでなされていない」と駐留反対を明らかにした(2004年11月26日朝日新聞朝刊)。

ムサンナ州知事は2004年12月2日,サマワにおいて記者会見を行い,日本政府に陸上自衛隊の派遣延長を要請し,サマワの日本友好協会が集めた派遣延長を求める市民署名を手渡した(2004年12月3日朝日新聞朝刊)。

一方、前記第3の2において述べたように,サマワのイスラム・シーア派強硬派ムクタダ・サドル師支持者は11月16日、自衛隊は占領軍である、と規定した。同サドル師支持派は11月26日にも,自衛隊は占領軍であると名指しするビラを作成した。

  A自衛隊派遣延長決定のための防衛庁長官らによる訪問に対して

自衛隊派遣期間延長を前に,2004年12月4日から6日にかけて大野防衛庁長官がサマワの陸上自衛隊宿営地を訪問した。

この件につき,地元住民からは「長官の訪問はテレビでも報道しなかった。日本の部隊が残ることは歓迎するが,街を歩き,地元の人間から話をきかずに何かを決められるのだろうか。」との意見の他,「これで本当にサマワの実情をつかめたのだろうか」という疑問の声が寄せられた(2004年12月7日朝日新聞夕刊)。

  B自衛隊派遣延長決定後

2004年12月10日(日本時間),自衛隊派遣期間延長が閣議決定されることを受け,ムサンナ州知事は「今後は社会基盤整備に向けた活動をお願いしたい」と述べ,ムサンナ州警察幹部は「日本の決定は米国との関係を重視したもの。我々は治安の安定に努力している。日本は名声に見合うだけの事業をして欲しい」と注文を付けた(2004年12月10日朝日新聞朝刊)。

これに対し,日本に対してこれまで好印象を抱いてきたアラブからは,以下に代表される日本に対する非難が寄せられた。

「自衛隊派遣は,米軍を支援する政治的な動きととらえられ,人道援助という小泉首相の主張は受け入れられていない。中東では誰もが,なぜ日本は我々に敵対するのかと不審に思っている。アラブ世界が日本に抱いていたイメージは大きく傷ついている。」(エジプト・阿原無戦略研究所ディーア・ラシュワン主任研究員,2004年12月10日朝日新聞朝刊)

  C以上のとおり,自衛隊駐留を支持するというサマワ住民も支持しないというサマワ住民も,ムサンナ州知事あるいは警察署長も,そしてアラブ世界の声も,あらゆる立場の人が共通して期待しているのは社会基盤整備のための大型都市基盤整備など,民間でなければできない事業であり,それは自衛隊に対する期待・支持というより,日本に対する期待・支持である。

そして,サマワの実態をじっくり見ることもなくアメリカに追従して駐留を継続する日本政府の態度に対しては,「私たちの声をもっと聞いて支援内容を決めて欲しい」という,まっすぐな反応が返されている。

サマワ住民から寄せられている期待・支持は,日本政府の考えている駐留継続とは異なるものである。だからこそ,前記第4において述べたように,そのことを一番よく知っている帰還隊員は「民間会社でなければ見積もりができない大きな橋や発電所などの大規模事業」が必要である,と語っているのである。

 

5 自衛隊以外によるイラクへの支援状況

(1)この間,とくに目立ったのはODA(政府開発援助)の実施である。

外務省は自衛隊の安全確保などを目的に,ODAを陸上自衛隊が派遣されているムサンナ州に集中的に配分している。自衛隊は,「日本のカネ」にも守られている形である(2004年12月6日中日新聞朝刊)。

一方,今後ODAが本格的に開始されるようになった場合,陸上自衛隊が「人道復興支援」を理由にサマワに留まる必要性は失われる。

(2)ODA

  @浄水機の設置

2004年12月初旬,ムサンナ州においてODAを利用して導入される浄水器5機の設置工事が始まった。浄水機5機の浄水能力は1日43050トンであり,これは陸上自衛隊が10ヶ月かけて供給した量を僅か10日間で供給出来る能力である(2004年12月6日中日新聞朝刊)。

浄水器設置を受けて,陸上自衛隊が現在復興支援業務として行っている浄水活動は2005年春には終了が可能となる。

2004年12月21日にはムサンナ州でODAで供与された浄水装置第1号の設置が完了し,竣工式が行われた。1日あたり700トンの浄水能力を有している(2004年12月22日中日新聞夕刊)。

  A円借款

政府は2004年12月17日,イラクに治安悪化のために実施の目処が立っていなかったODAの円借款を2005年内に導入する見解を明らかにした。

イラク情勢が安定すると,緊急支援的に行われてきた無償支援が終了するため,無償支援から途切れることなく円借款へ移行する方針を明らかにした。

  B今後進められるODA

サマワがあるムサンナ州では,今後電力設備など大型の社会基盤整備が日本に期待されている。

しかしながら,現在は治安悪化のため外務省がイラク全土に邦人退避勧告を出しているため,ODAの専門職員であるJICA(国際協力機構)がイラクへ職員を派遣することができない。そのため,陸上自衛隊がODAのために10人の要員を提供し,外務省から依頼を受けた調査事項について予備調査を実施している。自衛隊員はいずれもODAの専門家ではなく,電力設備等の大型案件では時間がかかっている。防衛庁は第3次復興業務支援隊ではODA要員を数人増やす方針である(2005年1月16日朝日新聞朝刊)。

さらに,前記第4の1において述べたとおり,2005年2月にイラクへ派遣される陸上自衛隊・イラク復興業務支援隊第三次要員には,防衛施設庁職員2人が含まれることとなった。派遣されるのは防衛施設庁建設部の技術幹部である。同庁職員は,法律上「自衛隊員」であるが戦闘訓練は受けていない。同庁職員が海外業務を行うのは初めてであり,治安悪化に備えて急きょ危機回避などの訓練を受けることとなった(2005年1月4日中日新聞朝刊)。

(3)政府の無償資金協力

   2004年12月28日,政府はイラクに対する総額約100億円(約9100万ドル)に上る無償資金協力を決定した。内容は,救急車700台,警察用バス150台,オートバイ500台,サマワのゴミ収集車15台である。

これで日本がイラク復興のために拠出すると約束した15億ドルのうち,14億ドルの使途が決まったことになった(2004年12月29日朝日新聞朝刊)。

(4)民間による医療支援

  @少年の再手術

  ファルージャから,左目の手術を受けるためモハメド・サレハ君(10歳)が11月26日来日した。サレハ君は2004年7月にイラクへ帰国し,疎開する10月初旬までファルージャで生活した。来日後の記者会見では「米軍が怖かった。お母さんが『外は危ないから』と言うので,なかなか外で遊べなかった」と振り返った(2004年11月26日中日新聞夕刊)。

  サレハ君は,2004年5月にイラクで殺害されたフリージャーナリストの橋田伸介さんの遺族が中心になって日本へ招聘した。

  A医師の研修

    イラクへ医療支援を行っている市民団体セイブ・イラクチルドレン・名古屋が招き,名大病院で骨髄移植,白血病,悪性リンパ腫などについて研修したイラクの血液内科医アサード・カラフさんが2005年1月9日,帰国した。

    同医師は,湾岸戦争前と比較し,イラクでがんによる死亡率が19倍に増えていると指摘し,米軍の劣化ウラン弾による放射能汚染が原因と見られているが「イラクでまだ研究が進んでおらず,技術や道具がない上,専門家もいない。日本の皆さんの支援をお願いしたい。」と訴えた(2005年1月7日中日新聞朝刊)。

(5)以上から明らかであるように,現在陸上自衛隊が行っている人道復興支援活動は,僅かなものでしかない。

   給水活動は,浄水機5台によって30倍もの早さで代わりに行われるのであり,どうしても陸上自衛隊が行わなければならないものではない。また,施設の復旧活動にしても陸上自衛隊の施設部隊には馴染まない業務であり,そのために2005年2月に派遣される第5次隊では防衛施設庁から2人の職員が派遣されることになっている。

また,サマワをはじめとするムサンナ州の人びとが日本に期待しているのは社会基盤の整備であり,雇用の創出であるが,これは陸上自衛隊の活動ではなくむしろ日本のODAによって担われるものである。そして,ODA実施のための予備調査にあたっては,陸上自衛隊員にはJICA職員のような専門能力が欠けており,全く適任ではない。

陸上自衛隊第一次業務派遣隊隊長を務めた佐藤正久一佐は,2005年1月22日,第5次派遣隊として数10人の隊員が派遣されるとみられる豊川駐屯地の地元,豊川市民文化会館で講演を行った。その際,佐藤一佐は,「我々の復興支援の実績と現地の人たちの期待とのギャップを埋めるのは難しい」と話した(2005年1月23日朝日新聞朝刊)。

このように,真の「人道復興支援」を行うにあたり,迷彩服を着て銃を持った陸上自衛隊員ほど不適切な人選はない。陸上自衛隊では,真の「人道復興支援」はできないのである。

 

第4 今後の主張

 

 原告としては,次回,主張計画に従って,準備書面(7)法の支配の回復と裁判所の責務−違憲審査権発動の必要性−を準備中である。また,変化するイラク情勢に応じて,本書面も含め既に提出した準備書面の補充を適宜行う準備をしている。また,平和的生存権などの法的主張の追加も予定している。

なお,ご承知のとおり本件と同じく被告のイラク派兵の違憲性を問う訴訟は,全国の都道府県で展開中であるが,これには全国の弁護士が代理人としてつき,法律家の立場から,被告による立憲主義の破壊という暴挙に対して裁判所の判断を仰ぐべく結束をしている。そのイラク違憲訴訟全国弁護団を代表して弁護士7名が,本年3月25日から4月1日までアンマンに行き,イラクの現状を調査した。イラク情勢は重大でありながら,日本においては余り報道されず(危険なためジャーナリストが現地取材できない事情もあるが),一般国民には事実が伝わらず判断材料が提供されないという事態となっている。前記現地調査団は,現在調査報告書を作成中であり,それについても本件訴訟において提出する予定であることを付け加える。

以上