イラク自衛隊派兵違憲訴訟  
 
 
平成17年 (ワ) 第6919号 意見行為差止及び損害請求事件
原告 北沢洋子
被告 国

 


準 備 書 面(5)
自衛隊派遣の違憲性・違法性益
― 立憲主義を破壊する内閣の暴走―

2005年4月25日
東京地方裁判所 民事第18部 合議2係 御中

                               原告 北沢洋子
                               原告訴訟代理人
                               弁護士    内田雅敏
                               同 中嶋通子
                               同 福山洋子 ほか
目次
     
 
第1 違憲審査制と「争訟性」 3頁
   
1 日本国憲法の制定 3頁
2 制定当時の憲法9条に関する政府見解
3頁
3 国民の支持・歓迎 5頁
4 再軍備への道 6頁
5 学説 7頁
6 判例 7頁
7 自衛隊発足時の最低限の歯止め 8頁
 

第2 自衛隊の現状とその違憲性

8頁
   
1 自衛隊の新しい装備と目標 9頁
2 自衛隊の明白な違憲性
10頁
 

第3 イラク特措法及び自衛隊のイラク派遣の違憲性

12頁
   
1 イラク特措法の違憲性
13頁
(1) 成立手続の違憲性
13頁
(2) 内容の違憲性
14頁
2 自衛隊のイラク派遣の違憲性
─イラク特措法それ自体にすら違反していること─
16頁
 

第4 自衛隊のイラクからの早期撤退を求めるマスコミや国民の声

17頁

第1 自衛隊の違憲性
  本件は、自衛隊のイラク派遣の違憲性を問うものである。従って自衛隊派遣行為の違憲性・違法性が問題とされるところ、それに先立って自衛隊そのものの違憲性を、先ず問題としなければならない。

1 日本国憲法の制定
  日本国憲法は、1946年4月20日衆議院に提出され、貴族院を経ていくつかの修正のうえ最終的には10月7日衆議院で可決され、11月3日に公布、1947年5月3日に施行された。
  憲法前文は、「政府の行為によって再び戦争の惨禍が起こることのないやうにすることを決意し、ここに主権が国民に存することを宣言し」(第1段)、「日本国民は恒久の平和を念願し、・・・平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した。われらは、平和を維持し、専制と隷従、圧迫と偏狭を地上から永遠に除去しようと努めている国際社会において、名誉ある地位を占めたいと思ふ。われらは、全世界の国民が、ひとしく恐怖と欠乏から免かれ、平和のうちに生存する権利を有することを確認する」(第2段)と述べ、徹底した平和主義と、平和的生存権を明示した。
  この前文に沿い、これをより具体化するものとして、9条が次のとおり、戦争の放棄、戦力不保持、交戦権の否認を定めた。
  第9条 日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。
  A前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。

2 制定当時の憲法9条に関する政府見解

   1947年、文部省が発行した中学一年生向け教科書「あたらしい憲法のはなし」(実際には小学高学年から中学二年まで使われていた)に、政府の公認解釈が説かれている。その中には次の文章がある。
  「こんどの憲法では、日本の国が、けっして二度と戦争をしないように、二つのことをきめました。その一つは、兵隊も軍艦も飛行機も、およそ戦争をするためのものは、いっさいもたないということです。これからさき日本には、陸軍も海軍も空軍もないのです。これを戦力の放棄といいます。」
  「もう一つは、よその国と争いごとがおこったとき、けっして相手をおどかして、じぶんのいいぶんをとおそうとしないことを決めたのです。おだやかにそうだんをして、きまりをつけようというのです。なぜならば、いくさをしかけることは、けっきょく、じぶんの国をほろぼすようなはめになるからです。また、戦争とまでゆかずとも、国の力で、相手をおどすようなことは、いっさいしないことにきめたのです。これを戦争の放棄というのです。」
  この内容は、憲法制定議会でも、政府によって明確にくり返された。すなわち、1946年6月28日の衆議院本会議で、吉田茂首相は、戦争には、不正の戦争と正しい戦争の二つがあり、憲法草案の戦争放棄は、侵略戦争の放棄ではないかとの質問に対し、次のように答弁している。
  「戦争放棄に関する憲法草案の条項におきまして、国家正当防衛権による戦争は正当なりとせられるようであるが、私はかくのごときことを認めることは有害であると思うのであります(拍手)。近年の戦争は多くは国家防衛権の名において行われたることは顕著なる事実であります。故に正当防衛権を認めることがたまたま戦争を誘発するゆえんであると思うのであります。(中略) ゆえに正当防衛、国家の防衛権による戦争を認めるということは、たまたま戦争を誘発する有害な考えであるのみならず、もし平和団体が、国際団体が樹立された場合におきましては、正当防衛権を認めるということそれ自体が有害であると思うのであります。御意見のごときは有害無益の議論と私は考えます(拍手)」
  後に9条2項の修正を理由に自衛権の発動としての戦争を容認する芦田均(当時衆議院特別委員会委員長)も、1946年8月24日、衆議院本会議で次のように答弁している。
  「改正案第2章に於て戦争の否認を声明したことは、改正案第二章我が国家再建の門出に於て、我が国民が平和に対する熱望を大胆率直に表明したものでありまして、憲法改正の御詔勅はこの点について日本国民が正義の自覚により平和の生活を共有することを希求し、進んで戦争を放棄して誼を万邦に修むる決意である旨を宣明せられて居ります。憲法草案は戦争否認の具体的な裏付けとして、陸海軍その他の戦力の保持を許さず、国の交戦権は認めないと規定しております。もっとも、侵略戦争を否認する思想を憲法に法制化した前例は絶無ではありませぬ、例えば1791年の「フランス」憲法、1891年の「ブラジル」憲法の如きであります、しかし、我が新憲法の如く全面的に軍備を撤去し、全ての戦争を否認することを規定した憲法は、恐らく世界においてこれを嚆矢とするでありましょう(拍手)、近代科学が原始爆弾を生んだ結果、将来万一にも大国の間に戦争が開かれる場合には、人類の受ける惨禍は測り知るべからざるものがあることは何人も一致する所でありましょう、我らが進んで戦争の否認を提唱するのは、単に過去の戦禍によって戦争の忌むべきことを痛感したという理由ばかりではなく、世界を文明の壊滅から救わんとする理想に発足することは言うまでもありませぬ(拍手)」

3 国民の支持・歓迎

  憲法草案作成過程には、天皇制を守ろうとする日本の支配者たちと、日本を非軍事化しようとする連合国総司令部(マッカーサー)の思惑があったとされるが、それらを超えて、憲法第9条は日本国民の強い支持を受けた。芦田均が述べているように、「我が国民の平和に対する熱望」の表明として受けとめられた。世論調査(毎日新聞1946年5月)では、戦争放棄に賛成と答えた者70%に対し、反対は28%だった。戦争や空襲で家族を失い、家やすべてのものを焼き尽くされた人びとは、二度と戦争をくり返したくないという痛切な思いで、憲法9条を歓迎したのである。

4 再軍備への道

  ところが、米ソの対立が深まり、1950年6月朝鮮戦争が勃発すると、即座に連合国軍最高司令部の命令により「警察予備隊」が設置された。占領政策の転換により、吉田内閣は再軍備への第一歩を踏み出したのである。
  さらに1951年9月のサンフランシスコ条約(52年5月発効)および日米安保条約(52年4月発効)によって、警察予備隊は保安隊を経て、1954年6月自衛隊法が制定され、自衛隊は同年7月1日発足した。
  この間、1952年10月独立後初の総選挙が行われ、翌53年4月にも、いわゆる「バカヤロウ解散」による総選挙が行われたが、いずれも再軍備・改憲が争点となり、これを進める政権党は議席を減らし、護憲派の左・右社会党が躍進した。とくに53年の総選挙では、「青年よ、銃をとるな。婦人よ、夫や子どもを戦場に送るな」と改憲反対・保安隊解散をかかげた左派社会党が大きく議席を伸ばし、吉田自由党は第一党の席は保ったものの議席の過半数割れに至り、自衛軍構想を公約にかかげた改進党も議席を減らした。その後政府は、明文改憲から解釈改憲の道を歩むことになる。
  警察予備隊から保安隊、そして自衛隊へと日本の軍事力が拡大していく中で、憲法9条との関係に関する政府答弁は変遷していくが、1954年6月自衛隊発足時、鳩山内閣は、「自衛力」という概念を用いて、これが憲法9条2項の禁じる戦力にあたらないとし、戦力とは自衛のため必要な限度をこえるものをいうと強弁し、自衛隊を正当化した。
  このような解釈は、憲法9条の条文に明確に反するうえ、憲法制定議会における論議・政府答弁を真っ向から否定するものであって、違憲であることは明白である。しかしその後この解釈はさらに拡大し続け、違憲状態は既成事実として国民に押しつけられ、立憲主義は破綻に瀕している。

5 学説

  憲法9条の解釈に関しては、「国権の発動たる戦争」「武力の行使」「国際紛争を解決する手段」「前項の目的」「戦力の不保持」「国の交戦権」等をめぐってさまざまな学説があるが、主なものを類型的に整理すれば、次のようになる。

(1)9条1項は自衛のための戦争を含めすべての戦争を放棄し、2項はそれを確認しさらに具体化するため、警察力をこえる実力を保持することと戦争することを禁じているとする説

(2)9条1項の解釈では自衛戦争は放棄されていないが、2項で一切の戦力の不保持と交戦権が否定された結果、自衛戦争を含めてすべての戦争が放棄されたとする説

(3)9条1項は自衛戦争は放棄していないとし、2項の禁止される戦力とは自衛力を超えるものとする説

  上記(3)は戦後政治における政府見解の変遷のなかで、日本の再軍備を正当化するための目的論的解釈として形成されたもので、学説としてはほとんど見るべきものはない。
  (1)および(2)は、論理構成を異にするが、自衛隊が違憲であるとする点では一致しており、すなわち学説上は自衛隊違憲論が圧倒的な多数説であるといえる。

6 判例


  自衛隊を違憲とする判決は長沼事件一審判決があるが、合憲を根拠とする判決は、下級審、最高裁ともにない。その手法は統治行為論で判断を回避したり、訴えの利益がないとか、私人間の行為だから憲法判断は不要とするものである。
  しかし本件ではこれらの手法はいずれもとり得ない。すなわち後述のとおり、本件自衛隊のイラク派兵は、自衛隊法の違憲のみならず、違憲であるイラク特措法にも違反している「一見明白な」政府の違憲行為であるから、裁判所は憲法判断を回避することはできないのである。

7 自衛隊発足時の最低限の歯止め

  上記のとおり、自衛隊は違憲であるが、かりに違憲でないとする立場に立っても、最低限次の点は護られなければならない。

(1) 
自衛隊の任務
  自衛隊法3条は、「自衛隊は、わが国の平和と独立を守り、国の安全を保つため、直接侵略及び間接侵略に対しわが国を防衛することを主たる任務とし、必要に応じ、公共の秩序の維持に当たるものとする」と規定している。
  すなわち自衛隊はあくまでも日本を侵略から防衛するための組織であって、集団的自衛権を行使することはもちろん、他国の軍備を支援するための行動も許されない。

(2)
海外に出動しない
  1954年6月2日、参議院本会議において、自衛隊法が議決するに際し、次のような決議をしている。
  自衛隊の海外出動を為さざることに関する決議
  「本院は、自衛隊の創設に際し、現行憲法の条章と、わが国民の熾烈なる平和愛好精神に照らし、海外出動はこれを行わないことを、茲に更めて確認する」 

第2 自衛隊の現状とその違憲性
  自衛隊は、54年(昭和29年)発足以来50年、当初の規模と活動内容を大きく変え、特に米軍との協力関係の緊密化および海外派遣という2つの点で大きな軍事力としての体制を整えてきた。今、その違憲性がより明確になってきた。
  先ず現在の自衛隊の状況を概観する。

1.自衛隊の新しい装備と目標

(1)現在の自衛隊の防衛力の状況は別表の通りである(平成16年度防衛白書)。

  ところで、04年(平成16年)12月10日、閣議で決定された「新防衛大綱」によれば、これまでの自衛隊のあり方を変質させて、「侵略を抑止」するという戦後日本の安全保障政策を大転換させて、米軍と一体となって「脅威の防止」を口実に自衛隊の海外派兵を本来の任務とするという最大の特徴をもっている。
  即ち、1)我が国に直接脅威が及ぶことの防止と、2)国際的な安全保障環境を改善し、我が国に脅威が及ばないようにすることを2大目標に掲げ、日本に止まって侵略を防ぐのではなく、海外に出て「新たな脅威」を押えることを基本としている。
  その際、当然のこととして日米安保体制の重要性が強調され、「世界の中の日米同盟」路線の基に地球規模での日米間の役割分担を打ち出し、米軍と自衛隊の一体化を更に推進する内容となり、自衛隊の海外派兵の必要性を説いている。
  そして、「多機能弾力的防衛力構想(米軍と自衛隊が一体となって、世界のあらゆる地域に軍事介入する体制」を目指した組織編成や装備をすることにした。例えば緊急展開用の部隊「中央即応集団」や、空中給油・輸送部隊、統合幕僚組織の新設などがそれである。
  更に、この新大綱は「ミサイル防衛(MD)システム」の体制を確立することとし、米軍の先制攻撃戦略を共同して技術研究をすることにして、この共同開発・生産を武器輸出3原則の対象外とすることにして、日本がこれまで憲法9条の趣旨から基本的に武器輸出を制限してきた原則を大きく転換している。
  (武器輸出3原則は、67年の佐藤内閣の時、1)共産圏、2)国連決議で武器輸出が禁止されている国、3)紛争当事国、などへの武器輸出を禁止したもの。更に76年三木内閣は、この3原則対象地域以外への輸出も「憲法の精神に則り輸出を慎む」との政府統一見解を目指した。これに対して、財界からこれを緩和すべしという強い要求が出ていた)。

(2)
更に、前記新大綱の基で今後5年間の軍事力の整備・目標を示す新「中期防衛力整備計画」(05〜09年度)も閣議決定をした。
  そこでは海外へ「迅速に部隊を派遣」するための部隊の新編・待機体制の拡充を明記している。
  陸上自衛隊では、海外派兵の指揮を一元的に担う「中央即応集団」を創設。航空自衛隊は、敵基地攻撃能力の保有につながる戦闘機搭載型電子妨害装置の開発(この予算は40億円)。
  5年間の軍事費総額は、現在の中期防衛力整備計画より9200億円減とはいえ、24兆2400億円。年額では4兆8000億円、陸上自衛隊の定数も現大綱の16万人より減ったものの、現在の実員より多い15万5000人となった。

2.自衛隊の明白な違憲性

(1)
自衛隊の違憲性については、自衛隊の発足後間もなく砂川・恵庭・長沼・百里などの安保・自衛隊裁判で継続して問題にされてきた。
  これらの裁判を通じて、自衛隊や日米安保条約の違憲性が問題とされ、最高裁の判断は59年の砂川判決にみるように「統治行為論」によって違憲判決が回避された。
しかし、59年3月の砂川事件の東京地裁(いわゆる伊達判決)は、日米安保条約による米軍の駐留は憲法9条に違反すると判断し、また、73年9月27日の長沼訴訟における札幌地裁(いわゆる福島判決)は、自衛隊は憲法9条2項の戦力に該るとして違憲判決をしている。
  このような一連の裁判の中の憲法の平和主義の理念に適ったこれらの判決の今日的意義をあらためて認識すべきである。
  ここでは、現在の日本政府の防衛の基本的考え方からしても、現在の自衛隊の装備や活動状況はそれを逸脱しているものであり、憲法9条に違反することを以下において述べることにする。

(2)
平成16年度の防衛白書は、「憲法と自衛権」の項で、自衛権を認め、且つ、そのための必要最小限度の実力を保持することは憲法が容認するとしている。
  即ち、防衛白書は
『恒久の平和は日本国民の念願である。この平和主義の理想を掲げる日本国憲法は、第9条に戦争放棄、戦力不保持、交戦権の否認に関する規定をおいている。もとより、我が国が独立国である以上、この規定は主権国家としての固有の自衛権を否定するものではない。
  政府は、このような我が国の自衛権が否定されない以上、その行使を裏付ける自衛のための必要最小限の実力を保持することは、憲法上認められると解している。
  そして更に、我が国が憲法上保持しうる自衛力は、自衛のための必要最小限度のものでなければならないと考えている。
  その具体的な限度は、その時々の国際情勢、軍事技術の水準その他の諸条件により変りうる相対的な面を有し、毎年度の予算などの審議を通じて、国民の代表である国会において判断される。憲法9条2項で保持が禁止されている「戦力」に該るか否かは、我が国が保持する全体の実力についての問題であって、自衛隊の個々の兵器の保有の可否は、それを保有することで、我が国の保持する実力の全体がその限度を超えることになるか否かに決められる。
  しかし、個々の兵器のうちでも、性能上もっぱら相手国国土の壊滅的な破壊のためにのみ用いられ、いわゆる攻撃的兵器を保有することは、直ちに自衛のための必要最小限度の範囲を超えることとなるため、如何なる場合にも許されない。例えば、大陸弾道弾ミサイル、長距離戦略爆撃機、攻撃型空母の保有は許されないと考えている』
と記している。

(3)前記した自衛隊の現有勢力は、この防衛白書が掲げた自衛のための必要最小限度の軍事力を遥かに超えていることは誰が見ても明らかである。
  資本主義国ではアメリカに次ぐ第2位の軍事力を有し、イージス艦も米軍を除けばスペインに1艘ある他は、日本では4艘もある。
「新防衛大綱」にあるように、米軍との共同行動が恒常化する事態のもとで、到底必要最小限度の軍隊とはいえない。
  また、防衛白書はその判断は国会においてなされるとある。しかし、それを監視し牽制するのが三権分立の制度であり、正に司法の役割であると考える。

  憲法判断を回避することは、結果として政治追従をもたらすだけであり、止めなき軍拡を防ぐ道が閉ざされることになる。

第3 イラク特措法及び自衛隊のイラク派遣の違憲性

イラク復興支援特措法(以下イラク特措法)は、03年7月26日、与党の強行採決により成立した。
  それは、「イラクの国民による自主的な努力を支援し、国連の安保理決議1483を踏まえて、人道復興支援活動及び安全確保支援活動を行う」ために、自衛隊派遣を可能にする新規時限立法である。
  法案の大枠は、01年に制定されたアフガニスタン支援のための「テロ対策特措法」とほぼ同じであるが、「他国領土への出動」や「ROE(交戦規則)」など、以下に述べるように更に拡大された海外派遣の内実をもつことになり、これまでの自衛隊の海外派遣活動(91年のペルシャ湾への掃海艇派遣、92年のカンボジアへのPKO活動、93年のモザンピークへのPKO活動、94年のザイールへのルアンダ難民の救援、96年ゴラン高原へのPKO活動、99年の東ティモールへの難民救援活動、01年のパキスタンへのアフガン難民への救援物資輸送、同年のインド洋でのテロ特措法に基づく米艦船への給油、02年の東ティモールへのPKO活動、03年のヨルダンへのイラク難民・被災民への救援など)等とは大きくその実態が異なるのであり、それは、もはや自衛隊の海外派兵であって、実質的な自衛隊の海外での戦力の行使といえるものであり、下記のように憲法9条に違反するものである。

1.イラク特措法の違憲性

(1)成立手続の違憲性

  @ 同法は派遣理由に国連決議1483をあげている。しかし同決議はPKO派遣など国連主導の支援活動を呼びかけるものではなく、単に加盟国に対してイラク復興支援の関与を要請する一般的な趣旨であり、軍事的貢献に直結した決議ではない。
これまでのPKO活動による自衛隊の海外派遣は、曲がりなりにも国連などからその要請があったのであるが、今回は、国連機関からもイラク側からも何らの要請がなく、また、何らの同意も取り付けられていない。
  周知のように、03年5月23日の小泉首相訪米の際、「イラクに対し国力に相応しい貢献をしたい」とブッシュ大統領に約束をしたことの実行なのであって、前記国連決議を名目的に掲げているだけであり、手続の違法がある。
   A 自衛隊法88条は、自衛隊は防衛出動命令を受けた際には国会の承認が必要である。またそれは我が国が武力攻撃を受けた時だけ防衛出動を出来るとあるが、イラク特措法は基本的に閣議の決定で対応出来ることになっており、また、現に平成16年(04年)12月9日の閣議決定により、派遣が1年間延長されたのも国会閉会中の閣議の決定によるものであり、国会の承認を要するという自衛隊法に違反している。
   B このイラク特措法による自衛隊の派遣については、当時のマスコミの報道によれば国民の7・8割は反対していたということであり、そのような多数の国民や野党の反対を押して法案成立を強行したことは、それが憲法の平和条項に反するものであるから、一層、国民主権主義や立憲主義に違反するものである。

(2)内容の違憲性

  @ 前記のように、合法的な派遣理由がないということは、結局米軍が占領する地域への共同出兵、もしくは占領行政への参加に類するものとなる。それは、憲法9条2項の「交戦権の否認」に違反する疑いが濃厚である。
  A 自衛隊の活動領域についても、実質的には現地米軍・連合軍暫定当局(CPA)の指揮に従うため、外国領域に自衛隊が軍靴を踏み入れることになった。
アーミテージ米国務副長官は、「地上部隊の派遣」と表現している。今後この方式を援用していくならば、多くの紛争当事国にアメリカが武力行使を行った場合、自衛隊を派遣出来る先例を作ることになる。
  また、54年6月2日の参議院本会議の決議「自衛隊の海外出動をなさざることに関する決議」にも違反することになる。
  更に、60年3月11日の衆議院安保特別委員会における当時の岸総理大臣の答弁「日本の自衛隊が日本の領域外に出て行動することは、これは一切許せないのであります」にも違反することになる。
  B 派遣部隊の任務についても、これまでとの明確な違いが認められる。
  これまでのPKOの場合は、いずれも国連事務総長もしくは国連難民高等弁務官からの要請に基づく派遣であった。また、「合意・同意・中立」を柱とする参加5原則に沿った任務と活動に限定された。
   これに対し、イラク特措法による派遣は、全く趣を異にする。法文では「外国の領域」と明示され、国会答弁でもイラク領土での地上任務を前提にやり取りがなされているので、文字通り戦地というフィールドで陸自部隊が活動する最初の機会になる。
それは、従来の活動とは次元の違う対処行動、実質的な戦時任務付与を意味する。これは、なし崩しに自衛隊の海外派兵への道を作ることになる。
  C 更に、イラク特措法は、配慮事項(第9条)として「内閣総理大臣及び防衛庁長官は・・イラク復興支援職員及び自衛隊の部隊などの安全の確保に配慮しなければならない」と規定した。
  従来の法ではなかった表現であり、予め任務の危険性を織り込んでいる事情が推察出来る。
  派遣部隊の重武装化(銃から砲へ)や、発砲基準の緩和へつながるのは確実である。現に、自衛隊は秘密裏に携帯する小銃の切り換えレバーを改造して、左右いずれの据銃姿勢においても迅速に射撃が実施出来るよう指示している(ニューズウイーク04/12/8号)。
  D そして、同法は武器の使用の項を設け(17条)、交戦規則(ROE)である戦闘管理マニュアルを与えられて任務に就くことを定めている。
このような交戦規則を必要とするような任務であるということは、文字通り派遣ではなく派兵であり、憲法9条で否定されている交戦権に該る。

  以上のように、イラク特措法は、その成立手続においても、また、内容においても、従来の海外派遣とは大きく異なるものであり、憲法9条に違反することは明らかである。

2 自衛隊のイラク派遣の違憲性─イラク特措法それ自体にすら違反していること

(1)
非戦闘地域ではないこと
  同法2条は、「現に戦闘行為(国際的な武力紛争の一環として行われる人を殺傷し、又は物を破壊する行為をいう)が、行われておらず、且つ、そこで実施される活動の期間を通じて戦闘行為が行われることがないと認められる外国の領域等で実施する」とある。
  しかし、自衛隊の駐留するサマワでは、この数ヶ月間で8回の迫撃砲・ロケット砲が打ち込まれ、オランダ軍には死傷者も出ており、同軍は今年3月にも撤退することになっている。サマワは非戦闘地域だというのは全く虚構である。小泉首相は、「自衛隊のいる所は非戦闘地域だ」などと詭弁ともいえない言い訳をする以外にないのが事実である。

(2)
イラクは今年の選挙の実施が危ぶまれた程、全土が戦闘地域となっている。昨年の米軍によるファルージャ攻撃では、現地赤十字社のスポークスマンは、いたる所に死体があり町の中を移動することが困難だと述べ、犠牲者は6000人を超えている可能性があると述べている。
  サマワの現地の人は、イラク復興を理由に駐留する自衛隊が何故軍服を着て戦車で移動しなければならないのかといい、日本の首相はファルージャ攻撃を支持したが、それは占領軍としての本性を自ら暴露したも同然だと述べている。サマワの全体的な雰囲気は、自衛隊の駐留継続に反対であり、自衛隊撤退を求めるデモが行われたとも報じられている。

(3)
政府は、自衛隊のイラク派兵はあくまで人道復興支援であり、600人の現地陸自部隊は給水活動を中心に活動をしていると報告している。
  現在1日当り200〜280トンを供給してこれまで約4万4000トンの給水を行ってきたと報告されているが、政府がODA(政府開発援助)の一環として来年からの供与を決定した浄水掃除6基がフル稼働すれば、1日当り3140トンの給水が可能(外務省)となり、そうすると2週間で陸自のこれまでの給水に匹敵することになる。
  また、多くのサマワ市民は自衛隊に雇用効果を期待していたが、現在施設補修を中心に1日300〜500人程度の雇用を創出していると発表されているところ、サマワの人口は25万人、失業率は7・8割ともいわれており、市民には失望が広がっている。
自衛隊駐留継続の理由は失われている。

(4)
また、クウェートに拠点を置く200人の空自も、人道支援物資の輸送を強調しているが、最近はその大半は陸自隊員を輸送し、その他は米軍など多国籍軍兵士の輸送であるということで、これは人道支援ではなく軍事支援に他ならない。
  結局、人道支援とは名ばかりの米軍支援のための駐留であり、イラク人民に対する米軍の侵略行為に加担しているといわざるを得ない。
  このようにみてくれば、イラク特措法そのものが憲法違反であることに加えて、今回の自衛隊イラク派兵やその駐留の継続は、イラク特措法の規定をも逸脱した違法なものであって、結局自衛隊のイラク派遣は二重の違法状態であり、憲法9条に違反するといわざるを得ない。

第4 自衛隊のイラクからの早期撤退を求めるマスコミや国民の声

1 
毎日新聞社説(04.11/22)は、『陸自を早期撤収し「追従」脱した支援を』と題して、「見え透いた言い訳やレトリックがまかり通り、議論のレベルを落している。「非戦闘地域」での「人道復興支援」というレトリックの影で、陸自隊員は命がけで働いているのだ。誰もが気付いている。直視すべきは日本の「対米追従問題」である」と述べている。
  同様に、朝日社説(04.12/2)は、『3月までには完全撤収を』として、「オランダ軍が撤収する来年3月以降、自衛隊が安全に活動できる保証がない。自衛隊による人道復興支援の限界も見えた。何より米国に同調したからといってイラクの再建がうまくいくとは考えられない」として、そもそもイラク特措法の目的である人道復興支援活動それ自体がなされる状況ではないことを述べている。

 また、先月11月下旬に行われた各紙世論調査においても、自衛隊のイラク派兵延長に反対する意見が全体の約3分の2を占めた(朝日62%、日経61%、産経64%、読売53%)。逆に賛成は3分の1以下に留まっている(朝日29%、日経25%、産経31%、読売25%)。

  このように、イラク撤兵はもはや時代の流れであり、国民の多数の意思なのである。
  世界的にみても、国連加盟国191カ国のうち、米英のイラク侵略戦争を支持した国は49カ国であり、うち派兵国は37カ国であった。このうち、スペインをはじめ7カ国が既に完全撤退をし、部隊を削減、または削減予定の国が3カ国、更に撤退を表明ないし検討している国は7カ国におよび、駐留を基本的に継続する国は、日本を入れて20カ国に過ぎない。
  これは、この度のイラク戦争・占領が大義のないものであることが益々明らかになっているからである。正にスペインの新首相サパテロ氏の言うように「イラク戦争は失敗だった。憎しみと暴力、恐怖を拡散させるだけだった」ということなのである。

以上