イラク自衛隊派兵違憲訴訟  
 
 
2004年(ワ)第6664号 違憲行為等差止及び損害賠償請求事件
原告 北沢洋子
被告 国

 


準 備 書 面(4)補足
原告の具体的な被侵害利益について

2005年1月21日
東京地方裁判所 民事第18部 合議2係 御中

 原告 北沢 洋子
(戸籍名 佐藤洋子)

原敏雄裁判長
工藤正裁判官
浜田更裁判官

  昨年(2004年)11月29日、原告北沢洋子の訴訟代理人である内田雅敏弁護士が、「原告の被侵害利益―平和的生存権・人格権・生存権」についての準備書面(4)を提出しました。

  この準備書面(4)を補足するものとして、私が被告である国の違法な行為によって具体的に蒙っている侵害利益について、簡潔に補足説明をいたします。

  私は、日本政府のイラクに対する自衛隊派遣によって、私自身が蒙っている侵害について、大きく言って以下の2点について述べます。

1) 日本人として、そして人間として、女性として、心とからだに受けた傷

  日本政府が自衛隊をイラクに派遣したのは、「イラクの人道復興支援のため」では決してなく、小泉首相が口癖のように言う「日米同盟の維持のため」に、米国のイラク侵略戦争に参加していることを証明するものであることは、すでに訴状及びこれまで提出した4回の準備書面によって明らかにしたところです。
  イラクの情勢は、昨年6月にイラク暫定政府に権限が委譲された後も、悪化しております。とくに昨年11月8日、ファルージャ市に対する米軍の総攻撃が開始されて以来、多くの罪もない子ども、女性、老人たちが米軍の無差別攻撃の犠牲になってきました。これらの人びとは、米軍の総攻撃を目前にしても、市外に脱出することすらできない貧しい住民なのです。
  罪もない子ども、女性、老人が戦争の犠牲になるという不条理は、これまでの歴史において常に起こってきました。しかし、今日、イラクで起こっていることは、米軍がやっていることだからといって、傍観していられるものではないのです。
  なぜなら日本の自衛隊がイラクに派兵されているからです。私たち日本人は、イラク人に敵対する側にいるのです。このようなことは、1945年、敗戦以来はじめてのことです。
  私は日本人として、そして人間として、女性として、ファルージャで殺されていった人びと、傷ついた人びと、家や生きるすべを失った人びとの苦しみ、悲しみを思うと、いてもたってもいられません。このようなストレスの結果、私は、昨年11月以来、体調をくずしてしまいました。夜眠れない日々が続き、日中も、しばしば歩行困難、時には、呼吸困難に陥りました。
  それを証明するものとして、私の主治医の診断書を添えます。
  もし、自衛隊がオランダ軍のようにイラクから撤退することになっていたならば、私はこのようなストレスに苦しむこともなかったでしょうし、体調を崩すこともなかったでしょう。
  これが私の主張する「被侵害利益」の第1点です。

2) 職業上蒙った損害

  私の職業は、評論家です。国際問題を専門にしており、著述と講演が私の収入のほとんどです。
  私は、訴状に延べましたように、20代から30代にかけての10年間、エジプトのカイロに駐在したしました。この経験から、帰国後、中東を中心として、アフリカやアジアで当時起こっていた植民地からの独立運動などのことを、新聞や雑誌に書いたり、講演したりしたことがきっかけとなって、評論家を職業とすることになりました。
  したがって、中東は、評論家としての私の出発点であります。現在、最も力を入れて真実を書き、かつ語りたいのはイラク戦争であることはいうまでもありません。
  また、私は、これまで常に現場主義をとってきました。そして、常に、社会的に弱い立場にある人びとの立場に立って取材をしてきました。
一例を申しますと、1974年8月、当時、白人政権下にあった南アフリカ共和国で、アパルトヘイトの実態を調査、取材いたしました。多数派の黒人は厳しい弾圧のもとにあり、ジャーナリストの取材活動は禁じられておりましたが、私は黒人の側から取材することができました。この取材をもとに、私は『私のなかのアフリカ』を書きました。これは私が、国際問題評論家として、世間に認められるきっかけとなりました。
  しかし、今回のイラク戦争については、これまでの現場主義を貫くことができません。取材に行くことができないのです。そればかりでなく、日本政府が自衛隊をイラクに派遣しているがために、イラク人にとって私は敵対的な存在となってしまいました。したがって、私の取材態度を貫くことができなくなりました。
  これは、私が国際問題評論家として、職業上蒙っている損害であります。