イラク自衛隊派兵違憲訴訟  
 
 
平成16年 (ワ) 第6919号 違憲行為差止等請求事件
原告 北沢洋子
被告 国

 


準 備 書 面(4)
原告の被侵害利益
― 平和的生存権・人格権 ―

2004年11月29日
東京地方裁判所 民事第18部 合議2係 御中

                               原告訴訟代理人
                               弁護士    内田雅敏 ほか

目次
     
  はじめに
 

第1章 違憲審査制と「争訟性」

   

第1 違憲審査制
1   違憲審査制の根拠
2   違憲審査制の二類型
3   二つの違憲審査制の合一化傾向
4   憲法秩序保障のための憲法判断

第2 「争訟性」とは何か
1   被告の主張と引用判例
2   「争訟性」の要件

第3 小括   

 

第2章 原告の被侵害利益

   

第1 平和的生存権
  1   百里基地上告審判決
  2   憲法前文2段
  3   平和的生存権生成と国際人道法の展開
   (1)平和と人権の相互依存性
   (2)「平和への権利」の国際的展開
   (3)国際法上の「平和への権利」と日本国憲法の平和的生存権
  4   平和的生存権の根拠
   (1)前文の裁判規範性―学説
   (2)前文の裁判規範性―判例
   (3)解釈基準
   (4)憲法9条の裁判規範性
   (5)憲法98条1項および99条違反ならびに12条の国民の義務
   (6)憲法13条の法的性格
   (7)被告の「人権のインフレ化」という主張について
   (8)憲法13条を適用する判例
   (9)平和的生存権の根拠の小括
  5   平和的生存権の具体的内容
   (1)被告の主張
   (2)抽象的・不明確であり、平和を実現する手段、
    方法も多岐多様であるという主張に対して
   (3)具体的権利内容および法律効果
   (4)享有主体および原告適格
   (5)成立要件の外延
   (6)多数決原理に不可避的に伴う公憤、不快感、挫折感で
      あるとの主張に対し
  6   平和的生存権の具体的侵害
   (1)本件被害の深刻さ、重大さ
   (2)具体的な被害
   (3)本件被害の性格から、原告適格は 「特殊な地位にある者」に
      限定されない

第2 人格権                      
  1 人格権
   (1) 人格権の定義
   (2) 裁判例
  2 人格権の根拠
  3 原告に対する人格権侵害

 

第3章 自衛隊のイラク派兵差止

   

第1 差止の法的根拠  
  1   原告の要求
  2   差止の法的根拠
  3   裁判例による裏づけ

第2 差止の必要性                      
  1   自衛隊派兵による死者
  2   差止が認められる要件
  3   小括

はじめに

被告の準備書面(1)は、要するに、平和的生存権、幸福追求権、納税者基本権は抽象的概念であって、原告の具体的権利義務ないし法律関係に対し何らの影響を及ぼさないから、法律上の争訟性を欠き不適法なので訴えを却下すべきであり、または請求を棄却すべきであるというものである。そこで原告はこれに対し以下のとおり反論し、主張する。

第1章 違憲審査制と「争訟性」

第1 違憲審査制

1 違憲審査制の根拠
  憲法76条1項は、「すべて司法権は、最高裁判所及び法律の定めるところにより設置する下級裁判所に属する」と定め、憲法81条は「最高裁判所は、一切の法律、命令、規則又は処分が憲法に適合するかしないかを決定する権限を有する終審裁判所である」と定め、同条3項は、「すべて裁判官は、その良心に従ひ独立してその職権を行ひ、この憲法及び法律にのみ拘束される」と定めている。
   上記2規定は、三権分立の原理のもとで、司法権は裁判所という独立の国家機関に委ねられ、一切の法律、命令、規則又は処分について裁判所が違憲審査権を有することを定めたものである。
   さらに、憲法32条は、「何人も、裁判所において裁判を受ける権利を奪はれない」と定め、憲法98条1項は、「この憲法は、国の最高法規であって、その条規に反する法律、命令、詔勅及び国務に関するその他の行為の全部又は一部は、その効力を有しない」、憲法99条は「天皇又は摂政及び国務大臣、国会議員、裁判官その他の公務員は、この憲法を尊重し擁護する義務を負ふ」と定めている。
   憲法81条は、裁判所の違憲審査権を直接規定するものであるが、上記各条項もその根拠となるものである。

2 違憲審査制の二類型
   裁判所による違憲審査制には、講学上、大別して@ヨーロッパ型の抽象的違憲審査制とAアメリカ型の付随的違憲審査制があるとされ、日本ではAの付随的違憲審査制が採用されているといわれている。
   被告は、警察予備隊違憲確認事件(最大判27.10.8)のみを根拠に、日本の裁判所が抽象的違憲審査制を採用していると主張するが、この事件は政党の委員長が最高裁を第一審として出訴したものであり、これを認める手続法が存在しなかったことが大きな理由となって却下されたものであって、本件とは全く異なる。
現行憲法上抽象的違憲審査制は否定されていないという見解は少なくない(園部逸夫「最高裁判所十年」有斐閣203頁。芦部信喜「憲法」第三版・岩波書店350頁。とくに高橋和之「憲法判断の方法」有斐閣375頁では、アメリカ連邦憲法3条は「司法権は・・・事件および争訟に及ぶ」と規定しているのに対し、日本国憲法76条は「司法権は・・・裁判所に属す」とのみ規定し、「事件・争訟」に関する規定は置かれていないから、日本では事件性の要件は憲法上の要請ではなく、国民の出訴権との関係で、権利として原告適格の認められるべき範囲を表現する理論上の用語として理解される、とされている)。

3 二つの違憲審査制の合一化傾向
   上記のとおり違憲審査制は二類型に大別されてきたが、近年この二つは合一化傾向にある。
Aは個人の権利保護を第一の目的とする(私権保障型)のに対し、@は違憲の法秩序を排除して、憲法を頂点とする法体系の整合性を確保しようとする(憲法保障型)もので、その果たす機能も大きく異なっていたが、近年両者はそれぞれ他の機能を合わせもつようになり、歩みよりの傾向がみられ、付随的審査制も、実際には、個人の人権の保障を通じて憲法秩序そのものを保障するという意味を強く帯びるようになっている(芦部信喜「憲法」第三版 岩波書店350頁)。さらに、二つの制度の機能面を見ると、合一化傾向が次第に強まってきているとして、「アメリカの制度が、総じて、その事件の当事者の権利救済という直接の効果をこえて、違憲状態におかれている不特定多数の国民の権利の回復、そして憲法そのものの意味を争うものとして機能することがますます多くなってきている」(樋口陽一「憲法T」青林書院514頁)のである。また、「アメリカ型では、個々の権利救済が違憲審査制の一義的な機能とされ訴訟要件が制限されていたことが改められ、しだいに当事者適格等を緩和するような運用が認められる。それによってドイツ型のような客観的な憲法秩序保障に近いものが導入されつつある」(辻村みよ子「憲法」第2版日本評論社509頁)。

4 憲法秩序保障のための憲法判断
   日本では司法判断が具体的な事件に関して行われるものであるとしても、その結論および適用法令とは別個に、憲法判断が示される判決は少なくない。
   最も明確に違憲判断をした最近の判決としては、小泉首相の靖国参拝事件に関する福岡地裁判決(H16.4.7)がある。同判決は、「本件参拝は、宗教とかかわり合いをもつものであり、その行為が一般人から宗教的意義をもつものと捉えられ、憲法上の問題のあり得ることを承知しつつなされたものであって、その効果は、神道の教義を広める宗教施設である靖国神社を援助、助長、促進するものというべきであるから、憲法20条3項によって禁止されている宗教的活動に当たると認めるのが相当である。したがって、本件参拝は憲法20条3項に反するものというべきである」と明快に断定している。原告の請求を棄却しながら、靖国参拝の違法性について判断した理由について、同判決は、「本参拝は、靖国神社の合憲性について十分な議論を経ないままなされ、その後も靖国神社への参拝は繰り返されてきたものである。こうした事情にかんがみるとき、裁判所が違憲性についての判断を回避すれば、今後も同様の行為が繰り返される可能性が高いというべきであり、当裁判所は、本件参拝の違憲性を判断することを自らの責務と考え、前記のとおり判示するものである」と述べている。違憲審査権をもつ司法の責務を真摯に受けとめた判決というべきであり、このような姿勢はすべての裁判官に切に求められる。
   この他被告が引用する砂川事件上告審判決(最大判S34.12.16)も、いわゆる統治行為論により憲法判断を回避したものであるが、傍論において、憲法前文が「平和のうちに生存する権利を有することを確認」している。同様に憲法に触れる判決は少なからず存在する。
付随的違憲審査制のもとでも、違憲審査権を有する裁判所は憲法秩序を保障する責務を有しているのである。

第2 「争訟性」とは何か
 
1 被告の主張と引用判例
   被告は、裁判所の審判の対象は「法律上の争訟」でなければならず、「法律上の争訟」といえるためには、@当事者間の具体的な権利義務ないし法律関係の存否に関する紛争であること、Aそれが法令の適用により終局的に解決することができるものであること、の二つの要件を満たすことができるものであると主張する。しかし、Aの要件に関する判例として引用する日蓮正宗蓮華寺上告審判決(最二小判H1.9.8)は、宗教団体内部においてなされた懲戒処分の効力が前提問題になっている事件で、判決は、「宗教上の教義、信仰の内容に立ち入ることなくしてその効力の有無を判断することができず、しかも、その判断が訴訟の帰趨を左右する必要不可欠のものである場合には、右訴訟は、その実質において法令の適用による終局的解決に適しない」と述べているのであって、本件訴えとは何らの共通性もない。

2 「争訟性」の要件
   「法律上の争訟」については上記のとおり憲法上の要件ではなく、裁判所法という下位法で定められたものであり、しかも日本国憲法が付随的違憲審査制を採用しているという立場に立っても、アメリカでは個々の権利救済という直接の効果をこえて違憲状態におかれている不特定多数の国民の権利回復、そして憲法そのものの意味を争うものとして機能することがますます多くなっているのであるから、憲法に「事件および争訟」という規定がない日本では、さらに争訟性の要件は広く解釈されるべきである。
   芦部前掲書310頁は、裁判所法3条の「法律上の争訟」の意味について、被告主張の要件@を「裁判所の救済を求めるには、原則として自己の権利または法律によって保護される利益の侵害という要件」とし、「法律上の争訟」にあたらず裁判所の審査権が及ばない場合または事項として、(1)抽象的に法令の解釈または効力について争うこと、(2)単なる事実の存否、個人の主観的意見の当否、学問上の論争、(3)純然たる信仰の対象の価値または宗教上の教義に関する判断自体を求める訴えなどをあげている。
   本件訴えは(1)〜(3)のいずれにも該当せず、原告の権利または法律によって保護される利益が侵害されたとして救済を求めているものであり、それが法令の適用により解決できるものであるから、争訟性がなく不適法という被告の主張は失当である。

第3 小括
  
 以上のとおり、憲法81条の違憲審査制は抽象的違憲審査制を否定したものでなく、具体的事件に対する判断とは別に憲法判断を行っている判決もある。したがって本件のように重大な違憲状態については、違憲審査権の発動が強く求められるのである。
 また、裁判所法3条は憲法上の要請ではないが、それにより日本ではアメリカ型付随的違憲審査制を採用しているとしても、アメリカでは個人の人権の保障を通じて憲法秩序そのものを保障するという意味を強く帯びるようになっており、その事件の当事者の権利救済という直接の効果をこえて、違憲状態におかれている不特定多数の国民の権利の回復、そして憲法そのものの意味を争うものとして機能することがますます多くなってきており、個々の権利救済が違憲審査制の一義的な機能とされ訴訟要件が制限されていたことが改められ、しだいに当事者適格を緩和するような運用が認められドイツ型のような客観的な憲法秩序保障に近いものが導入されつつあるのであるから、アメリカのように憲法に「事件および争訟」という規定がない日本では、争訟性の要件はさらに広く解釈されなければならない。
   しかも、後述するとおり、本件自衛隊イラク派兵という著しい違憲状態による原告のみならず不特定多数の人びと(イラクの人びとを含む)の重大かつ深刻な権利侵害を真摯に見つめるならば、これまでのように訴訟要件を狭く解釈し訴えを不適法として却下することは許されない。

第2章 原告の被侵害利益

第1 平和的生存権

1 百里基地上告審判決(最三小判H1.6.20)

   被告は、百里基地上告審判決が、平和的生存権を否定したと主張している。しかし上記判決は、国と私人間の土地売買契約の効力に関するものであり、その当否は別として、国が行政の主体としてでなく私人と対等の立場で契約したのであるから、憲法9条の直接適用を受けず、私人間の利害関係の調整を目的とする私法(民法90条)の適用を受けるにすぎないとした判決である。傍論に被告が引用する記述があるが、これをもって「平和的生存権」の権利性を否定したものということはできない。すなわち上記判決は、平和的生存権を直接争点としたものではなく、平和的生存権を明確に否定した最高裁判決は未だ存在しないのである。

2 憲法前文2段
   憲法前文2段は次のとおり規定している。
   「日本国民は、恒久の平和を念願し、人間相互の関係を支配する崇高な理想を深く自覚するのであって、平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した。われらは、平和を維持し、専制と隷従、圧迫と偏狭を地上から永遠に除去しようと努めてゐる国際社会において、名誉ある地位を占めたいと思ふ。われらは、全世界の国民が、ひとしく恐怖と欠乏から免かれ、平和のうちに生存する権利を有することを確認する。」
   ここに「平和的生存権」が明確に規定され、後述のとおり、憲法9条によって具体化され、憲法13条によって具体的な権利とされるものである。
   その内容について詳述する前に、この平和的生存権がひとり日本国憲法においてのみ認められるものではなく、国際法においても共通の理念が認められ、具体化されつつあることについて述べる。

3 平和的生存権生成と国際人道法の展開

 (1)平和と人権の相互依存性

    第2次大戦後の国際社会の大きな特色の一つは、戦争こそが人権侵害の最たるものであり、人権を保障するためには平和を維持確立することが必須の条件であるということが、広く認識されるようになったことである。このような認識の背景には20世紀の戦争が国民全体を巻き込む総力戦として戦われるようになったという戦争形態の質的変化、とりわけ広島、長崎への原爆投下に象徴される核戦争の到来がある。それとともに、平和を確立するためには人権を保障する民主的政治体制を樹立することが肝要であるという認識も広く共有されることになった(山内敏弘「人権・主権・平和」日本評論社97頁。以下本書を参考)。
    1945年6月に成立した国際連合憲章前文に、「われらの一生のうちに二度まで言語に絶する悲哀を人類に与えた戦争の惨害から将来の世代を救い、基本的人権と人間の尊厳及び価値と男女及び大小各国の同権とに関する信念をあらためて確認し」とあるのは平和と人権の相互依存性を示したものである。さらに男女および大小各国の同権を強調している点も現在とくに重視されるべきである。1948年に国連で採択された世界人権宣言が「人類社会のすべての構成員の固有の尊厳及び平等のかつ奪い得ない権利を認めることが世界における自由・正義及び平和の基礎をなすものである」と述べていることも、その認識を踏まえたものである。
    このような人権と平和の相互依存性あるいは密接不可分性の認識は、さらに、戦争を防止し、平和を維持することがそれ自体人権であるという認識、あるいは平和のうちに生きることがそれ自体一個の人権であるという認識を生みだすことになった(山内前掲書)。

 (2)「平和への権利」の国際的展開
    日本国憲法前文2段の平和的生存権の原型は、1941年の「大西洋憲章」6項 「(ナチスの暴政の最後的撃滅の後に、)両国はすべての国民が、各々自らの領土内で安全な生活をいとなむための、またこの地上のあらゆる人間が、恐怖と欠乏からの自由のうちのその生命を全うするための保証となる、平和を確立することを願う」という条項であるが、平和をそれ自体一個の人権ととらえる考え方は、国際社会においても徐々に採用されるようになった。
    国連人権委員会は、1976年の決議で「すべての者は、国際の平和と安全の条件の下に生きる権利」を有するとうたい、ユネスコの「人権、人間的必要及び新国際経済秩序の確立に関する専門家会議」は、1978年の最終報告で「人権と自由が尊重され、かつ武力の行使が禁止されるとする趣旨の宣言が国連憲章でなされたことによって、各人の基本的権利が一つの国際法において具体化されるに至っている。それは、即ち、平和への権利である」と述べている。
    このような動向を踏まえて、国連総会も、1978年12月15日には「平和的生存のための社会の準備に関する宣言」と題する決議において「すべての国民とすべての人間は、平和のうちに生存する固有の権利を有する」ことを宣言している。国連総会は、その後も、1984年11月12日に「人民の平和への決議に関する宣言」を、1985年11月11日に「人民の平和への権利」と題する決議を採択している。さらに、「平和への権利」は地域的な人権憲章にも盛り込まれている。
    また、国際人道法においても、戦争の違法化の動きが進み、1949年に「戦争犠牲者の保護に関するジュネーブ四条約」が採択された。さらに1977年には、これに対する二つの追加議定書が採択され、「無防備地域」や「非武装地帯」の規定が設けられて、この地域に対する一切の武力攻撃が禁止された。この追加議定書の考え方は、日本国憲法の平和的生存権ときわめて近似した内容になっている。
    1998年に国際刑事裁判所規定が調印され、2002年に発効した。ここでは「人道に対する罪」が処罰の対象とされている。このことは、平和的生存権の国際的保障が決して名目的なものではなく、裁判的な実効性をもつに至っていることを示すものといいうるのである。

  (3) 国際法上の「平和への権利」と日本国憲法の平和的生存権
    上記のとおり、日本国憲法の平和的生存権は、「平和への権利」を追求する国際的潮流を背景としたものであり、その後の国際人道法によって裏付けを与えられたといえる。
    しかし同時に、日本国憲法は前文で平和的生存権を規定するだけでなく9条で一切の戦争を放棄し、一切の軍隊の保持を禁止したことによって、より具体的で明確なものとなった。
    すなわち、日本国憲法の平和的生存権は、国際法上の権利と共通する「平和への権利」ではあるが、憲法9条と結びつくことによって、独自の意味をもつことになり、「戦争と軍備および戦争準備によって破壊されたり、侵害ないし抑圧されることなく、恐怖と欠乏を免かれて平和のうちに生存し、またそのように平和な国と世界を作り出していくことができる核時代の基本的人権」(深瀬忠一「戦争放棄と平和的生存権」岩波書店227頁)を意味するようになった。なお平和的生存権は、本件原告と同時に原告として提訴している星野安三郎氏の「平和に生きる権利」(法律文化社)で、1974年に主張されて以来、多くの学説によって支持、展開されている。軍隊の不保持を規定したコスタリカの憲法と類似しているが、一切の戦争を放棄した点で、これをより徹底しているものである。

 4 平和的生存権の根拠

 (1)前文の裁判規範性 ― 学説
    日本国憲法前文は、憲法の基本原理として、国民主権主義、人権尊重主義、平和主義を掲げ、それらが相互に不可分に関連していることを明らかにしたもので重要な役割を担っている。この前文が、憲法の一部をなし、法規範的性格をもつことについては、学説上ほぼ異論はない。その上で前文の裁判規範性について学説上意見が分かれていた。その論拠は、前文は憲法の理想や原則を抽象的に宣明したもので、その内容はすべて本文に具体化されており、裁判所の判断基準として用いられるのは本文の具体的規定であることとされてきた。これに対して、最近では、肯定論が有力となっている。その論拠は、本文にも抽象的な規定が存在するため、前文の理念・原則がすべて本文に具体化されているという理由では前文の裁判規範性を否定できないこと、前文の内容の重要性から、その裁判規範性を否定することは困難だということである(樋口陽一他「注解法律学全集・憲法T」青林書院41−42頁。辻村みよ子前掲書57−58頁他)。
   
 (2)前文の裁判規範性 ― 判例
    判例では、前文を直接適用した下級審判決がいくつかある。例えば、出入国管理令による強制収容者の釈放に関する東京地裁判決(S32.4.25)は「憲法前文第2段の宣言はわが国内に滞留する外国人に対しても当然にその適用があると考えるべきである」とした。また、自衛隊の合憲性に関する長沼事件一審判決(札幌地判S48.9.7)は、前文を「憲法の憲法」とでもいうべき基本原理を定めたものであるとし、前文第2項はたんに国家の政策として平和主義を掲げたものでなく、平和的生存権が全世界の国民の基本的人権そのものであることを宣言するものとして裁判規範性を認めた。控訴審はこれを否定したが、最高裁は「保安林指定解除処分の取消しを求める訴えの利益は失われた」として控訴審判決を支持し、平和的生存権については、結論に影響がないとして上告を棄却した。
    最高裁判決としては、砂川事件上告審判決(最大判S34.12.16)があり、これは「統治行為論」により日米安全保障条約による米軍の駐留の違法判断を回避したものであるが、冒頭で、憲法9条2項前段は、「前文および98条2項の国際協調の精神と相まって、わが憲法の特色である平和主義を具体化した規定である」と述べ、「憲法前文にも明らかなように、・・・全世界の国民と共にひとしく恐怖と欠乏から免かれ、平和のうちに生存する権利を有することを確認するのである」と、前文を根拠に平和的生存権を認めているのである。

 (3)解釈基準
被告は、百里基地事件控訴審判決(東京高判S56.7.7)を引用して、前文の裁判規範性を否定するが、同判決の平和的生存権を否定した部分には誤りがあるとしても、同判決は、「前文に表明された基本的理念は、憲法の条規を解釈する場合の指針となり、また、その解釈を通じて本文各条項の具体的な権利の内容となり得る」としているのである。平和的生存権については、「その具体的な意味・内容を直接前文そのものから引き出すことは不可能である」としているが、前文のみから具体的権利を引き出せないとしても、前文が本文各条項の解釈基準となり得ることを認めているのである。

 (4)憲法9条の裁判規範性
    原告は自衛隊とそのイラク派兵が憲法9条に違反するとして提訴しているのに、被告は憲法9条について一切触れていない。
    そこで被告提出の乙1号証(テロ特措法事件東京高判H16.4.22)を読むと、「憲法9条は、国家の統治機構ないし統治活動についての規範を定めたものであって、国民の私法上の権利を直接保障したものということはできず、同条を根拠として平和的生存権という個々人の具体的な権利が保障されているということもできない」とある。これは憲法9条の裁判規範性を否定したものでないことは明らかであり、この規定だけでは国民の私法上の権利を直接保障したものといえないとしているだけである。
    これまで、自衛隊あるいはその施設の設置等に関し、憲法9条に違反するか否かにつき直接判断した最高裁判決は出されていない。前記百里基地上告審判決は、自衛隊の基地に関し争われた事件であるにもかかわらず、土地の売買契約であるから私人間の契約と同視すべしとして、憲法9条の直接適用を認めず、間接適用による民法90条違反の有無のみを判断した。この判決は、私人間の契約につき憲法9条は民法90条により間接適用すべきだと述べているのであって、国家と私人の関係において憲法9条が直接適用されることを否定したものではない。まして、憲法9条の裁判規範性を否定したものでないことは明らかである。

 (5)憲法98条1項および99条違反ならびに12条の国民の義務

    上記百里基地上告審判決は、国がした土地売買行為は国務に関する行為に該当するから憲法9条(前文を含む)に反する行為として効力を有しないという上記理由に対し、「憲法98条1項は、憲法が国の最高法規であること、すなわち、憲法が成文法の国法形式として最も強い形式的効力を有し、憲法に違反するその法形式の全部又は一部はその違反する限度において法規範としての本来の効力を有しないことを定めた規定であるから、同条項にいう「国務に関するその他の行為」とは、・・・公権力を行使して法規範を定立する国の行為を意味し、・・・かかる法規範を定立する限りにおいて国務に関する行為に該当するものであるというべきである」としながら、国の行為であっても土地の売買行為であるから憲法98条1項にいう「国務に関する行為」に該当しないとして上告人の主張を退けた。
    本件自衛隊イラク派兵は、自衛隊法、イラク特措法、イラク特措法に基づく対応措置に関する基本計画に基づく命令によって行われた法律および命令等公権力の行使であることは疑問の余地がない。したがって国民に対し直接適用される公権力の行使である。
    憲法98条1項は憲法が最高法規であって、この条規に反する法律その他の国務に関する行為は無効であることを明記し、さらに憲法99条は裁判官を含む公務員はこの憲法を尊重し擁護する義務を負い、かつ憲法12条は、「この憲法が国民に保障する自由及び権利は、国民の不断の努力によって、これを保持する義務」を規定しているのだから、主権者たる国民は憲法違反の公権力の行使を無効とし、裁判官等に憲法を尊重し擁護する義務の遵守を求める具体的な権利・義務を有するというべきである。
    その権利は端的に違憲確認を求めることによって全うされるものと考えられるが、付随的違憲審査制を理由に国民各人の権利侵害が必要とされるならば、それは後に詳述する。

 (6)憲法13条の法的性格
    憲法13条は、「すべての国民は、個人として尊重される。生命、自由及び幸福追求に対する国民の権利については、公共の福祉に反しない限り、立法その他の国政の上で、最大の尊重を必要とする」と規定している。
    この規定は人権の包括的基本権を定めたものであり、後段の幸福追求権は、前段の「個人の尊厳」原理と結びついて、人格的自立の存在として自己を主張し、そのような存在であり続ける上で必要不可欠な権利・自由を包摂する包括的な主観的権利とする学説が有力である(佐藤幸治「憲法」第三版青林書院445頁以下)。この説によれば、憲法第3章が掲げる各種基本権は、いわゆる自由権も社会権も参政権もここから派生し、さらに、第3章の個別的基本権規定によってカヴァーされず、かつ人格的生存に不可欠なものが13条によって保障されるのである。すなわち憲法13条は、12条にいう「この憲法が国民に保障する自由及び権利」の一環をなすものであって、第3章の個別的基本権を包括すると共に、第3章に個別的基本権として明記されていない基本権を具体的権利として保障するものである。具体的には、名誉権、プライヴァシーの権利・環境権などがあげられる。「人格的自律権」については異なる意見もあるが、13条が人権の包括的な保障規定であり、第3章に明記されていない人権も13条によって具体的に保障されるという点では、学説の多数説になっている。

 (7)被告の「人権のインフレ化」という主張について
    被告は、芦部信喜「憲法学U人権総論」(有斐閣)328頁以下を根拠にして、憲法13条によって平和的生存権を主張することは、「人権のインフレ化」を招くと主張している。
    しかし同書328頁には、「13条が、11条に明示された人権の固有性と関連させて解すれば、憲法に列挙されていない道徳的権利ないし理念的権利とも言うべき抽象的な利益が一定の段階に達したとき、それを憲法上保護される法的権利とみなす根拠となる規範、したがって、単なるプログラム的ないし倫理的な規範ではなくそれ自体一つの権利を保障した具体的な裁判規範である」と述べられているのである。同書はさらに13条に関する諸説を紹介しながら、「憲法13条は、国民の権利意識の高揚とも相俟って、1970年代には、憲法に列挙されていない新しい人権を憲法上基礎づける根拠規定として、それ自体独自に具体的権利を保障する規定である、とする通説が形成されることになったのである」(前掲書338頁)と明確に述べている。
    たしかに同書341頁には、「その具体的権利性をもしルーズに考えると、『人権のインフレ化』を招いたり、それがなくても、裁判官の主観的価値判断によって権利が創設されるおそれもある」との記述がある。しかしそれに続けて、「しかし、幸福追求権の内容として認められるために必要な要件を厳格にしぼれば、立法措置がとられていない場合に一定の法的利益に憲法上の保護を与えても、右のおそれを極小化することは可能であり、またそれと対比すれば、人権の固有性の原則を生かす利益のほうが、はるかに大きいのではあるまいか」と述べている。
    さらに、被告が指摘する同書の344頁では、幸福追求権は「個人の人格的生存に不可欠な利益を内容とする権利の総体」であるとし、350頁では佐藤幸治教授の見解である@身体の自由(生命を含む)、A精神的活動の自由、B経済活動の自由、C人格価値そのものにまつわる権利、D人格的自律権(自己決定権)、E適正な手続的処遇をうける権利、F参政権的権利をあげている。
    後述するとおり平和的生存権は憲法の平和に生きる権利という根本的原理に基づく基本的権利であり、上記@からFすべてに関する権利といえるものであって、「人権のインフレ化」とは対極にある。
    ちなみに、「人権のインフレ化」という言葉を使用したのは、憲法の平和主義を最も重視する奥平康弘教授の「人権体系及び内容の変容」(ジュリスト638号)であり、平和的生存権を否定するものでないことに留意すべきである。

 (8)憲法13条を適用する判例
    芦部教授が前掲書で記述しているように、憲法13条を具体的な法的権利を保障する条項だと解する今日の通説は、判例でも認められるようになった。
    例えば、プライバシー権を認めた「宴のあと」事件東京地裁判決(S39.9.28)、肖像権を認めた京都府学連事件大阪高裁判決(S.39.5.30)などであるが、後者の上告審判決(最大判S.44.12.24)は、「憲法13条は、・・・国民の私生活上の自由が、警察権等の国家権力の行使に対しても保護されるべきことを規定しているものということができる。そして、個人の私生活上の自由の一つとして、何人も、その承諾なしに、みだりにその容ぼう・姿態を撮影されない自由を有するというべきである。これを肖像権と称するかどうかは別として、少なくとも、警察官が、正当な理由もないのに、個人の容ぼう等を撮影することは、憲法13条の趣旨に反し、許されない」と判示したのである。
    また、大阪空港公害訴訟控訴審判決(S.50.11.27)は、「個人の生命・身体の安全、精神的自由、平穏、自由で人間たる尊厳にふさわしい生活」に関する人格的利益と名誉、肖像、プライバシー等の人格的利益とを総合して人格権を構成することができるとし、憲法13・25条がその根拠となるとする。その他人格権を法的保護が認められるべきとする判例は後述するとおり多数存在する。

 (9)平和的生存権の根拠の小括
    以上のとおり、平和的生存権は憲法前文2段によって明確に根拠づけられた権利であるが、その具体的な内容は憲法9条によって明らかにされている。
    平和的生存権はこのように前文と9条によって裁判規範性をもつと考えられるが、かりにこれだけでは具体的権利と認められないとすれば、憲法13条によって具体的権利として保障されることは明らかである。
    さらに憲法3章の諸権利条項によって総合的に保障された権利ととらえることも必要である。
    その根拠規定については諸説があるが、平和的生存権を具体的に保障される憲法上の権利とする学説は、近年の有力説となっている。
    被告は、原告が主張する平和的生存権を憲法前文のみを根拠とするととらえ、幸福追求権を憲法13条のみを根拠とするとし、両者を切り離して否定するもので、平和的生存権の根拠に関する原告の主張を正確にとらえない反論といわざるを得ない。

 5 平和的生存権の具体的内容

 (1)被告の主張
    被告は@自衛隊のイラク派兵は原告に向けられたものでないから、原告の具体的な権利義務ないし法律関係に対し、何らの影響を及ぼすものではなく、A平和的生存権は、その概念そのものが抽象的かつ不明確であり、B具体的権利内容、C根拠規定、D主体、E成立要件、F法律効果等が一義性に欠け、Gその外延を画することのできないあいまいなものであると主張し、さらに百里東京高裁判決(56.7.7)を引用し、H平和を実現する手段、方法も多岐多様にわたるから具体的な意味・内容を直接前文そのものから引き出すことは不可能、と主張する。また、被告は多数の判例を引用しているが、その中には、I自衛隊派遣による原告らの苦痛は、自らの信条、憲法解釈に反することによる公憤、義憤、憤慨の情、不快感、挫折感等で、多数決原理に不可避的に伴うもので法的保護に値しない(掃海艇事件東京地判S8.5.10その他)というものがある。

 (2)抽象的・不明確であり、平和を実現する手段、方法も多岐多様であるという主張に対して
    たしかに「平和」という概念自体は抽象的といえるかもしれない。しかし憲法前文2段は、「平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意し」、「全世界の国民が、ひとしく恐怖と欠乏から免かれ、平和のうちに生存する権利を有することを確認する」と、平和の概念を明確にしている。
    さらに憲法9条1項は、「国権の発動たる戦争と、武力による威嚇、又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する」と明記し、同2項は、「前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない」と、多義的な解釈を許さない一義的な規定になっている。「前項の目的」には自衛のための武力行使が含まれないという見解があり、これは憲法制定過程における国会論議からとうてい肯定できないが、9条は国際紛争を解決する手段として、「国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は」永久に放棄したのであり、この点については疑問の余地を全く残さない。つまり日本国憲法は、あくまでも「武力によらない平和」を原理としているのであって、それは決して抽象的ではなく、いささかも不明確ではないばかりか、平和を実現する手段・方法も一義的であって、諸国民と信頼関係を築き、外交的努力を通じ平和を保持しようとするものである。
    このような徹底した平和主義の憲法は非現実的だという考えがあるが、「武力による平和」こそ非現実的であり、暴力の連鎖を生み出すものであることは、いわゆる9.11事件以降の米軍によるアフガニスタン攻撃、イラク戦争によっていっそう明らかに証明されている。国際法においても「平和への権利」の保障が強調され、日本国憲法9条を世界各国が取り入れるべきだとの声が広がっているのも、そのためである。
そして、NGOによる国際協力、国境をこえた人びとの交流・支え合いこそ、平和実現の方法であることが、多くの人びとによって認識されるようになっている。

 (3)具体的権利内容および法律効果
    前述のとおり、憲法前文が9条と結合し、13条によって具体的な人権として保障される平和的生存権の内容は、「戦争の脅威と軍隊の強制から免れて、平和のうちに諸々の人権を享受する権利」であり、他国および日本の武力による威嚇や武力行使を受けることなく、「全世界の国民が、ひとしく恐怖と欠乏から免れ、平和のうちに生存する権利」および「すべての人の個人の尊厳が侵されず、生命・自由・幸福追求の権利が侵害されない権利」である。もっと単純化していえば、「武力によって殺されたり、殺したりしない権利およびその恐怖から免れ平和のうちに人権を享受する権利」ともいえる。これは原告の人格的生存に不可欠な根源的基本権である。
    武力による威嚇や武力行使は、他国の武力はもちろん、日本の武力による直接的なものだけでなく、米軍支援による間接的なものも含まれることはいうまでもない。
    13条には、戦争によって直接的または間接的にプライバシーや名誉が侵害されず環境が破壊されない権利などが含まれるが、18条の「苦役からの自由」19条の「思想良心の自由」、20条の「信教の自由」、21条の「集会・結社・表現の自由、検閲の禁止、通信の秘密」、22条の「居住・移転・職業選択の自由、外国移住・国籍離脱の自由」、23条の「学問の自由」、25条「生存権・国の生存権保障義務」、26条「教育を受ける権利」、27条「勤労の権利・義務、勤労条件の基準」、28条「勤労者の団結権・団体交渉権その他団体行動権」、29条「財産権」、31条「法定手続の保障」もすべて生命・自由・幸福追求の権利の内容をなすものであり、これらの権利の侵害は、平和的生存権の侵害にもなる。
    被告は平和的生存権の法律効果が一義性に欠けると主張するが、上記具体的内容をもつ権利なので、法律効果は明確である。

 (4)享有主体および原告適格
    憲法前文は、上記のような平和的生存権を、「全世界の国民」が有していることを明らかにしている。憲法13条は「すべて国民は」とし、享有主体が国民に限定されているような表現になっているが、憲法上の人権は、たとえ「国民」と規定されていても、外国人を含むことは通説となっている。また人権の享有主体は個人であるとするのが通説であるから、外国人を含むすべての個人が平和的生存権の享有主体というべきである。したがって、イラクの市民がかりに自衛隊の武力行使によって負傷した場合、そのイラク市民が日本政府に対し補償を求めるほか、日本の裁判所に国に対する損害賠償請求の訴えを提起できるものであり、これを否定する根拠はない。
    では、原告らのように、武力による直接の被害を受けていない国民に原告適格はないといえるのだろうか。
    被告は、自衛隊のイラク派兵は原告に向けられたものではないから、原告の具体的な権利義務に対し何らの影響を及ぼさないとして、「法律上の争訟性」ないし原告適格を否定しているようである。
    しかし、基地騒音などは、住民に向けられたものでなくても被害を受ける者はその被害に対し損害賠償の請求ができる。そもそも不法行為の成立要件は、故意だけでなく過失によるものも含むのであるから、原告に向けられたか否かによって損害賠償請求権や差止め請求権が否定されるいわれは全くない。問題は被害があるか否かであり、被害を受けた者はすべて原告適格を有するのである。「争訟性」が広く解釈されるようになったことについてはすでに述べたとおりであり、自衛隊のイラク派兵によって被害を受けた者がその被害による損害賠償を請求し、差止め請求することは、まさに法律上の争訟である。またこれに対し裁判所が損害賠償を認め、差止めを命ずれば、原告の被害はその限度で回復するのであり、争訟性を否定することはできない。とくに本件自衛隊派兵による原告の被害は重大かつ深刻であり、違憲状態の横行は目を覆うばかりの惨状なのであるから、原告の具体的人権の保障を通じ、憲法秩序そのものを保障することが違憲審査権(かりに付随的審査制であっても)を有する裁判所の高度な責務である。

 (5)成立要件と外延
    原告の損害賠償請求権の成立要件は自衛隊のイラク派兵によって原告が被害を受けたことであり、差止めの請求権の成立要件は、これを放置することにより将来回復不可能な損害が生じる危険が高くなっていることである。
    外延についていえば、基本権は時代と共に生成発展するものであり、その外延は立法および判例によって変化する。平和的生存権も時代によって武力行使の方法も変化し、外延も変わる場合があり、また国際法の発展によっても外延が拡大する可能性がある。したがって平和的生存権についてのみ外延が一義的でないとして権利性を否定することはできない。外延がどこまでであるか確定しなくても、原告の被害が認められれば、憲法上の保護がなされなければならないのである。

 (6)多数決原理に不可避的に伴う公憤、不快感、挫折感であるとの主張に対し

被告の引用判例は、原告の被害は政治的主張が多数決原理によって認められなかったことによる公憤、不快感、挫折感であるとして原告の主張を退けている。もっとも掃海艇事件東京地裁判決(H8.5.10)では、「国家賠償法1条1項の損害賠償請求の対象となる国の不法行為は、確立された権利に対する侵害行為のみならず、未だ権利としては明確に確立されていなくとも法律上保護されるべき利益に対する侵害が違法であると認められれば成立するものというべきであり、個人の内心的感情も、それが害されることによる精神的苦痛が社会通念上受忍すべき限度を超えるような場合には、人格的な利益として法的に保護すべき場合があり、それに対する侵害があれば、その侵害の態様、程度いかんによっては不法行為が成立する余地があると解すべきである」と述べ、「内心的感情を害されることによる精神的苦痛が社会通念上受忍すべき限度を超えたと評価されるためには、一定の特殊な地位にあること等によって通常の社会生活の中では生じ得ないような深刻な不快感、焦燥感等が生ずるなどすることが必要であると解すべきである」としている。
    上記判決を含む従前のいわゆる平和訴訟の判決は憲法上の権利に関する判断の誤りがあり、その結論に同意することはできないが、それは別として、本件自衛隊のイラク派兵は、これまでの事態の延長線上にあるとはいえ、質的に全く異なる違憲行為により、原告の平和的生存権を著しく侵害し、それによる原告の精神的苦痛は、社会通念上受忍すべき限度を超えていることは明らかである。その苦痛は多数決原理とは関係なく、原告個人が受けているものである。さらに現在の日本では、議会制民主主義が空洞化し、多数決原理そのものが機能していない。

 6 平和的生存権の具体的侵害

 (1)本件被害の深刻さ、重大さ
    現在自衛隊は重装備でイラクに派兵されているが、イラクでは米英軍を中心とする軍隊の空爆などにより、すでに民間人の死者は10万人に達した(米公衆衛生学者グループ発表。2004年10月29日付各紙夕刊)。しかもその死者は米英軍がイラクを制圧したとされる2003年4月以降が以前よりはるかに多く、今も毎日死者・負傷者は増え続けている。これに対するイラクの人びとらの抵抗もやまず、日本人の拉致被害3件、死者5人にのぼっており、サマワの自衛隊宿営地には8回にわたって砲弾が打ち込まれている。イラクはまさに戦地になっているのである。
   この戦地に日本の自衛隊が重装備で派兵されることによって、原告および同時に提訴している原告らは、「武力によって殺されたり、殺したりしない権利およびその恐怖から免かれ平和のうちに人権を享受する権利」を著しく侵害され、原告の人格的生存の根源を否定されている。その被害は、1945年8月15日以降かつて経験したことのない深刻で重大なものであり、原告らは耐え難い苦痛を感じている。

 (2)具体的な被害
    具体的な被害としては、第一に、テロによる生命の危険にさらされていることである。
    小泉首相は、アメリカがイラク攻撃を始めるとき、イギリスに続いて真先に支持を表明し、米英占領軍に自衛隊を参加させた。占領軍が多国籍軍に名を変えるや、国会はもちろん内閣にさえ諮らず、ブッシュ大統領に対し自衛隊の多国籍軍参加を約束した。
    そのため、日本はテロの標的として名指しされ、スペインのような列車爆破のごとき悲惨な事件が、いつどこで起き、多数の死傷者が出るかもしれない危険性が高まっている。毎日電車の中で「不審者・不審物」への注意が警告され、警察官・警備員の見張りが、テロへの不安をかきたてている。そして現実に、香田証生さんは、小泉首相が自衛隊撤退要求を即座に拒否したために殺された。日本政府がこのような態度をとっている限り、日本国内でも同様のことが起きるだろう。殺されてからでは遅い。確実な根拠に基づく不安は、それ自体深刻な被害なのである。また、沖縄の米軍ヘリ墜落に象徴される、直接的な被害もある。その他の米軍基地のある地域では同様の事故の恐怖にさらされている。
    第二に、イラクの人びとを殺すことに加担する苦痛である。民間人10万人以上を殺した米英軍を、日本は直接的および間接的に支援している。先頭に立っての支持声明、軍事費の拠出、武器を含む物資の輸送、そして陸上自衛隊の派兵である。自衛隊は明確な攻撃の的になっているため、「人道支援」など出来ず、宿営地のコンテナに避難しているが、これ以上の攻撃を受けて反撃すれば、イラク人らを殺傷する危機に立たされている。
    イラクでどのような人たちが、いかにして殺されているか、その実態を見なければ原告らの苦痛を理解できない。最初の香田さんの遺体とされた、頭部に銃弾を受け、顔面をつぶされた「アラブ系の人」は、一体だれで、どこでどのようにして殺されたのだろうか。政府やマスコミは、一時日本人でなくてよかったと安どし、その人がだれかについて全く関心を示さなかった。どんなにたくさんの子どもたちが殺され、手足をもぎとられ、劣化ウラン弾で被爆しているか、その実態から目をそらすことのできない原告らは、耐え難い苦痛を感じている。その殺りくは、原告らに関係ないとは、絶対にいえない。米英軍が行い、日本政府が共犯ともいうべき行動をとっており、その国民の一人なのだから。しかも平和憲法をもっている国の国民の一人なのだから。
    第三に、日本が憲法を踏みつけ、再び戦争をする国になろうとしていることに、原告らは耐え難い苦痛を感じている。戦争を永久に放棄した日本国憲法は、原告らの人格的生存の根源になっている。このまま進めば、徴兵制も復活し、子どもたち、孫たちがいやでも戦争にかり出され、殺し、殺されることになる。
    いまや日本は、戦前、いな準戦時体制に入っているといっても過言ではない。戦争を体験した者にはそのことが強く実感され、戦争を体験しなかった者もその体験を学び、追体験することによって、現在の日本が、先の戦争の直前と同様の状況、準戦時体制に入っていることを実感するのである。
    第四に、準戦時体制を支えるために、あらゆる人権が制限・抑圧されている。反戦ビラを配布したり、トイレに落書きしただけで逮捕され、起訴され、長期勾留され、平和デモ参加者が逮捕されるなど表現の自由の侵害が頻発している。街のあちこちには監視カメラが設置され、盗聴法によって通信の自由は侵され、住基ネットは個人情報の国家管理を進めている。教育現場では日の丸・君が代が強制され、これに従わなかった教師の大量処分が行われ、「国家のために死ね」という教育基本法改悪が行われようとしている。また、男女平等教育がバッシングされ、「個人の尊厳と両性の本質的平等」を保障した憲法24条を、家族と共同体の価値を重視する立場から見直す改悪が与党である自民党から提案されている。さらに国民保護法によって「有事」に備え日常から「住民の自主的組織」による戦争のための訓練が努力義務と規定され、かつての隣組が復活している。
    戦争を体験した人は、それがかつての準戦時体制であることを、恐怖をもって実感するのである。軍事費のために福祉は削減され、健康で文化的な最低限度の生活を営む権利も侵されつつある。
    第五に、恐怖を感ずることは、戦争体験がなく、歴史から学ぼうとしない政治家たちによってこの体制がつくられ、同じく戦争体験がなく、歴史から学ぼうとしない裁判官たちによってこの体制が追認されることである。国民の多く、とくに若者は、かつての戦争を知らず、小泉首相を支持しているかのようであるが、イラク派兵の延長については63%が反対している。にもかかわらず政府は国民の声を無視して、イラク派兵を延長しようとしており、これをチェックする機能をもつものは、司法をおいてない。
    だからこそ、違憲審査権をもつ裁判官の責任は重大なのである。
    以上の被害の結果、ある者は不眠症になり、睡眠薬に頼らなければ眠れなくなったり、日々苦痛を感じながら生活している。子どもたち、若者たちに平和憲法を語る教師、人を殺してはならないと信徒に説く宗教者は、現実との落差に耐え難い苦痛を感じている。これらの苦痛は社会通念上甘受すべき程度をはるかに超えている。
  
 (3)本件被害の性格から、原告適格は「特殊な地位にある者」に限定されない
    上記のとおり原告らは日本国内でテロに遭う不安および自衛隊が直接イラクの人びとを殺傷する不安、さらに現在10万人のイラク民間人を殺している米英軍を支持していることに耐え難い苦痛を感じている。この苦痛はテロがいつどこで起きるか分らず、それを警戒する人権侵害は日本中で行われており、またイラクの人びとに対する殺傷はイラク国内で起きているのであるから、「一定の特殊な地位」にあるか否かに関係なく感じさせられている。そしてこの苦痛は9.11以前の通常の社会生活の中では生じ得ない深刻なものである。したがってこれを耐え難い苦痛と感ずる者はすべて法的に保護されるべき権利の侵害を受けているというべきである。

第2 人格権
 
1 人格権の概念

 (1) 人格権の定義

   各人の人格に本質的な生命,身体,健康のほか,名誉,氏名,肖像,プライバシー,自由および生活等に関する諸利益は,広く人格権と呼ばれ,私法上の権利として古くから認められてきた(芦部信喜「憲法学U人権総論」359頁)。大阪空港公害訴訟控訴審は,「個人の生命,身体,精神および生活に関する利益は,各人の人格に本質的なものであって,その総体を人格権ということができ」ると明確に定義づけしている(昭和50年11月27日)。
この人格権の起源は,大陸法系にさかのぼるが,近世にはドネルスによって体系化され,近世自然法によってその精神的支柱を与えられている。そして,この人格権を明文で承認したのは20世紀初頭スイス民法が初めてであり,その他の国では主に判例によって人格権侵害に対する損害賠償請求を認めるという形で一般に保護されてきたという背景を有する。

 (2) 裁判例
わが国においても,人格権を明文で承認した規定はないが,不法行為において身体・自由・名誉についての侵害も権利侵害であると認めていること(民法710条)から,人格権を前提として認めていると解されるし,判例においても,「夕刊和歌山時事」事件で「人格権としての個人の名誉の保護」という言葉を初めて使い(最大判昭和44年6月25日),「北方ジャーナル」事件で「人格権としての名誉権に基づき・・・・侵害行為の差止めを求めることができる」として,最高裁として人格権概念を名実ともに認め(最大判昭和61年6月11日),さらに,テレビ放送において韓国人の氏名を日本語読みすることの可否が争われた事件で,「氏名は・・・・人格権の一内容を構成する」から「氏名を性格に呼称されることについて,不法行為上の保護を受けうる人格的な利益を有する」と判示し(最大判昭和63年2月16日),人格権概念は定着したと言える(前記芦部360頁)。

2 人格権の根拠
  日本国憲法は,14条以下において,詳細な人権規定を置いている。しかし,それらの人権規定は,歴史的に国家権力によって侵害されることの多かった重要な権利・自由を列挙したもので,すべての人権を網羅的に掲げたものではない。
  社会の変革にともない,「自立的な個人が人格的に生存するために不可欠と考えられる基本的な権利・自由」として保護するに値すると考えられる法的利益は,「新しい人権」として,憲法上保障される人権の1つだと解するべきである。その根拠となる規定が,憲法13条の「生命,自由及び幸福追求に対する国民の権利」(幸福追求権)である。
  現在では,この幸福追求権は,個人尊重に基づいており,憲法に列挙されていない新しい人権の根拠となる一般的かつ包括的な権利であり,この幸福追求権によって基礎づけられる個々の権利は,裁判上の救済を受けることができる具体的な権利であると解するべきである。判例も,京都府学連事件において肖像権の具体的権利性を認めている(最大判昭和44年12月24日)。
  そして,幸福追求権の内容は,個人の人格的生存に不可欠な利益を内容とする権利の総体を言う(芦部信喜「憲法」新版補訂版114,115頁)。
  そうすると,まさに,各人の人格に本質的な生命,身体,健康のほか,名誉,氏名,肖像,プライバシー,自由および生活等に関する諸利益(人格権)は,幸福追求権の一内容をなし,憲法13条によって保障されるのである。

 3 原告に対する人格権侵害
   自衛隊のイラク派兵により,原告は自らの人格価値そのものを傷つけられているとともに,生命・身体の自由を日々脅かされている。
   イラク戦争への参加によって,スペインマドリッドでの列車爆破テロをはじめ,国際的なテロの土壌が拡大している。そのため,イラクやその周辺国だけではなく,その他の海外で活動し生活する日本人が,自衛隊派兵国の一員だということでテロの標的にされる可能性が顕著に増大している。また,日本国内でもテロの標的にされる可能性が出てきている。すでにアルカイダ系の武装グループは,日本に対してテロの標的とするとの声明を挙げている。まさに自衛隊派兵によって,日本国民全員が,自己の生命・身体の自由を脅かされているのである。
   そして,原告の具体的な被害はそれだけにとどまらない。原告は,平和憲法に誇りを持ち,平和憲法の下で教育を受け,平和憲法の価値を体現しようと生きてきた。その意味では,非武装,戦争放棄の平和憲法の精神が自己の人格の核心をなしてきたのである。それにもかかわらず,自衛隊が戦後初めて戦地に派兵されてしまったことで,原告は,まさに自己の人格を否定されたという強烈な精神的な衝撃を被っているのである。この点においても,原告の人格権侵害は著しいのである。

第3章 自衛隊のイラク派兵差止

第1 差止の法的根拠
 
1 原告の要求
   原告は,被告に対して,自衛隊のイラクからの撤退,いわゆる自衛隊海外派兵の差止を求めている。このように,精神的被害に対する慰謝料の請求だけではなく,差止を求めているのは,以下に述べるとおり,原告の平和的生存権,人格権,生存権が日々侵害されており,その損害の救済は事後的な金銭支払いでは修復することができないからである。

2 差止の法的根拠
人格権が差止請求の根拠となる理由の第1は,同権利が,物権と同様に,絶対権,すなわちその侵害に対して支配を回復しうる対世的・排他的性格を有する権利として保護されることに求められる。
人格権が排他性を有することについて,今日では争いがない。人格権は憲法上の人権であるのであるから,私法上もかかる強力な権利性を与えるのが当然である。また,上記北方ジャーナル事件最高裁判決も,人格権の排他性について,明確に肯定している。
第2に,人格権は,「人格的属性を対象とする」という権利としての性質上,ひとたび侵害されると原状に回復することが極めて困難であるということである。現在まで幸いなことに,自衛隊員は現地のイラク人を殺傷していないし,自衛隊員自身も死傷はしていない。しかし,自衛隊の宿営地まで砲撃を受け,日本人が人質として拉致され,また殺害されているという状況の中では,いつ何時被害者が出るとも限らない切迫した状況にある。ひとたび,被害が出てしまうと,戦後の日本の歴史の中での初めての軍事活動による被害発生となってしまい,再び戦争をする国に突き進む不幸な歴史の始まりとなってしまう。また,イラク人に被害者が出てしまえば,原告は「加害国の国民」という立場に立たされてしまう。
  第3に,条文解釈上も,差し止め請求権は排除されていない。即ち,民法722条1項は,金銭賠償原則を採用しているところ,これは,金銭賠償以外を許容しないという趣旨ではない。不法行為法は,損害の救済とともに,将来発生するであろう損害の予防という救済方法も認めているのであるから(民法147条,216条,234条,商法272条,280条の10,不正競争防止法3条,独占禁止法20条,特許法100条,著作権法112条,実用新案法27条,意匠法37条など),一定の要件が満たされる場合には,救済方法としての差止請求は認められると解するべきである。
上記各条文は,それぞれの法律の趣旨・目的に応じて規定のされ方も様々であるが,現に重大な侵害行為が行われ,事後的な救済による被害回復では不十分である場合には,被害からの救済方法として,差止請求を認めているのである。

3 裁判例による裏づけ
  最高裁は,人格権としての名誉権の侵害に対して,差止請求を認めている(最大判昭61年6月11日民集40巻4号872頁)。以下のとおり判示している。「人の品性,徳行,信用等の人格的価値について社会から受ける客観的評価である名誉を違法に侵害されたものは,損害賠償(民法710条)又は名誉回復のための処分(同法723条)を求めることができるほか,人格権としての名誉権に基づき,加害者に対し,現に行われている侵害行為を排除し,又は将来生じるべき侵害を予防するため,侵害行為の差止めを求めることができるものと解するのが相当である。けだし,名誉は生命,身体とともに極めて重大な保護法益であり,人格権としての名誉権は,物権の場合と同様に排他性を有する権利というべきであるからである。」
  また,その後,生活妨害(騒音,振動,煤煙)による被害に関する救済方法として「不法行為責任の特殊な効果として一定の作為義務が加害者に発生」すると判示した裁判例(大阪地判昭和43年5月22日,判タ225号120頁)や,公共性の高い施設から公害発生のおそれが高い場合に「多数の被害者が健康にも影響を及ぼす程度の被害を受け,居住地,住居を生活活動の場として利用することが困難となる蓋然性が高い場合には,その被害は金銭的補償によって回復しうる性質のものではないから,たとえ公害発生原因となる施設が公共性の高いものであっても,他に特別の事情がない限り受忍限度をこえるものとして差止請求が許される」とした裁判例(広島高判昭和48年2月14日判時693号27頁)もある。
  これらは,いずれも,重大な侵害行為と事後的な救済の困難性を認定した上で,差止を認めているのであって,まさしく本件訴訟にも当てはまる考え方を示したものである。

第2 差止の必要性

1 自衛隊派兵による死者
   イラク特措法に基づき,2003年12月18日に航空自衛隊先遣隊がクウェート,カタールに派兵されて以来,海上自衛隊,陸上自衛隊はイラク及びその周辺海域に派兵され続けている。このことで,上記のとおり,原告をはじめとする日本国民全体がテロの標的にされており,平和的生存権,人格権,生存権が,日々犯され続けているのである。
   そして,本年10月27日には日本人青年香田証生さんがイラクの武装勢力に拉致され,その後殺害されるという最悪の結果が生じてしまった。武装勢力が自衛隊の撤退を要求してきたのに対して,小泉純一郎首相は,「自衛隊は撤退させない」と早々に断言し,幸田さん救出の糸口を自ら断ってしまったのであった。自衛隊が現地で歓迎されていないことは,自衛隊宿営地への砲撃が続いていることからも明らかである。
自衛隊派兵を原因として,日本国民の生命が奪われてしまったと言える。このような現状に鑑みれば,もはや,原告の精神的損害の救済方法として,金銭賠償を認めるだけでは到底償いきれない状態に達しているというべきである。まさに自衛隊の即時撤退こそが新たな悲劇を防ぐ唯一の方策である。仮に,金銭賠償だけが認められた場合には,被告は金を払えばそれで済むとばかりに,今後も派兵を続ける可能性すら考えられるのである。
   本件事件の抜本的解決の方法は,派兵の差止を行うことである。かかる判断を裁判所が示すことにより,アメリカ追随のイラク派兵という被告の違憲行為を根本から断ち切ることができるのである。派兵差止の必要性は明らかである。

2 差止が認められる要件
一般的に,不法行為における損害賠償が,すでに生じた「損害」の金銭等による「回復」を主眼とするのに対し,差止め請求権の主眼は,現に進行しているか,または近い将来確実に生じるであろう「侵害(妨害)」の「排除」に主眼がある。従って,@侵害の態様(現在するか,差し迫っているかを含む),A回数,継続性,間隔,B侵害の程度(社会的影響力を含む),C侵害された人格権の種類,性質,重要性,D差止によってもたらされる不利益,を考慮して判断すべきである。
前述したとおり,昨年12月から継続されている自衛隊のイラク派兵によって,民間人の命が犠牲とされてしまった。小泉首相は,人質死亡の知らせを聞いた後もイラク派兵の政策に見直しを加えていない。そして,武装勢力の声明がいくたびか出されているが,その中で,日本自体もテロの標的にされている。
このような状況に鑑みれば,原告の平和的生存権,人格権,生存権の侵害は現実に始まっているし,今後まさに生命・身体の危険が増す状況となっていくと言え,派兵差止を認める切迫性・緊急性は極めて高い。
その一方で,イラク派兵を差止めることによる被告の不利益は考えられない。むしろ,イラクおよび全世界,国連までも歓迎することになろう。日本は平和憲法の理念に従って,平和的方法によってイラク復興に力を貸すべきなのである(詳細については,次回以降の準備書面に譲る)。

 3 小括
   以上からすると,原告の平和的生存権,人格権,生存権を最大限保障するために,また新たな犠牲者を一人として出さないためにも,一日も早い派兵差止め決定が出されるべきである。
以上