イラク自衛隊派兵違憲訴訟  
 
 
平成16年(ワ)第6919号 違憲行為差止等請求事件
原告 北沢洋子
被告 国

準 備 書 面(2)

2004年9月6日

東京地方裁判所 民事第18部 合議2係 御中

                               原告訴訟代理人
                                 弁護士    内田雅敏 外7名


[ 小泉首相の日本国憲法前文の解釈は誤りである ]

平成16年(ワ)第6919号
原  告  北 沢 洋 子
被  告  国

準 備 書 面(2)

2004年9月6日

東京地方裁判所 民事第18部 御中

                                   原告訴訟代理人
                                   弁護士  内田雅敏 外7名

「小泉首相の日本国憲法前文の解釈は誤りである」

1 はじめに ― サマワは戦闘地域である
 陸上自衛隊が駐留しているイラク南部サマワで、2004年8月という1ヵ月という短い期間をとって、何が起こっているかを見てみよう。

8月7日、オランダ軍宿営地の外に迫撃砲弾が着弾し、11日には別の宿営地に着弾した。14日にはオランダ軍の車列が大規模攻撃にあい、1人のオランダ兵士が戦死し、5人が重傷を負った。16日にはパトロール中のオランダ兵が銃撃にあい、17日には、オランダ軍宿営地や警察の検問所に3発の迫撃砲がうち込まれ、さらに19日、サマワ南方でパトロール中のオランダ軍が攻撃をうけた。27日には、宿営地の外に迫撃砲弾がうち込まれた。(『朝日新聞』04年8月31日朝刊)
 日本の陸上自衛隊に対しては、8月10未明、宿営地から100メートルのところに3発の迫撃砲弾がうち込まれ、21日には1発、23日には宿営地付近で数回の爆発音が起こった。(『朝日新聞』04年8月24日朝刊)
地元警察に対する攻撃は日常化しており、ついに8月31日には、州警察本部長宅に手榴弾が投げ込まれるという事件が起こっている。(『朝日新聞』04年8月31日朝刊)
 このように見ると、サマワではほとんど連日のように、戦闘が起こっていることがわかる。これを“非戦闘地域”と呼べるであろうか。
 では、オランダ軍、陸上自衛隊、地元警察を攻撃しているのは誰か、という疑問がでてくる。当然のことだが、これはシーア派強硬派のムクタダ・サドル師が率いる「マフディ軍団」の仕業であって、シーア派の聖地ナジャフの出身者というよそ者であると考えられてきた。しかし、地元警察は、8月8日の事件に関連して13人を拘束したのだが、そのうちの8人はサマワの住民であった。(『朝日新聞』04年8月11日朝刊)
そもそも自衛隊がサマワに派遣されることが決まったとき、「サマワの住民は、平和的で、親日派である」ということでなかったのだろうか。しかし、陸上自衛隊に迫撃砲をうち込んでいるのは、サマワの住民である。
 さらに、懸念すべき情報がもたらされた。04年8月24日の『朝日新聞』朝刊によれば、17日、地元警察が拘束したイラク人が、サマワの陸上自衛隊を撮影したビデオを所持していた。警察幹部によると、「宿営地の様子をあらゆる角度から詳細に撮影していつほか、宿営地から出入りしたり政府関係庁舎に立ち寄ったりする自衛隊車両も正確に写した」という。さらに、「近い将来、自衛隊を攻撃する。彼らは米国の支援に来ており、撤退すべきだ」とのメッセージを読み上げる男も映っていた、という憂慮すべき情報がある。
 さらに、日本の陸上自衛隊の安全は、近くに駐留するオランダ軍に戦闘をまかせる、というのがそもそもの派兵の条件であった。しかし、8月14日の大規模な戦闘で、6人の死傷者を出したことは、駐留オランダ軍のみならず、オランダ国内においても大きな衝撃と動揺を与えた。オランダ、ユトレヒトで開かれた兵士とその家族との間の会合で、不安を訴える家族に対して、カンプ国防相は、「安全は保証できない」と答えた。
オランダ議会の中でも、即時撤退を求める動議が出ている。カンプ国防相は「ぎりぎりに見て、来年3月までの駐留が限度」であると答弁しているが、今後のオランダ議会に審議の行方によっては、早期の撤退も考えられる。
そうなれば、誰が陸上自衛隊をゲリラの攻撃から守るのか。いうまでもなく、陸上自衛隊自身が戦かわねばならない。それは、今日か、明日かという近い将来の問題である。サマワは文字どおり戦闘地域である。

2 国連安保理1546決議と自衛隊の「多国籍軍」への参加について
 04年6月8日、ニューヨークの国連安保理は、同年6月末の主権委譲後のイラクに関する1546号決議を15カ国一致で採択した。
 4月以来、米軍はファルージャとナジャフという2つの戦線での困難な作戦を余儀なくされ、ベトナム戦争末期のような泥沼に陥ってしまった。さらにアブグレイブ刑務所での米軍の捕虜虐待事件の全容が世界のマスコミに暴露されるにいたって、米国の「イラク戦争の大義」はまったく色あせたものになってしまった。
 米国に残されて唯一の道は、国連を引き込み、イラク戦争を国際化することであった。
 そのために、国連に働きかけて、新しい安保理決議を採択させることであった。それが、1546号決議であった。
 この決議案は米英の共同提案となっているが、実は米国の草案はこれまでにフランス、ドイツなどからすでに3回も修正を求められ、その都度、米国が譲歩して書き直してきたものであった。したがって、当初米国が意図していたものとは、随分違ったものになってしまった。
第1に、6月末には米英の暫定占領当局(CPA)は解散し、イラク人の暫定政府に主権が委譲される。しかし、この暫定政府はイラクの将来に関する決定は何もできない。つまり、これは05年1月までに直接選挙によって成立する本当の暫定政府のための「暫定政府」に過ぎない。当初米国が予定していたものよりもはるかに限定された権限しか与えられていない。それは「暫定政府はCPA寄りだ」という仏独の疑惑を米側は考慮した結果であった。
第2に、国連は直接選挙の実施、憲法草案作成など、民主イラクの誕生に中心的な役割をはたす。しかし、現在、国連はイラクから撤退している。国連のイラク復帰はアナン事務総長の判断に委ねることも明記された。これは、米国が国連に配慮した結果であった。しかし現実には、国連がイラクに復帰する可能性は未だにない。
第3に、米英共同軍から移行する「多国籍軍」の駐留が決まった。これは、安保理において米国と仏独との間で最ももめた部分であった。仏独側は、イラク暫定政府に、多国籍軍の駐留の拒否権を与えることを主張した。最後には、暫定政府の要請にもとづくものとする、多国籍軍とイラク暫定政府との間に治安問題で調整する場をもうける、暫定政府は多国籍軍の作戦にイラク軍が関与するかどうかの権限を持つ、というところで折り合いがついた。
多国籍軍に参加する軍隊は、統一した指揮の下に置かれる。その任務は、治安維持、人道復興支援、国連イラク支援団(UNAMI)の保護とする。その駐留期限は正式の政府の樹立が完了した時点、あるいは、暫定政府の要請があったとき、ということになった。
小泉首相は、この安保理決議が提案される前から、多国籍軍への参加を表明した。それは多国籍軍の任務の中に人道復興支援が含まれるからというのであった。しかし、多国籍軍の任務として挙げられている3つの任務は、それぞれ孤立したものではなく、切り離すことはできない。そして、統一した指揮下、当然これは米軍の指揮下に置かれる。したがって、日本の自衛隊は、人道援助だといって水の浄水ばかりしてはいられない。
米国は、仏独に対してどんなに譲歩しても、国連安保理1546号決議さえ通してしまえば、米英共同軍を多国籍軍に肩代わりさせればよいと考えている。しかし、この決議の最大の問題点は、米英の暫定占領当局(CPA)から主権を委譲される暫定政府が、イラク人に受け入れられるかどうかにかかっている。それは、当然のことながら、これまでの反米抵抗闘争が沈静化し、イラクが安定化するかどうかにかかっている。残念ながら、安保理決議以後のイラクからのニュースを見ても、そのようには決して動いていない。
米英暫定占領当局(CPA)は、当初予定していた6月末のイラク暫定政府への主権委譲を、前倒しして6月28日、これを行なった。前倒しの理由は、テロ攻撃に対処するためであるという。
 しかし、イラク暫定政府への主権の委譲がなされたからといって、事態は全く変わっていない。米英を中心とする占領軍は、治安の維持を名目にして、「多国籍軍」と名を変え、引続きイラクに駐留している。
 それは、今から52年前の1952年4月28日、サンフランシスコ講和条約によって、日本が主権を回復した後も、日米安保条約によって、それまでの占領軍としての米軍が「在日米軍」と名を変えて引続き占領を継続したのと酷似している。
 その「多国籍軍」に、人道支援の名のもとに、イラクに派遣されている自衛隊が参加することになった。
 事の起こりは、04年6月、シーアイランドで開催された主要国首脳会議(G7サミット)の開幕前の日米首脳会議で小泉首相がブッシュ米大統領に約束したことにあった。
 従来、政府は、多国籍軍への参加は、「多国籍軍の指揮下に入り、その一員として行動すること」になり、集団的自衛権の行使は認められないとする立場より、この参加は違憲であり許されないとしてきた。
 しかし、それがブッシュ・小泉会議によって、いとも簡単に変えられてしまうとは、今さらながら、わが国における「法の支配」の形骸化を思わざるを得ない。
 2004年6月1日、秋山収内閣法制局長官は、参議院イラク復興支援・有事法制特別委員会において、1980年の政府答弁書において、「多国籍軍」について「目的・任務が武力行使を伴うものであれば、自衛隊が参加することは憲法上許されない」としていたのに対し、「武力行使を伴う任務と、伴わない任務の両方が与えられる多国籍軍に参加することは憲法上問題ない」と述べた(2004年6月2日『東京新聞』朝刊)。
 「多国籍軍」とは、文字どおり「軍」であり、武力行使を当然のこととして想定しているのであって、「武力行使を伴う任務」と「伴わない任務」などと判然と区別できるものではないことは、誰にでも理解できることである。
 このように政府は、内閣法制局の見解を事実上変更することによって、自衛隊の「多国籍軍」への参加は、憲法上許されると強弁する一方、他方で、「多国籍軍」について国連決議が「統一された指揮下(アンダー・ユニファイド・コマンド)」としているのに対し、原文の「コマンド」(指揮・命令)を「司令部」と誤訳することによって、自衛隊が「多国籍軍」に参加するということは、「統合司令部」に入ることであって、「統一された指揮下」に入るのではないとも強弁している。当然のこととして、政府のこのような見解に対しては、各界から厳しい批判がなされている。
 このような事態を許していたならば、法に対する信頼は、根底から覆ってしまう。
 内閣法制局長官は、かつて、テロ対策特措法によってインド洋上で作戦行動をしていた米英艦船に、日本の海上自衛隊が洋上給油をなすことについて、給油を受けた米英艦船がミサイルを発射してもそのミサイルが着弾するまでは、まだ戦闘行為とはいえないから、戦闘地域における支援とはならず、許されるという「珍答弁」をなしたこともある。後に同長官は、朝日新聞のインタビューに対して、「あれは恥ずかしい答弁だった」と述懐した。
 また以下に述べるように、内閣法制局の見解が、政府に都合が悪いとして、闇に葬られたケースもある。
 政府は、イラク特措法に基づいて、イラクに自衛隊を派遣するに際し、「戦闘地域」にいう「戦闘」の定義につき、「国または国に準ずる者による、組織的・計画的」なものであって、単なるテロ攻撃は含まれないとして来た。
 ところが、2004年4月に内閣法制局が、イラク国内で駐留米軍と衝突を繰り返しているイスラム教シーア派対米強硬指導者サドル師支持派を「国に準ずる者」とするとした報告を福田康夫官房長官(当時)に提出したところ、同長官は、これを政府見解とすることを留保した。というのは、この解釈を認めると、現に陸上自衛隊が活動しているサマワが、イラク特措法上に云う「非戦闘地域」でなくなる可能性があるためである。

3 内閣法制局とは何か
 憲法問題、とりわけ第9条関連すなわち安全保障問題については、しばしば内閣法制局長官等の答弁が注目される。内閣法制局設置法によれば、内閣に内閣法制局を置く(同法第1条)とし、その所管事務は、「一、閣議に附される法律案、政令案、及び条約案を立案し、内閣に上申すること。二、法律案及び政令案を立案し、内閣に上申すること。三、法律問題に関し、内閣並びに内閣総理大臣及び各省大臣に対し、意見を述べること。四、内外及び国際法制並びにその運用に関する調査研究を行なうこと。五、その他法制一般に関すること。」としている(同法第3条)。
 ところで、訴状においても述べたところであるが、憲法第81条は、「最高裁判所は、一切の法律、命令、規則または処分が憲法に適合するかしないかを決定する権限を有する終審裁判所である。」と規定し、裁判所に違憲立法審査権を認めている。
 しかし、訴状において述べたように、憲法問題とりわけ安全保障問題については、1959年12月16日最高裁砂川判決が、いわゆる「統治行為論」によってこの問題に関する判断を回避して以降、裁判所が安全保障問題等に関する違憲立法審査権を事実上封印するという事態が半世紀以上続いている。
 このように裁判所が与えられた任務を放棄している結果、どのような事態が生じているか。
 それは、安全保障問題等に関しては、内閣法制局がある種の擬似「憲法裁判所」として役割を果たして来ていることである。そして、この擬似憲法裁判所として内閣法制局は、内閣に所属するというその性格上、基本的には政府の行為に合憲・合法性を附するための“理屈”付けに走りがちであることは、同局長官のこれまでの言動を見れば明らかであろう。
 それでもまれには、内閣法制局が政府の行為に「待った」をかけることもある。あるいは、政府にとって不都合な報告をなすこともなかったわけではない。
 しかし、そのような場合には、法制局長官の更迭もしくは前述したようにイラクにおける対米強硬指導者サドル師支持派を「国に準ずる者」とした報告の握りつぶしたようなこと等がなされる。その結果、政府の違憲行為が容認され、「法の支配」と「立憲主義」が破壊されてきた。これは裁判所が、安全保障問題等に関する違憲立法審査権を半世紀にわたって封印してきた結果である。その意味では、1959年12月16日の最高裁砂川判決こそ全ての過ちの出発点であった(この点については本「準備書面」において後述する)。
 裁判所は、国民から付託されたその権限・使命を、今一度再確認すべきである。憲法施行後、文部省が小中学校社会化の教科書として作成した「新しい憲法のはなし」は、司法権について以下のように述べている。
「こんどの憲法で,ひじょうにかわったことを,一つ申しておきます。それは,裁判所は,国会でつくった法律が,憲法に合っているかどうかをしらべることができるようになったことです。もし法律が,憲法にきめてあることにちがっていると考えたときは,その法律にしたがわないことができるのです。だから裁判所は,たいへんおもい役目をすることになりました。
 みなさん,私たち国民は,国会を,じぶんの代わりをするものと思って,しんらいするとともに,裁判所を,じぶんたちの権利や自由を守ってくれるみかたと思って,そんけいしなければなりません。」
 2004年、福岡地方裁判所(亀川清長裁判長)は、小泉首相の靖国公式参拝を憲法第20条政教分離違反と断じた。判決理由の末尾は以下のように締めくくられている。
「当裁判所は参拝の違憲性を判断しながらも、不法行為は成立しないと請求は棄却した。あえて参拝の違憲性について判断したことに関しても異論もあり得るとも考えられる。しかし、現行法では憲法第20条3項に反する行為があっても、その違憲性のみを訴訟で確認し、または行政訴訟で是正する方法もない。原告らも違憲性の確認を求めるための手段として、損害賠償請求訴訟の形を借りるほかなかった。」
「本件参拝は、靖国神社参拝の合憲性について十分な論議も経ないままなされ、その後も参拝が繰り返されてきたものである。こうした事情に鑑みるとき、裁判所が違憲性について判断を回避すれば、今後も同様の行為が繰り返される可能性が高いと言うべきであり、当裁判所は、本件参拝の違憲性を判断することを自らの責務と考え、前記の通り判示する。」

4 剽窃される憲法「前文」
小泉首相は憲法前文中の「われらは平和を維持し、専制と隷従、圧迫と偏狭を地上から永遠に除去しようと努めている国際社会において名誉ある地位を占めたいと思う」「いずれの国家も自国のことのみに専念して・・・はならない」等々を引用して自衛隊をイラクの地に派兵した。小泉首相は、以前に「前文」と第9条「戦争の放棄」との間には隙間があると国会で珍答弁をなした。自衛隊の海外での活動を容易にするために、「前文」中の一部分が恣意的に剽窃されはじめたのは、最近では海部内閣時代に小沢一郎自民党幹事長(当時)が国連PKOとの関連で国際協調主義を言い出したのが最初ではなかったかと思う。憲法「前文」中に、「われらは・・・国際社会において名誉ある地位を占めたい」とあるところに目をつけ、自衛隊は積極的に海外に出て活動すべしとぶち上げた。以来、自民党では憲法の三大原理とは国民主権、基本的人権の尊重、国際協調主義だと主張されるようになった。
 憲法の三大原理のひとつである「戦争の放棄」がいつのまにか「国際協調主義」にすり代えられてしまった。
 憲法「前文」と「本文」との関係、いやそもそも憲法「前文」とはどのような性格を有するものであろうか。憲法の教科書を見てみてもこの点について触れたものは少ない。試みに有斐閣から出版されている『憲法T』(野中俊彦法政大学教授外3名)を開いてみると、
「前文は、憲法のみならず、通常の法律でも本文の前に置かれることがある(たとえば、教育基本法、国立国会図書館法など)。また、憲法典に限って見ても、近代的な意味での最初の成文憲法たるアメリカ諸州の憲法、1787年の合衆国憲法、1814年のフランスの憲章、1919年のワイマール憲法から、第二次世界大戦後のフランス第四・第五共和制憲法、ドイツの基本法等に至るまで、長短さまざまな前文が憲法の本文に先立って置かれている(もっとも、1831年のベルギー憲法や明治憲法のように、前文を欠くものもないわけではない)。憲法前文は、制定時における各々の複雑な事情を反映してその内容もまた実に多様であるが、@憲法制定の歴史的経緯を明らかにしたもの、A憲法制定の趣旨・目的を示したもの、B憲法の理念・基本原則を宣言したものに大別することができる。日本国憲法の前文は、近代立憲主義の原則に依りながら現代国際社会における日本の在り方を明らかにしている点で、Bの典型例である」とある。
 つまり日本国憲法における「前文」は、憲法の理念・基本原則を宣言したものである。
新憲法施行後の1947年8月2日、文部省が中学校1年生用の社会科の教科書として発行した「あたらしい憲法のはなし」もこの前文について次のように説明している。
「この前文には、だれがこの憲法をつくったかということや、どんな考えでこの憲法の規則ができているかということなどが記されています。この前文というものは、二つの働きをするのです。その一つはみなさんが憲法をよんで、その意味を知ろうとするときに、手びきになることです。つまりこんどの憲法は、この前文に記されたような考えからできたものですから、前文にある考えと、ちがったふうに考えてはならないということです。もう一つのはたらきは、これからさき、この憲法をかえるときに、この前文に記された考え方と、ちがうようなかえかたをしてはならないということです。
それなら、この前文の考えというのはなんでしょう。いちばん大事な考えが三つあります。それは「民主主義」と「国際平和主義」と「主権在民主義」です。」
日本国憲法は「前文」と本文11章103カ条からなる成文憲法である。「前文」は4段落に分かれる。
第1段落は「日本国民は正当に選挙された国会の代表者を通じて------」と、この憲法が国民の意思によって定められた民定憲法であり、その目的は「諸国民との共和」「自由のもたらす恵沢」を確保し、「政府の行為によって再び戦争の惨禍が起こることのないようにする」ところにあるとする。
第2段落は「恒久平和を念願する」日本国民が「平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して」安全を保持しようとしたことを明らかにし、全世界の国民が「平和のうちに生存する権利を有することを確認する」とした。
これを受けて第3段落は、「いずれの国家も自国のことのみに専念して他国を無視してはならない」と国際協調主義の立場に立つとし、
第4段落は、「この崇高な理想と目的」の達成を誓うとしている。
この憲法の「前文」は全体として格調高く、人類の目指すべき理想を高く掲げ、とりわけ、第3段落中にある「全世界の国民がひとしく恐怖と欠乏から免かれ、平和のうちに生存する権利」という「平和的生存権」─ 第二次世界大戦下、1941年ルーズベルト米大統領とチャーチル英首相による洋上会談でなされた共同宣言、大西洋憲章中にある「欠乏と恐怖からの解放」に由来する─ のくだりは、当時、起草者が意図したかどうかは別として、今日平和の問題を考えるにあたり、不可避となっている南北問題をも見据えたものとして高く評価されるべきものである。
 国連は、冷戦後の90年代に入って、子ども、環境、人権、人口、社会開発、女性、人間居住、人種差別、教育などグローバルな課題について毎年のようにサミット級の世界会議を開催して、加盟国政府すべてが合意した行動計画を採択してきた。その内容は、すべて、この地球上に住む人びとのすべてが、「ベーシック・ヒューマン・ニーズ(人間として生きるすべての必要条件)」を享受することができることを、世界の国家首脳が公約し、それを達成するための行動計画に合意したのであった。そして、2000年の国連総会ではミレニアム・サミットを開き、2015年までに絶対的貧困者の数を半減するという「ミレニアム開発ゴール」を決議した。世界の首脳が一堂に会して、世界中の人びとを等しく「欠乏と恐怖から解放」することを誓ったのである。
 これは、半世紀前に日本の憲法で謳われた「平和的生存権」を保障するということである。国際社会は、半世紀余りたった今日、やっと日本の憲法に謳われていたことを実践しようという段階に達したのであった。
 私たちは、日本の憲法の平和主義は世界の潮流になりつつある、という確信をもって行動すべきである。
小泉首相が第9条「戦争の放棄」を基本原理 ─ 歴代政府は自衛隊の任務は専守防衛にあって海外派兵は許されないとしてきた ─ とする憲法「前文」の一部を恣意的に引用して自衛隊をイラクに派兵したのは、憲法のアクロバット的解釈(朝日新聞、東京新聞など)であって許されるものではない。
 ところで、憲法の判例を調べてみると「前文」のこのような剽窃は、今に始まったことではないことが分かる。1959年12月16日になされた砂川事件大法廷判決がそうである。砂川事件裁判で最大の争点となったのは、在日米軍が憲法第9条2項においてその保持を禁じている「戦力」に該当するかどうかということであった。一審の東京地裁伊達判決は、在日米軍は憲法第9条2項が禁ずる「戦力」にあたるとして在日米軍の存在根拠である日米安保条約は憲法違反、したがってこれに基づく刑事特別法も憲法違反として、起訴された7名の学生に無罪判決を言渡した。
 ところが検察側からの跳躍上告を受けた最高裁大法廷は、この無罪判決を破棄し、被告人らに対し逆転有罪の判決を言渡した。判決は憲法前文中に「日本国民は・・・平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼してわれらの安全と生存を保持しようと決意した。」とある点に注目し、日本は憲法第9条2項によって「戦力」を持つことができないが、しかしとして、以下のように述べる。
 「われら日本国民は、憲法9条2項により、同条項にいわゆる戦力は保持しないけれども、これによって生ずるわが国の防衛力の不足は、これを憲法前文にいわゆる平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼することによって補い、もってわれらの安全と生存を保持しようと決意したのである。そしてそれは、必ずしも原判決のいうように、国際連合の機関である安全保障理事会等の執る軍事的安全措置等に限定されたものではなく、わが国の平和と安全を維持するための安全保障であれば、その目的を達するにふさわしい方式又は手段である限り、国際情勢の実情に即応して適当と認められるものを選ぶことができることはもとよりであって、憲法9条は、わが国がその平和と安全を維持するために他国に安全保障を求めることを、何ら禁ずるものではないのである。
 そこで、右のような憲法9条の趣旨に則して同条2項の法意を考えて見るに、同条項において戦力の不保持をも規定したのは、わが国がいわゆる戦力を保持し、自らその主体となってこれに指揮権、管理権を行使することにより、同条1項において永久に放棄することを定めたいわゆる侵略戦争を引き起こすがごときことのないようにするためであると解するを相当とする。従って同条2項がいわゆる自衛のための戦力の保持を禁じたものであるか否かは別として、同条項がその保持を禁止した戦力とは、わが国がその主体となってこれに指揮権、管理権を行使し得る戦力をいうものであり、結局わが国自体の戦力を指し、外国の軍隊は、たとえそれがわが国に駐留するとしても、ここにいう戦力には該当しないと解すべきである。」と。
 在日米軍は日本政府の指揮管理下にないから、憲法第9条がその保持を禁ずる「戦力」に該らないというのである。
 何故指揮管理下になければ、憲法の禁ずる「戦力」に該当しないというのか全く理解できない。また「平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して」というのも伊達判決が指摘するように国際連合を指すと解するのが無理のない解釈だとおもう。しかし、本稿ではそのことを問題にしているわけではないので、この点についてはこれ以上述べない。大法廷判決はさらに、「(日米)安全保障条約は、前述のごとく、主権国としてのわが国の存立の基礎に極めて重大な関係をもつ高度の政治性を有するものというべきであって、その内容が違憲なりや否やの法的判断は、その条約を締結した内閣およびこれを承認した国会の高度の政治的ないし自由裁量的判断と表裏をなす点がすくなくない。それ故、右違憲なりや否やの法的判断は、純司法的機能をその使命とする司法裁判所の審査には、原則としてなじまない性質のものであり、従って、一見極めて明白に違憲無効であると認められない限りは、裁判所の司法審査権の範囲外のものであって、それは第一次的には、右条約の締結権を有する内閣およびこれに対して承認権を有する国会の判断に従うべく、終局的には、主権を有する国民の政治的批判に委ねられるべきものであると解することを相当とする。」と、悪名高い「統治行為論」を述べ憲法判断を回避した。
 前述したように、それから半世紀を経た今日もなお日本の裁判所は、この「統治行為論」の呪縛から抜け出ることができていない。自衛隊の装備の拡充、米軍との一体行動は当時と比べて格段に強められていることを忘れてはいけない。
 ところで、このように最高裁大法廷判決は憲法の「前文」を引用して日米安保条約に基づく在日米軍を容認したわけであるが、しかし、それは日本の防衛に関しての判断であることを押さえておく必要がある。というのは、同判決は戦争を放棄し、戦力の不保持を定めた日本国憲法下においても「わが国が主権国として持つ固有の自衛権は何ら否定されたものではなく、わが憲法の平和主義は決して無防備、無抵抗を定めたものではないのである」と述べ、日本が個別的自衛権を有する(但し、前述したように大法廷判決はその場合でもいわゆる「自衛戦力」を持つことができるかどうかはまた論議がありうるとしている。)ことを前提として、逆に言えば個別的自衛権に関する論議として判断しているからである。
 ところが時代は変わり、今日、小泉首相は日本の防衛に直接関係のないイラクでの「米軍支援」として自衛隊を派兵したのであるから、ことは集団的自衛権に関する問題となってくる。なお、この点について最高裁大法廷判決において田中耕太郎(長官)が以下のような補足意見を述べていることに注意を払う必要がある。
 「一国の自衛は国際社会における道義的義務でもある。今や諸国民の間の相互連帯の関係は、一国民の危急存亡が必然的に他の諸国民のそれに直接に影響を及ぼす程度に拡大深化されている。従って一国の自衛も個別的に即ちその国のみの立場から考察すべきでない。一国が侵略に対して自国を守ることは、同時に他国を守ることになり、他国の防衛に協力することは自国を守る所以でもある。換言すれば、今日はもはや厳格な意味での自衛の観念は存在せず、自衛はすなわち『他衛』、他衛はすなわち自衛という関係があるのみである。従って自国の防衛にしろ、他国の防衛への協力にしろ、各国はこれについて義務を負担しているものと認められるのである。」
 要するに、今日においては個別的自衛権、集団的自衛権の区別はもはや意味がないと言うのである。
 小泉首相が憲法の前文を引用して、自衛隊をイラクに派兵するに際して、同首相に約半世紀前のこの田中判事の補足意見を吹き込んだ輩がいると思われる。行使できないとする集団的自衛権の禁を解くために、今後このような論がますます声高に語られるであろう。
 最後に本稿の主題とはずれるが、大法廷判決中の田中判事の以下のような論も紹介しておきたい。
 「元来本件の法律問題はきわめて単純かつ明瞭である。事案は刑事特別法によって立入を禁止されている施設内に、被告人等が正当の理由なく立ち入ったということだけである。原審裁判所は本件事実に対して単に同法2条を適用するだけで十分であった。しかるに原判決は、同法2条を日米安全保障条約によるアメリカ合衆国軍隊の駐留の合憲性の問題と関連せしめ、駐留を憲法9条2項に違反するものとし、刑事特別法2条を違憲と判断した。かくして原判決は本件の解決に不必要な問題にまで遡り、論議を無用に紛糾せしめるにいたった。 
 私は、かりに駐留が違憲であったにしても、刑事特別法2条自体がそれにかかわりなく存在の意義を有し、有効であると考える。つまり駐留が合憲か違憲かについて争いがあるにしても、そしてかりにそれが違憲であるとしても、とにかく駐留という事実が現に存在する以上は、その事実を尊重し、これに対し適当な保護の途を講ずることは立法政策上十分是認できるところである。
 およそある事実が存在する場合に、その事実が違法なものであっても、一応その事実を承認する前提に立って法関係を局部的に処理する法技術的な原則が存在することは、法学上十分肯定し得るところである。違法な事実を将来に向かって排除することは別問題として、既定事実を尊重し法的安定性を保つのが法の建前である。それによって、ある事実の違法性の影響が無限に波及することから生ずる不当な結果や法秩序の混乱を回避することができるのである。かような場合は多々存在するが、その最も簡単な事例として、たとえ不法に入国した外国人であっても、国内に在留する限り、その者の生命、自由、財産等は保障されなければならないことを挙げることができる。いわんや本件駐留が違憲不法なものでないにおいておや。」
 「違法(違憲)な事実を将来に向かって排除する」ためにこそ、憲法判断を回避してはならないはずではないか。

5 今後の主張計画
 原告は、今後以下のように準備書面にて主張を展開する予定である。
1)準備書面(3) イラクで何が起き、自衛隊は何をしているか
―イラク戦争の実態と国際法上の違法性―
 2)準備書面(4) 自衛隊派兵の違憲性・違法性
    ―立憲主義を破壊する内閣の暴走―
 3)準備書面(5) 原告の被侵害法益
    ―平和的生存権・人格権・生存権―
 4)準備書面(6) 日本はイラクのために何をなすべきか
    ―真の人道復興支援活動とは―
5)準備書面(7) 法の支配の回復と裁判所の責務
    ―違憲立法審査権の発動の必要性―