DebtNet通信 (vol.6 #11)  
「スイス政府、ハイチの独裁者の預金凍結を解除」
2007年6月2日


 6月3日、スイス政府は、ハイチの独裁者ジャン・クロード・デュバリエ元大統領の預金凍結を解除することを決定した。その額は、760万スイスフラン(620万ドル)にのぼり、デュバリエ家族に返還される。
 スイス政府が法的な捜査を行なうことを理由に、デュバリエの預金を凍結したのは、2002年であった。
 今度の解除の決定はその凍結の期限が切れる4日前のことであった。理由は「ハイチ政府が、預金が不正な性質のものであることを証明するのに十分な証拠を提出できなかった」というものであった。
 スイス政府の今回の凍結解除の決定は、スキャンダルである。
 デュバリエ独裁政権は、親子2代にわたって1957〜1986年の29年間続いた。1986年2月、ハイチ人民の蜂起によって、息子のジャン・クロードが国外に逃亡して、独裁政権が崩壊した。29年のデュバリエ独裁政権は、数え切れないほどの虐殺、人権侵害、国家資金と経済援助金を盗んだ。
 このことについては、ハイチの歴史家Michel Soukarが本を出版した。それによると、デュバリエの腐敗は制度化されていて、ニューヨークのマフィアと関係していた。また国連の麻薬犯罪機関は、デュバリエ・ファミリーは少なくとも20億ドルの国家資金を盗んだといっている。ジャン・クロードが国外に逃亡したとき、スイスの銀行の秘密の預金口座に預金したことは間違いない。
 以来、ハイチ政府は、この盗まれた資金の回収に努力してきたが、1991年9月にクーデターで政府を転覆した将軍たちは、この資金回収作業を停止させた。
アリスティード政権時代に、このうちの僅かな部分と、独裁者の妻が所有していたニューヨークのアパートがハイチに返還された。
 一方、現在、ハイチ政府は不法な債務を返済させられている。ハイチの対外債務の45%はデュバリエ時代に累積されたものである。

 デュバリエの盗んだ資金については、デュバリエに人権侵害を受けたという1人のタクシー運転手と1人の神父が弁護士Ira J.Kurzbanを代理人にたてて、1988年、マイアミの地裁に提訴した。マイアミ地裁は、Alien Tort Claims Actにもとづいて、ハイチの人びとに5億400万ドルの賠償支払いを命ずる判決を下した。
 そこで、上記の2人のハイチ人原告は、弁護士Marc Henzelinを代理人として、それぞれ75万ドル、100万ドルの賠償請求をスイス法廷に提訴したのであった。
 今回のスイス政府の凍結解除措置は、これらの裁判に悪影響を及ぼす。
Henzelin弁護士によると、現在、デュバリエのスイス銀行の隠し預金のなかで、明らかになっているのは、UBSのジュネーブ支店にあるBrouilly Founation 名の口座だけである。これはリヒテンシュタインに登記されている。この財団はパナマの会社を所有しており、その会社はデュバリエ・ファミリーが所有している。