DebtNet通信 (vol.5 #13)  
「IMFの改革案」
2006年3月28日

 ここ1〜2年の間、途上国政府がIMFに対して背を向け始めている。それは、IMFの政策アドバイスに対する不信から始まって、IMFの理事の椅子が与えられていないことや発言権がないことにフラストレーションを感じているからである。
 たとえば、2005年12月、ブラジルとアルゼンチンが、突然、IMFへの債務を前倒しをして100%返済するという宣言した。アルゼンチン政府によると、この決定はIMFの条件と介入から自由になるためであったという。南アフリカ政府は、IMFについて他の大陸で起こっていることを見て、IMFから借り入れることさえ拒否した。
 昨年IMFがHIPCsの債務を帳消しにすると声明したことにより、途上国の多くがIMFからの自由、すなわち、債務返済の奴隷という苦役から解放される、という選択もあるのだと感じた。
 不幸なことに、なにも変わらなかった。
 第1に、IMFの債務帳消しの対象は一握りの国に限られた。たとえば、アフリカでは、恩恵に与かったのは14カ国であった。まだ18カ国が債務帳消しを待っている状態である。
 第2に、アフリカが必要としている2国間政府ODAと債務帳消しが、IMFのプログラムの存在を条件としている以上、さらにナイジェリアのようにIMFの債務を返済した後も、「Policy Support Instrument(PSI)」という形で規制が残っているといったように、途上国はそれがいかに開発を阻害するものであるにしても、依然としてIMFの支配から逃れることが出来ない。
 南北を問わず、これまで市民社会は、2国間ODAの供与に際して、IMFのプログラムから切り離すことをキャンペーンしてきた。しかし、結果があまりにもスローであった。
 ODA供与国は、IMFのような能力とスケールを持った機関がほかにないので、どうしてもIMFのマクロ経済の分析に依存しなければならないという。
 数年前、EUはIMFの条件に従っていない政府に対して、援助金の供与をストップすることをしない、そして、適当としたならば、貸付けを続ける権利を持つことなどを決定した。英国政府もまた、昨年、理論的にはIMFから切り離した貸し付けをするという独自の政策を決定した。
 しかし、実際には、これらの政策は紙の上だけで、実施されていない。
 途上国にとって、当分の間、IMFとの決別が選択肢でないならば、いかにしてIMFが
途上国のニーズに答える、あるいは少なくとも害とならないようにできるだろうか。
 IMFが途上国に対してより建設的になるには、以下の3つのエリアで改革が必要となる。
 第1に、IMFは融資の条件をラディカルに変える必要がある。
IMFは途上国政府が経済政策を策定するときに、より多くの自由を与えるべきである。2005年のG8宣言には「途上国は自身の経済政策を決定する権利がある」と謳っている。しかし、現在のIMFの条件は、途上国の経済政策の策定を厳しく束縛している。とくにIMFは、MDGの達成に見合う財政支出を図るために、途上国の財政政策により多くの裁量権を与えるべきである。  
 IMFは、また、貿易の自由化、民営化を融資の条件からはずすべきである。これらはIMFの権限を逸脱しており、きわめて政治的なものであり、貧困に与える影響はネガティブである。
 第2に、IMFは融資プログラムの策定に当たって、見直し、あるいはラディカルに改革すべきである。とくに、マクロ経済の安定化と成長にOne-Size-Fits-Allなアプローチを止めるべきである。その代わり、途上国に、さまざまな政策シナリオを提起し、選択権をあたえるべきである。この交渉は透明で、参加型で、民主的な視点に基づくべきである。
 第3に、IMFは機構的な改革を推進すべきである。
 IMFでは、途上国は全加盟国の40%を占めているにもかかわらず、代表がいない。そればかりか、途上国のニーズにこたえるための機構やスタッフが配置されていない。
 IMFが途上国に押し付けている条件のどこが悪いのだろうか?
 南北を問わず、国際政治の政策策定者、市民社会、学者たちは、IMFがマクロ経済を安定化させるために、インフレ率を非常に低く設定していることと、財政赤字を厳しく抑制していることが、成長能力を弱め、MDGの達成を不可能にし、さらに、途上国政府が援助を拒まねばならなくさせるようなケースさえ起こることに憂慮している。
 市民社会は、マクロ経済の安定が問題なのではない、と言っている。しかし、学者や政策策定者の間では、成長を確保するには、インフレ、財政赤字、外貨保有のレベルがどうかということについての論争がある。 
 インフレを例にとると、IMFは、執拗に5%以下であるべきだといっている。これより高いと成長を阻害するという。しかし、UNDPの最近の調査では、インフレ率が5〜10%(これ以上でなければ)であれば、成長を確保できる。そして5%以下であれば、しばしば悪影響を及ぼすという。
 財政赤字については、IMFは大きく間違っている。IMFは、赤字率3%以下という厳しい財政緊縮政策を押し付けている。これは米国のような先進国政府でさえ実現不可能である。財政赤字のどこが悪いのか?途上国にこのような財政緊縮政策を押し付けることは、MDGの達成と矛盾する。
 IMFの最も悪い例は、最近、モザンビークで見られた。I MFが財政支出を制限したため、モザンビークは2国間のODAを実質的にあきらめざるをえなくなった。昨年11月、モザンビークは「PARPA2006〜9」という経済開発計画を発表した。これには、ODAが2006年の8億8,800万ドルだったものから、2008年には10億440万ドルに増えるが、その後は、増加しないという予測がされていた。
ODA供与国はこれを見て驚き、モザンビーク政府に対して、2008年以後もODAの額を増やす用意があると通告した。しかし、モザンビークの開発計画省は、IMFの財政支出制限を理由にこの申し出を断った。実際、IMFはモザンビークの財政赤字を2005年には45億NMeticais(2億2,500万ドル)、2006年には38億NMeticas(1億9,000万ドル)に抑えている。政府の予算に支出する補助額は2005年には2億7,400万ドルであったのが、2006年には3億800万ドルになっている。
 IMFの財政赤字抑制政策の悪い例は、アフリカのヘルスケアにある。2002年にWHOが行った調査では、アフリカのヘルスケアは後退している。しかし、「Joint Learning Initiative on Human Resources for Health and Development」の調査によると、HIV/AIDS と効率的に闘うためには、サハラ以南のアフリカではラディカルにヘルスケアの支出を増やし、人員を3倍にする必要があるという。このような人件費の増額はアフリカ政府にとっては、IMFが押し付けた支出の上限があり、ほとんど不可能である。ザンビアはその良い例である。2003年6月、ザンビアはIMFのPRGF融資を受けることができなくなった。なぜなら、財政赤字を3%以内に収めるというIMFの厳しい赤字制限を破ってしまったからである。これはザンビア政府が公務員の賃上げを議会で決議したため、政府がIMFとの協定に違反せざるを得なくなった。IMFは1億7,500万ドルの融資を止め、他のドナーもこれに続いた。EUは3,800万ドルの援助を停止した。
 ザンビア政府は、賃金協定を破棄せざるを得ず、これで民主化プロセスを犠牲にせざるを得なくなった。2003年11月、IMFと、財政を均衡すると約束して、新たに交渉に入った。さらに市民社会が、「Global Education Campaign」に沿って、学校にはより多くの教師を雇う必要があるというキャンペーンを行った結果、IMFはやっと赤字目標を修正したのであった。しかし、これは例外的措置であるといっている。
 最近のOXFAMの文書では、財政赤字を3%以下の制限と医療と教育費との関連が明らかになっている。20カ国を調査したところでは、IMFの財政赤字目標がなければ、どれだけ医療と教育費を支出できるかを計算している。結果は2倍、あるところでは3倍も必要となっている。
 IMFはこの赤字制限について問われると、いつも、「国家はそれ自身の財で運営されねばならない」と答える。しかし、これはすでに実証された経済政策を無視している。拡大財政支出と通貨政策こそが生産部門での成長を促してきた。歴史的に、ヨーロッパ、日本、米国の高度経済成長期に、巨額の公共支出と、それ以上に大きい財政赤字を伴っていた。現在でも、IMFは途上国政府が生産部門の投資のために国内的に借り入れることも拒否している。
 少なくとも、IMFは途上国が開発のための支出を阻止することを止めるべきだ。
 IMFがその条件を構造的あるいは制度的なものに変えようとしていることはもう1つの憂慮すべきことである。
 とくに、民営化、貿易の自由化を押し付けている。これらは貧困を悪化させ、マクロ経済の安定化にまったく貢献しない。
 昨年英国政府は、民営化と貿易自由化政策が貧困を悪化させるという認識の下に、一連の貧困への影響の分析がなされた後、これらを条件からはずすことを決めた。
 IMFはこれに対して、構造的条件はすでに劇的に削減されており、EURODADの分析でも50%削減されている、と主張する。また国によって進歩の度合いは異なると反論している。しかし、多くの国がいまだに同じ条件の下に置かれている。
カメルーンでは水の民営化がIMFのPRGFの融資条件になっている。カメルーン労働組合とNGOはこれに対する闘いを準備している。ガーナでも数年前世銀の水の民営化で闘争が起こった。
 第2のIMF改革のエリアは、IMFの低所得国との融資交渉の方法にある。
第1に、IMFはOne-Size-fits-allの態度を改め、シナリオ・ビルディング方法をとるべきである。これはそれぞれの事情を考慮して、異なった政策を採るべきである。現在は明らかにそうなっていない。
 IMFの低所得国に対するプログラムについて、AFRODADが7カ国で行った調査では、1カ国を除いて、すべての国でインフレ、財政赤字、公共支出ターゲットなどについてIMFが同じメニューを押し付けていることがわかった。
 また最近のIMF自身行った評価でも、IMFの「スタッフが、プログラム策定において、必要な政策と実施計画の選択肢を途上国政府にアドバイスしたという根拠はまったくない」と結論している。反対に、このレビューでは、「プログラムの策定のプロセスで、プロ・アクティブな開発政策の選択肢よりも、むしろ途上国政府の本来の意向をスタッフのシナリオにどのように合わせるかに集中しているという傾向がある。スタッフはよりプロ・アクティブであるべきだ」と書いている。
 第2に、IMFはさまざまなマクロ経済政策の選択肢について、「貧困社会インパクト分析(PSIA)」をより系統的に実施すべきである。IMFは1999年にPSIAを一層実施すると公約した。これまでこれはまったく実施されてこなかった。これを行うユニットにはたった4人しかいない。これはあきらかにやる意思がないことを示している。
 第3に、IMFは融資交渉に当たって、市民社会や財務省だけではない他の省と、よりオープンに、より参加型な方法をとるべきである。重要なことは、IMFは協定に署名する前に、議会の承認をえるようにすべきである。そうでなければ、市民は街頭に出て意思を表明しなければならなくなる。
英国のNGOであるWorld Development Movementの調査によると、1999年から2002年末までの間、IMFと世銀が押し付けた経済政策の条件に反対する市民による騒動は、238回、34カ国、参加者総数は数百万人にのぼった。
 第3のエアリアとして、IMFのガバナンスの問題がある。多くの評論家は低所得国がIMFの表決機関に代表されていないことを挙げる。疑いなく、これは事実である。しかしあまり注目されない側面がある。それは低所得国に運営費が回されていないという点である。たとえば、低所得国はIMF融資の75%を占めているが、これらの融資プログラムの運営費は11.5%にすぎない。
 また、IMFの決定権を分散化し、現場のオペレーターにより多くの権限を与えるべきだ。最後に、IMFのスタッフにはより多くの社会科学、政治科学を専攻したスタッフを採用すべきである。そのことによって、プログラムの策定において文化革命がおきるであろう。
 以上の提案は、IMFがより開発よりになることを目指したものである。現在、途上国は、投票権もなく、また縁を切ることが出来ないという状況の下で、IMFがその行動を改め、少なくとも途上国に害をなさないようにすべきである。

(『Pambazuka News』Hetty Kovach論文より)