DebtNet通信 (vol.4 #25)  
ナイジェリアの債務帳消しをめぐる議論
2005年11月19日

05年10月20日午前5時、パリ市内の会議場で、パリ・クラブの債権国15カ国と8国際機関は、18日から始まって48時間に及ぶノン・ストップの議論の末、ナイジェリアの債務帳消し協定に署名した。これはさる6月29日にパリ・クラブが合意したナイジェリアの債務帳消しの枠組みに沿って作成した協定であった。

協定の内容は、以下の通り。

1) ナイジェリアの対外債務総額は04年12月末の段階で、359億ドルであった。このうちパリ・クラブ加盟国の分は85.8%、すなわち約310億ドルであった。
 これは、実はオリジナルな債務は軍事政権が64年から90年にいたるまでに借りた167億ドルであった。85年以来、ナイジェリアは116億ドルをパリ・クラブに返済している。にもかかわらず、現在のナイジェリアの債務はオリジナルに借りた分より140億ドルも増えたのであった。
 その理由は、ナイジェリアが、この間新規に借りたわけではない。それは債務を毎年、全額返済することが出来なかったために溜まった延滞金とペナルティ分が加算されたためである。ナイジェリアは毎年、返済すべき額の半分しか返せなかった。
 またナイジェリアの2国間債務の中で、政府開発援助(ODA)から生じた債務は6億8,000億ドルにすぎない。残りの98%は、高い利子がついた北の民間銀行からの借り入れた分301億ドルである。これが政府間債務に摩り替わったのであった。

2)ナイジェリアのNgozi Okonjo Iweala財務相と債務管理局長のMansur Muhtar博士は、この協定について、以下のように記者会見の席上で、「2006年4月までにナイジェリアの債務310億ドルの帳消しが実施される。これはパリ・クラブ50年の歴史の中で、帳消し額としては第2位である。これまでの最大はイラクの債務帳消しであった。しかし、イラク債務帳消しは、3年間かかるのだが、ナイジェリアの場合は6カ月で完了する」と述べた。

3)ナイジェリアは、1996年、IMF・世銀が「重債務貧困国HIPCs)の認定を行った時点で入っていたのだが、翌97年には何の説明もなく、HIPCsのリストから除外された。
 1999年、独立以来はじめて民主的な選挙によってオバサンジョが大統領に選ばれて以来、同大統領によるキャンペーンが続けられてきた。また、ナイジェリア議会に対する国際、国内NGOの粘り強いロビイ活動の結果、今年3月、議会が「債務不払い(Repudiation)決議」を行った。そして、パリ・クラブ会議の直前には、議会の代表団がヨーロッパ、日本、米国など主要な債権国を訪問し、政府や議会に対して帳消しの働きかけを行った。

4)一方、ナイジェリア財務省と経済金融犯罪委員会(EFCC)が反腐敗キャンペーンを開始した。これは、ナイジェリアの石油収入の利権に預かっていた政府官僚、政治家、軍人などの激しい攻撃の標的になった。また、ナイジェリア政府は議会の後押しを受けて、独自の経済改革に着手した。その中で、燃料に対する補助金の撤廃に反対する労組の抵抗を受けた。
 経済改革は効果を現わしはじめた。まずインフレが抑止された。国営企業が民営化された。ナイジェリアは英国の国際開発援助庁DFIDの支援を受けて、石油産業に対する5ヵ年の監査計画を実施した。EFCCは石油盗掘を半減させた。そして、警察の高官、政治家、海軍の将軍などを逮捕した。IT犯罪の取り締まりにも着手し、そのためマイクロソフト社と契約した。
 民生予算を増やした。これは、軍事政権下の97年、GDPの19%であったのが、02年には40%になった。04年予算では、その3分の2が直接にMDGs関連の項目に充当された。
 連邦予算では、保健衛生、教育部門に20%が充当されている。これは軍事政権時代と比較すると、12%増を記録している。
 このようなナイジェリアの経済政策と貧困根絶政策は、英国のDFIDや財務省の支持を受けた。DFIDはナイジェリアに対する援助を倍増した。とくに、英国のブラウン財務相は、オバサンジョ大統領の改革に共感し、パリ・クラブのメンバーたちにナイジェリアの債務帳消しを説得したほどであった。
 ちなみに、ナイジェリアは1人当たり2ドルのODAを受けている。一方サハラ以南のアフリカの平均は28ドルである。

5)ところが、ナイジェリアの債務帳消しの最大の障壁は、ナイジェリアにはIMFの債務がないことであった。これからも、ナイジェリア議会がIMFの融資を承認することはない。したがってナイジェリアにはIMFの構造調整プログラムが導入されていない。そこで、ナイジェリア債務管理局長は、IMFに政策支援文書(PSI)を採択するように働きかけた。
 一般にPSIとは、IMFの融資をモニターする道具である。しかし、ナイジェリアはIMFの融資を受けていないので、結局、IMFが06年4月まで、ナイジェリアの国内政策をモニターすることになる。これはIMFが介入する危険がある。パリ・クラブ加盟国の中には、IMFの融資を伴わないPSIでは不十分だと抵抗するものもいたが、最終的にはPSIは承認された。

6)帳消しの第1段階はパリ・クラブの債務の中で、まず、63億ドルが帳消しになる。これは86年12月16日までに債務の33%が帳消しになる。この協定は、05年10月17日のIMF理事会がナイジェリアに対するPSIを審査、承認した後に実施される。
 第2段階として、06年3月末までに、残りの34%が帳消しになる。これは、1998年ナポリ条項にある67%の帳消しが実施されることになる。

7)一方、ナイジェリアはパリ・クラブ諸国に対して、63億ドルの滞納金と、61億ドルの債務返済に同意した。結局、ナイジェリアは合計124億ドルを石油収入から支払うことになる。ナイジェリアは石油収入を基金にして、貧困根絶に充当するメカニズムを創設していた。しかし、今年の石油収入は債務支払いに流用される。
 ナイジェリアの債務帳消しに反対する日本、ドイツ、フランスが、ナイジェリアが石油収入を債務支払いに充てることを申し出でたために、やっと会合に出席するのを承認したといういきさつがある。つまり、ナイジェリアは124億ドルを今年中に支払う代わりに、パリ・クラブは310億ドルを帳消しにしたのであった。
というより、ナイジェリアは今後、310億ドルの債務の返済から免れ、貧しい人びとに渡るべきであった124億ドルが、キャッシュに飢えているパリ・クラブのメンバーの懐に入ることになった。

8)ナイジェリアの債務の中で86年末以降に発生した分は帳消しの対象外になった。そのうちパリ・クラブの分は2〜3億ドルにのぼる、と予測される。ナイジェリアはこれを忠実に返済することを確約した。
 今回、ナイジェリアは約180億ドルの債務帳消しを受けたことになる。

 この内容の是非をめぐって、国際的に激しい議論が巻き起こった。
 協定を肯定する側は、勿論、英国のブラウン財務相、DFID、それにナイジェリアのオバサンジョ大統領、議会、それに、Advocacy International Ltd.(AI)のアン・ペティフォー代表であった。とくに、AIは、債務国とパリ・クラブとの力関係からして最良の選択であった、と主張している。
 一方、ナイジェリアのジュビリー2000の代表であり、環境経済正義のアフリカ人ネットワーク(ANEEJ)のDavid Ugolor代表、Christian AidのSony Kapoor、EURODAD、ジュビリー・サウスなどは、IMFのPSIが導入されたこと、124億ドルの石油収入が債務返済に流用されたことに反対している。