DebtNet通信 (vol.4 #21)  
ブルンディがHIPCイニシアティブにより決定点に達した
2005年8月27日

 2005年8月4日、IMFと世銀は「ブルンディがHIPCイニシアティブのもとでの「決定点(Decision Point)」に達したと声明した。これにより、ブルンディは暫定的な債務の削減を受けることになる。
 ブルンディ政府の推計では、これにより、年間債務返済額が4,000〜5,000万ドルぐらい減ることになる。Athanase Gahungu 蔵相は、「これで学校や病院を建設することが出来る」と語った。
 ブルンディが、決定点からさらに完了点に達した時には、約8億2,600万ドルの債務救済を受けることになるだろう。しかし、これは、36年間という長い期間で、実施される。
しかも完了点に達するには、IMFの「貧困削減成長基金(PRGF)をはじめ、世銀などが課した財政支出の削減、債務の返済、インフラの整備、ガバナンス、さらに、90年代の内戦の遺物であるフツの反乱軍の解体といった条件を実施しなければならない。
 さらに重大な点は、IMF・世銀が完了点の時期として設定した2006年9月までに間に合わないだろうという点である。その理由の1つには、ブルンディ政府が完了点に達する前提条件である「貧困削減戦略ペーパー(PRSP)」を作成できていない。すでにその締め切りは2006年10月に延長されている。
 IMFはブルンディのマクロ経済政策、構造改革を高く評価している。しかし、忘れてはならないことは、ブルンディは2015年までに国連の「ミレニアム開発ゴール(MDGs)」を達成することが出来ないという事実である。
 ブルンディ政府自身、2004年の貧困削減戦略において、「過去10年間の内戦、強制移住、経済不振などのハンディキャップから、MDGsの達成は、ジェンダー参加と公共サービスへのアクセスの2項目を除き、到底望めない」と述べている。

「ケニアの債務帳消しは必要である」

 IMF・世銀の拡大HIPCイニシアティブのもとでは、アンゴラ、イエーメン、ベトナムとともに、ケニアの債務は持続可能だとして、債務救済の対象国のリストからはずされている。債務の持続可能性とは「輸出に対する債務の比率が150%以下、あるいは収入に対する債務の比率が250%以下のいずれの場合である。ケニアの輸出に対する債務の比率は148%であるので、したがってケニアの債務は持続可能ということになる。しかし、IMF・世銀がケニアを債務救済の対象からはずしたのは、むしろ20年以上続いたケニアのモイ前政権の独裁と腐敗にあった、といえるだろう。しかし、2003年の総選挙によって、モイ政権は退場し、民主的な政権が誕生している。ケニアの民主化は平和的に実現したのだ。
 ケニアの債務問題は対外債務だけでなく、巨額な国内債務の存在があることを忘れてはならないだろう。2002年、ケニアの債務総額は79億7,000万ドルであり、これはGDPの70%に達した。その中で、国内債務は31億ドルであった.
 その結果、ケニアの年間債務返済額は予算の13%にのぼった。このような状態では、ケニアは2015年のMDGsを達成することは不可能である。蔓延するエイズ対策についても十分でない。
 これまでのところ、ケニアは、債務の返済繰り延べしか受けていない。しかしケニアは、国連のMDGsの達成には、債務救済は前提条件である。
 債務と並んで、ケニアの経済を悪化させている条件には、現地通貨高、低い実質金利、さらに輸入代替産業政策など、過度の国内産業保護政策が挙げられる。
 ケニアの通貨高は、輸入品の価格を引き下げる効果をもつので、貿易収支が悪化した。さらにこれが資金の流入を招いた。一方、これは、ケニア通貨のレートの引き下げの思惑を生み、逆に資本の海外逃避を生み出した。現地通貨レートの切り下げは、対外債務を膨張させたのであった。
 ケニアはこれらの経済政策を改革する必要がある。