DebtNet通信 (vol.3 #20)  
アンゴラとインドネシアの債務問題
2004年2月22日

1. アンゴラの対ロシア債務−「ロシアより債務をこめて」−

アンゴラ・ジュビリーから送られてきた『アフリカ・コンフィデンシャル』2004年1月号に載っていた記事で、アンゴラとロシアの汚い関係を暴露したものですが、アフリカの債務返済の実態を良く物語っています。(北沢註)
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アンゴラの債務交渉の最も暗黒な部分は、冷戦中のロシアの対する50億ドルの複雑なリスケ交渉であろう。アンゴラは、かなり無理をして返済をした後、当時の蔵相Julio Bessa(後にJese Pedro de Moratsに取って代わられる)はIMFに対して、「アンゴラはロシアに対する債務を返済した」と語ったという事実がある。

しかし、2003年11月、ロシア政府はパリ・クラブ事務局に「アンゴラはまだ6億ドルの債務がある」と語った。また同年10月、スイス当局は、返済を終えたはずのアンゴラのロシアに対する債務に関する契約証書を公開した。

そもそも、アンゴラとロシアは、1996年に、総額50億ドルだった債務を15億ドルに削減することに合意した。この15億ドルの債務は、5年間の猶予期間を経て、2001年1月より6ヶ月ごとに返済されることになった。猶予期間の利子はゼロであるが、元金15億ドルには年率6%の利子が付く。これは31枚の債務返済契約証書に分割された。

1997年7月、Abalone Investments Limited 社が介入してきた。同社は、長い間アンゴラの石油、武器、ダイアモンド取引に関与してきた Pierre-Joseph FalconeとArkady Galdamakが所有していた企業であった。Falconeはスイスで告訴され、Devaud判事によって有罪を宣告された。その罪状は、Falconeがジュネーブ、モスクワ、ルアンダ間にまたがる秘密組織に属して、腐敗、公共資金の横領といった不正な手段で蓄財をしているというのであった。しかしFalconeは、2003年7月、パリのUNESCOのアンゴラ大使となり、外交特権で自由の身となった。

一方、Abalone Investments社は、第3者預託金制度を通じて、アンゴラの前記契約証書でもってジュネーブのUBS銀行のドル口座に3億3,800万ドルを受け取った。これは、31枚中7枚の契約証書に相当する額で、1997年7月から1998年5月までの間に行われた。

1998〜1999年、石油価格が下落し、アンゴラの債務返済は、2000年3月まで停止した。その後、2000年には、9枚の契約証書にもとづいて債務が支払われた。この支払いは、BNPParibasとGlencore貿易会社が関与し、石油輸出代金でもって当てられた。Glencore社 はFalconeが反政府ゲリラUNITAと戦うための武器購入のための石油代金と引き換えの融資を斡旋した。

Abalone社の口座に入った資金はスイス、ルクセンブルグ、ロシア、イスラエルの口座に振り分けられた。これらの口座の所有者は、Falcone、Brenco貿易会社( Falcone所有の会社)、 Gaidamak、Vitali Malkin(金持ちのロシア企業家でありGaidamakの友人)そして、 Technopromexport社(アンゴラの Kapandaダム・プロジェクトにブラジルの Odebrechtとともに関与している企業)であった。さらに Abalone社のカネの受取人にはアンゴラ大統領の官房長官で、与党のMPLAから分裂した Jose Leitao da Costa e Silvaの名があった。

1億6,100万ドルのカネがモスクワの大蔵省財務局と称する口座に振り込まれた。この名前は恐らく偽名であり、受け取った銀行Unicon Bankは後に破産した。したがって、7億7,400万ドル、つまり31枚の契約証書のうち16枚分に相当する債務返済のカネがロシアの財務省に入らなかったことになる。このことについて、Gaidamakは、ロシアは債務の返済を受け取ったが、それは特定できないものであった、と述べた。一方、アンゴラ当局は、カネは「戦略目的」に使われた、と語った。

2001年、スイスの法廷で、Daniel Devaud 判事が同国内の受け取人の口座を凍結した。同時に15枚の未払いの契約証書の執行も凍結した。この中には、Abalone社からスイスの他の人の名義の口座に移されたカネも含まれる。また、アンゴラの高官の口座も含まれた。2004年1月、アンゴラ高官は、このカネをアンゴラに返還させるようスイス当局に働きかけた。同時に15枚の未払いの契約文書の執行も凍結した。

Abalone社の口座のカネの一部はルクセンブルグに送られ、さらにケイマン諸島に転送された。その口座の所有者はJose Eduardo dos Santos現大統領、Eliso de Figueiredo元パリ駐在大使、Joaquim David 元国営石油会社Sonangolの社長などであった。これらの口座は一時期、封鎖されたが、最近、なぜかその封鎖が解かれた。

2003年10月末、スイス政府は15枚の契約証書、名目価格では7億2,600万ドルの債務支払いの凍結を解いた。同じ頃、ロシアはパリ・クラブに対して、アンゴラに約7億ドルの債権を保有していたが、一方ではロシアはIMFに対して、アンゴラの債務はすべて返済されたとも語った。2003年12月、アンゴラを訪問したIMF使節団は、このことについて質問した。これから、IMFは、名目で7億2,600万ドルに上る15枚の債務返済契約証書のゆくえを調査するであろう。一方、BNP Paribas 銀行は、2004年1月、新たにアンゴラ政府に11億5,000ドルを融資した。この一部が、のこりの契約証書の支払いに当てられると思われる。


2. アンゴラの"黒い金"のゆくえ

アンゴラの内戦は2002年4月に終了した。その後のアンゴラは経済ブームに沸いている。しかし、それは石油産業に限られ、その受益者は一握りの特権階級に限られている。2004年中にアンゴラでは、3つの新規油田が生産を開始する。その生産高は、2008〜9年までに、日産200万バレルに達するだろう。これは現在のナイジェリアの産出高に匹敵する。しかし、アンゴラの人口はナイジェリアの10分の1にすぎない。

アンゴラのJose Eduardo dos Santos現政権は、この収入を生産性のあるところに投資していない。国家の資金は盗まれ、巨額の汚職がはびこっている。1997〜2002年のアンゴラの石油収入は178億ドルに上る。

しかし、この資金は、アンゴラの開発のために使われなかった。ニューヨークにあるNGO「人権ウォッチ(HRW)」は、アンゴラでは1997〜2002年の5年間に、42億2,000万ドルドルの石油資金が「消えた」と指摘した。この報告書に対して、大統領府は、激しい怒りの反論をした。IMFは、ガバナンスについての協定違反であるとアンゴラ政府を非難している。

アンゴラ政府は今年中に融資の国際会議を開く予定であり、HRWの報告書の発表は、まずいことになった。すでにジョージ・ソロスが出資しているOpen Society Instituteとアンゴラ政府との間の交渉はストップしている。これは、アンゴラ政府の透明性の確立のため市民社会を支援するプロジェクトに出資するというものだった。政府があまりにも情報を公開しないことにInsititute側が嫌気をさしたためであるといわれる。
アンゴラ政府内では蔵相のJose Pedro de Moraisが改革派だといわれる。しかし、彼は、石油代金の使途については国営石油会社Sonagolの社長であるManuel VicenteとDos Santos大統領の承認を取り付けなければならない。そして、大統領は与党のMPLA書記長Mateus Paulo Dino MatrossとMPLA副議長Antonio Pitra Costa Netoを入れた新しい改革チームを結成した。このチームは有能だが、独立していない。IMFと世銀はこのチームに対して、石油代金の行方を追及することと、大統領の権限を削ることを要求している。2003年2月から10月にかけて、アンゴラの外貨準備状況は改善され、9億どるになった。一方、Sengoleは独自に外国に外貨を蓄積しているといわれる。内戦終了後、外国の投資家がアンゴラに投資をしようとしたが、このような政府の実態を知るに付けしり込みしている。したがって、潜在力をもつ製造業、農産物加工業など有望な分野への資金はながれていない。インフレは年率100%にまで抑えられた。しかし、大統領とMPLAは2005−2006年にかけての選挙にために、大盤振る舞いをしているので、インフレは予断できない。将来の石油の収入を担保にして、政府が大量の国債を発行しようとしているからである。

アンゴラの債務削減交渉は前進している。アンゴラの貿易相手国であるポルトガルは22億ユーロ、ブラジルは9億9,700万ドル、ドイツは2億8,300万ドル、ポーランドは1億5,300万ドルを帳消しにした。これはアンゴラの債務が30〜40%帳消しになったことになる。これら債務の多くは貿易保険から生まれた。
残りの債務は2005〜2006年の猶予期間の後、石油代金と引き換えに返済していく。交渉の結果、この債務帳消しにIMFの条件がつかないことになった。ドイツはパリ・クラブの有力メンバーである。しかし、他のパリ・クラブのメンバーやIMFは、これらアンゴラの貿易相手国が、債務削減の条件を無視しているとして、カンカンに怒っている。


3. インドネシアの債務問題

2003年12月12、13日の2日間、インドネシア債権国会議(CGI)がジャカルタで会議を開かれた。CGIはインドネシアに34億ドルの新規融資とグラントを約束した。

そのうち、28億ドルは2004年のインドネシア政府予算の赤字の補填に当てられる。2003年12月末、インドネシアとIMFとの協定は終了する。その結果、インドネシアはパリ・クラブのリスケのファシリティをもはや受けることが出来なくなった。今回の新規融資は財政赤字の補填にとって、決定的に重要である。
 インドネシアの債務は、2003年9月末で、771億ドルにのぼり、これに国内債務の619兆7,000億ルピアが加わる。2004年度予算では、131兆2,00億ルピアを対外、国内債務の返済に充当されている。これは予算の3分の1以上にのぼっており、70兆9,000億ルピアの開発費の約2倍である。