DebtNet通信(vol.2 #8)  
「IMF・世銀春季会議に対する10万人のデモ」
2002年4月25日

4月20日、10万人がワシントンでデモ

こらまでの経緯
 2002年4月20〜22日、IMF・世銀の春季会議が開かれた。これは、昨年9月30日〜10月4日に予定されていたIMF・世銀年次合同総会が、9月11日事件でキャンセルになって以来の、総会であった。シアトル・デモ以後、2000年4月にワシントンで開かれたIMF・世銀の春季会議は、「IMFと世銀の解体」を叫ぶ、35,000人の抗議デモによって囲まれた。翌2001年4月20日には、カナダのケベックで第3回米州自由貿易地域(FTAA)サミットが開かれ、これに対して反グローバリゼーション派が大規模な抗議デモが行われたため、ワシントンのIMF・世銀の春季会議に対する抗議デモはパスされたといういきさつがあった。
 昨年の9月11日事件は、米国の反グローバリゼーション派にとっては大きな打撃であった。シアトル、ワシントン、ケベックと続き、2001年9月30日には、全米から10万人を集めて、「ネオーリベラルなグローバリゼーションを推進するIMF・世銀に対する大規模抗議デモを計画していた。しかし、テロ事件の発生と年次総会そのものがキャンセルされたこともあって、急遽、「ブッシュのアフガニスタン戦争」に対する抗議デモに切り替えたが、9月30日のワシントン・デモは1万人に留まった。
 昨年9月の反グローバリゼーション・デモを呼び掛けたのは「グローバルな正義にための動員(MGJ)」という連合体(Convergence)であった。これは、反グローバリゼーションという1点においてConvergence(凝縮)した、緩やかなネットワークである。
 今年4月20日のワシントン・デモの参加者数は、10万人に上った。警察発表でも75,000人(4月22日付け『ワシントン・ポスト』紙)であった。このほかサンフランシスコでも35,000人のデモがあった。9月11日事件以後誕生した、「直ちに戦争を止め、人種差別を廃止せよ(A.N.S.W.E.R.)」が呼びかけた。時期的にA.N.S.W.E.R.のスローガンは「米国に支援されたイスラエルのパレスチナ虐殺を止めろ」になった。「パレスチナ解放!(Free Free Palestine!)」「我々は皆パレスチナ人だ(We are all Palestians)」などが、がデモ行進の掛け声になった。パレスチナ支持のデモとしては、米国史上最大規模のものとなった。パレスチナ人のスカーフを首に巻いたデモでもってペンシルバニア・アベニューは埋め尽くした。
 これに反グローバリゼーション派のMGJ、ラテンアメリカ連帯運動の「コロンビア動員(Colombia Mobilization)、4月20日デモのために生まれた「A20Mobilization Coalition」の4大ネットワークが共同主催した。
 IMF・世銀やホワイトハウスに向かったデモは「Drop Debt Not Bomb(爆弾ではなく債務を落とせ)」といったプラカードが目立った。
 4方向からのデモは、連邦議会のあるキャピトル・ヒルに向かった。
 4月20日のデモには代表はいない。しかし、カーター政権時代の元司法長官ラムゼイ・クラークは、象徴的なリーダーであり、メイン・スピーカーと見なされている。
4月22日には、イスラエルのシャロン首相が宿泊するワシントン・ヒルトン・ホテル前でデモがあった。