DebtNet通信(vol.2 #51)  
「エコロジカル債務について」
2002年11月7日

 ここ数年間、債務帳消しという社会的正義の運動とエコロジカル正義の運動が接近している。その中で起こっている議論について評論する。
 
1. エコロジカル正義の根源

 エコロジカル正義の運動は、1960年代、米国の黒人パワー運動に起源を持つ。
 黒人たちは、最も汚染され、環境が破壊された地域が、黒人、先住民、ラティノ居住区に意図的に選ばれていることを、はじめは五感で感じたのだが、やがて論理的に把握するようになった。
 この「環境人種差別」は、はからずも、社会的不平等とエコロジカルな不平等と関連していることを証明した。社会の最底辺層が、社会経済システムが生み出した環境の負荷をより大きく受けていることを示していた。勿論、非持続可能な生産と消費の責任は大企業と豊かな消費者にある。にもかかわらず、その負荷を意図的に非アングロ・サクソン居住区に押しつけている。
 この環境問題の議論は、単に環境を護る運動にとどまるのではなく、必然的にエコロジカル正義と権利を要求する運動へと発展していった。「人間は皆、健康な環境に生きる権利があり、社会経済的見地からすると、環境のリスクや悪化を最も差別されている人口に意図的に皺寄せするのは正しくない」という主張に集約された、もし環境の悪化が避けられないとすれば、そのリスクはすべての人口が等分に負担しなければならない。
 このような議論の結果、環境保護運動は、民主主義と世界人権宣言の確認に至ったのであった。 

2. ラテンアメリカでの展開

 このように、エコロジカル正義の概念は米国に起源を持つのだが、それが環境運動に新しい息吹をもたらし、社会変革運動につながっていったのは、ラテンアメリカであった。
 ラテンアメリカでは、環境人種差別は、先住民やアフリカ系住民にたいする差別として、目に見える形を取っている。そのため、貧困根絶の運動はエコロジカルな不平等に対する闘いに集約された。一方、エコロジカルな正義への闘いは単に護るということから、やがて、行動的な性格を帯びるようになった。
 最貧層は環境破壊の皺寄せから護られねばならないだけでなく、より積極的には、環境と天然資源への平等なアクセスを享受できる権利を持つ、という考えに発展していった。それはクリーンな水、耕作可能な土地、クリーンな空気、生物多様性、などの平等な、民主的な配分を通じて実現される。
 農地と都市の改革、「尊厳の政策」と言われる水、エネルギー、緑地を獲得する闘い、そして先住民の共有地民営化に対する闘いは、いわゆる「貧困化政策」と呼ばれるテクノクラートのビジョンと対照的なものである。これらの闘いこそ、環境運動の真髄である。

3.エコロジカル債務と開発

 「エコロジカル債務」の概念は、1980年代、エコノミスト的発想と「金融債務」をめぐる誤った議論に対抗するものとして、ラテンアメリカの環境運動から始まった。
 地球の天然資源の消費と枯渇による大多数の人口の周辺化傾向について、ここ数世紀間のグローバル・システムによってもたらされたエコロジカルな不平等と切り離してはならないというのが基本的な考えである。金融の債権者が集中しており、また、大量消費をしている少数者が住んでいる地域は、世界の大部分の人口に対して、エコロジカル債務を負っている。つまり20%が地球資源の80%を消費しており、したがって、80%の環境負荷を生みだしている。
 第1に、この不平等は、殖民地主義と帝国主義の歴史的結果である。これは、地球の人的、物的資源を大多数の犠牲において、少数者が消費してきた、という事実である。これは、勿論、数字的に証明することは困難だが、債務として返済を請求できる。
 第2に、この不平等な消費のパターンは、少数者が地球上のスペースと生産手段を占有していることを示す。例えば、地球温暖化が、地球の大多数、とくにエコシステムに直接に生活の糧を依存している最貧地帯の人口を脅かしているという事実がある。これはエコロジカル債務が、単に、過去の遺産についてだけではなく、不平等が毎日、再生産されていることが、より重要になっている。
 この2つは、組み合わされなければならない。エコロジカル債務は、少数者が多数者から地球の資源を簒奪し、貧しい少数者に環境の悪化の結果を押しつけることによって、不正義なグローバルな環境を維持している結果である。
 グローバル、国内的レベルでのエコロジカル不正義が、国内的、グローバルなエコロジカル債務を生み出している。言いかえれば、エコロジカルな不正義は、今日、さまざまなレベルでの環境の非持続可能性の根源となっている。
 一方、エコロジカル債務は、単に、この政治的、倫理的債務を返済するだけでなく、正義で、バランスした、互恵の、持続可能な人間開発を可能にする義務が伴なう。かくして、エコロジカルな正義と、エコロジカル債務の返済によって、グローバルな非持続可能性を克服できる。
 ガンジィは「地球はすべての人の欲望でなく、すべての人の必要を満たすのに十分なもとを提供している」と言った。

この文章は、DebtNet通信57号でお知らせいたしました、AllianceのWorkshop on the Socio-Economy of Solidarity(WSES)の債務についての電子ワークショップでブラジル・リオのアドボカシNGOであるPACSのJose Augusut Padua教授が投稿した文章の抄訳です。