DebtNet通信(vol.2 #21)  
「カナダ・サミットとアフリカの貧困」
2002年7月
カルガリー・サミットとアフリカの貧困
     
1.カナナキス山中のサミット

 今年のG8サミットは、6月26〜7日、カナダ東部のカナナスキス山中で開かれた。これまでのサミットは3日間であったのが、2日間に短縮され、会場に滞在したのも、8人の首脳を除くとごく少人数に限られた。
 サミット会場が山の中に選ばれたのは、昨年のジェノバ・サミットが、30万人の「反グローバリゼーション」の抗議デモに見舞われたことによる。サミットの会場が抗議デモに襲われないよう徹底的なNGOの排除をはかった。カナナキスから最も近い町は、かって冬季オリンピックの開催地となったカルガリー市で、ここに各国の政府代表団とマスコミ取材陣が滞在した。カルガリーはサミット会場から100キロ以上も離れており、唯一のアクセスは一本の道路であった。
 一方、カナダ政府は、NGOの取り込みも行った。サミット前日の25日、グラハム外相が、オタワで開かれたアフリカ支援のNGO集会に出席し、NGOの提言をG8サミットに反映すると約束した。

2.サミットの課題

 今年のサミットは、「低迷する世界経済」、「テロ」、「アフリカの貧困」など、どれをとっても緊急に解決をせまられている難問に直面していた。さらに、初等教育の義務化、HIV/エイズとの闘い、ITの南北格差の解消、貧困国の債務削減など、これまでのサミットから引き継いだ重要課題もあった。
 しかし、サミットは、これらの課題に対して有効な解決策を打ち出すことが出来なかった。唯一成果といえるものは、「アフリカの貧困」に対する行動計画であった。G7首脳は、2日目、サミット史上はじめてアフリカの4首脳を招き、アフリカ側が作成した「アフリカ開発のための新パートナーシップ(NEPAD)」を、サミットの「行動計画」の目玉とした。

3.アフリカ新マーシャル計画を採択

 1999年6月、ケルン・サミットでは、G7首脳(ロシアを除く)は、700億ドルにのぼる重債務貧困国41カ国の債務削減を公約した。この中でアフリカは36カ国を占め、実質的には、アフリカの債務救済措置であった。しかし、ケルン以後、この公約は実施されず、今日、債務削減の約束を得た国は、26カ国、実際に債務削減措置を受けた国は6カ国に留まっている。一方、IMF、世銀、及び先進国政府は、「債務問題は終わった。今度はアフリカの政府の腐敗一掃(ガバナンス)に取り組むべきだ」と主張し始めた。
 国連は、2001年5月、アフリカのエイズと闘うための特別総会を開いた。これには、年間70〜100億ドルの資金が必要とされた。しかし、特別総会で先進国政府が約束した額は、わずか年間25億ドルであった。
 2001年10月、ナイジェリア、セネガル、南アフリカ、アルジェリアの4カ国が、第2次大戦直後に米国がヨーロッパの復興のために打ち出した「マーシャル計画」になぞらえた「アフリカ開発のための新パートナーシップ(NEPAD)」を作成した。これは、今年3月、メキシコのモンテレイで開かれた国連開発資金会議(モンテレイ・サミット)に提出された。そして、今年6月、ローマで開かれた「世界食糧サミット」に出席したアフリカ首脳たちの賛同を取りつけた。
 NEPADの要点は、アフリカの将来を決定するのは、アフリカ自身の責任であるとする一方、先進国の新規援助の半分をアフリカに振り向ける、さらにアフリカ人平和維持部隊訓練、武器購入資金となるダイアモンドなどの資源管理などへの援助や、アフリカの輸出品に対する関税ゼロなどを要求している。
 国連モンテレイ・サミットでは、米国とヨーロッパ連合(EU)が、それぞれ年間50億ドルと70億ドル、計120億ドルの新規援助を公約した。今回のカナナキス・サミットで採択された「行動計画」では、この新規援助の半分にあたる60億ドルをアフリカに振り向けることになった。
 しかし、これが実施されるという確約はない。とくに米国の場合、ブッシュ大統領が国連演説の中で述べたに過ぎず、議会が承認しなければ絵に描いたモチにすぎない。この「アフリカ版マーシャル計画」が、何時から始まり、何時までという約束もない。さらに、アフリカが輸出する一次産品に対する関税ゼロ措置については、全く曖昧にされた。

4.NEPADはアフリカの貧困を解決するか

 国連モンテレイ・サミットの合意も、G7カナナキス・サミットの「行動計画」も、援助に「条件」が付いている。それは、援助を受ける国は、それぞれの援助国が規定する「市場経済のモデル」を実施しなければならず、また「ガバナンスを確立」しなければならない。つまり、援助するに当って、新しく2大条件が付け加えられたのであった。
 アフリカにとって、市場経済の導入は、どのような結果をもたらすか。それは、すでに水道の民営化を行った南アフリカの例で明かである。南アフリカの水道は、フランスの巨大資本Vivendi Universalに買収され、その結果、水道料金が3倍に跳ね上がった。ソエトの貧しい黒人は飲み水を奪われたのであった。また、アフリカの腐敗は、市民社会の成熟なしには、決して一掃できない。

5.日本はカナナキス「行動計画」のカヤの外

 冷戦以後、欧米諸国は、アフリカに対する関心を失い、援助を激減させた。一方、日本は、国連安保理の常任理事国入りを目指し、大票田(国連加盟国183カ国中アフリカは53カ国)のアフリカを見方につけるため、東京で「アフリカ開発会議(TIKAD)」を開催し、援助を続けた。
 しかし、その後、日本は不況を理由にODAを減らし始めた。皮肉なことに、アフリカでは債務危機とエイズ危機が発生し、大量の援助を必要とし始めた。
 モンテレイ・サミットで米国とEUが120億ドルの新規ODAを公約した時、日本は逆に現行のODAを10%削減した。カナナキス・サミットでも、ヨーロッパの首脳たちが「新規援助の半分をアフリカに」と主張している時、日本の小泉首相は沈黙せざるを得なかった。