DebtNet通信 (vol.1 #49)  
タンザニアの債務救済の実態
2001年9月6日


第2章 タンザニア

最近の政治、経済、社会状況

タンザニアは、独立以来、政治的、社会的安定を維持してきた数少ない国である。選挙に絡む紛争で、1995年、また2000年12月、ザンジバルで起こった動乱は例外的である。これは、援助供与国を憂慮させてはいるが、重要なことは、タンザニアが、完全な民主国家の道を歩んでいると言う点である。2000年10月の選挙では、5つの政党が出馬した。独立以来、TANUが唯一の政党であった。今回もTANUは勝利した。

タンザニアはゆっくりとだが、社会主義から自由市場経済に移行している。1990年代には、経済は下降し、他の低所得国に比較しても、社会指標は悪化している。人間開発指数では、タンザニアは1992年には126位であったが、1997年には156位に落ちた。1995年以来、経済は上向き、貧困、社会、ガバナンス問題を改善する基盤が生まれた。

豊かな鉱物資源に恵まれているにもかかわらず、タンザニアは最貧国であり、GNP1人当たりは240ドルである。3,200万人の人口の半数以上が、貧困であり、36%が絶対的貧困である。貧困は農村に集中している。1990年代、エイズが蔓延し、1980年には51歳であった平均寿命が1997年には48歳に低下した。

市民社会は形成途中で、ウガンダには到底及ばない。それは、一党独裁性が長く続いたことから来ている。しかし、メディアが政治を変えようとしている。これらのことを前進させることが鍵である。政府機関は弱く、腐敗が蔓延していることが、債務救済によって生まれる新しい資金を貧困削減に使うことを困難にする可能性がある。

債務救済のインパクトは?

タンザニアの債務救済にまつわる問題は複雑である。その理由は、第1に、タンザニアがHIPCsイニシアティブによる債務救済をいつ受けるのか不明だと言う点である。なぜなら、2001年7月に至るプロセスに5年以上もかかった。第2に、債務救済が、債務支払いを減らすことになるか、不明だからである。なぜなら、救済措置を受ける前、タンザニアは債務返済すべき額の30%しか返していない。第3に、債務救済によって浮いた資金が、初等保健や教育という貧困削減に決定的な部門の予算が増えるか、判らない点である。

タンザニアに対して、2001年7月にパリ・クラブ、IMF、世銀が行う予定(この報告書は6月に書かれた)の債務救済には「貧困削減戦略ペーパー(PRSP)」の作成など、いくつかの条件があるが、ノミナルな額では、30億ドル、債務総額の54%になる。2000/01年からはじまる3会計年度の債務返済の削減率は、52%、54%、45%となる。しかし、その後は3分の1に減る。ということは、これまで、タンザニアは債務返済額の30%しか払っていないので、債務救済を受けてもあまり変化がない、という議論がある。その反論には、国の債務返済義務がともかく減ることは、国のリスク評価が改善されることを意味し、将来民間投資がくることにつながる。

債務救済の最大の目的は、社会部門の予算を増やし、貧困削減を行うことにある。しかし、タンザニアの債務救済は僅か、あるいはほとんど初等保健、教育部門など貧困削減に決定的な部門への予算をふやすことにつながらない。Save the Childrenが最近行った調査では、政府が保健や教育に支出することが可能な筈なのに、

(1) 現行の救済計画では、ほとんど、保健、教育に資金がいかない。
(2) 保健や教育など公共サービスの機能が弱い。
(3) 本来タンザニア政府の保健、教育予算が国際的水準にくらべて非常に低い
(4) 保健、教育予算が増えるのは、遠い将来のことで、現在はドナーからの援助が必要である。

現在PRSPの作成が進行中であるところから、この調査の意味は重要である。現地のNGOがこのような重要な調査を行うことは、今後のタンザニアの貧困削減に重要な意味を持っている。

PRSP作成のプロセスは?

1999年9月、タンザニアは、拡大HIPCイニシアティブによる債務救済を受ける国の1つになった。しかし、債務救済が実際に行われるには、債務国政府は、市民社会の参加を持って包括的なPRSPを準備することが条件である。

PRSPの作成は2000年1月、タンザニア社会経済信託(TASOET)、タンザニア債務と開発連合(TCDD)、英国OXGAMがダルエスサラムで市民社会のラウンドテーブル会議を共催した。ここでは、市民社会がPRSPに参加する方法を議論した。結果として、TCDDが市民社会を調整することになり、OXFAMが事務局となった。英国開発援助庁が資金援助をした。市民社会の強い伝統がない国でどのようにこれが機能するだろうか。その教訓は何か。いくつかの作業部会が組織された。

(1) マクロ経済の枠組み
(2) 農業、農村の食糧安全保障を含める
(3) 保健
(4) 教育
(5) HIV/AIDS問題

これらの作業部会のペーパーが1つの市民社会ペーパーにまとめられ、2000年5月、政府に提出した。社会指標を含めたおおくの提言が、最終のPRSPに含められた。4回のTCDDの調整会議が開かれた。政府はTCDDに図ることなく、8つの地域諮問会議を計画した。TCDDはこれをボイコットした。ということは、中央レベルではいくらかの市民社会の貢献があったが、地域レベルではなかった。いたがって、ペーパーは都市市況で農村を軽視している。

これは市民社会にとって参加の最初の段階であった。しかし、改善の余地は大いにある。政府はPRSPプロセスにNGOを加えることに同意せず、IMF・世銀の要請があって始めて同意したような始末である。

以後改善すべき分野は;

(1) 適切な市民社会の関与を行うこと。PRSPのデッドラインは市民社会に相談なく決められた。そこで十分な時間がなかった。とくに農村の貧民の参加がえられなかった。
(2) 能力向上。TCDDがPRSP実施において市民社会の効果のおる参加をするために必要である。UNDPは、TDDCの能力向上に資金を提供することに同意した。また英国開発援助庁は、TCDDがあるアル―シャではなく、ダルエスサラムでのコーディネーターを雇う資金を提供した。
 政府自身、「失業者、半失業者、インフォーマル部門を含めた貧困層をカバーする」必要を認めている。そのため「貧困者の参加を求めていく必要がある」と書いている。

結論

タンザニアは、今後10年間に貧困削減を達成するには、多くのことをしなければならない。その長期計画は野心的なものである。国際開発ゴールに沿って、タンザニアは2015年までに貧困を50%減らす。加えて、2025ねんまでに100%減らす。債務救済はこれに必要な資金をもたらすであろう。しかし、保健、教育など社会部門への支出にあてることが必要である。これに加えて、公共サービスの弱体を克服すべきである。教育の質の低下もある。増大する腐敗問題もある。これはタンザニアに固有な問題ではないし、ウガンダの成功例もある。

市民社会の役割は;

(1) 政府に保健、教育サービスの向上を政策提言していく
(2) 僻地のサービスの向上を提言する
(3) サービスの質の向上を提言する。たとえば、包括的なAIDSプログラム、初等教育サービスなど。政府とNGOのパートナーシィップを教化。
(4) PRSPの実施をモニターする。腐敗を根絶する。

このモニターを効果的にするためには、情報公開が必要だが、ウガンダのような制度はタンザニアにはない。また、IMF・世銀は公共サービスの受益者負担を、新規融資の条件にすべきでない。政府は市民社会の反対に声を傾けるべきである。